第19話 魔王と勇者とお姫様

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 勇者は各地に出没する魔王の手下たちから人々を守りつつ、魔王の居場所を探っていました。その日も情報の集まりやすい大きな町に訪れていました。そして、その町は偶然にも、本当にたまたま、お姫様が訪れていた町だったのです。

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 ――二丁目の裏通り。

 魔女に予言されていた時間よりは一〇分ほど早く、魔王と姫は目的地に来ていた。予定ではもう間もなくここに勇者が来るはずである。

 待つ間、魔王と姫は荷車こそ買わなかったものの、大きめのバッグを購入。これまでのお土産を詰めていた。

「その順番で詰めたら木彫り細工が潰れるでしょう、もっと考えなさいよ」

 魔王が荷物を放り込むのを手伝いもせずに、姫は口出しだけをしてくる。

「あら、こんな首飾り買ったっけ?」

 青銅製の細工が施された首飾りをしげしげと見て、姫が言う。

「露天商に褒めちぎられて、ついでみたいな感じに買っていたやつだな」

 魔王が指摘すると、そうだったかしら、などと言いながらとりあえずそれを首にかける。

 つい先ほどのことだというのに既に忘れるとは、おそらく姫は買い物を楽しむことが目的で、購入したものにはそこまで興味がないのではないかと疑問に思う。

「あ、来たわ」

 姫が声を上げる。勇者が裏通りを挟んで姫たちの反対側から歩いてくる。魔王ほどではないにしろ、勇者もかなりの大荷物を抱えている。

「行くわよ」

「まだ荷物積んでいないぞ」

「なら仕方ないわ」

「あっさりだな」

「言われた時間よりは早いわけだし、動かないほうがいい気がしたの」

 姫は一度立ち上がったものの、手伝いもしないくせに、再び地面に座る。そうこうしているうちに、勇者は路地を曲がり、狭い裏通りへと入っていく。

「様子くらいは見に行きましょう」

 座ったばかりだというのにせわしなく立ち上がり、裏通りへと足を向ける。魔王は荷物を詰めながらその様子を眺める。仮に何か危険があったり、おかしな行動をしたりすれば即座に止められるように注視する。

 裏通りに入っていくこともせずに様子を眺めていた姫は、やがて何事もなかったかのように戻ってくる。

「建物の中に入っていったわ。大荷物を抱えていたし、届け物か商売ね」

「まあ商売だろうな」

 長らく勇者の様子を観察していた魔王としては、確信があった。

「ということは、また出てくるわね。その時を狙いましょう」

「了解」

 あらかた荷物を詰め終わった魔王は、バッグを抱えると立ち上がった。荷物を背負い、裏通りに向かう。覗き込むと、通りの先は袋小路になっており、壁には扉が三つ見える。

「どれだ?」

「一番手前の左側」

「これなら見逃すことはなさそうだな」

 予定の時刻まであと数分。商談はあっさり決まって、勇者はすぐに出てくるということなのだろうか。多少遅れるにしろ、この通りを戻ってくるのは間違いないため、見逃すということはない。

「ところで、勇者と会ってどんなことを話すんだ?」

「さあ?」

 今更ながらに気になって魔王は聞いたのだが、姫の答えは意外だった。

「てきとうに話した後で、去り際に『魔王を倒せるのはあなたしかいません』とか言えば、『まさか、あなたは……』とは言って勝手に盛り上がってくれるでしょう?」

「てきとうすぎるだろう」

「あ、それと『あまり時間がありません』とか入れておけば、少しは急いでくれるかしら?」

「ああ、それは入れてほしいな」

 姫のノープランぶりに呆れたものの、最後の一言を入れる案は、是非とも実施してほしい。魔王としては、時間はたっぷりあるのだから急ぐつもりもないが、今のままでは歩みが遅すぎる。

