第10話 とろっとろだな!

「ナリノ婆さん、アサギの料理も喜んでくれたみたいだな。良かった」


 家への帰り道、御者台で馬車を操るカロムの明るい言葉に、浅葱あさぎは「うん」と頷いた。


「相変わらず台詞は素直じゃ無かったが、ま、あれがナリノ婆さんの精一杯だと思うぜ」


「そうなんだ。うん、でも良かったよ。やっぱり作った料理を喜んで貰えるのは嬉しいもんね」


「で、今夜のうちの晩飯はミリアおばさんに渡したもうひとつのレシピだな。楽しみだ!」


「僕も楽しみですカピ!」


「少し時間が掛かるから、帰ったらすぐに作らなきゃ。僕も久しぶりに食べるから楽しみだよ」


 そして馬車は小さな揺れを伴いながら、家路を走った。




「さて、作るよ」


「手伝うぜ」


「ありがとう」


 腕まくりをした浅葱はまず、鍋に水を張り、牛筋ぎゅうすじ肉を入れ、火に掛ける。


「それな、商店で欲しいって言ったら「こんな固くて食えないもんどうするんだ」って驚かれたぜ。茹でるのか?」


 浅葱がナリノの為にグラタンを作っている間の買い物で、頼んでいたのである。カロムにも浅葱が頼んだ時には首を傾げられた。


「そう。こうして火を通したら美味しく食べられるんだよ」


「へぇ」


 確かに牛筋肉は生のままだとまともに包丁も入らない。だからこの世界では食べられなかったのだろう。


 やがて湯が沸き、牛筋肉から泡状の茶色い灰汁あくが大量に出て来る。その鍋を火から下ろし、流し場へ。水を入れながら灰汁を流し、牛筋肉を綺麗に洗う。


 それを適当な大きさに切って行く。


「おお? 簡単に切れた!」


「火を通したからね」


 それを綺麗な鍋に入れ、牛筋肉が完全に被るぐらいに水を入れ、生姜のスライスを加えて再び火に。沸いたら火を弱め、くつくつと茹でて行く。まだ僅かに出る灰汁取りはカロムにお任せする。


 その間に、他の材料の下ごしらえ。セロリは筋を取り、玉葱、人参とともにざく切りにする。にんにくは微塵みじん切りに。


 牛筋肉を茹でこぼす時に使った鍋をカロムが洗ってくれていたので、それを使う。弱火に掛けてオリーブオイルを引き、にんにくをじっくり炒めて行く。香りが立ったら玉葱、セロリ、人参を入れて炒めて行く。


 火が通り甘い匂いがして来たら赤ワインを入れる。フルボディの赤色がしっかりとしたものだ。


 しっかりと煮詰めてアルコール分を飛ばし、わずかにとろみが付く程になったら、牛筋肉を湯から引き上げながら入れ、ひたひたにブイヨンと、浮いている余分な脂を取り除いた牛筋肉の茹で汁を加える。そこにローリエを乗せ、煮込んで行く。


 次に、グリンピースをさやから外し、固めに茹で上げておく。マッシュルームは半分に切る。


「後はじっくり煮込んで、途中でマッシュルーム入れて、グリンピースを加えて味を整えて、バターを入れて仕上げ。ごめんね、晩ご飯少し遅くなっちゃうね」


「構わんさ。じゃ、出来るまで茶でも飲むか」


「そうだね。ロロアにも声掛けてみよう」


 ロロアは研究室にこもっているのである。


「本当に熱心だなぁ、ロロアは」


 カロムが感心した様に言った。




 完成した牛筋肉の赤ワイン煮込みを前に、ロロアとカロムは「おお……!」と声を上げる。


「赤ワイン煮は俺らも作るが、何か香りが違うな」


「そうですカピね。不思議ですカピ」


「玉葱だけじゃ無くて、セロリと人参も入れてたよな。それで味が変わるのか?」


「良い味も出るよ。ブイヨン作る時にも使うお野菜だもんね。ブイヨンも入れてるけど、味出しと具材を兼ねてるって感じかな。だからざく切りなんだよ」


「成る程な。じゃあいただくとするか!」


「はいカピ!」


「うん」


 そうして神にお祈りをし、続けて浅葱は「いただきます」と手を合わせる。


「なぁアサギ、気になってたんだけどさ、その「いただきます」ってのは何だ?」


 確かにこの世界では神に感謝をするが、「いただきます」の文化は無い。


「うん、食材を育ててくれた人、獲ってくれた人、食事を作ってくれた人に感謝するって事なんだよ。神さまにも勿論感謝だけど、そういった人たちだって欠かせないからね」


「そりゃあそうだな。じゃあ俺もならってみるとするか」


「そういう意味があったのですカピね。アサギさんの世界の習慣なのだと思って、特に気にしていませんでしたカピが、そう言われてみれば確かにそうなのですカピ。僕も感謝しますカピ」


