真相
一夜明けて、夏休みも最終日となった今日、僕は『Rainy Forest』へ向かった。もちろん、早乙女さんから話を聞くために。
結局、昨晩はろくに眠れなかった。目を閉じても、彼女の顔が瞼の裏にちらついて、とても眠れる状態ではなかった。
何の根拠も無い、だからこれは、まるっきりの当てずっぽうなのだけれど。
たぶん、テレビに映っていた彼女は、僕の知るヒナさんではない。
話し方と言うか、雰囲気に違和感をおぼえたのだ。早乙女姫雛は、ヒナさんよりもずっと、人間らしく濁っていた。彼女と沢山の時間を共にしたからこそ分かる。
しかし、もし、早乙女姫雛がヒナさんでないのなら、彼女は一体誰なのだろう。
一刻も早く真相を突き止めたいという衝動に反して、街路樹の影をゆったり歩いた。二人のヒナさんのことばかりを考えていた。
いつもの店が見えてきてから、僕はようやく駆け足になった。
ドアをひらくと、早乙女さんがこちらをじっと見つめていた。まるで、こうなるのが分かっていたかのように。
「いらっしゃい」
「早乙女さん。訊きたいことがあります」
「…そろそろ、来るんじゃないかと思ってたよ」
早乙女さんは身振りだけでついてくるように指示する。そのまま、店の奥へ通された。古くて埃っぽい部屋だ。書類が山積された木製の机と椅子、窓際には小さな観葉植物。部屋の中央には簡素なテーブルが一つと、椅子が二脚、向かい合わせに置いてあった。
「どうぞ、かけて」
早乙女さんは僕と同時に座った。
「ヒナのこと、だよね?」
彼がすんなりとその名を口にしたものだから、驚いて生唾を飲み込んだ。彼はため息を吐いて、テーブルの上で両手の指を組み合わせた。
「驚かないで、聞いて欲しい。それから、この話は、ここだけにして欲しい。ヒナの為に。いいね?」
早乙女さんはゆっくり、はっきりと話した。僕はおもむろに頷く。
「よし。じゃあ、まずは、ヒナの正体だけど」
彼は一瞬だけ僕の顔から目を逸らした。
「彼女は、僕の従妹の、クローンだ」
クローン。同じ遺伝情報を持った個体。生き物のコピー。
聞き慣れない単語に、さっそく混乱しそうになる。喉まで出かかった質問をなんとか飲み込んで、無言によって次の言葉を促した。
「クローンの意味は、分かるよね。たぶん学校で習うはずだ」
「ええ、まあ…でも、どうして?」
「きっと君は、早乙女姫雛の話をニュースで聞いたでしょう?」
頷くと、彼は視線を落として、テーブルの上を見つめた。
「あの企業は、同族経営と言うのか、まあそんなことをやっていてね。まあ、よくそれでやっていけるものだと思うんだけど、実際、そんなふうになっているのだから仕方がない。細かいところは僕も疎いんだけど、とにかく、早乙女家が支配力をもっていることは確かだ」
彼はあからさまにうんざりした表情を見せて、ぼやいた。
「本当は、僕もその一部に組み込まれるはずだったんだけど、それが嫌で逃げ出した。それで、この喫茶店に流れ着いたってわけだね。だから一族としては、僕は恥さらしもいいところだろう」
「なるほど…」
「でも、そんな僕にも懐いてくれたのが、姫雛だった。ああ、早乙女姫雛の方だ。彼女は体が弱くてね。それは、最新の技術とやらで生まれる前から分かっていた」
僕は頷く。
「それで?」
「…本来は、このくらいで終わる話だったんだ。でも、前代、つまり姫雛の父親がクズだったから、ややこしいことになった。君の知っているヒナは、要するに早乙女姫雛の予備なんだ」
言葉の意味は理解できるのに、どうしてだろう、頭がぼんやりする。ひどく難しい話を聞いているみたいだ。
「予備?」
「そう。くわしい事情は、僕も知らない。でも、あの男はどうしても、姫雛に跡を継がせたかったらしい。それで思いついたのが、クローンだった。科学技術関連なら、彼らのお家芸だ。姫雛の予備を作れて、なおかつ、有益なデータもとれるから一石二鳥だったんだろう」
「有益なデータ?」
「うん。クローン個体のあれこれはもちろん、人格の制御についてだとか、そんな話も聞いたことがある」
絶句する。そんなことが、ありえるのだろうか。
「細かいことはさておき、姫雛のクローンは実際に作られた。そして色々なことを誤魔化しながら、秘密裏に育てられた。まるで実験動物みたいに。当然、ヒナの教育は、信頼できる者のみを集めて行われた」
「…それで?」