「んー、でも話し掛けるにも切っ掛けが必要よね。いきなり魔王について語るのも怪しいし……。何かひと騒動あって、それに勇者を巻き込めればいいのだけれど……」

「魔物でもこの街に呼ぶか?」

「呼んですぐに来るものなの?」

「地面から生えてくる」

「おぉう。それはびっくりだわ」

「逃げてきたけど、追われているという設定なら姫がいてもおかしくはないだろう?」

「それだと助けてもらったあとに去りにくいじゃあない?」

「確かに」

 二人してああでもない、こうでもないと唸る。当たって砕ける以外にないかと諦めかけたとき、二人に話し掛ける人物がいた。

「よう、嬢ちゃんら。随分と景気が良さそうじゃあないか」

 振り返ると、人相の悪い男が四人いた。

 男の内、一人が懐からナイフを見せながら言う。

「荷物を置いていきな。まだ財布の中身が残っているならそいつもだ」

「何、こいつら。この街っていきなり野盗に襲われるほど治安悪いの?」

 男たちを無視し、姫は魔王に聞く。

「俺に聞くなよ。ああ、でも外に魔物が出るようになってから街道の警備が厳しくなったからな。逆に外では悪事をやりにくいのかも」

「ああ、確かにありそう」

 姫が納得した様子で頷くと、野盗がしびれを切らして怒鳴る。

「無視してんじゃあねえ!」

 ナイフを鞘から抜き取り、白刃が煌めく。その男の肩を後ろの男がトントンと叩く。

「親分、荷物もいいですが、この女……」

「確かに随分といい女っすよ。荷物なんかより高値で売れるんじゃあないですか?」

 他の男も同意すると、親分と呼ばれた男は下卑た笑みを浮かべる。

「確かに健康面でも問題なさそうだし、攫っちまって、このまま街から消えちまうのもアリだな……」

「なんか人生ノープランな会話ね……」

 そう口を挟む姫だが、魔王としてはおまえが言うな、と言いたくなる。

「よく見れば、服装は平民だが、全身新品じゃあねえか。それに肌つやや髪質が凡人のそれじゃあねえ。貴族がお忍びで遊びに来たと見たぜ」

 的を射た発言に、男たちは『さすが親分!』と盛り上がる。

「身元を割って、身代金を要求すれば、奴隷として売るより何倍も金が手に入るぜ!」

「それじゃあ、親分! 身元を割るためにあれやこれやと聞かなきゃあいけませんね!」

「素直に口を割らねえってんなら身体に聞くしかないですよね!」

 好き勝手なことを言いながら、男たちは下卑た笑みを浮かべる。そんな男たちを尻目に姫は落ち着いた様子で言った。

「ちょうどいいから、これに勇者を巻き込みましょうか」

「そうだな。勇者とこいつら別々に相手にするのも面倒だ」

 実際、勇者と会うだけならいくらでも選択肢はあったはずだ。あえて占いで、この時、この場所が吉と出たのは、人さらいに絡まれることを見越してのことなのだろう。正確に読み取れていたわけではないにしろ、魔女の占いもたいしたものだ。

「お店には悪いけど、建物内に逃げ込みましょう」

 言うが早いか、姫は振り返り、裏通りに向けて走り出す。魔王もそれを追って歩き出す。

「あっ! 待てコラ!」

 男の一人が慌てて魔王の持つバッグに手を伸ばすが、空しくも宙を切る。

「何してんだ!」

 もう一人も魔王の背に向けて手を伸ばすが、掴めそうで掴めず、バランスを崩しこけてしまう。似たようなやり取りが二回ほど続くが、バッグに指を掠めることすらできないでいた。当の魔王は依然としてゆっくりとした動きで歩いているだけなのだから奇妙な光景である。さすがに男たちも戸惑いを隠せずにいたが、諦めるわけにはいかないと必死に追いすがる。

 わずか一〇数メートル。姫は走り、魔王は歩く。姫の走る速度が遅いのもあるが、魔王のゆったりとした足取りの割に二人の差は開くことも縮まることもない。姫はあっという間に扉の前に差し掛かる。姫が扉に手を掛けようとしたとき、不意に扉が開いた。

 出てきたのは勇者だ。

 店を巻き込むことは懸念であったが、これならば店の中にまで入る必要はない。魔女の占いがそれだけ優れていたというよりは、姫が持つ運の強さなのだろうと魔王は納得する。

「そこのあなた、助けてください。変態の人攫いに襲われているのです」

 姫が男たちを指差し、勇者の陰に隠れる。主に魔王を指差しているように見えるのはおそらく気のせいではないだろう。

「俺は違うぞ」

 魔王は一応勇者に向けて忠告しておく。

「間違ってはないでしょう?」

 魔王は、自分がしたことを胸に手を当て考えてみる。まあ、間違ってはいない。

「見たところ、実力ある剣士様とお見受けしました。どうか私たちを守ってください」

 どうも芝居掛かった口調で姫は言う。

「いや、剣持っていないんだけど……」

 今一つ状況が分からず、戸惑いながらも勇者は答える。

 商談に邪魔だと判断したのだろう、勇者は普段旅に使用している剣も鎧も身に着けてはいない。見た目は庶民に化けている姫以上に一般人だ。どこをどう見たところで実力ある剣士様には見受けられない。

