第62話 あたし?

 雑誌に特集されるだけあって、おいしさは本物だった。

 口に入れた途端にふわふわの生地がしっとりを経由してとろけてゆく。


 乗っかっていたいちごと一緒に食べたときは、その酸味と食感がアクセントになる。 バナナの冷たさとパンケーキの暖かさの温度差も楽しい。


 どうやったらこんなに柔らかくてとろけるような生地になるんだろう。 食べるたびにあたしの頰もとろけていく気がする。


 次はブルーベリーっと、なんて思っていたら、大地と目があった。 しまった、パンケーキに夢中でほっぽらかしてた! 大地も食べたかったのかな?


「食べる? 」

「ん? お、おう」

「はい、どうぞ」


 フォークにさしたパンケーキを大地の口に放り込んだ。

 ちょうどその時、隣のお姉さんたちの話し声が聞こえた。


「いやー、若いっていいねー」

「私もあーんできる彼氏欲しいわ」

「あんたその前にやることあるでしょ」

「確かに〜」


 ケラケラと笑うお姉さんたちの話を聞いて、自分がどれだけ恥ずかしいことをしていたか気がついた。 こんな人前で『あーん』だなんて。


「うまいな!これ」

「――ね、美味しいよね」


 一人辱めを受けていたところに大地が話しかけてくるもんだから、余計に恥ずかしい。 あたしの顔真っ赤なんだろうな、きっと。


 流石の大地ももう一度「食べる?」と聞いた時には首を横に振った。 その頃にはあたしの方にも余裕ができていたから、どんな反応をするか観察できたはずなのに。


「ごちそうさまでした。 ありがと、大地」

「どういたしまして。うまかったな」

「うん、すっごく。 ねえ、せっかくだからお店見ていい? 」

「もちろん」


 店内半額なんてポップが出ていたり、普段なら入らない雑貨屋さんも、タイムセールだなんて声高に言われるとフラフラと覗きに入ってしまう。

 安売りしない文房具屋さんも、今日は2点買えば2割引セールだ。 これは買わない手はない。


 いつも行く眼鏡屋さんもセール中のようで、普段ヒマそうにしている店員さんも忙しなく動いていた。 その様子を眺めていたあたしに、大地は鋭い質問をよこした。


「コンタクトは使わないんだ? 」

「そうだね。 学校だと眼鏡の方が慣れてるし、スポーツするわけじゃないし。 なんで急に? 」

「いつもの眼鏡壊れても別の眼鏡なんだなーって思ってさ」

「変だった? 」

「いやいや、全然変とかじゃないよ。 でも、コンタクトでも可愛いんだろうなって、おも……ってさ」

「ふふ、ありがと。 でも大地にはコンタクトの姿はまだ見せられないかなぁ」

「なんでだよ」

「なんででも」


 コンタクトなら可愛いって思ってくれてるんだ。 大地って時々鋭い。 コンタクトにしてパッチリ系メイクをしたら『千春』だもんね。

 でも、その姿を大地に見せるわけにはいかない。


「はぁ、いっぱい歩いた~」

「そうだな。 歩き疲れたし、少し座ろうか」


 キラキラと光るイルミネーションに囲まれながら、ベンチに座って足を休めた。

 パンケーキごちそうになったり、買い物にまでつき合わせちゃったり、大地に甘えすぎちゃったかな。 今日のこと、ちゃんとお礼の気持ちを伝えておかなきゃいけないね。


「あのさ」

「あの」


 わぁ、びっくりした。 なんだろうと思って振り向くと、少しだけぼやけた視界に大地のぎこちない笑顔があった。 大地も疲れちゃったのかな。


「あ、美咲から、どうぞ」

「んと、パンケーキごちそうさまでした。 あとね、今日楽しかった」

「喜んでもらえたみたいだな」

「うん、もちろん。 幸せだったよ。 ありがとう」

「いやいや、どういたしまして」


 パンケーキも、そのあとの買い物も、可愛いと言ってもらえたのも、全部幸せ。 今日はとってもいい日だった。

 眼鏡が壊れてたのだけが本当に残念。 でもイルミネーションも少しぼやけて幻想的に見えるから、これはこれでアリかもしれない。


「それで、大地は? 」

「あ、うん」


 そう言ったはいいものの、大地が話し出す気配はない。 どうしたんだろう。

 ビュッと少し強い風が吹いて、思わず身を縮こまらせた、その時。


「――美咲」

「うん? 」

 


「美咲が好きだ。 俺の、彼女になって欲しい」

「――え? 」



 大地、今何て言った? 好きだって? あたしが? 『千春』じゃなくて?



「……あたし? 」



 疑問符が次から次へと湧いてきて、とどまることを知らない。 だって、大地は『千春』が好きだと言ってて、あたしはどうやって振り向かせようかと頑張ってて。

 

「うん、もちろん。 ほかに誰が」

「そ、そうだよね。 えっと、大地は岬千春が好きなんじゃなかったの? 」


 とりあえず、いま持ってる一番の疑問をぶつけてみる。


「それは――俺がもっとはっきりしておけば良かったんだけど、俺はクリスマスの前からずっとお前のことしか見てなかったんだ」


 クリスマスの前から?

 そんな、だって――。


「だってあの時、あたしか岬千春かって言ったら――」

「答えられなかったのは、まだ美咲に告白する決心がついてなくて。 ――ごめん」

「……そう、だったの」


 クリスマスよりも前? いつから?

 大地は素顔のあたしを好きだったってこと?


 それじゃあたしは何ヶ月もの間、一体何を悩んでたの。 もっと早く気持ちを伝えてたら、もっともっと早く好きだよって言えてたら……。


 でも大地は『千春』が好きだって言ってたのも事実だし、でも確か付き合えるとかは思ってないって……。


 考えがまったくまとまらない。 わかったのは、大地があたしのことを好きだって言ってくれたことだけ。


 涙と鼻水は主人の意向を無視して勝手に出てくる。 うー、もうやだ。 わけわかんない。


「お、おい」

「あ、えへへ、ごめん、なんかよくわかんなくなっちゃって」


 目の端から水が溢れ落ちてしまった。 こんな時にですら、眼鏡を外して拭うこともできない。


 それは自分が『千春』でもあるから。 大地が仮面しか見てないと決めつけて、ちゃんと向き合ってなかったのはあたしの方だったんだ。


 一番望んでいた結果を得られた途端に、自分が一番『仮面』の呪縛に囚われていたことに気づくなんて。


 大地は想いを正面からぶつけてくれた。 あたしは、『千春』の存在を隠したままいていいわけがない。 素顔の時とアイドルの時の、両方ともあたしなんだと知ってもらわなきゃならない。 伝えた結果が、例え望み通りにならなくても。


 しばらくの間目を閉じたり深呼吸をしたりして、なんとか気持ちを落ち着かせることができた。


 ふぅ。 ちゃんと、話さなきゃ。

 大地に知ってもらう前に、あたしにはやらなきゃならないことがある。


「ごめんね。 こんなつもりじゃなかったんだけど」

「――大丈夫か?」

「うん、ありがとう。 好きって言ってもらえて、嬉しかった。 ……ちょっと混乱しちゃっただけ。 それで、お願いなんだけど、お返事週末明けでも、いいかな? 」

「おう、わかった」

「ごめんね、ありがとう。 寒くなってきたし、帰ろっか」


 イルミネーションのトンネルを抜けて、駅へと向かった。

 車窓から見えたイルミネーションは、さっきよりも輝きを増しているように見えた。

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