after story 第4話 夏休み

 テスト期間中は大地も部活がお休みだったから、もっぱらあたしのマンションに来て一緒にテスト勉強だった。 イルカの調教師を目指すために学芸員の資格を目指すとなれば、理系教科が苦手だなんて言ってられない。 数学や理科が得意な大地に教えを請うと、条件付きで承諾してくれた。


 条件? あたしが、文系教科を教えること。


 大地はまた将来の夢を明確にしているわけではないみたい。 ただ、家もそんなに裕福なわけじゃないから近くの国立かな、って言ってた。 でも行くなら理系、とりわけ情報系に興味があるみたい。 音楽を仕事にするつもりはないのかな。

 

 二人でテスト勉強をしていると、一人でやるよりも頑張れる。 それは、あたしだけじゃないみたい。

 集中した時の大地は、あたしの声なんか耳に入らないくらいの集中力を発揮している。 ノートを突き破りそうなくらい鋭い目になって、カリカリとシャープペンの先を滑らせて、難しい問題を次々と解いていく。


 だけど、古文になった途端目が死んじゃう。 そんな落差も大地らしくて面白い。 だけど、大地には数学を教えてもらった恩返しをしなきゃいけない。 だから、この古文も点数が取れるようにあたしも頑張らなきゃ。


「大地、そこはこんな感じ」


 源氏物語の一幕、若紫とその乳母の間柄と互いを思いやって表現した言葉。 小難しい古文の表現をさらに噛み砕いて、今風に伝えてみる。


「源氏物語ってそういう話なの? 」

「そうだよ。 あとは、ほとんど色恋沙汰」

「小難しいイメージしかなかったわ。 小説みたいなもんだと思えばいいのか」

「みたい、どころか平安時代の小説そのものだからね」

「なるほどな。 もっとわかりやすく書いてくれればいいのにまどろっこしい」

「この時代は直接表現するより、比喩を駆使するほうが素敵だとされてたんだから仕方ないね」

「かーっ、周りくどい! 」


 そんなことを言いながらも、大地の回答は正答率が上がっている。 これは負けていられない、とあたしも数学の問題集と対面した。





 こうして互いに先生をやりながら迎えた期末テストは、過去最高の出来だった。 返されたテストの点数は平均して90点台で、今回のテストが簡単過ぎたのかと思ったくらい。

 大地も同じような感触だったみたいで、その感覚を裏付けることになった。


 そして終業式の今日、順位が書かれた通知表が渡されるよりも先に、それを知らせる内容が掲示板に貼り出された。


「大地! 掲示板見に行こうぜ! 」

「んぁ? いいぞ。 今回は手応えあるからな」


 ここ最近、妙に仲良くしている大地と中山くんが連れ立って出て行った。 どうにも不思議な組み合わせ。 大地も別に告白のことを気にしている様子もないから、純粋にウマがあったのかな。


 大地と付き合ってることを告げたあとは、特にこれといったアプローチはない。 邪魔をしたりするのかと思いきや、大地に頭を下げに行ったみたい。


「美咲〜! 美咲も行くー? 」

「うん、行こうかな」


 大きな声だった大地たちの会話を聞いた友紀が、掲示板チェックを提案してきた。 断る理由もないし、あたしも今回はわりと自信あるし見に行こうかな。


 掲示板の人だかりが前から少しずつ解消して、ようやくあたしたちの身長で見えるようになった頃、またしても大きな声が聞こえた。


「おいおい、大地ってこんな頭いいのか? 」

「だいたい100番以内にはいるかな」

「いやいや、そんなレベルじゃないだろ」


 あれ、大地ってどのくらいだったんだろ。 その声に反応するように、順位表に目を移した。


 四分割された順位表の25位の欄から上っていったけど、なかなか名前が出てこない。 そろそろ出てきてもいいのに、なんて思ったころにようやく出てきた。


『9位 菊野大地』


 すごい! 大地一桁じゃん!

 自分のことをそっちのけで喜んでいたら、すぐに自分の名前も見つかった。


『8位 春山美咲』


 あっ、あたし8位!? また大地とお隣だ!

 ちょっとズレた感想なのは自覚してる。 でも名前が並んで書いてあるのはなんだか嬉しい。


 前回よりもまた成績が上がってる。 この調子ならアイドル活動を続けるのには支障がなさそう。


 後ろからの圧力に少し前に出ると、隣に立つと妙にしっくりくる身長の男子がいた。 あたしよりも少しだけ高くなった目線は、まだ順位表を捉えたまま。


 大地は気配に気付いたのか、目線をこっちに向けた。 その目にはわかりやすく喜びが満ちている。 その表情にあたしも嬉しくなって、顔が勝手に笑顔を作っていた。


 笑いかけたのに応えるように大地も『にぱっ』という表現が似合う笑顔を見せた。 なんて可愛い人だろう。 そんな感想を抱いている時に聞こえたのは友紀の声だった。


「はぁ、見せつけてくれちゃって……」


 いけないいけない、学校だった。





 その日の夜は、大地の提案で大地の家に行くことになった。 家の近所にあるスーパーに二人で寄って買い物をしてると新婚夫婦の気持ちを味わえる。


「何か食べたいものあるの? 」

「なんでもいい」

「んもう。 あ、 イナダ安い。 大地、お魚平気? 」

「うん、好きだけど……これ? 」

「そ。 このサイズだから三人でも余るくらい」

「それはいいんだけど、捌けるの? 」

「もちろん! なーんて、昔何尾も無駄にして特訓したの。 お母さんみたいになりたくて」

「そうか、努力家だな、美咲は」


 その甲斐あって人生で初めての彼氏に手料理を食べてもらえるんだから、あの努力は無駄じゃなかった。


 大地の家は人気がなかった。 受験生の杏果ちゃんは塾に行ってるんだって。 ご飯を作るんだったら杏果ちゃんも食べるのかと思ってちょっとドキドキしていたけど肩透かしを食らった感じ。


 イナダは3枚におろして、半分は叩いてなめろう、もう半分は竜田揚げに。 あとはほうれん草と里芋で煮浸しを作って、お味噌汁があれば十分かな。


 ザ・和食って感じだし、大地はもっとガッツリしたの食べたかったかなぁ。 なんて思っていたけど、そんな心配は全くの杞憂で、大地はあっという間に平らげて満足そうにしていた。


 一緒に洗い物を片付けたら、大地の部屋に招かれた。


「やっぱり学校がある日の方が会えるよな」


 最近は仕事も多くて、土日はほとんど時間が取れない。 それだけに学校で会うしかないんだけど……。


「うん。 ……でも学校だとこうやってくっつけないからなぁ」


 ベッドの脇にいる大地の隣に腰を下ろした。 隣にいるだけでなんだか安心する。 このゆったりした空気が好き。 もう大好き。


 こうして座ってると身長差は感じないな、なんて思いつつ大地の肩に頭を乗せた。


「大地、背伸びたよね」

「そうだな、去年から8cm伸びてた」


 8cm!? そりゃ目線も変わるはずだよね。 少し離れてまじまじと大地の全身を眺めた。


「すごい! そんなに伸びてたんだ。 前は同じくらいだったのに、最近少し見上げるようになったなって」

「そうか、あんまり気にしてなかった。 ちょっと立ってみ? 」


 先に立ち上がったあたしの隣に大地が立ち上がった。 ちょうど大地の唇があたしの目の高さにくる。


 まだ一年前の今頃は、大地とこうやって付き合うことになるなんて思いもしなかったな。 そりゃ大地だって背が伸びるはずだよね。 あたしはとんと伸びないけど。


 こうして大地を見ていると、また一段と凛々しくなった気がする。 なんて贔屓目かな。



 愛おしい気持ちがいっぱいになると、ついキスしたくなっちゃうんだけど、今日は大地からして欲しいな。

 数えていられないくらい回数も重ねてきた。 でも、大地からしてくれることはあんまりない。 恥ずかしがり屋さん。


 でもこうやって目を閉じて催促すると、ちゃんとしてくれるようになった。


 ――なのに。


「なんでしてくんないの? 」


 いつまで経っても重ならない唇に業を煮やして目を開けると、大地は目を閉じる前と同じ体勢のままだった。

 どうしても咎めるような言葉遣いになってしまう。


「ちょっと落ち着け、な? 別に悪気があったわけじゃないんだよ」

「じゃ何があったの」

「うー……えっとその、見惚れちゃって」


 口下手な大地がそんなにスラスラと軽口が出てくるわけがない。 さては、なにかいたずらしようとしてたな?


