第60話 伝わった?
アンコールの2曲を終えると、コンサートの終了を告げるアナウンスが流れて、客席が明るくなった。
すぐに出てもごった返すからアンケートでも書いていこう、というお姉ちゃんの提案に乗る。 プログラムに挟まっていたアンケート用紙には、演奏会の満足度や『一番素敵だと思ったパート』、『一番輝いていた人』なんかを記入する欄が設けられていた。
やっぱりパートはクラリネットで、輝いていたのは大地だよ。 贔屓目だけど!
自由記入の感想欄も少しだけど書き終えたとき、ちょうどお姉ちゃんも終わったところだった。
荷物とコートを持って席を立つ。 帰りの行列はだいぶ落ち着いていて、客席に残る人もまばらになってたから、これなら帰りはスムーズかと思ったら大間違いだった。
群青色のブレザーを着た部員のみんなもロビーに出てきて、お客さんと話していてむしろごった返していた。
すっごい人……。
あ、大地も出てきてるのかな。 ちょっとでいいから、お疲れ様って伝えたいな。
歩きながら人混みの中をそれとなく見回していたら、お姉ちゃんに突然肩をポンと叩かれた。
「ほら、彼氏、あそこ。 行ってきなよ」
そう言ってお尻をパンと叩かれた。 お姉ちゃんが指差す先には大地が誰か知らない人にお辞儀をしているところだった。
「か、彼氏じゃないってば」
そう抗議しつつも、お尻を押されて一歩飛び出した勢いで、そのまま大地の元へ歩みを進めた。
「大地」
「――美咲」
あたしの名を呼んだその声は、さっきの司会の時のような凛々しい張りのある声ではなくて、どこかバスクラリネットのような柔らかな声だった。
いつもの大地だと思って、少しホッとした。
「来てくれてありがとう」
「ううん、誘ってくれてありがとう。 大地、カッコよかったよ」
カッコよかったなんて、普段なら恥ずかしくて絶対言えないけど、こんな時だからいいよね。 司会もソロも本当にカッコよかったし。
「いやー、司会もちょっとセリフ飛んで下手こいたけどな」
「ふふ、全然気にならなかった。 それよりも、バスクラのソロ、とっても素敵だった」
「ありがとう。 伝わった、かな」
「『愛する人を想って』って? 」
あたしが『千春』だったら、即答してる。 愛されてることを実感した、って。
でも大地がそれを伝えたかったのは、いま大地の前に立っているあたしではない。
――だから。
「きっと伝わったんじゃないかな」
そう答えたあたしに、大地は疑問を持ったような不思議な顔をしていた。
次の言葉を紡ぐまでのちょっとした空白の間にお母さんが横に来ていた。
「大地くん、お疲れさま。 素敵な演奏ありがとうね」
「あ、お忙しいところ、お越しいただいてありがとうございました」
「私はこれで失礼しますね。 美咲は美桜と帰るでしょ? 」
「うん、そのつもり」
「それじゃ。 大地くん、またね」
「あっ、はい失礼します」
そこまで話して、お母さんは足早にホールを出ていった。
「仕事? 」
「ううん、今日は食事会があるみたい」
「忙しいところにホントに申し訳ないなぁ」
「いいのいいの。 来たがってたから」
「そうそう、美咲の彼氏見なきゃ、ってね! 」
いつの間にか横に来ていたお姉ちゃんがまた茶化してきた。 また悪ふざけして!
「お姉ちゃん!?」
「春山先輩!? 」
「菊野君、いい演奏だったねー。 やるじゃん」
「ありがとうございます。 司会に、ソロに、後半は目が回りそうでした」
「いい経験したじゃない。 セリフ飛ばしたのも込みで、ね」
「苦い経験ですけど……。 これからも活かせるように頑張ります」
「うん、頑張れ! あっサエちゃーん! おつかれー! んじゃーね菊野君」
お姉ちゃんは荒らすだけ荒らして、また別の人のところへ走り去っていった。
家で彼氏だと紹介してると思われては敵わないから、ちゃんと言い訳をしておかなきゃならない。
「大地、ちゃんと彼氏じゃない、って言ってるからね、大丈夫だよ。 それじゃ、あたしも行くね」
「お、おう、また明日」
なんだか大地に申し訳なくなって、退散するしかなかった。 ちゃんとお疲れ様と言えたからいいかな。
――あれ、言ったっけ。 カッコよかったとしか言わなかったような……。 ま、いっか。
明日は大地がどこかに連れてってくれるみたいだし、楽しみだな。 何より、あたしに付き合ってくれるってことは、他の人からもらったわけじゃないってことだもんね!
お姉ちゃんが引っ張りだこから解放されたのは、お母さんが出ていってから三十分以上経ってからだった。
そうしてお風呂の後、布団を被って目を閉じていた時に浮かんできたのは、『伝わったんじゃないかな』と話した時の大地の顔だった。 どこか、嬉しさを感じない、憂いのある表情。
カッコよかったと伝えた時は喜びの表情をしていた。 それが、この言葉のあと変わった。 なんで? あたし、何か変なこと言った?
いつもの笑顔じゃなくなった大地。 それを思い浮かべてはもやっとした気持ちになってしまい、なかなか寝付けない。 このままでは仕方がないから、お水でも飲もうとベッドを降りた。
メガネを取ろうと暗闇の中、机を手探りする。 手にメガネの縁が当たったかと思えば、つかむ前に床に落ちてしまった。 はあ、つくづく運がない。
よく見えない足元を探すために一歩下がってしゃがみこもうとしたところ、パキンという無機質な音が響いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます