第6話 サインちょーだい!

 ドーム球場は夏休みとあって人の入りがとてつもなかった。 子供たちの姿も多く家族で観戦っていう人も多いみたい。 まだ試合開始まで3時間もあるのに。



 東北シリーズは地理的なこともあって割と涼しく過ごせたけど、鹿児島と熊本はホントに暑かった。 屋外だったこともあって、ステージを終えたら汗びっしょりだった。


 でも今日からの福岡は、始球式がドームだし、明日のライブも屋内だから少し安心。


 挨拶まわりの最中、チアのチームであるハニービーズの部屋にお邪魔したら、みんな綺麗で、背も高くて足も細い。 大人の女性って感じで、あたしみたいにちんちくりんは一人もいなかった。


 ハニービーズが踊るのは、試合開始の直前と7回裏の球団応援歌を歌うとき、それに勝ったときの試合後なんだって。


「一緒に踊ってみない? 」


 キャプテンのエリカさんからの唐突なお誘いにあたしたちは驚いた。でも、ナツもフーちゃんも乗り気みたいで、原田さんと話をしていた。

 結局のところ、明日の準備もあるからということで、試合開始前だけ参加させてもらうことに。


 3万人以上の観客の前で踊るなんて初めての経験だから、ドキドキする。

 ナツはチームのキャプテンであるエリカさんから早速振り付けを習っていて、もうほとんどできるようになっていた。 これだから天才肌は困る。

 愚痴っててもしょうがないかとナツの側へ行くと、エリカさんもナツも一緒になって踊りながら振り付けを教えてくれた。

 夏休みに入ってからのレッスンで、チアリーディング系の振り付けが多かったのもあって、体は勝手に動いてくれた。 あたしもちゃんとアイドルできてるんだな、なんて思えて少し嬉しくなった。





 球場DJのマイクパフォーマンスが始まると、両チームのスターティングメンバーの発表が始まった。 バックスクリーンの後ろにある大型ビジョンでは、ド派手な演出とともに選手の背番号や顔写真、ポジションなんかが次々と映し出されている。

 特に、打順が三番の選手はかなりの人気選手らしく、発表の時の歓声はものすごく、すぐ隣にいるナツの声が聞き取れないほど。


 スタメンの発表が終わると、ハニービーズの出番。 球団の応援歌に合わせて踊りながら、一塁線のファールゾーンを通ってライトスタンド前に向かう。

 こうやって見るとフェンスは高いし、ホームベースはかなり遠くに見える。 野球選手ってこんなところまでボールを飛ばすんだからすごいよね。


 曲の切れ間に観客席に向かって手を振っていたら、「千春ちゃーん!! 」という声が聞こえてきた。 山のように人がいるから、誰だかは全然わかんないけど、発信源の方に手を振ってみた。


 その時、歓声が大きく上がったのを感じて、何事かとキョロキョロと辺りを伺った。 でも、盛り上がるようなことは特に見当たらずに、近くにいたアキちゃんに聞いてみたら、一番大きなビジョンにあたしが映ってた。


「ひゃあ」


 とんでもない大きさで映る自分の顔を見て、恥ずかしさのあまり頰を手で覆い隠す。

 あ、ダメだ、あたし今アイドルやってるんだった。 恥ずかしがってる場合じゃない。


 一旦カメラの方に両手を振って応えると、そのあとはぐるっと取り囲んだ観客の皆さんに手を振る。

 すると、いろんなところから名前を呼ぶ声や「かわいー! 」といった声が聞こえてきて、野球を観に来た人たちにも知ってもらえていたことを実感して暖かい気持ちが溢れた。


 内野にはフェンスがないフィールドシートがあって、小さな女の子が手を振りながら「ちはるーちはるー」と声を上げていた。 あたしは小走りで近づいて、その小さな手に軽くハイタッチをした。

 女の子はニッコリと笑って、ペンとメモ帳を差し出した。


「サインちょーだい! 」



 ――サイン?



 サ、イ、ン?



 サインなんて書いたことないよ!

 どうしよう!?


