第27話 戦争ごっこ本番

 城の前に三〇〇〇の軍が並ぶ。馬に乗っているのは三人だけで、それ以外はほぼ歩兵である。弓を持つ者と槍と盾を持つ者が整然と並ぶ。今朝は魔物の統率された動きに驚かされたが、統率という点では人間に及ばないということがよくわかる。

 大きな盾を持った兵二名と馬に乗った男が一人前に出る。

「魔王に告ぐ! 我が名はテルビウム・イッテルビー! 既にこの城は我が軍、三〇〇〇によって包囲されている! 直ちに姫を解放せよ! さもなくば全軍を持って魔王、貴様を打ち倒す!」

 魔王と姫は紅茶をすすりながら、それを聞いていた。

「何か言っているわよ」

 さすがにバルコニーまでは距離があり過ぎて、姫には内容までは聞き取れなかった。魔王にははっきりと聞き取れていたらしく、補足する。

「魔王城が包囲されているだと。行軍から準備まで丸見えの環境で何を言っているのだか」

「確かに間抜けな通告ね。しかも入り口の前だけ塞いでおいて包囲だなんて……。チェック」

 時間を持て余していたため、姫と魔王はチェスに興じていた。ちなみに魔王の全戦全敗である。この勝負も既に結果は見えていた。どう逃げても最高三手でチェックメイトである。

「さて、返答しなくてはな」

 そう言って魔王は席を立つ。

「さすが魔王。逃げるのは苦手みたいね」

 姫はふふんと笑い、魔王を見送る。魔王はバルコニーの手すりに乗り、飛び降りる。自前の羽を使うこともせず、魔王は城門前に降り立つ。ズシンと重たい音が姫の元まで聞こえてきた。そのすぐ後に兵たちのどよめきが聞こえる。

「ようこそ、人間よ」

 魔王が言う。その声は、テルビウムよりも小さいはずなのに、バルコニーにいる姫にもはっきりと聞き取れた。

「君たちの望みはあそこだ。門は開いているから好きに入るといい」

 そう言ってバルコニーを指差す。呼ばれたから姫は姿を見せ、せめて手を振ることにした。それに合わせて兵たちのざわめきが聞こえた。

「ただし、我が魔王軍を突破できればの話だ。逃げる者は追わないが、入るならばそれなりの覚悟をしておいてもらいたい。さあ、鬨の声を上げろ!」

 今まで身を隠していた魔物たちが一斉に唸り声を上げる。それだけで、先ほどまで整然と並んでいた列が乱れたように見えた。

 魔王は、それ以上は何も言わず、門の中へと消える。その後ろ姿に人間たちは何もできずに佇んでいた。

 魔物の声も止み、僅かな間しんと辺りは静まり返る。既にテルビウム軍は気圧され、敗色のムードが漂っていた。

「な、何を狼狽えているか! 私は既に四体もの魔物を打ち倒している! その私が言うのだ! 魔物は確かに大きく強いが、所詮は獣! 訓練を積んだ我らが協力して当たれば負ける道理はない! 声の大きさでもだ! さあ声を上げろ!」

 今度はテルビウム軍の雄叫びが上がる。流石に三〇〇〇人の雄叫びともなればその音量は凄まじく、姫は耳を塞いだ。

「いい気迫だな」

「おお、いつの間に!」

 あのまま歩いて帰ってくると思っていたため、いつの間にか背後に戻ってきていた魔王に姫は驚く。

「乱れていた列も戻っているな」

 魔物の鬨の声を聞き、一時は槍が下がり、明らかに動揺していた兵たちだったが、今では持ち直している。テルビウムはそれを確認し、更に声を上げる。

「いいか、諸君らは一人ひとりが勇者だ! 魔物を倒し、魔王を滅ぼし、囚われの姫を助け出すのだ! 第一分隊、前へ! 弓兵は援護の準備!」

 ついに軍が動き出す。ひと際大きな盾を装備した槍兵一〇〇名ほどが前へ出て、弓兵が横に広がる。槍兵が門へと続く橋を渡り出す。橋の幅は一〇人ほどが並ぶのが限界で、その道幅一杯に整列し、槍兵は歩を進める。弓兵は矢を番い、号令を待つ。

