第23話 姫のダイエットその2

 ティーシャツにハーフパンツという動きやすい服に着替え、姫は屈伸をする。

 城の中は飽きたというので、魔王の提案により城壁を越えて堀の外を歩くことにした。城は、主城を下りて門の外に出るだけでも非常に遠く、これだけでもいい運動になりそうだった。

「それにしても大きいわね」

 深く幅の広い堀に囲まれ、高い城壁に更に一段高く見える主城を望み、姫は呟く。

「こうして外から見るのは初めてだろう?」

 魔王の言葉に姫は頷く。その言葉はどこか自信に満ちていて、感想を求めているように聞こえた。

「そうね。攻め落とすのは骨が折れそうだわ」

「花の王女とは思えない感想だ」

 言って魔王は笑う。

「折角の機会だ。存分に見てどうやって攻めるかシミュレーションでもしていてくれ。どうも姫と話していると美術的センスの他にも軍事政略にも才能がありそうだ」

「そう。悪いけど、あくまでも目的はダイエットよ。それに私が軍を動かすこともないし、城の中で助けを待つだけの私では考えても仕方ないことよ」

「わかっている。だが、それなりに長い距離動くことになるのだ。ついでに考えてみるのもいい暇潰しになるだろう」

「そうね。ついでに考えてみるのも悪くないかもね」

 姫は興味なさげにそう言った。

「それじゃあ、ぐるっと一周回りましょうか」

 準備運動を終え、最後に伸びをすると姫は走り出す。魔王は返事をすると姫についていった。


「ぜぇぜぇ……」

 魔王城外回りを半分ほど進んだあたり、姫は息も絶え絶え走っていた。その足取りは重く、速度は最早歩くのとほとんど変わらなかった。魔王はその後ろをゆっくりとついていく。会話の相手にと連れてきたはずだったが、最初の五分で姫から話を振ることはなくなり、一〇分もしないうちに返事すらもなくなってしまった。

「ちょっと……休憩……」

 とうとう姫は立ち止まってしまった。その場で座り込み、初めて見る背後からの城の姿を見上げる。背後から見る城は、入り口もなくただ高い城壁が山のように立ち塞がっていた。その手前には落ちたら確実に死ぬだろう深さで狭い箇所でも二〇メートル以上の幅広い堀が広がっている。この堀をまたぎ、城壁に届く攻城塔と橋を造ることはできるだろうか。城壁の高さも二〇メートルほどだろうか。城壁の高さの攻城塔は造れるが、この幅以上の橋を架けるとなれば形状は跳ね橋になるだろう。となると、二〇メートル超の攻城塔から二〇メートルの高さの橋を上から打ち下ろす形になるため、高さ四〇メートル以上になるか。それを移動できる形で作成するか、もしくは現地で組み立てなければならない。不可能ではないかもしれないが頭の痛い話である。

「まだ半分も進んでいないぞ」

 思案していると、魔王が近寄り、言った。見下ろしながら言われ、姫はむっとする。

「走るなんてことめったにしないのだから当然でしょう?」

「走っていたのか? 俺は散歩しているものとばかり思っていたぞ」

「あんたにとってはそうでしょうね」

 姫がジョギングを始めてから魔王は終始歩いてしかいない。というのも歩幅が基本的に違うのだ。姫の二歩分の距離を魔王は一歩で進んでしまう。魔王に軽く怒りを覚え、姫は再び城に目をやる。

 半分しか進んでいないという言葉が重くのしかかる。正門以外に出入り口のない魔王城で半分の位置にいるということは、行くにしろ戻るにしろ全く同じ距離を進まなくてはならないのだ。止まるにしてももう少しいいタイミングがあったのではないかと後悔し、溜息を吐く。

「どうだ? この城を落とす方法は見つかったか?」

 城をじっと眺めていると、魔王が聞く。今考えていたことは違う内容なのだが、ある程度考えはまとまっていたため姫は答える。

「難しいでしょうね」

 魔王はそうだろうと満足げに頷く。

「まず基本の兵糧攻めと裏切りが使えないのが辛いわ。周りを取り囲んで補給を断つという基本戦術は、地上のどこでも好きな場所に繋げるゲートで無意味だし、そもそもあなたたちに食べ物が必要かどうかもわからないのでは計画の立てようもないわ。攻める前に敵を懐柔しておいて内側から門を開けさせるのが一番手っ取り早いのだけれど、魔物が魔王を裏切るとは考えられないからこれも却下ね。だとしたら正攻法で城を落とすしかないのだけれど、門が一つしかないという城にあるまじき構造ではこちらの攻め手も限られるわ」