「ちはるーどしたの? 」

「あ、えっとサインね。 上手じゃないけどいい? 」

「うん! 」


 書いたサインは、小学校四年生くらいのころにお友達と何故か練習していたもの。 ミサキの文字とニッコリマークを囲むような大きなハートマークが特徴。 とっさに書いたけど、ミサキだからいいよね。


「はい、どうぞ」

「ありがとー! 」


 女の子は満面の笑みで応えてくれた。 なんかそれだけで嬉しい。 アイドルやってて良かった、って初めて思った。



 ベンチの前まで戻ってきたら、オープニングセレモニーが始まるところで、国家斉唱のために起立と脱帽をアナウンスが要請していた。 国家斉唱が終われば、いよいよフーちゃんの出番。


 フーちゃんは4Seasonzの衣装の上から、ホームチームのユニフォームを羽織ってマウンドに登っている。 女性が始球式をやるときはだいたいマウンドを降りたところあたりから投げることが多いそう。 なのにフーちゃんはピッチャーのいるところから投げるから、やっぱりすごいんだね。


「本日の始球式は、CMでもお馴染みの4Seasonzの皆さんでーす! 投げるのはグループ最年長の冬陽ちゃん。 マウンドの上から投げますが、果たして届くのかぁ〜!? 」



「当然」



 そう呟いたかと思えば、フーちゃんはもう投球動作に入っていた。 練習の時と同じようにワインドアップから右足を上げ、体重が前に移動していったかと思えば、次の瞬間にはキャッチャーのミットの中にボールが収まっていた。 相手の選手も空振り!

 94km/hと表示された球速に、うぉおおお、と球場内がざわめく。 さすがフーちゃん!


「冬陽ちゃんすごい球でしたねぇ。 ありがとうございました〜!! 」


 キャッチャーからボールを受け取ってマウンドから降りてきたフーちゃんを出迎えた。


「すごいね、フーちゃん! 空振りだったよ! 」

「何言ってるの。 始球式はどんな球でも空振りするものなのよ。 それよか100キロでなかった……」


 戻ってきたらいつものフーちゃんになっていた。 だけど、いつもより早口だから、少し興奮してるみたい。




 試合は、というと9回までに相手に4点差をつけられて圧倒的に不利な状況で最後の攻撃を迎えていた。 しかし、ヒットや四球で満塁とすると、二番の選手がタイムリーヒットを打って、これで2点差。


 そして、最初に大歓声が上がった三番の選手がなんとなんとの逆転サヨナラスリーランホームラン。 稀に見る大逆転劇で球場は異様な雰囲気になってた。 でもこの選手が人気出るのがわかった。 すっごいカッコよくって、ファンになっちゃうよ。


 夜に食事をしているときも、原田さんとフーちゃんは試合の流れについて、そしてあたしを含むほかの三人はあの選手がカッコよかっただの、とわいわい話していた。

 




 翌日のライブは建物の中に川が流れている構造の商業ビルで、屋根はあるけど屋外だったの。 つまり暑い!

 外でのライブは暑かったけど、福岡はファンの人も熱いみたい。 なんかアイドル熱が高いというか。

 あたしたちも汗かいたけど、来てくれた人たちも汗びっしょりで応援してくれて、すっごい盛り上がった。




「いやー、福岡も暑かったねー」

「うん。 でもすっごい盛り上がりだった」

「地方に出ると地域色あって面白いね」

「これで夏休みのライブは終わりかな」

「そだねー。夏休みの課題やっつけなきゃ」

「え? ナツまだ終わってないの? 」

「え? ハルもう終わってるの? 」

「え? 」

「え? 」


 もう夏休みもあと1週間もないというのに、まだ課題を終わらせていないというナツ。 大丈夫なの?


 あたしたちの会話を聞いていた原田さんが心配そうにやってきた。


「ナッちゃん大丈夫? 夏休み終わったら最初の週末はモールでイベントだよ? 居残りで来られないとか勘弁してよね」

「わかってますってばー」

「頼むわよ、握手会イベントもあるんだから」

「あ、握手会……? 」

「あれ、言ってなかったっけ? 」


 握手会なんてイベント、聞いてないよ……。 それにどんな人が来るのかわからないからちょっと怖いし。


「大丈夫大丈夫。私もそばにいるし、ハルちゃんとこはすぐに剥がすようにするからさ」

「はぁ……」


 やらない、ってわけにはいかないもんね。 聞いてみたら時間は短そうだからなんとかなるかな。 でもなんかモールのイベント憂鬱だなぁ。


 そう思いつつも、空港でお土産を買っているところにスマホが鳴った。 そこにはお姉ちゃんからの朗報が舞いこんできた。


『地区大会突破! 次は関東大会だよ』

『やったね! 頑張って! 次は聞きにいくよ』

『うん。 応援よろしく』

『もちろん。 このあと飛行機乗って帰るね』

『はーい』


 これで夏休みの最終週にパレスホールで開催される、吹奏楽コンクール関東大会へお姉ちゃんの応援に行くことが無事に決定した。 頑張って、お姉ちゃん!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る