第102話

 中田総帥から、今日一番のビッグニュースがもたらされた。

「ユングフラウ・ドーベンが来とるらしいぞ」

「ええっ!?」

 紗来の大セールならともかく、なぜ一段落ちる日高のセールに?と会場でも持ちきりだった。ユングフラウ・ドーベンの名は日本の競馬サークルでも名高く、騎手としての実力、相馬眼の確かさ。特に、傾いた牧場をあっという間に再生した経営の手腕は有名だった。

 そして、そのユングフラウが…満面の笑顔で、まきなに向かって走ってきた。

『キャー!カワイイ!』

 ぎゅううう、と抱き締められるまきな。何が起こっているのかわからない。

「ユングフラウ…それぐらいにしたれや?」

「あら、あなたは。Mr.金子。なぜここに?」

 まきなを胸に抱き止めたまま、ユングフラウは答える。ジャパンカップなどの国際競走で両者は面識があった。

「引退したんじゃい、今はしがない運転手や」

『へえ、そうなの…』

 まきなが放してくれと腕をタップする中、ジャンヌはクロカゼの方に近寄っていった。

「わあ、黒い…」

 真っ黒な馬体。黒鹿毛馬のクロカゼは、牧場では白い馬体のカガヤキと対照的だった。

「大人しい…?」

 クロカゼは毛色の違う全く知らない人間が来ても、素知らぬ顔で草を食んでいた。桜牧場の馬は大人しいことで有名だが、クロカゼは更に大人しく、抜けているのでは?とすら思われていた。

「…違う」

 この子は、と言いかけたところで、ジャンヌはユングフラウに呼び掛けられた。

『はあ、紹介、ですか…』

『そう!良く考えたら、初対面だったわ!ジャンヌは去年日本に来たのでしょう?』

 知らない人をあんなに手荒に…とは思ったが、思えば自分の初対面もあんな感じだったかと、ジャンヌは気を取り直す。

「まず、お久しぶり、です。まきなさん。こちらは、ユングフラウ・ドーベンさん、です」

「お久しぶり…ジャンヌさん!え、本物のユングフラウ?」

 やはり頭がボサボサに乱れたまきなが、間抜けな声を出す。まきなも英米仏、ついでにアルゼンチンなどの競馬開催国に行ったことはあるが、目標とするユングフラウには会えないでいた。こんなところで遭遇するとは。

「そうよ?」

 そのユングフラウは、まきなとクロカゼを見比べていた。

『ね、あなた…まきなちゃん?その黒い子に乗ってみない?』

「え」

『馴致はしてるんでしょう?見たいわ』

「ドーベン嬢!」

 事の推移を見守っていた中田総帥が、口を挟んだ。

「ここは日本!欧米のセールではありませんぞ!」

「ユングフラウ…そりゃあいくらなんでも無体が過ぎるってやつじゃねえか?」

 金子も援護する。

『え、だって…馬体だけ見て何になるの?』

「ム」

『競馬は馬が走ってハイ、終わり…じゃないでしょう?人間との相性もあるわ』

 そして、ユングフラウはこう締めくくった。

『だからこそ、競馬は…人馬の競い事は尊いの』

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