 野盗たちもそれを見て、余裕を取り戻し、にやにやと笑う。

「誰に助けを求めてんだよ。そっちの兄ちゃんのほうが余程強そうじゃあねえか」

「……僕もそう思います」

 その言葉に当の勇者が同意する。確かに二人を見比べれば、勇者が勝る要素はほとんどない。身長は魔王が頭一つ分高く、肩幅や胸板の厚さもまるで違う。二〇キログラムは超える大荷物を背負ってなお、姿勢をまるで崩さず歩き、襲われている状況にまるで動じる気配もない男に対し、勇者は状況に戸惑い、オロオロするばかりである。

「私もそう思う」

「いや、おまえが同意するなよ」

 姫が相槌を打つものだから、魔王はたまらず口を挟む。

「確かに少し頼りなく見えるが、あまり侮らないほうがいいぞ」

「そうよ。全力で当たって無様にやられるといいわ」

 姫の物言いに、男たちは顔をしかめる。

「上等じゃあねえか。こんな優男に俺たちが負けるって言うのか?」

「てめえらこそ、俺たちを舐めてんじゃあねえぞ」

「三人無傷で奴隷ってのはきついからよ。てめえは身包み剥ぐだけで勘弁してやるぜ」

「それだけ大口叩くんだ。四対一でも文句はねえよな?」

 男たちは口々に言い、歩を進める。

「ち、ちょっと待ってくれ! 何で僕が戦うことになっているんだ?」

 さっきから会話に入っていけず、戸惑ってばかりの勇者が口を挟む。

「え? 女の子が襲われて困っているのに助けないの?」

「いや、助けるのがさも当然のように言われても……」

 きょとんとした顔で答える姫に、勇者も食い下がる。

「そもそも、そっちの男が戦えばいいじゃあないか。助けるにしても、僕が一人で戦うみたいな流れはおかしいよ」

 勇者が魔王を指差しながら言うと、魔王はそっぽを向きながら答える。

「それは……あれだ。俺は今ケガをしていて、あまり動けないのだ」

「嘘が雑!」

 そうつっこんだのは姫だった。少しはフォローしろ、と魔王は思うが、実際雑すぎる。

「凄く元気そうじゃあないか。それだけ大きな荷物を持って、姿勢も崩さずに」

「それはね、彼は腰を痛めているの。それで、矯正するために木のギブスを腰に巻いているのよ。姿勢良く見えるかもしれないけれど、逆に腰を一切曲げることができないのよ」

「おお、なるほど」

 と、魔王が手を打つと、姫が「あんたが感心するな」と後頭部を引っ叩く。

「あんたたちは何がしたいんだ?」

 騙す気があるのかないのかわからない会話を尻目に、勇者はがっくりと肩を落とす。襲う四人の男たちも若干毒気を抜かれたように、きっかけを掴めない佇んでいた。

「いいから、さっさと戦いなさいよ! 後ろは行き止まり、前方には人攫いの変態! さあ、逃げ道はないわよ!」

「おまえ、それ悪役のセリフだぞ」

 ビシッ、と指を刺され、戸惑う勇者と冷ややかに言う魔王。

「だ、だから何で……」

「こんな雑魚から女の子一人救えなくて、魔王から救えるのかしら?」

 口答えしようとする勇者を制して、姫は言う。

「どうしてそれを……」

「いいからさっさと戦いなさい」

 疑問に答えることもなく、勇者は背中を押され、人攫いたちに向き直る。

「ようやく話がまとまったか? まあ俺たちとしちゃ、このガキを一人砂にすればいいっていうんだから簡単な話だ」

 待ってくれていた男が一歩歩み寄る。

「せいぜいド派手に倒せば、ちったあ小娘も素直になるだろ」

 他の男たちもにやにやと笑いながら近づいてくる。

 多勢に無勢の状況で、意外にも勇者は自ら歩を進め、男たちに近づいていく。さきほどまでの問答と打って変わった積極性に姫はおお、と感心する。

「意外にもやる気のようですね、解説のお兄ちゃん」

「そうだな。でもあれは、積極的に戦う姿勢とはまた違うと思うぞ」

「と、言いますと?」

「ここは道幅が狭く、横への逃げ道はほとんどない。そして、後ろは行き止まりの上、俺たちがいる。攻撃を避けるためには、スペースがいる。ならば、相手の攻撃が届かないうちに前に出て、背後に少しでもスペースを作らないといけないんだ」

「なるほど。積極的な逃げというわけですね」

「戸惑いながらも冷静な判断だ。それなりに場数を踏んできたという証拠だろう」

 すっかり観戦モードに入っている魔王と姫は、口々に状況を解説する。勇者としてはやりにくいことこの上ないだろう。

 勇者が間合いに入ると見るや、男はナイフを大きく振り回す。それを勇者は後ろに飛び退いて躱す。それからも次々と繰り出される攻撃と、それを躱す勇者。切迫した状況だが、姫と勇者は呑気にその様子を見て、実況解説ごっこをする。

「おおっと、勇者敵の攻撃を躱す。二つ、三つと次々と躱していきます!」

「段々と躱し方が小さくなってきたな。見切りの良さはなかなかだ」

「後ろにばかり避けているように見えますが、あまりこっちには来ませんね」

「いいところに目を付けたな。後ろに避ける量が減ったのもあるが、ステップバックした直後に間合いを詰めている。間合いを詰める前に詰められるものだから、人攫いは上体が起きて、体重も後ろに乗っている。前に出られないし、攻撃も縮こまったものになって避けやすい。しかしな……」

 勇者を認めていたような口ぶりだったが、そこで魔王は呆れた表情となり、僅かに言い淀む。

「あれだけ見切って、間合いを詰めたんなら殴り放題だろう」

「確かに。チャンスはいくらでもありそうだけど、一発も殴っていないわね」

 深々と溜息を吐く魔王に、姫は頷く。

「おーい、さっさとそいつ殴り倒してしまえ」

 魔王がアドバイスを送るが、勇者はなかなか攻撃には転じない。

「そ、そんなこと言ったって……」

 一見して楽勝に見えるが、それでも勇者は必死だった。小さなナイフとはいえ、当たり所によっては致命傷だ。それに――

「あー、ダメだ。あいつ、素手で攻撃したこともなければ、人と喧嘩もしたことないんだな。余裕がある分、どこをどう攻撃していいのか迷っている様子だ」

 魔王が頭を抱えていると、それでもじわじわと勇者が後ろに下がってくる。

「とりあえずなんでもいいから殴っておけ。大丈夫、そう簡単に死にはしないから。顎とか効くぞ」

「あ、顎……?」

 その声を聞いて、勇者が拳を振るう。魔王はおっ、と感心するが、実際に人攫いの顎に届く前にピタッと拳は止まり、魔王は舌打ちをした。

 攻撃に転じた分、勇者の回避が遅れる。人攫いがナイフを振るうと、勇者はいつもより大きく飛び退くしかなかった。勢い余り、数歩踏鞴を踏む。逆に魔王は歩を進め、勇者を受け止める。

「手本を見せるか」

 バランスを崩した勇者に人攫いの男が迫る。

「こんな感じだ」

 男がナイフを振り上げ、振り下ろすまでに魔王の拳が男の顎を貫く。魔王にしてみれば撫でる程度の攻撃だったが、男は呆気なく膝をつく。

「で、崩したところでこうすれば、なお良し」

 膝が落ち、ちょうど良い高さに来た男の顔面に魔王は前蹴りを放つ。男の前歯が吹き飛び、完全に地面に崩れ落ち、ピクピクと痙攣したまま起き上がらなくなる。

「ここまでしても死なないから安心して殴れ」

「は、はい……」

 勇者の返事を待たずに、魔王は後ろへ控える。姫の横で立ち止まった魔王に、姫は声を掛ける。

「おせっかいね」

「時間の無駄だと思っただけだ」

「気長なあなたらしくない言葉ね」

 まあ、いいかと姫は勇者に向き直り、言う。

「それにしても、四対一だと言うのに、人攫いたちは一辺に攻めてきませんね」

「あ、それまだ続くのか?」

 言われて姫が睨むと、魔王は観念したように実況解説ごっこを再開する。

「この狭い路地で、あれだけナイフを振り回していたらそりゃあ仲間たちは割って入れないだろう。効率的に動けば二対一くらいには持ち込めそうだが、頭目が間抜けだったというところだな」

