第29話 決戦二日前

 魔王は書斎の椅子に腰掛け、これまでの報告書を読み返す。しかし、中々内容が頭に入ってこなかった。そもそも既に何度も読んでいる内容ではあるし、今読み返して確認するようなことも書いていないのだが、如何せん暇であった。

 勇者が来るのは明後日だ。内容までは深く追求しなかったが、魔女の根回しのおかげで勇者以外にしばらく魔王城を訪れる人間はしばらくいない。

 魔物から上がってくる報告も簡素なもので、勇者を迎える準備も部下が恙なくやってしまったため、完全に手持無沙汰になってしまった。

 こうしてやることがないと、ついつい余計なことを考えてしまう。

「もうすぐこの生活も終わり……か……」

 姫が言った言葉だ。勇者が来れば魔王は倒れ、姫は故郷に帰る。それは姫を攫う前から決められていたことだ。

 魔王は基本的に嘘を吐くことはない。人の生き死にがどうでもいいというのも本当の気持ちだ。しかし、寂しくなるという返しも本心だった。

 思えば、これほど長い期間一人の人間と交わるのも初めてだった気がする。いざ終わりを迎えるとなると名残惜しい。

 これからが本番だというのに、何を情けないと頭を振る。

 何かすることはないかと椅子を立ち、準備の状況でも確認しようと扉へ向かう。そこでノックが聞こえる。

 本来であれば返事をして、向こうに扉を開けさせるのだが、たまたま扉の前にいたため、魔王はそのまま扉を開ける。

 どうせ暇を持て余した姫だろうと思ったが、そこにいたのは魔王の部下だった。

「どうした?」

 魔王自ら出迎えたのが珍しかったのか、部下にしては反応が鈍い。

「ええ。少々提案があります」

「提案?」

 珍しい言葉に今度は魔王が驚く。この部下、普段から気が利いて、こちらの望むことを先回りしてやることは多いが、基本的に率先的に何かをしようとはしない性格である。特に今回のイベントでは乗り気でなかったらしく、積極的な意見は何一つしていない。

「姫の送別会をしてはどうかと」

 その提案に更に魔王は驚く。部下の人間嫌いは周知の事実だ。不愛想にしながらも意外と姫との相性は悪くないと思っていたが、まさか送別会とは。

「悪くないが、意外な提案だ。しかし、何故急に?」

「姫から、魔王様が姫と別れるのは寂しいと言っていた、と聞きまして」

「あの女、口が軽いにも程がある」

「姫の前でワンワン泣き喚いていたと……」

「ねつ造だ!」

 声を荒げるが、部下は平然としている。さすがに全てを鵜呑みにする部下ではなかった。

「しかし、そうだな……」

 魔王は思案する。

 勇者が来ればそのまま戦いになるのは必然だろう。そして、勇者との決着が付いたら自分は倒れてしまい、姫は勇者がそのまま連れて帰るのだ。つまり別れは勇者が来る前に済ませなければいけない。駅のホームで別れを惜しむ恋人のようにはいかないのだ。よくわからない例えが脳裏に浮かんだが、それは頭の片隅に追いやられた。

「ちょうど暇だったのだ。城内の魔物も呼んで、盛大に送り出すこととしよう」

 それでもやもやした気持ちも多少晴れるだろう。今日一日を準備に費やし、明日送別会を実施し、明後日勇者を迎え、そして姫とはさようならだ。

「それでは魔王様はダンスの練習を」

「ん?」

 急にとんでもないことを言われ、魔王は聞き返す。

「送別会用に魔物が楽器を練習しております。魔王様と姫でダンスパーティーでもしていただこうかと」

「え? 魔物が楽器を弾くのか?」

「はい。時間を持て余しておりましたので、かなりの練習を積んでいます」

「それなのに、俺には前日に報告が来るのか?」

 魔王がきょとんとすると、部下は目を逸らしながら言った。心なしか、部下の口元が吊り上がっているような気がした。

「魔王様なら一日あれば十分かと思いまして」

 この男は時々こういう嫌がらせをしてくる。有能なのだが、時々主人を主人とも思わないような扱いをしてくる。

「上等だ。ダンスなどしたこともないが、一日で姫に相応なテクニックを身に着けてくれる!」

 乗せられている感じはあるが、さすがに魔王と言えども時間を遡ることはできない。

「さすがは魔王様です。しかし、ダンスは練習相手と教える相手がいないと練習できません」

 部下の発言に、確かに、と魔王は納得する。

「ということは練習相手を準備しているのか? まさか魔物をコーチにして練習しろとは言わんよな?」

「いえ、最適な練習相手を用意しています」

 そう言って部下が手を叩くと、女性が書斎に入って来た。

 小柄で白髪、年季の入った皺を顔に刻み、腰の曲がり切った女性――噂の魔法美少女である。

「私が魔王様をリードしてあげますじゃ」

 魔女はひぇっひぇっひぇっと怪しく笑った。

 これなら魔物のほうがマシだ。魔王は肩をがっくりと落としながらも諦め、教えを乞うことにした。

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