第3話 危機一髪!
アツシさんからステージについて発表されたのが、高校生活にすこし慣れ始めた4月中旬。 アツシさん書き下ろしの新曲『恋のシーズン』を聞かされ、初めてのレコーディングにも参加した。
そこからは、休日の度に振り付けのレッスンやボイストレーニングなど、ステージに向けての練習に明け暮れる日々。 平日はいわゆる自主練で防音マットの上で踊ったり、呼吸法を練習したりと、家でもできるトレーニングに勤しんでいた。
用意されたステージは、小さなライブハウスだった。 席が全部埋まったとしても150名ほどの大きさ。初めてのライブだったゴールデンウィークの時は隙間だらけだったこの空間も、回を重ねるごとに隙間は減ってゆき、最近ではびっちりと人が入るようになった。
活動といえばこの小さなライブを開催していくのがメインで、ライブが終わったあとに反省会を兼ねてダンスや歌のレッスン。 休日はそんな感じで生活リズムができていった。
アイドル活動の風向きが変わったのは、グルメフェスティバルでミニライブを開催したとき。 今回のステージはお客さんも一緒に盛り上がってくれて、なかなか良かったんじゃないかと思っていた。
心地よい疲労感を感じながら控え室で休んでいたあたしたちのところへ、知らないおじさんがやってきた。 なんでも食品メーカーのとっても偉い人なんだそう。 しかし、わざわざ控え室に何のご用でしょう、と思っていたら、驚くべき一言が発せられた。
「キミたちをCMに使いたい」
そこからはびっくりするようなスピードで企画が進んでいった。 二週間ほどで撮影が始まり、さらに一週間後には動画共有サイトで公開された。
コーンスープのCMにぴったりでキャッチーなフレーズを考える、というお題に挑むメイキング映像も同時に公開された。 駆け出しアイドルが奮闘するという構図が何故かウケたことで、動画の再生回数は順調に伸びていった。
そうなると必然的にテレビ放映が始まったCMも注目されることになり、ライブではすっかりおなじみとなった『あ〜ったかコーンスープ♪』のフレーズをいつも披露するようになった。 土日の予定はほぼ埋まり、さらには「テレビ出演、決まったよ! 」と原田さんが大興奮で教えてくれた。
そんな時だった。 いつも誰かに見られているような気配を感じたのは。
「尾けられてる? 」
「はい、コンビニとかに寄って出てくるといつも同じ男性に会うんです。 最初は偶然かと思ってたんですけど、別のお店に寄った時でも同じ人がいて――」
「いつから!? 」
「気が付いたのは、十日ほど前だったと思います」
「もっと早く言わなきゃダメじゃない! なんかあってからじゃ遅いんだから! 」
「――申し訳ありません」
原田さんにしこたま怒られてしまった。 もし勘違いだったらと思うと、変に騒ぎ立てたりしたら相手の方に申し訳ない、といった気持ちが先行していたのだけど、それだけ危ないことなんだと思い知った。
しばらくは一人で行動しないこと、怪しい人がいたらすぐに連絡することという二点を厳命されて、お説教から解放された。
学校に行く時は、始業前の課外授業があるお姉ちゃんと一緒に出て、帰りは誰かしら友達と帰るか、お姉ちゃんの部活が終わるのを待って帰るようにした。 朝は課外がない一年生にとっては早すぎるけど、予習や課題をこなす時間にすればいいだけだった。
ちなみに隣の菊野くんは、ホームルームの15分ほど前にやってくる。 マンガとかを読んでるクラスメイトが多い中、楽典とかいう音楽の教科書みたいなものを読んでる。 やっぱりちょっと変わってる気がする。
今日はイヤホンで何か聞いてたから、「何聞いてるの?」と尋ねたら、「チャイコ」と突き放すように言われた。 怒られたのかと思ったよ。 『ちゃいこ』ってなに? お姉ちゃんに今度聞いてみよう。
帰る前にお姉ちゃんにメッセを送ったら、『今日は大学見学の日だから一緒に帰れないよー』という返信だった。 周りを見回してみたけど、一緒に帰るような友達は残ってなくて、仕方なしに一人で帰ることにした。 周囲は薄暗くなってきたけど、まだ明るさを残しているし気をつければ大丈夫だよね。
その判断が、間違いだった。 何故って、駅までの道中で例の男性と対峙することになってしまったから。
「ちはるちゃん、ちはるちゃん! やっと二人っきりで話せたね。 ホクはずっとちはるちゃんだけを見てきたんだ。 今日はお友達が一緒じゃないから、ボクが楽しいところに連れてってあげるよ! 」
「っ……!! 」
カバンを持ってない右の手首を掴まれた。 とっさに腕を引こうとしたけど、引くことができない。 大声を出そうにも身体が強張ってしまって、声が出てこない。
スマホ!と思って取り出そうとしたら、うまく手につかずに落としてしまった。 カシャンと無機質な音が響く。
腕を掴まれたまま路地の方に引っ張られる。
――やだ、怖い。
――誰か助けて!