「僕は、二十歳を過ぎるまで、それを知らなかった。姫雛は単純に妹みたいな存在だったし、家のことは、あまりよく思っていなかったけど、縁を切りたいと思うほどではなかった」
早乙女さんは深いため息とともに、僕の頭上あたり、遠くのほうを見つめた。
すごく苦しそうだった。
「僕がヒナの存在を知ったのは、そして心底から家のことが嫌いになったのは、彼女の教育係に任命されてからだ。…教育のことは、ヒナから聞いたかな?」
「部分的に。ひどい洗脳をしていたみたいですね」
「ああ、ほんとうに。…僕は、会話の練習台になるように言われた。理由は笑ってしまうくらい単純だ。オリジナルの姫雛が懐いているのだから、きっと相性がいい。だから僕との会話によって、彼女に最低限の人間性を与える。それが目的だった。まあ、いちおう身内だし、それなりに信用されていたんだろう」
「…ヒナさんが言ってました。顔も見えない状態で、男の人と話したって」
「ああ、それが僕だ。彼女の言う通り、僕らは壁を隔てて話した。こちらからは、彼女が見えるように細工されていたけどね。僕は機械的に、指定された話題、事項を話した。驚いたよ。『人間性を与える』なんて言うけれど、彼女はとても人間らしかった。受け答えも的確で、協調性のようなものも見てとれた」
胸元へと、熱いものが込み上げてくる。必死にそれを落ち着けながら、早乙女さんの顔を見つめた。やっぱりひどく苦しそうだった。
「ただし、ありえないくらい無個性だった。特定の趣味や思想を持たず、教科書に書かれたことだけを詰め込んだような人間だった。僕は苦しかったけど、もはや、最後までやり通す以外に道はなかった。そして、最終試験、というのかな、とにかく、総まとめの日がやってきた。その日は話題を与えられず、彼女と自由に話していいと言われた」
「何を、話したんですか?」
「悩んだけれど、彼女について質問した。好きなものは?欲しいものは?…だいたい想像できるだろうけど、彼女はほとんど答えられなかった。『分かりません』を繰り返していた。僕は困ってしまって、逆に、彼女から質問をするように頼んだ。するとね…」
彼は額に右手をあてて、重苦しげに黙った。ややあって、意を決したように僕の顔を見て、呟いた。
「『人間って、どんな生き物ですか?』って、言ったんだ。真っ直ぐな瞳だった。これは推測だけど、彼女は本当に、教科書に書かれているような人間の姿しか知らなかったんだ。それを聞いた時、もう駄目だと思った。容姿が姫雛と瓜二つであることもあって、すぐにでも抱きしめてあげたくなった。でも、もちろんそれは許されなかった。まもなく会話テストは終了し、僕は解放された」
早乙女さんはぐったりと後ろへ倒れ、背もたれに体重を預けた。僕は何度か前髪を引っ張って、舌の先を噛んだ。
一分ほどだろうか、どちらも何も言わなかった。
それから、早乙女さんは姿勢を正して切り出した。
「それ以来、僕は家を離れた。あんな人でなしと生きていくなんて無理だと思った。姫雛のことが気がかりだったが、もう、あそこには居たくなかった。…しばらくして、姫雛の体調が安定してきたと知らせを受けた。もとより、大きくなるまでが正念場だったらしい。それと同時に、ヒナが捨てられたと聞いた。僕が彼女に感情移入していると知っていたんだろう。今度は世話係に任命された」
「じゃあ、もしかして…」
「うん。彼女の家に物を届けたり、掃除をしたり。もちろん、僕一人じゃなかったけどね。もう、彼女は必要なかったんだろう。いちおう、人格の制御を続けながらも、むしろ社会に馴染ませるような試みを始めたんだ。一人暮らしもその一環だよ」
「そんな…」
「酷い話だろう?予備を作ってみたものの、使い道が無いからポイだ。結局、姫雛が跡を継ぎ、ヒナは捨てられた。報道もされたから、いよいよ彼女は切り離されるんだろう」
切り離される。その言葉に、冷たいものを感じた。
「まさか、殺されたりしませんよね?」
「姫雛の父親ならやりかねない。でも大丈夫だ。さすがにそこまではしないはずだから。おそらく、一通りの所属、つまり住居や仕事や、そんなものを与えてから、完全に捨てるつもりだろう」
予備の人間。
そんなものが、在っていいのだろうか。
馬鹿げた疑問だ。
「君が、ヒナと親しくしているのは知っていた。二人でここへやってきた時、とても驚いたけど、ほんとうに嬉しかった。だって彼女が、とても幸せそうだったから。君と出会ってから、あの子は確実に変わった」