「なんか誤魔化そうとしてない? 」

「違うって、ホントなんだって」


 ホントかなぁ? でもせっかくの二人の時間をケンカして過ごしたんじゃもったいない。


「ぶー。 いまはそういうことにしといてあげる。 んっ」


 今度はすぐに大地の唇が感じられた。 でも今度は長い、長いよ。 息が続かなくなるほどの、大地にしては珍しく長いキスだった。


 大地からの愛情を感じられて、嬉しくなった。 でも、明日からはしばらく会えない。 あたしは泊まりで地方のイベントだし、大地も部活の合宿があるし。


「充電っ! 」


 大地の身体にしがみつくようにして抱きついた。 力いっぱいぎゅーってして密着した。 これからの一週間分、充電するんだ。


 大地は力強く、でも痛くないように抱きしめ返してくれた。 ずっとこのままでいられたらいいのになぁ。


 そんな願いも虚しく、玄関でドアの閉まる音が聞こえてきた。


「杏果が帰ってきたな。 もう遅いし、送ってくよ」

「うん、そうだね。 ありがと」


 とたとたと階段を降りていくと、大地は杏果ちゃんと言葉を交わしていた。


「ちょっと美咲を送ってくるからな。 飯は、そこにあるのと、冷蔵庫の中」

「はーい。 あ、美咲さんこんばんは。 今度はぜひもっとゆっくりでー」

「こんばんはー。 慌ただしくなっちゃってごめんね。 またねー」


 先に出た大地の元へつくと、大地は自転車を押して並んで歩き出した。 そして、明日からの予定を互いに話し終わったところで、話が切り出された。


「テスト期間でさ、誕生日のお祝いがちゃんとできなくてごめんな」

「ううん、だってあたしが自分で言い出したことだし、それに一緒にケーキ食べに行ったじゃない」

「まあ、そうなんだけどさ。 それで、これ」


 目の前に出されたのは、手のひらに乗るくらいの小さな箱。 赤いリボンが十字にかけられている。 大地を見ると、小さく頷いた。


 リボンをほどいて箱を開けると、中から出てきたのはネックレスだった。 トップには雫型のガラス玉がついている。 透けて見えるオレンジ色の帯が螺旋を描いていて、かわいらしさもありつつ少し大人っぽい雰囲気。


「大地っ」


 ありがとっ、といいながら自転車を押す大地に抱きついた。 自転車を押す腕ごと巻き込んだものだから、さすがの大地もすこしバランスを崩してしまった。 それでもあたしを支えつつ、自転車も倒さずにその場で踏ん張っている。


「ご、ごめん」

「いや、大丈夫。 おいで」


 普段学校じゃ見せてくれない凛々しい姿に、また惹かれる。 でも一緒に倒れてせっかくもらったネックレスを壊したりしたら一生後悔するから、今度は少しだけゆっくりと大地にくっついた。


 ここがあたしの居場所だな、なんて思っていたのに、駅の方からサラリーマン風のおじさんがやってきたから、渋々離れることに。


 仕方ないからまた駅に向かって歩き出す前に、もらったネックレスをつけてみた。


「どう? 」

「お、いいね。 似合ってるよ」

「ありがとう! 明日からも着けていくね。 さすがにライブ中は無理だけど」


 あたしの言葉を聞いて、大地は満足そうに頷いた。



 駅に近づくにつれて、夜の街は明るさを増していき、あたしたちの二人の時間はここでおしまい。


「送ってくれてありがと」

「おう。 明日から気をつけて行ってきてな」

「うん。 メッセで写真送るからね。 大地も送ってよ」

「それはどうかな。 合宿なんてむさ苦しいだけだぞ」

「いいの、それでも! 」

「わかったよ」

「わかればよろしい。 それじゃまたね、おやすみ! 」


 マンションのエントランスだったけど、最後に軽くキスをして中に入った。 さぁ、明日からは一週間お仕事旅行だし準備しなきゃ。

 

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