ピロン♪
電子的な音が鳴ったのを合図に、あたしもその男も音源の方を振り向く。 そこには、スマホを構えた菊野くんが立っていた。
「知り合い、ってわけじゃなさそうだな」
「っくそ! 」
男はあたしから手を離して一目散に逃げていった。 その姿を呆然と見送っていると、目の前に傷がついたスマホが差し出された。
「ほれ、春山のだろ? 」
「うん、ありがと。 それに、助けてくれてありがとう」
「いや、いいけど。 ちょっと学校に言った方がいいよな。 つってもお前ひとりにもできないし」
「あ、うん、えっと……」
「一緒に学校戻るのと、駅行くのどっちがいい? 」
パニックになりそうな頭を必死に落ち着けて考える。 学校に戻れば話が大きくなる。 アイドル活動のことも。 それなら――。
「駅が、いいな。 お家にはやく帰りたい」
「わかった。んじゃ、行くぞ」
手はまだ小刻みに震えていた。 でもそれを見せたら菊野くんに余計心配かけちゃう。 悟られないように必死に心を落ち着ける。
「あいつ、心当たりとかあんのか?」
「えっと……全然、知らない人」
どうやら、菊野くんには 『千春』って呼ばれていたことに気づかれずに済んだみたい。
ふと横を見ると、さも何もなかったかのように歩く菊野くんがいた。 菊野くんって無愛想だと思ったけど、優しさを口に出せないだけなんだね。 なんだか可愛いかも。 それにしても、すぐ近くにいたなんて全然気づかなかった。 菊野くん、影薄い?
思考が完全に脱線していたら、どうやら顔に出ちゃっていたみたい。
「何笑ってんだ? 」
「ううん、なんでも」
「なんだそりゃ。 それよかさっきの写真いるか? 学校とか警察に相談してもいいけど」
「あ、それならあたしお母さんに相談するから、もらっていい? 」
「ん。 メッセ? 」
「うん、あ、じゃあ先にID交換してくれる? 」
「あいよ」
こうしてあたしにとって初めての異性のIDがスマホに入った。 それと同時に恐怖の証拠写真も保存されたけど。
あんまり喋らない人かと思ったら、そうでもなかったみたい。 なぜなら、駅までの道中ずっとお話していたから。 人見知りなだけなのかもしれないし、さっきのを気にしすぎないように気を遣ってくれているのかもしれない。
「春山ってお姉さんいる? 」
「いるよ。 吹奏楽部の副部長」
「やっぱりそっか。 『春山』だったから、そうかと思った」
「菊野くん、吹奏楽部なんだよね。 楽器は何吹いてるの? 」
「バスクラ」
「バス……クラ?」
「バスクラリネット。 クラリネットのでっかいやつ」
「サックスとは、違うよね」
「違う。 春山先輩に聞いて」
むー。 やっぱり無愛想っ!
