第30話 決戦前夜――送別会

 魔王がメインホールの中央に立つ。

 主城入り口すぐ傍であるが、この城で最も広い空間だ。ガリウムが訪れたときそのままに赤いカーペットも敷いてあり、身体の大きい魔物を多く入れるにも都合がいい。

 姫には朝食の時点で送別会の件を伝え、それからテーブルを並べ、料理を作り、会場を設えた。

 魔王は姫とのダンスに備えて人型に戻り、絹のタキシードを着ている。

 魔王を中心に円形にテーブルが並べられ、その上には大量の料理が並べられている。内容が圧倒的に肉々しいが、食べる面子が魔物なのだからそれは仕方がない。

 更にその周りに楽器を持った魔物たちが座っている。部下が作ったのか、魔物のくせにご立派な服を着ている。本当に肉を引き裂くしか能のない手で楽器を弾けるのか、弦楽器に管楽器、打楽器と色とりどりの楽器を持っていた。

 元々魔王城は暗いわけではないのだが、今日ばかりは多くのランプに火を灯し、ホールを明るく彩る。テーブルにかけられたクロスは白を基調とし、普段とは違った明るい印象を与えている。

 魔王は正面にある階段を見詰める。

 予定では、着替えを終えた姫が部下に手を引かれ、あの階段を下りてくる手筈だった。

 城内の鐘が鳴る。夕食の合図だ。鳴り終わると同時に一斉に音楽が奏でられる。息の合い方と演奏が素人レベルではない。

「どれだけ暇だったんだ……?」

 おそらくは知られないように石造りの櫓の中で練習していたのだろうが、それにしても人間顔負けの演奏に魔王は驚愕する。

 やがて、階段上に人影が見える。

 いつもより煌びやかで淡いピンク色のドレスである。裾が完全に足を完全に隠しているが、その足取りはゆっくりとしながらも危なっかしい印象はなかった。髪はまとめられ、宝石輝くティアラもしている。それほど濃くはないが、遠目からでも化粧もしているのがわかった。

 魔王の部下に手を引かれ、ゆっくりと階段を下りてくる。

 魔王はその様子に見惚れていた。

 階段を下りきると、部下は片膝をつき、手を放す。そのまま姫は魔王の元に歩み寄る。いつもの印象があまりにも違うため、魔王は戸惑うばかりだ。

 魔王の前に来ると、姫はスカートの裾を摘み、一礼する。魔王もそれに応じる。

「どうかしら?」

 姫が顔を上げ、笑顔で聞く。子供ではあるが、いつもと違う口紅が妖艶に映る。

「いや、その……美しい、と思うぞ……」

「ボキャブラリーがないわよ。でも、そっちのほうが本心っぽく聞こえていいかも。ありがとう」

 いつもの姫らしい口振りだが、仕草は穏やかで、らしくもなく魔王は緊張してしまう。

「お姫様みたいだ」

 その言葉に姫はぷっと吹き出す。

「本物よ」

 そう言って、姫は手を差し出す。魔王は手を取り、踊り出す。付け焼刃であったが、魔女の指導はたいしたもので、上手く姫をリードできていると実感する。というよりも腰の曲がった魔法少女を相手にするよりも身長も動きも心持ちも遥かにやりやすかった。

 しかし、握った手も、手を添えた腰も驚くほど細く、力加減を間違えると簡単に折れてしまいそうだ。魔女を相手にしているときも実際に折ってしまいそうでおっかなびっくり踊っていたが、それとは違う感覚だった。例えるなら魔女は細い枯れ枝を持つような感覚で、姫は花束を優しく抱くような気分だった。

