第26話 戦争ごっこ前

 魔王城は星形の城郭の中央に主城を備え、星形の各頂点に櫓、星の谷間一角に城門を一つという特異な構造をしている。

 主城の門は城門の逆側に位置し、主城に入るには城門からぐるりと城壁沿いに迂回しなければならない。主城の三階には広々としたバルコニーがあり、そこからは城門を正面に城郭のほとんどを見渡すことができた。

 今、バルコニーには魔王と姫が立っていた。城門前の広場に魔王城にいるほぼ全ての魔物が集結している。

 数はおよそ一〇〇体くらいだろうか。しかし、一体が大きいため、それ以上の数に見える。姿かたちもバラバラで、およそ理性とは対極に位置しそうな化け物たちであったが、整然と並び、静かに佇んでいた。

 魔王は一歩踏み出し、眼下に並ぶ魔物たちに声を掛ける。

「喜べ、おまえたち!」

 魔物たちの視線が一斉に魔王に集中する。

「我らを殺しに人間たちが来る! 今回は少々退屈な役目が続いていた! しかし、今日ばかりは存分に暴れてやれ! しかも趣向をこらし、人間の戦争を真似てみようではないか! そのために武器を用意し、訓練まで行った! さあ、戦争ごっこの始まりだ!」

 魔物たちが一斉に盛り上がる。

「さあ、準備しろ! ホストとしてゲストをしっかりお出迎えしてやれ!」

 魔物たちが解散し、各々の武器を取り、配置につく。城壁に登り、或いは弓を持ち、また或いは城壁上に石を運び込む。広場に戻った者は柵を立て、槍を持つ。城門は開いたまま着々と準備が進んでいる。

 そんな様子を見ながら姫は呟く。

「戦争ごっこねえ……」

 どうにも緊迫感の薄れる台詞に納得がいかない。魔王にとっては一連の出来事が茶番であり、死という概念がないのだから真面目になどするつもりもないのだろう。

「人間を舐め腐った感じが気に食わないわ」

 魔物と人間との実力差はある程度わかっているつもりだ。しかし、魔王はともかく、魔物に関しては倒せないほどではないのではないだろうか? 実際に姫は魔物の実力を見たわけではない。しかし、魔物の強さは生物の範疇を決して超えるものではないと思う。数では人間の方が上なのだ。装備を整え、統率を持って戦略的に動けば倒せるはずだ。

「勿論全身全霊を持ってお相手するとも。だが、何かしら縛りを入れなければ面白くはならん。なにせこちらは、姫を守ろうと思えば扉を閉ざせばいいだけ、奴らを倒そうと思えば俺が今すぐ攻撃を仕掛ければいいだけなのだ。相手を侮っている前提がないとそもそも戦いにならない。どこまで相手を舐めるか、どれだけ油断してやるか、その配分が重要であって、侮ること自体は問題ではない」

「そう。その適切な配分が戦争ごっこというわけね?」

「その通りだ。言葉は悪いが、相手を舐めることとは逆の行為だ。はっきり言えば、魔物を野に放ち、自由に戦わせても人間を全滅させることは可能だろう。しかし、こちらも半数は失うだろう。そこで武器を持たせ、城の機能を利用し、訓練を施すことでこちらの被害を軽減させるつもりだ。そして、戦いを城に限定させることで人間の逃げ道を作る」

「一応は人間の被害を軽減させるつもりはあるのね?」

「こちらに被害を出さずに三分の一も削れば撤退するだろう。本命ではない人間に時間を割きたくはないからな、姫の考えを採用させてもらった」

「殺すの?」

「殺すさ」

「ここまで人を殺さずに祭りを進めてきたのでしょう? 今回も殺さずに退かせることはできないの?」

「門を閉ざせば、そのうち食料がなくなって退くだろうが、時間が掛かる。こちらが手を出さず、軍が近くに駐留すれば他の勢力と協力することもあるだろう。長期戦となれば、この魔界に砦を築くこともあり得る。そうなれば片付けが面倒になるし、本命が近付けなくなる」