 カロムとロロアは「いただきます」と手を合わせた。


「何か、不思議な感覚だが、ますます食材なんかを大事にしなきゃなって気持ちになるな」


「そうですカピね。そして更にご飯が美味しくいただける様な気もしますカピ」


「そうだな」


「じゃあ食べようか。牛筋肉、柔らかく仕上がってるよ。お口に合うと良いんだけど」


「楽しみだ」


 カロルはスプーンを手にし、早速牛筋肉をすくう。ロロアもふんふんと鼻を鳴らしながらかぶり付いた。


 そうして口に運んだふたりは、「おお!」「わぁ!」と顔を輝かせた。


「とろっとろだな! 凄いな、あんな固いもんが何で煮込むだけでこんなになるんだ!?」


「本当ですカピ。とても柔らかいですカピ。でもぷちっとした不思議な食感もあるのですカピ」


「こう、何と言うか、これまで食べた牛肉の感覚と全然違う。味も、こう、凝縮している様な感じがするな。


「何だかとても甘いですカピ。ワイン煮込みは酸味がある時もあるのですカピが、これはそれも無く、とてもコクがありますカピ」


「勿論旨い。滅茶苦茶めちゃくちゃ旨い」


「はい。とても美味しいですカピ!」


 ふたりは興奮して、次々と口に放り込んで行く。そんなふたりを見て、浅葱は満足気に「ふふ」と笑みを零した。


「最初に茹でこぼして灰汁をしっかり取ってるからね。茹でるのも灰汁を取って貰いながらしっかりとして、煮込みもしっかりと。牛筋肉はしっかりと煮込んだらその分柔らかくなるんだ。で、そのとろとろがコラーゲン。骨にも軟骨にも良いんだよ」


「こらーげん。それも栄養素ってやつか?」


「うん。グリンピースにはカロテンとビタミンB、カロテンは心臓の病気に良いんだ。少し糖質が高めのが気になるけど、お米とかに比べると全然大丈夫だから。マッシュルームにもビタミンだね」


「ビタミンは、骨を強くする手助けをしてくれる栄養素ですカピね?」


「そう。本当はビタミンDがベストなんだけど、他のビタミンも大事だからね」


「しかしさぁ、こうしてアサギの話を聞いてると、身体に悪い食い物とかあったら、食べるのが怖くなるな」


 カロムがそう言って微妙に顔をしかめると、浅葱は「はは」と笑った。


「身体に悪い食べ物は無いよ。毒性のあるものは別だけど。今回はナリノさんの為のメニューだから、カルシウムとかコラーゲンとか、骨や軟骨に良い食材を特に多く使って、お米とかは避けてるけど、これまで通り食べていれば大丈夫だよ。お米、パン、パスタ、お肉、お野菜、豆類、いろいろなものをバランス良く、だよ」


「そっか。俺ら飯作る時、あまり考えた事も無かったが、確かに肉より豆とか野菜を多めに入れる事が多いな。肉が多すぎてもしつこくなったりするから。自然にバランスが取れてたって事か」


「そういう事なんだと思う。村を案内して貰った時に思ったんだけど、あんまりふくよかな人って見なかったから、この世界の食生活の基本がそうなんだと思う。あまり気にしないで大丈夫だと思うよ」


「なら安心だ。アサギもいろいろ知ってるし、旨い飯作るし、この家の食生活は安泰って事だな」


「それは嬉しいですカピ。これからも楽しみですカピ!」


「僕も作るの楽しいから、そう言って貰えたら嬉しいよ」


 浅葱は言って、照れた様ににっこりと笑った。


「このソース、パンに付けて食っても旨そうだな」


「あ、美味しいと思うよ。僕もやってみよう」


「僕も食べてみたいですカピ」


「じゃあ千切ちぎって皿に入れてやるよ」


 浅葱とカロムの手が同時にパンが盛られたかごに伸びる。


 そうして浅葱たちは、和やかに食事を進めて行った。

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