 魔物が顔を出し、石を投げる。その勢いは生物の放ったとは思えぬ速度で直線的に飛び、先頭にいる槍兵の頭を吹き飛ばす。統率の取れていた槍兵の足が止まる。

「止まるな! 門は開いているのだ! 盾で頭部を守り、全力で駆けよ! 弓兵! 城壁にいる魔物を射よ!」

 槍兵たちが叫び、門へと殺到する。矢が放たれ、弧を描いて魔物へと向かう。いくつかの矢は魔物へと刺さったが、魔物の厚い皮は貫くことはできず、投石は止まない。投石は盾を破壊し、致命傷を与える。または石の衝撃に耐え切れず、人の勢いに押され、何人もの槍兵が堀の底へと落ちて行った。

 五〇メートルほどの橋がやたらと長く感じる。倒れた人が邪魔になり、思うように進めず、立ち止まれば後ろの人に押されて橋から落ちる。それでも道は一つしかなく、数で圧す以外に方法はない。

「第二、第三分隊、前へ!」

 テルビウムは更に人を送る。数を減らされながらも、先陣はなんとか門を潜る。そこに待っていたのは更なる地獄であった。

 門の先には柵というよりは腰くらいの高さの杭がいくつも打ち付けられていた。杭を避ければいくらでも通り抜けることは可能であったが、盾と槍を持った軍ともなれば話は別である。団体では上手く通り抜けられず、必然的に足は止まる。そして、その杭の先にいたのは巨大な槍を持った魔物であった。

 長さ五メートル、太さ直径一五センチメートルはあろうかという、およそ人間では持てそうもない槍を高々と掲げている。それが、立ち止まった人間の頭上から一斉に降ってきた。

 何人かは盾を頭上に構え、防御しようとするが圧倒的な威力に防ぎきれずに数人がまとめて即死する。頭はほとんど兜で守られていたはずだったが、何も意味をなさなかった。

 門の前はすぐに死体が一杯になり、それが更に軍の足を止めた。しかし、背後からは更に進軍しようとする者が人を押し、最早何もしなくても橋から落ちていく者が出る始末だった。

 戦が始まってから僅か数分、既に魔王城は地獄絵図になっていた。

 その様子を姫は固唾を飲んで見守る。目を覆いたくなる惨状だったが、顔を青褪めながらも目だけは開く。

 既に一〇〇人以上が死んでいる。それにも関わらず魔物の被害はゼロ。杭を超えて先に進んだ者もいなかった。

「姫ならどうする?」

「今すぐ撤退。装備が噛み合っていないわ。相手の攻撃を防げないのに、装備が邪魔になって進めてもいない。このまま戦っても投石と槍だけで被害が大きくなるばかりだわ」

 魔王はそうだなと頷く。

「魔物の強さと陣形は知れたのだから、数が残っているうちに撤退して、装備と作戦を練り直さないと」

「どういう装備にする?」

「そうね……。まずは盾ね。投石と槍を防げなければ前進もままならないわ。大きくて厚い盾を二、三人で抱えて防御に専念させる。城内まで進んで、盾を壁に陣形を作って、攻撃役は盾を持たない分、長い槍を持たせてやれば少しは戦えるかしら。なんでもありなら投石器とか持ってくるのだけれど……」

 いくらなんでも力の差が圧倒的で相手に地の利があり、人外との戦闘経験もないとなれば勝ち目が見えない。姫が歯噛みしていると、魔王が口を挟む。

「さすがにこちらが有利すぎたか。もう少し難易度を下げても良かったが、最大勢力相手だからこそ圧倒的な力の差を見せつけたいというのもあったが」

「そもそも人間同士の争いでも、相手の城に真正面から突っ込むなんてしないわよ。それにしても、勝てないことはもうわかったでしょうに、まだ退かないの?」

 苛々しながら姫は言う。

 先ほどから人間側の被害は広がるばかりだ。最早戦の体を成していなかった。前線では一方的に魔物に打ちのめされ、それを見た中列は怯えて逃げる者も出る始末。しかし、逃げようとしても後列に押され、人間同士が押し合い、何もなくとも深い堀へと落ちていく。