「意外ね。あなたがこんなに踊れるなんて」

「猛特訓の成果だ」

 魔王は自慢げに笑う。褒められたのは素直に嬉しかった。思えば、こうして目標に向かって努力するというのも初めてかもしれない。

 姫は踊りながら礼を言う。

「こんな素敵なパーティを開いてくれるなんて、嬉しいわ。ありがとう」

「例なら我が部下に言ってくれ。ほとんどが奴の監修だ」

 逆にほとんど企画に関われなかったことが心残りなくらいなのだ。素直に礼を受けるのを申し訳なく思う。

「いいのよ、あなたは王様なのだから、配下の手柄は自分のものとして。部下の優秀さに嫉妬して正当な評価を下せない王なんて恰好が悪いわ」

 件の部下は何時の間にか場所を移動し、ピアノを弾いている。そんなこともできたのか、と嫉妬よりも驚きのほうが勝る。なんとなくだが、あらゆる点で人間には負けないという意志を感じる。

「俺も姫には感謝している。姫のおかげでこの半年間楽しかったぞ」

「こっちは好き放題していただけなのだけれど」

「だからこそ新鮮な体験をさせてもらった。人間の魔王に対する態度なんてどれも似たようなものだった」

「最初は、少し自暴自棄になっていたのよ。でも、思ったよりも許容されて調子に乗ってしまったわ。初めて素の自分を出せたような気がして、私も凄く楽しかった」

 結果的に安全だったとはいえ、何も知らずに魔王に攫われて、知り合いもいないところに幽閉されたのだ。年端もいかぬ少女にとってその不安はどれほどのものだっただろう。姫があまりに平然としているので気が付かなかったが、それでも彼女なりに多大なストレスを抱えていたのは想像に難くない。今更ながらにそれに気付き、魔王はいたたまれなく思う。

「すまなかった」

「謝ることではないわ。確かに怖かったけれど、今となってはいい思い出よ。ただし、父のことは許さないけど」

 にこりと姫は笑う。それだけで少し救われた気がした。

 会話が途切れる。魔界に似つかわしくない、ゆっくりな曲が流れ、二人はリズムをとり、踊る。

 やがて一曲終わり、二人は互いに頭を下げる。

「ねえ、少し休みましょうか」

 次の曲が始まる前に、姫はテーブルのほうを指し示す。魔王はそれに同意した。

「どうぞ」

「ありがとう」

 魔女が飲み物を持ってきて、姫がそれを受け取る。魔王にも酒が渡され、姫とグラスを打ち合う。

「私はジュースなのね?」

「酒がいけるのか?」

「飲んだことがないわ」

 リンゴジュースを一口飲み、姫は椅子へ座る。

 ふさふさと長く、固い毛皮の椅子――というよりも四つん這いになった魔物である。

「躊躇なく座ったな」

 パーティが始まる前からその魔物は四つん這いになって準備していた。チェス対決で敗北し、罰ゲームとして椅子にされていた魔物だ。踊っている最中もちらちらと視界に入り、気になっていたのだが、まさか数ある椅子の中から魔物を選ぶとは姫らしい。

「おまえもそれでいいのか?」

「最高でさあ」

 魔物に問うと、間髪入れずそう答えた。魔王としては呆れるばかりだが、姫も魔物も満足そうなので文句は言わないでおく。

「見慣れた魔王城だけど、ランプや飾りで随分と印象が変わるものね」

 辺りを見回しながら姫が言う。

「それはこちらのセリフだ。美しいことには変わりないが、見違えたぞ」

「ありがとう。あなたの変わりように比べれば些細なものよ」

「そりゃあそうだ」

 姫に言われて魔王は笑う。自分の場合はまさしく変身なのだから仕方がない。

 その後も他愛のない話が続く。二人は終始笑顔で、しかしどことなく寂しそうだった。不意に、姫が天井を仰ぎ見る。

「明日でいよいよお別れね」

「そうだな」

「ねえ、勇者に勝つという選択肢はないの?」

「…………ないな」

「即答しないことがせめてもの優しさね」

「寿命がない俺と人間の姫が結ばれたところでいつかは別れが来る。別れを惜しむ今くらいがちょうどいい」

「そうかもしれないわね。綺麗な思い出だけで終わるのもいいかもね」

 送別会の夜は更け、しんみりとした空気が流れていく。しかし、恍惚とした表情の魔物が邪魔をして、どうにも雰囲気が台無しだった。

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