でも助けてくれたし……。 悪い人じゃないんだよね。
同じ方向の電車に乗ったかと思ったら、最寄駅も同じだった。 これってもしや運命!? なんてね。
「うちどこだ? 送ってくぞ」
「あ、えっとすぐそこだから大丈夫だよ」
「そっか? それじゃまたな」
ちょっと! あっさり引き下がんないでよ! と思ったところに知った声が聞こえた。
「あれ、美咲に、菊野くん? 珍しい組み合わせね」
「春山先輩、お疲れさまです」
「お姉ちゃん! よかった。 一緒に帰ろ」
「うん、そりゃそのつもりだけど、二人で帰ってきたの? 」
「ちょっと成り行きで。 それじゃ菊野くん、今日は本当にありがとう」
「あいよ。 春山先輩、失礼します」
菊野くんは駅の南口から帰っていった。 もしかしてわざわざ降りてくれたのかと思ったけど、ホントに同じ駅だったんだ。
「ねぇ、お姉ちゃん……」
「ん? なあに? 」
マンションまでの道を歩きながら、隣を歩くお姉ちゃんに呼びかける。 さっきのこと、話しておいた方がいいのかな……。 でもお姉ちゃんのことだから一緒に帰れなかった罪悪感とか感じちゃいそうだし、やっぱりまずは原田さんに相談することにしよう。
「あ、えー、んっと、バスクラってどんなの? 」
「黒い木でできた木管楽器で、低音が鳴らせる楽器だね。 菊野くんからなんか聞いたの? 」
「菊野くんに楽器聞いたらバスクラっていうから、どんなのかなって思って。 菊野くんに聞いても素っ気ないし」
「あー、菊野くんあんまし女の子得意じゃなさそうだもんね」
「そうなの? 」
「いつも男子とつるんでるというか、女子に近づかないようにしてる感じがするから。 ま、デレデレしてるよかいいけどね」
「そりゃそうだけど……」
部屋に戻って着替えた後、今日あった出来事を原田さんに連絡しようと思ったけど、なかなか送信ボタンが押せなかった。 一人になった途端これだったから、怒られるんじゃないかと思って。
でも、ホントに恐いのはこの状況が続くこと。 ちゃんと伝えないと、これから安心して生活できなくなる。
『学校帰りに例の男性に待ち伏せされて、腕掴まれました。 クラスメイトの男の子が近くにいて、写真撮ってくれたので送ります。 何か対処できるでしょうか』
数分後、原田さんから連絡が来た。 メッセじゃなくって、電話。
「ハルちゃん、大丈夫!? ビックリしたよ。 写真もあるし警察にも届けるけど、期待しない方がいいかな。 現実的には、事務所の方でガードつけて、見つけ次第出禁と誓約書書かすよ」
「わかりました。 ご迷惑おかけしてすみません」
「ハルちゃんが悪いんじゃないから。怖い思いさせてゴメンね。 帰り誰もいなかったら、私呼んでいいから。 わかったね!? 」
有無を言わさない勢いの原田さんだったけど、あんな怖い思いをするくらいだったら、申し訳ないけどお願いすることにしよう。
そうだ、と思い立ってスマホを見る。 あの恐怖の写真を見るのは嫌だけど、菊野くんにはちゃんとお礼を言っておかなきゃ。 でもきっと反応は無愛想よね。
『春山です。 今日はありがとう。 お母さんとも相談して、警察にも届けることになりました』
ちょっと脚色してるけど仕方ないよね、と思っていたらすぐに返事が来た。 どうせ『ん』とかでしょと酷い予想をしながら見たら、意外にもちゃんとした返事だった。
『そっか。 またなんかあったら言えよ。 隣に立って歩くくらい俺でもできるから。 ちなみにバスクラわかった? 』
『うん、お姉ちゃんに聞いた。黒い木管楽器、でしょ? 』
『情報が足りてねえ。 バスクラは低音楽器なのに高音域出すとエロいんだよ。 動画で見て! 』
別人? 予想外すぎる! メッセだと饒舌になる、という菊野くんの新たな一面を発見。 どう返事するか迷ってる間に動画のアドレスが送られてきた。
リンクをタップすると動画が流れると同時にクラリネット四重奏の音が流れてきた。
『この低い音がバスクラなんだね。 確かに特徴的な音かも』
『だろ!? まだ俺はその領域まで全然いけないから、ひたすら練習なんだけどな。 つーか、悪い。 語りすぎた。 また明日な! 』
『うん、おやすみなさい』
バスクラ語りが急に恥ずかしくなったのか、唐突にメッセは終わりを告げた。
あまりにキャラが違いすぎて、明日会ったらどう話しかければいいのかな、なんて考えながら眠りについた。
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