「変わった?」
「ああ。少なくとも、前よりも幸せそうだった。こんなことを僕が言うのは卑怯なのかもしれないが、今後も彼女と仲良くしてやってほしい」
「…もちろんです」
早乙女さんは僕の目をじっと覗き込んでいる。僕もまた、彼の目をまっすぐに見つめていた。
「…ありがとう」
「それで、ヒナさんは、今どこにいるんですか?」
それこそが、何よりも知りたいことだった。事情を知った今なら、なおさらだ。
「それは、僕にも分からない。ただ、彼女はまもなく自由の身になるだろう。そうなれば、もう彼女は普通の女性だ。きっと君に連絡を寄越す」
「なるほど」
「もし、こちらに何か情報が入ったら、すぐに伝えるよ」
言いながら、早乙女さんは立ち上がった。僕もそれに倣う。
「ありがとうございました」
「いや、こちらこそ。ヒナのこと、よろしく頼むよ」
「はい…あの、早乙女さん」
「ん?」
「ヒナさんからの質問。どう答えたんですか?」
彼は困ったように眉を曲げて、でも口元では笑った。
「『一般的な人間の姿なんて無い。君だって、人間なんだよ』」
僕はお辞儀して、今度こそ店を後にした。
家に帰ってからも、ずっと彼女のことを考えていた。
予備の人間。考えれば考えるほどひどい話だ。一般的には、ヒナさんは不幸だったに違いない。
けれど、それを肯定することは、彼女の存在を否定することだ。
彼女はシンデレラを好きだと言った。今ならば分かる。
彼女は救いを求めていた。
『人間になれないわたしを』
『誰かのための人生って、どう思う?』
どうしようもない状態。どこまで正当化しようとも、人工的で、一般的に見れば救いようのない哀れな生命。
そんな状態でも、彼女は生きようとしていた。
彼女のことを哀れむでもなく、遠ざけるでもなく、誰か、いつかきっと、自分をまっすぐに見て、救ってくれる誰かを待っていた。
『踊りましょう?王子様』
そう言った。
『大好きだよ』
彼女は確かに言っていた。
彼女もまた、僕の内に救いを見出したのだろう。人間一般から押し出された変わり者である僕にしか、助けを求められなかったのだろう。
早く、彼女のもとへ行かなければ。
夏休みが終わって、再び学校へ通う日々が始まった。
なんでもないような日常が続く。これまでずっと繰り返してきた時間。
教室で、二人の友人は変わらぬ態度を示してくれた。
ただ、僕の方が少し変わったみたいだった。
「最近の凛は、なんだかさっぱりしたな」
立川くんは、そう言っていた。
やっぱり僕は変わり者で、傍から見れば卑屈で不器用な少年なのだろう。けれど、それについて悩むことはなくなった。だから自然と、振る舞いも明るくなった。
不安になったら、彼女の写真を眺めた。おとぎ話のお姫様みたいな彼女を。
それでも、僕は生きているのだから。
これでよいのだと思った。
九月も終わって、教室の窓へ吹き込む風から、秋の気配が感じられるようになった頃。
月曜日の朝、いつものように目を覚まし、欠伸を堪えながらリビングへ向かった僕は、テーブルの上にあった白い封筒に気づいた。
コーヒーカップを片手に朝刊を読んでいた父が顔を上げて言う。
「おはよう。それ、お前宛に届いてたぞ」
手に取って見ると、差出人として書かれてあったのは知らない名前だった。
『
訝しみつつも封を切る。中には便箋が一枚と、写真が一葉入っていた。
思わず息を呑む。
その写真には、天国みたいな花畑で笑う、僕とヒナさんが写っていた。
慌てて便箋の方を確認してみる。手のひらサイズの紙切れには、真ん中の辺りにたった一行、丸っこくて可愛らしい字が連ねてあった。
『待ってます』
便箋と写真を封筒に仕舞い、顔をあげた。父がこちらを見ていた。
「どうした?すごい顔してるが」
「父さん」
「なんだ?」
「今日は、学校を休むよ。どうしても、行かなくちゃいけない」
父はいっとき黙って僕を見つめていたが、やがて頷いて答えた。
「分かった。ただし、ちゃんと帰ってくるんだぞ」
「ありがとう」
それだけ言うと、自室へ戻り、急いで支度をした。封筒は、そっと机の上に置いておく。
朝食も摂らず、躓きながら家を飛び出した。
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