第22話 姫のダイエットその1

「報告は以上です」

「ふむ」

 魔王の書斎にて、勇者に倒された魔物が現状を報告する。机や書類、筆記具に何から何まで魔物サイズであるため、ここに来るとただでさえ小さい姫は自分が小人にでもなったような気分にさせられる。魔王も本来のサイズは人間と変わらないのだから、それに準拠したサイズにすればいいのにと思う。

「相変わらずゆっくりとしたペースだが、一時期よりは精力的に活動しているようだな」

 魔物から受け取った書面を机に置き、魔王は頷く。姫は、あの書類を魔物が作成しているところを一度見てみたいと思うのだが、中々その機会が得られない。特に目の前にいる魔物は、爪の長さが指程もある。これではペン等持てるはずもない。――と思ったが、よく見ると爪が黒い。そうか、爪に直接インクを付けて書いているのか、と勝手に納得する。

「未だ魔物を殺せないのは問題だが、戦闘技術向上は順調そうだな。わかった。下がっていいぞ」

「はい」

 やり取りをして魔物は部屋を去る。入れ替わるように、次の魔物が入ってくる。入ってきた魔物は、雀を一回り大きくした程度しかなく、羽の生えた空飛ぶ爬虫類といった印象だった。よく見る魔物だったが、似たような個体が何匹もいるらしく、区別はつかないが見かけた魔物はそれぞれ別物らしい。

 偵察目的の魔物で、勇者以外の監視を行っている。魔王を倒せる可能性のある人物は勇者だけなのだが、国王からのお達しで魔王討伐を目指しているのは勇者だけではない。今でも有力貴族や名を上げたい傭兵が魔王城の探索や魔物討伐を行っている。その情報が勇者に流れているのだから、その他の魔王討伐隊の動向というのは非常に大切なのだ。魔王への報告のほとんどがそれに関するものである。そこから魔王城への到達時期を予測し、対策を練るのも魔王の仕事である。とはいえ、すぐに到達できる者はしばらくいそうもないことは報告を聞いていればわかる。

 小型モンスターも報告を終え、書斎が静かになる。

「で、何の用だ?」

 先ほどからひっきりなしに報告だの相談だのに来る魔物たちのせいで話し掛けられず、書斎でそれを聞いているだけだった姫に魔王が問い掛ける。

「普段は仕事中だろうがお構いなしに話し掛けてくるというのに、今日は殊勝ではないか」

「毎日毎日報告を聞いてはまとめての繰り返し。飽きないの?」

「その先に楽しみがあると思えばまだ耐えられるものさ。まあ、少々飽きているからこそ、早く来いと願っているのだがな」

 そう言って魔王は苦笑してみせる。

「とはいえ、自ら招き入れても、今の勇者の実力では俺と満足に闘うこともできまい」

「勇者を強くすることばかり考えているけれど、あなた自身はどうなのかしら?」

「どういうことだ?」

「ずっと座って事務仕事ばかりで身体が鈍っているのではないの?」

 姫の言葉を魔王は一笑に付す。

「ないな」

「ないの?」

「勿論だとも。俺は何百年とこのような生活を続けているが、自分の力が弱くなったことなど一度もない」

 少々予想外の回答に、姫は僅かに顔をしかめる。

「で、でも何かあるんじゃあない? 座りっぱなしで腰が痛いとか、身体が硬くなったとか、す、少し太ったとか」

「ないな」

「ないかー」

 そもそも本来の姿から自由に形を変えられる魔王である。体型に関して人間と同じ尺度で測れないのも当然かもしれない。

「俺は生まれた頃から先日見せた姿と何一つ変わっていない。人間と違って子供の時代もなければ老いるということもない。太る痩せる成長するということとは無縁だ」

「何それ、羨ましい」

 魔王が説明を補足すると、姫は素直に感想を言った。

「だが、成長するということは、それはそれでいいものだぞ。基本的に成長しない俺たちは一度負けた相手には決して勝てないし、一度固定された上下関係は覆ることはない。俺が楽しむのは所詮、外の世界の変化を見るくらいしかないのだからな」

「そういうものかしら? でも人間がいくら努力して成長したところで、あなたに勝てそうもないのだから、嫌味にしか聞こえないわよ、それ。努力したところで成長には限界があるし、老いを迎えれば後は衰えていくだけよ」

「それでも、変化をしていくということはいいことだ。永遠に変わらないというのも絶望しかないぞ」

「ないものねだりは人間と一緒ね。ただ、あなたが何も変化も成長もしないなんて嘘ね。特に永遠なんてあり得ないわ」

「どういうことだ?」

「今こうして私と話した記憶がどんどん蓄積されていることは間違いなく変化よ。チェスをしても私に勝てることはないけれど、同じ手順で負けたことは一度もないわ。目に見える変化は少ないのかもしれないけれど、確実に変わっていく。そしていつかはあなたも滅びるのよ」