 テルビウムはなおも進めと喚き散らす。それを姫は忌々し気に眺めていた。言葉の上では納得していたものの、実際に人が死ぬのを目の当たりにするとまだ覚悟が足りなかったと実感する。もうやめてと喚きたくなるが、必死に言葉を飲み込む。

「退くに退けない心情も察してやれ」

 魔王は姫の肩を叩くと声を掛ける。

「姫の言う撤退は次を考えてのことだ。しかし、今撤退しても次はない。何も成果を上げていない、攻略の糸口も掴めていない、そんな状況で撤退してはテルビウム一人が奮起したところで兵が付いて来ない。ここで撤退することは魔王討伐を諦めることだ。テルビウムにしてみれば、まだ被害は一〇分の一にも満たない。集めた物を使い切らずに諦めるには投じた私財が大きすぎたのだ。ここで諦めるのなら最初から参加しなかった方がマシだという考えなのだろう」

「退き際を弁えるのも指揮官の重要な役目でしょう! 攻略の糸口を掴めていないと言っても、このまま数を減らしては余計に勝ち目がなくなるだけよ! 勝てないとわかったらさっさと退かなきゃ!」

「落ち着け。確かに俺やおまえはテルビウムが勝てないと知っている。しかし、おまえがそれをわかるのは、こちらの装備や魔物の実力を十分知っていて、今俯瞰で見ているからだ。初めて戦って、初めて戦力を目の当たりにして、この時点で撤退させるのは難しいだろう。しかも姫は撤退すれば魔物たちが追撃しないと知っているが、あの男がこの魔王の言葉を信じるか?」

 姫は手すりにしがみつき、へたり込む。深呼吸をすると、どことなく血の匂いがした気がした。姫はそれでも必死に心を落ち着かせようとする。

 姫は顔を俯かせ、最早戦場を見られていない。

「……少し早いが、終わらせるか」

 魔王が呟くと、姫が顔を上げる。魔王の手にはいつの間にか石が握られていた。

「……何をするの?」

「軍を退かないのは、利益や面子もあるのだろうが、一番は頭に血が昇っているからだ。今あいつの心は魔物が強いからではなく、自身の兵が不甲斐ないから負けていると思っているのさ。自分自身は安全な後方に身を置いているから、風穴が開くまで兵を送り込もうとしている。だったら簡単だ。昇った血を下げてやればいい。安全なところから引きずりおろしてやればいい。おまえの父親からは殺害禁止と言われていた名だが、無傷でとも言われてはいないからな」

 石をお手玉のように扱いながら魔王は言う。石を強めに握ると、弓のように身体を引き絞り、石を放つ。


「何をしているのだ、貴様ら! 先ほどから全然進んでいないではないか! 弓兵も早く城壁の魔物を射殺せ!」

 テルビウムが辺りに喚き散らす。

 一〇体もいない城壁の魔物を一体も排除することができず、魔物に刺さった矢を逆に利用される始末。門を潜ったら自軍の三倍以上もの巨大な槍でこちらの攻撃の届かないところから一方的に排除される。

「次の分隊もさっさと行け!」

 テルビウムは次々と兵を送り込もうとする。

 しかし、送り込む速度が道幅に対して多すぎるため、ほとんどの兵が橋の手前で詰まってしまっている。そのために前線の兵は退こうにも退くことができず、前に進み魔物に殺されるか、自ら堀に落ちていくか、後方の味方に対して暴行を加えてなんとか逃げようと足掻くかのどれかであった。