「まあ、後三〇〇年はこの城も落とされることはないだろうな」

 なんとなく魔王の自慢げな顔が気に食わなかったので、姫は言い返すことにした。

「別に落とせないことはないと思うけどね」

「なに?」

「弱点がいくつもあるってこと」

「聞かせてもらおうか?」

 むしろそれが聞きたかったと言わんばかりに興味津々に寄ってくる。

「まず城の大きさに対して人数が少なすぎる。門が一つしかないから一か所を守ればいいのでしょうけど、取り囲んで多方向から攻め込めば対処が追いつかなくなるのではないかしら? それと飛び道具が少な過ぎるわ。幅広い堀と高い城壁があるのに、それを飛び越えて攻撃できる武器がないのでは意味がないわ。周りに資材がないので大変だけれども堀の周りで攻城兵器を組み立てて、攻城櫓から弓の一斉掃射と橋を架けることは不可能ではないわ。堀を埋めるのも時間と人手を掛ければいいだけのことで、それを防ぐ手立てがないのだもの。こちらも門を攻める手立ては少ないけれど、門を抑えておけばそっちも攻撃し辛いのは一緒だわ。ゆっくりと準備を整えて五角形の各頂点を攻城塔で、門を破城槌で攻めれば城内に攻め込むまでは十分可能だわ」

「確かに魔物の数は十分ではない。しかし、遠距離攻撃がないというのは語弊があるな」

 魔王はそう言うと、その辺にある拳大の石を掴む。拳大と言っても、魔王から見てのサイズである。下手をすれば子供の頭くらいはある。それを城壁に向かって投げつけると、ほぼ直線的な弾道を描いて壁に激突する。僅かに欠けた城壁と砕け散った石を見て、姫は呆気に取られる。

「もう少し固い石を使えば盾を貫いて即死させることくらいはできる。城壁に大量に石を設置しておけばこの問題は解決だな」

「そうね。あくまで可能というだけで現実的でないことは認めるわ」

 実際同じものを建造しろと言われても難しく、防御力と造形美を兼ね備えた城であることは十分理解できた。そしてそれを何度も認めているにも関わらずなおも自慢げに感想を求めてくるから腹が立つ。とはいえ、折角造ったのに何百年も使用する機会もなく、自慢する相手もいないのでは無理もないことなのだろう。

「堀の外から城壁を越えて攻撃できる攻城塔の設計と試作、現地で組み立てるための訓練、輸送の手筈と補給線の確保。計画を立ててから実際に攻め込むまで二年はかかるかしら。兵力は工兵を含めてざっと五万は必要かしらね。となると国を挙げて戦力を投入することになるわね。問題はそれに見合う価値がこの城を攻めることにあるかということよ」

「ほう?」

「この城を攻め落としてもろくな貴金属の類も食料も農作物を育てる土地も手に入らないわ。放置していてもこちらが被害を受けるわけでもないし、攻める必要がないという意味で現実的ではないわ」

「ああ、大軍で攻める価値もないということか。それもそうか、仮定の話をすれば、世界中の人間の戦力を集めればこの魔王はともかく城はひとたまりもないな」

 姫の話に納得したのか、魔王は思案する。

「そもそも、城は軍事拠点よ。周りに守る物があって、その先に攻める対象があってこそよ。何もない荒野にぽつんと城が建っていたところで意味がないし、交易とかを考えていないから門も一つで事足りる。ゲートを通じてしか出入りする必要がないのだから、たった一つの門すら無用の長物よ」

「う、確かに……」

 痛いところを突かれたと魔王はたじろぐ。

「魔王軍からの侵略を警戒するというのなら、この魔王城を攻め落とすのではなく、魔界と人間界のゲート付近に城を建設して攻め込ませないようにした方が余程賢いわ。農作物とかは期待できそうにないけど、鉱物資源なら豊富にありそうだから、それなら価値は見いだせるわ」

 先ほどまでの自慢顔はどこへ行ったのやら、この城が所詮は趣味の延長でしかないと思い知り、魔王はにわかに凹む。

「というわけで、一貴族が攻め込むには戦力不足。お互いに攻め手がなくて遠巻きに睨み合うだけで時間ばかりが過ぎて行く未来が見えるわ」

「そうだな。いたずらに時間が掛かるのは本意ではない。やはり門は開けておくか」

 姫の予想は魔王もある程度把握していたのだろう。満足のいく防衛戦ができずにやや残念そうに魔王は言った。姫もその意見には同意する。

「そうね。そうすれば全軍門から突入してくるから入ってきたところを一網打尽にできるわね。魔物は数が少ないけれど、力は強いわ。弓矢は扱いにくくても、通常の二倍くらいの槍を持たせて、門の中に柵でも立てていれば城壁と挟み撃ちにして屍の山を築けるわ」

「おまえは本当に人間側か?」

 やたら具体的に作戦を立てる姫に魔王は呆れる。

「まあ、非常に参考になった。後は攻めてきた人間の戦力を見て、配置する魔物を変えればそれなりに面白い戦はできるだろう」

「負け戦が確定しているというのに攻めてくる貴族に同情を禁じ得ないわ」

 言って姫は空を仰ぎ見る。そこに広がっているのは曇り空のような灰色だけが延々と広がっている空だった。光源もないのに何故か暗いとも感じないし、明るいとも感じない。天井があるようにも感じるが、視線に何の引っ掛かりもなく、どこまでも奥行きがあるようにも感じる。

「負け戦か……」

 誰に言うでもなく姫は呟く。負け戦が確定しているのは、貴族だけなのだろうか? 人間が魔王を討つ術がまるで見えない。それは以前から思っていたことで、先日勇者と出会ってから余計に考えることが多くなったことである。

「ねえ、勇者はあなたに勝てるのかしら?」

 それを本人に聞いたところで意味のないことだとはわかっている。魔王が勇者を鍛えているのも魔王が勝つということがわかりきっているからこそだろう。しかし、魔王の回答は違っていた。

「勝てるだろうさ。それが勇者だ」

 姫はその回答がとても信じられなかった。それは姫を元気づけるためとしか思えなかった。

「確かに勇者が強くなっていることはわかるわ。神に認められただけあってきっと才能もあるのでしょう。でも、あくまで人間の範疇を超えていないわ。強くなっても手下の魔物にさえ勝てないことくらい私でもわかる」

「そうでもないさ。魔物には既にいい勝負ができるくらいには強くなっている。それに、更に勇者が強くなる秘策も用意してある。この調子で戦術を覚えていけば俺と渡り合うことは十分可能だろう」

「その秘策というのが何なのかはわからないけれど、ずっと疑問に思っていることがあるの。楽しむためと言っているけれど、少々サービスが過ぎるのではないの? 勇者を鍛えて、秘策を授けて、挙句の果てに負けるですって? 正直あなたの目的が何かわからないわ」

「なんだ、知らなかったのか?」

 姫としては核心を突いた質問だったのだが、魔王の反応は薄い。

「てっきりこのイベントの目的を知っているからこそ、俺に対して横柄な態度を取っているのかと思っていたのだが、父親から聞かされていなかったのか?」

「何も聞いていないけど……」

 その口振りからすると、国王と魔王が共謀しているということが窺えた。そして何となくだが全貌が見えてくる。

「この企画は国王発案だ。魔王に攫われた姫を勇者が助け、勇者を姫と結婚させることで有力貴族となんら繋がりのない人物を次代の国王にする。更に貴族たちが貯め込んでいる財産を放出して、力を削ぎつつ経済を活性化するため大々的なイベントにする。貴族が魔王に敗れることで、魔王を倒した勇者が国王になることを認めさせやすくなるという算段だな」

「つまり、最初から負けるつもりだったの?」

「そういうことだな。とは言っても、俺自身が楽しみたいのは本当だ。できる限り手強い敵と闘って存分に楽しんでから負けるつもりだ」

「それじゃあ、私を妻にするっていう話は嘘だったの?」

 何故魔王が自分の父親に協力しているのか、何か魔王にメリットがあるのか、どうやって魔王と父親は交流を持ったのか、疑問は尽きなかったが口を突いて出た質問はそれだった。

「私のことなんか初めから興味がなくて、勇者と勝負するためだけの餌みたいなものだったの?」

 聞かなくても既にわかっていることだが、聞かずにはいられなかった。思えば女性らしくアプローチされたことなんて一度もないし、自分を妻に娶ってどうするのかなんて話も全然なかった。姫の沈んだ表情にばつが悪そうに魔王は答える。

「そう……だな……」

 その言葉を聞いたとき、姫は全身の力が抜けていくのを感じた。魔王の妻というのも悪くないとか考えていた自分がバカみたいだ。

「だがな」

「もういい」

 魔王が言葉を続けようとするのを姫が制する。今はどんな言葉を掛けられようと素直に受け止められる気がしない。どうしてこんなに落ち込んでいるのかもわからないが、平静ではいられない。下手な言い訳を聞いたら泣いて怒鳴ってみっともない姿を見せてしまいそうだ。

「休憩は終わりよ。早く戻って昼食にしましょう」

 姫は立ち上がり、ゆっくりと走り出す。まだ十分に体力は戻っていなかったが、今は身体を動かした方がいい気がした。

 魔王はこれ以上掛ける言葉も見当たらず、その後ろを歩いてついていくだけだった。

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