 姫の言葉を魔王は目を丸くして聞いていた。その後笑い出す。

「いや、全くその通りだ。今、姫の話を聞いて感銘を受けたことも俺にとって確実な成長だ。この命は永遠に続くかと考えていたが、それも改めなければならないな」

「そうよ。永遠なんて軽々しく言うものではないわ。あなたの命が後千年なのか一万年なのかはわからない。私たちにとっては永遠のように見える時間なのかもしれない。でも、永遠という時間と比較すれば一億年だろうと一瞬と大差ないわ。そして、永遠に生きられることを証明することは永遠に不可能なの」

 姫がそう言って胸を張ると、魔王は素直に姫を称賛する。

「実に面白いな。魔王相手にこうも堂々と論破するとは大したものだ」

「ふふん。そうでしょう。そして、私の目にははっきりと映っているわ。あなたが今既に下り坂を迎えていることが!」

「なんだと?」

 姫はビシッと魔王を指差し、言った。

「自分の見た目が変わらないと高を括って、食っちゃ寝を繰り返した挙句、あなたは中年太りという残念な結果を迎えてしまったわ。一度元の姿にでも戻ってごらんなさい。かつては六つに割れていた腹筋も今では脂肪という鎧に覆われているはずよ。でも大丈夫。まだ間に合うわ。健康的な生活にはまず運動。私でよければ散歩くらいには付き合ってあげるわ。……って、何よ、その顔は?」

 気が付くと、目を輝かせて聞いていたはずの魔王の顔はいつの間にか興味を失っている。頬杖をついて、じとっとした目で姫を見ながら魔王は言った。

「太ったのはおまえだろ?」

「ななな、何のことかしら?」

 言い当てられて、姫はぎくりとする。魔王はなおも続ける。

「最近の暴飲暴食で太ったのだろう? それで痩せようと運動を決意したけど、一人では長続きしないから俺を巻き込もうとしているだろう?」

 ほぼ正解。

 姫はしばし固まると、絞り出すように言う。

「な、何を証拠にそんなことを言うのかしら? 私はただ魔王のことを心配して――」

 ブツッ。

 何かが切れる音がした。

 恐らくはいつも以上にきつく締めていたコルセットの紐、或いは紐を通している穴付近か。僅かに締め付けられた身体が緩み、一層に心が締め付けられた気がした。

「その通りよ! 太ったわよ! 服もきつくなったわ! お腹回りがきついけど、胸も丈も平常通りよ! だから痩せるのよ! だからあなたも太りなさい! そして私のダイエットに付き合いなさい!」

「いや、逆切れされても……。それに最後はおかしい」

「うるさいわね! いいから協力なさい!」

「今でも十分痩せていると思うぞ。元々が痩せすぎだったのだ。少しくらいふっくらした方が女の子としては――」

「ああっ?」

「運動するというのはいいことだ。協力しよう」

 姫に睨まれ、魔王は意見を変える。男性が求める理想と女性が求める理想、それぞれ乖離があって当然なのである。

「しかし、散歩や運動ならば一人でしても問題ないのではないか? 何しろ土地の広さは一級品だ。城の周りをウロウロするだけで結構な距離になる」

「面白くないのよ。連れて来られて始めの内は物珍しくて色々見て回ったけれど、城の外に誰かがいるわけでもなし、花もなければ天気も変わらない。三日もすれば見るものがなくなるわ。そんなところを毎日グルグル回ったところですぐに飽きるのよ」

「我が渾身の城も三日で飽きるか」

「いい城なのは認めるわ。城壁が五芒星を描いていて面白い形の割には、城としての機能は極めて高いわ。正直、大軍で攻めても手も足も出ないでしょうね。でも、絶対的に兵の数が足りていない、装飾もない、無駄に広いだけでがらんどうとしすぎているのよ」

 来て早々様々な部屋や櫓を回ったが、その時は魔物のほとんどが出払っていたというのもあって、部屋を訪れても櫓に入っても、城壁に登っても何もない空間が広がっているばかりであった。何かがあるのは、魔王の書斎と姫の部屋と無駄に器具が揃っている台所だけであった。

「むう……。確かに城を建てたときは人間には造れぬような立派な物をと思ったが、いざ建ててみると持て余す。人間の大軍と争ってみたいとも思ったが、その機会もなく数百年。いささか勿体ないな」