「テルビウム様! これ以上は無理です! 一旦退きましょう!」

「ここで退いてどうする! 敵の数は少ない! 少しでも数を減らせば、そこから一気に崩れるはずだ! このまま圧せばいつかは勝てる!」

 混乱を見かねて副官が進言するが、テルビウムは断固拒否する。

「魔物と言えど、取り囲んで槍で一度に刺せば倒せるのだ! この人数がいて、何故それができない!」

 それをさせないための城であり、陣であり、装備であるのにそれすらもわからないほどにテルビウムは頭に血が昇っていた。

 そのとき、きぃんと空を裂くような音が聞こえた。しかし、聞こえたと認識し、その方向に顔を向ける前にドンと低い音が響いた。

 テルビウムが後方に目をやると、頭よりは小さい程度の石が地面にめり込んでいる。

「な……」

 よく状況がわからずに戸惑っていると、右手が脈打つような感覚があり、ズキズキと痛み出す。そこでようやくテルビウムは自分の右手に目をやる。

「て、手……テ、手がぁああああああっ!」

 指の二本がなくなり、一本があり得ない方向に曲がっている。そう認識した途端に痛みが二倍三倍になる。

「テルビウム様!」

 副官が駆け寄る。

「こ、この石か……! 一体どこから?」

 城壁を見るが、魔物たちが投げた様子はない。更にきょろきょろと辺りを見回す。再度風切り音が聞こえ、副官は飛んでくる石の方角に目を向けた。石は副官の頭上を掠め、地面へ激突する。そして、どこから石が飛んできたのか理解した。

 城壁を飛び越え、遥か遠くに見える城の中から飛んできたのだ。投石器の類はない。あるのは大きな人影――魔王と小さな人影――姫だけだ。

 魔王を注視していると、魔王が動き、三度石が投じられる。痛がるテルビウムを思いやることも石から逃げることもできず、副官は呆然とそれを眺めていた。

 再び副官の頭上を石が掠めると、今度はガンと固いもの同士がぶつかるような音がした。想定したものと違う音がして、副官は後方に落ちたはずの石を見る。

 二度目と三度目に投げられた石がぶつかり、粉々に砕け散っていた。

「て、テルビウム様……。これはおそらく忠告です。外したのはわざとであると……」

 副官が言ったことをテルビウムも理解できた。そして、次の言葉を聞く前にテルビウムは馬を走らせていた。

「うわぁああああああっ!」

 城とは逆方向に猛然と馬を走らせるテルビウムを見て、副官は叫ぶ。

「て、撤退だ! 全軍撤退!」

 副官もテルビウムに続き、走り出す。他の兵たちも一斉に城に背を向け逃げるように走り出す。その混乱は凄まじく、ただ逃げるだけで人と人がぶつかり、転び、踏まれ、或いは堀に落ちていく。

 既に遥か後方となった魔王城から雄叫びが聞こえる。テルビウムは馬の背に身を預けながら、目を閉じ、耳を塞ぐ。手がズキズキと痛むが、そんなことはお構いなしだ。



 テルビウムたちが立ち去った後、魔王城は驚くほど静かになっていた。たった一〇数分前のことであるのに、魔物の雄叫びが、兵たちの阿鼻叫喚が遠い過去のようだった。

 砂埃を立て、進軍の倍以上の速さで撤退するのをただ茫然と姫は眺めていた。そんな姫の肩を魔王が優しく叩く。

「よく最後まで見届けたな。立派だ」

 その言葉を聞いて、姫はスカートの裾を強く握る。最後まで見届けてなどいない。最後には取り乱し、顔を伏せて戦場を見ていられなかった。それを見かねて魔王が戦争を早々に切り上げただけである。

「俺は後片付けに行ってくる。姫は部屋で休んでいるといい。部下にハーブティーを用意させよう」

 後片付け。確かに戦争は終わったが、死体や投げ捨てられた槍、今回のために設置された杭などが散乱している。これらを片付けるのは時間が掛かるだろう。漫然と考えていたが、少し意味合いが違うということに気が付いた。

 今、城の前に倒れている人間はその全てが死んでいるわけではない。魔物の槍は強烈だが、頭部に直撃しなければ即死はしない。堀に落ちた人間はほとんどが即死だが、一〇〇人以上が落ちた結果、後から落ちた者はそれがクッションになって助かっているかもしれない。逃げるときに転んで、踏まれ、動けなくなっているだけの者もいるだろう。

 後片付けとは、生きている者に止めを刺すことだ。

 死体の処理も姫に見せるには酷である。

 それを慮って後片付けとだけ表現したのだ。最後までと言って、既に終わったことを強調したのだ。部屋に下がらせてこれ以上見せないように気を遣ったのだ。

 姫が振り返ると、魔王は城の中に向かって歩き出していた。魔王自身は人の生死に何も感じることはない。魔王に姫の気持ちがわかることはない。それなのに姫の心情を察したかのような気の遣いかたをする。それが嬉しくもあり、少し悔しくもあった。

「ありがとう」

 呟くように姫は言うが、魔王は気付かなかったのか、気付かなかった振りをしているのかそのまま立ち去る。

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