「なるほどね……」

 姫はそう答えると後ろに下がり、用意されていた椅子に腰掛ける。

「貴族の力を削ぐというのは聞いていたけれど、罪のない人間を犠牲にするのは納得いかないわね……」

 右手を額に当て、項垂れる。父の作戦は聞いていたが、今までが平和的だったため直接無関係な自国民を殺すことになるのが信じられなかった。もっと上手くやる方法はなかったのだろうか? 力を削ぐことは重要だが、あくまで諸侯の蓄えを消費させることが重要で、人材を消費することは貴族個人ではなく、自国の力を削ることに他ならない。それに関しては国王もわかっていたのだろうが、これが茶番であることを悟られないためには、多少の犠牲はどうしても必要だという考えなのだろう。

 そういった政治的な観点からの拒否感もあったが、そのこと以上にそれを魔王が行うというのもどうしようもなく嫌だった。仮にも半年近くも一緒に過ごし、食事を共にし、お互いに笑顔を見せ合った。他愛のない会話の量としては父相手よりも多いのではないかと思えるほどだ。その魔王が今から人間を虐殺することに頭が痛くなる。

 今の自分では止めようもなく、無理やり止めてはこのイベント自体が台無しになることに頭を抱える。

「ねえ、あなたはこの戦争ごっこが楽しいと思うの?」

 独り言のように姫は聞いた。せめて少しでも嫌悪感を持ってくれれば救われると思った。

「戦いは対等でなければ面白くはない」

「人を殺すことに嫌悪感とか躊躇はないの?」

「ないな」

 魔王は何の感情もなくそう答えた。姫は僅かな希望も潰え、「そう……」と短く答えただけだった。傍に置いてある紅茶を口に運ぶ。何の味も感じずに姫は眉を寄せる。それ以上紅茶は口にせず、空を仰ぎ見る。どんよりと灰色の空。雲が掛かっているわけでもなく、明かりがあるわけでもない。色も濃淡も一切ないモノクロの空。おそらく魔王の感情もこの空のようなものなのかと思った。

 長い間一緒にいて、魔王を身近に感じていたが、その精神構造は人間とは決して相容れないものなのだとわかった。

「人の死を見るのは気分が悪いだろう。部屋に戻っていてはどうだ?」

 顔色を悪くする姫に魔王は気を遣うが、姫は頭を振った。そして、はっきりと顔を上げて言った。

「いいえ。茶番で人を殺しておいて、城でふんぞり返っている父のようにはなりたくないわ。この戦争を止めるつもりはないけれど、見届けるくらいはしていたいわ」

「強いな」

 魔王が笑顔を見せる。人の生き死にはどうでもいいと言うくせに、こちらの感情の機微にはきちんと反応してくる。そんなことだから姫は魔王を身近に感じ、魔王の思いを勘違いしてしまうのだ。顔を上げた姫は再び顔を赤らめ、俯いてしまう。

「そろそろ姫にも見えてきただろう? 人間どものお出ましだ」

 姫はバルコニーの端まで寄って、目を細める。風はないが、砂ぼこりが立っている。個人の顔は見えないが、人らしきものが群れを成して近づいてくることが見える。

「人数はどのくらい?」

「ざっと三〇〇〇。今回の参加者で、最も私財を投じた男だ」

 自国の最大戦力としては、約一〇万は準備できる。しかし、それはあくまで国難に対し全ての戦力を招集した場合だ。あくまで一人の領主が準備できる数として三〇〇〇という数字はかなり無理をしている数字だろう。なにせ勝利したとしても土地も財産も手に入る見込みはないため、活躍した者の報酬も私財から払わなくてはいけないのだ。

「短期決戦したいのはこちらも同じだが、それ以上に人間の方が望んでいるのだろう。昨夜斥候がこちらの状況を探りに来たことも把握している。城の前で戦列を組んだらすぐに来るぞ」

「こちらの準備はまだできていないみたいだけど?」

「あの位置からならあと二時間はある。それまでには終わるさ」

 城から遠くを見渡すにも人間よりも背の高い木々や丘の高低や建物があり、そこまで遠くまで見えない。延々と地平線のみが広がる荒野では、軍の動きがまるわかりだった。

「おそらく距離感が狂って、城から離れすぎた位置で野営していたのだろう。警戒心もあったのだろうが、進軍が遅すぎだ」

 魔王は文句を言い、腕を組む。

「私たちは待つしかないわね。それまでは精々お茶でもしていましょう」

 姫は再び席に着き、紅茶をすする。先ほどよりも冷めていたが、味は幾分マシになっていた。

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