「自分にアイデアがないのなら、人間でも攫って来ればいいじゃあない? 魔王城を彩るなんて、喜びそうな芸術家は多いわよ」

「無理やり連れてきて、最高傑作を創れと働かせるというのも魔王らしいか……。それならば、姫がこの城を彩ってみてはどうだ?」

「それは素敵な提案ね! 花咲き誇り、小鳥が踊る華やかなお城にしてみせるわ!」

「いや、冗談! 冗談だ! そんなファンシーな魔王城にされては堪らん!」

「ちぇっ」

 面白そうな提案だと思ったが、魔王に拒否されて姫は舌を打つ。

「それよりもダイエットの話だ。要は景観がつまらないから、せめて話し相手でもいれば継続できるだろうっていう話だろう?」

「そんなところね」

「なら部下にも話を通しておこう。食事の調整もしたほうが話は早い」

「それだけはやめて!」

 魔王の提案を姫は手を前に突き出し、制止する。

「なんだかあの男にだけは弱みを握られたくないの。あの男の表情が変わるところを見たことがないけれど、私が太ったと聞いたら絶対に笑うわ。見たことはないけれど、見下して嘲笑うその表情が容易に目に浮かぶのよ!」

「そ、そうか……」

「兎に角、彼にだけは知られてはいけないのよ! だからこそ朝食も残さず食べたし、これからも食事の量を変えずにベストな状態に戻したいの!」

「ま、まあ良く食べて良く動くことは良いことだ。……だがな」

 姫の剣幕に魔王はたじろぐ。そして、ばつが悪そうに人差し指で頬を掻きながら言った。

「手遅れだと思うぞ」

「え?」

 姫がその意味を問い質そうとしたとき、扉を叩く音がした。かつてないほどに嫌な予感が頭を過り、姫は振り返る。そして、魔王の返事を待たずしてその扉は開いた。

「何? 姫が太っただとぉ――――う?」

「思いの外爽やかな笑顔で登場しやがった……!」

 予想では何も言わず、見下したような目をしながら嘲笑という言葉が相応しい笑みを浮かべるはずだったのだが、予想を裏切られ姫は戸惑う。とはいえ、姫の不幸を喜ぶという点で予想は外れていたわけではなく、どうしようもなく腹立たしいこともまた予想通りであった。

「どうしてあんたが知っているのよ? まさか盗み聞きしていたの?」

 歯ぎしりしたくなるような怒りを堪え、姫は聞く。

「いや、二、三週間前から気付いていたが」

「は?」

 事も無げに部下が答え、姫は面を食らう。

「なに、徐々に姫の体型が崩れているのは気付いていたが、あまりにも姫が美味しそうに食べるのでね。ついついこちらも力が入って作ってしまったのだよ」

 今度は予想に近い嘲笑で部下は姫を見下ろす。姫は拳を握りしめているのに気付き、平静を取り戻そうとするがなかなか手が解けてくれない。

「ああ、そう。折角扉の前でタイミングを見計らってくれていたところ悪いのだけれど、あなたはお呼びではないの。関係ないから出て行ってもらえるかしら?」

 姫はなるべくにこやかにそう言うが、眉に酷く力が入っていることが見て取れた。精一杯の皮肉も通じず、魔王の部下はやれやれと溜息を吐き、言う。

「こちらとしては折角プレゼントまで用意したというのに、そういう態度を取るのか?」

「プレゼント?」

 姫が訝しむと、部下は背後に隠してあった物を姫に渡す。

「服? 随分とシンプルな形状ね。優雅さの欠片もないわ」

 渡された物を広げると、上下に分かれた二着の服だった。シンプルに白のティーシャツとチャコールのハーフパンツである。今着ているドレスとは違い、動きやすさと着やすさだけを追求したような構造であった。

「これをどうしろと言うの?」

「好きに使えばいい。この服ならば少々体型が崩れても関係がないだろう? 運動に使うもいいが、城内でこの服を着続けるのであればダイエットは最早必要ないぞ」

 またも笑顔を見せる部下の足を姫は思い切り踏みつけるが、部下は表情を変えることはない。魔王の場合は何かしらリアクションを見せるのだが、この反応を見る限り魔王も本当は欠片も痛いと思っていなかったのだろう。

 怒りに任せてプレゼントを突き返そうとも思ったが、運動着というのは必要である。今クローゼットに入っているのは全て煌びやかなドレスのみである。激しい運動もできないし、汚せばすぐに目立つ。からかうために用意したという意思は透けて見えても、悔しいからこそ受け取らなければいけなかった。

「見てなさいよ! すぐに元の体型に戻ってやるから!」

「それならば私も心を込めて昼食を作ろう」

「表現方法がボリュームでなければ受け取るわ」

 最後に不敵な笑みを浮かべると部下は出て行く。最もばれたくない人物にばれてしまったことは誤算であったが、こうなってしまっては後には引けない。

「魔王、今すぐ運動するわよ! すぐに準備するから待っていなさい!」

「わ、わかった。最初から無理するなよ」

 姫の勢いに押されながら、魔王は答えた。

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