 そう会話している間、勇者を含めた男たちは動かなかった。呆気なくやられた頭目を見て、さすがに怯えてしまっている。

 勇者が一歩踏み出すと、それに合わせて三人が同じ距離だけ退く。頭目が酷いやられ方をしたものだから、完全にびびってしまっている。このまま逃げられても面白くない。魔王は見かねて口出しをする。

「おまえら、俺はこれ以上手出しをしないから安心しろ。それとこの若者を倒せたら、俺と妹の身柄は渡せないが、荷物はくれてやる」

 人攫いの三人は顔を見合わせて、頷く。どうやら少々やる気になったようだ。対する勇者は恨めしそうに魔王を見る。

「ついでにアドバイスだ。拳よりナイフの方がリーチは長いが、おまえの足の方がリーチは長い」

 魔王が勇者にそうアドバイスすると、雄叫びが聞こえた。人攫いの男のうち一人が叫んだようだった。勇者は人攫いに向き直ると、重心を低く構える。

「おぉおおおおっ!」

 男は腰だめにナイフを構え、勇者に向けて駆けた。

「はっ!」

 魔王の見様見真似で、勇者は前蹴りを放つ。余程タイミングが良かったのか、前蹴りはちょうど男の鳩尾にめり込み、男は一撃で倒れてしまう。

「突っ込んできた分、相当なダメージだろうな」

 アドバイスが早速活き、魔王は満足げに言う。

「それじゃあ、もうアドバイスはしないから適当に頑張れ」

 急に突き放され、勇者は肩に力が入る。最早二人となった人攫いたちはすぐには攻めて来ず、耳打ちして作戦会議をしていた。方針が決まったのか、二人ともナイフを構え、身構える。勇者も覚悟を決め、重心をやや前に、わずかに腰を落とす。

「行くぞ」

 男たちが合図をして、二手に分かれて走り出す。どうやら今までの反省を活かして挟み撃ちにするらしい。道幅が狭いため、横方向で挟み撃ちにするのは難しいが、すり抜ける程度の隙間はある。片方が勇者の脇をすり抜けてしまえば前後で挟み撃ちにできる。

 勇者は右側から向かってくる相手に一歩踏み込む。

 相手は追い詰めることで頭がいっぱいで、攻撃の体勢が整っておらず、上体を仰け反らす。その隙をついて、勇者は拳を振るう。フック気味の拳は相手の顎に命中し、男はあっさりと膝を崩す。

 その間に回り込もうとした左側の男に、勇者はすぐさま横蹴りを放つ。こちらも防御が遅れ、その蹴りをまともに食らってしまう。ちょうどすり抜けようとしたところのため、真後ろに壁があり、蹴り足と壁で衝撃の逃げ場がなく、一撃で沈んでしまった。

「随分あっさりやっつけたわね」

「ふむ。手こずるかと思ったが、上手く機先を制したようだな」

 四対一を制して戸惑う勇者を見て、姫は拍子抜けしたような顔をし、魔王は満足げに頷く。

 動きを見切る眼はいいし、教えたことをすぐに応用できるあたりセンスもある。初めは慎重すぎると思ったが、最後は思い切りの良さを見せた。相手のレベルが低すぎて正確に才能を測りきれていないが、総じてまあまあだ。

「よくやった」

 魔王は勇者に歩み寄り、声を掛ける。

 歩み寄りつつも、倒れている男たちに追加で蹴りを見舞う。勇者の攻撃一撃では、すぐに立ち上がるだろうと、念には念を入れてのことだったが、その様子に勇者は引き気味だった。

「この手の連中は執念深い上に、恨みを忘れない割に実力差などの都合の悪いことはすぐに忘れる性質を持っている。あまりこの街に留まると、仲間を集めて襲われるから早めに街を出ることをお勧めするぞ」

 肩にポンと手を置き、そのまま立ち去る。

「えっ、ちょっと! いきなりそんな……!」

 巻き込んでおいてあまりの物言いに、勇者は抗議しようとするが、魔王はそのまま立ち去る。

 勇者が手を伸ばそうとすると、クイッと袖を引っ張られる間隔があった。振り返ると、姫が上目遣いで勇者を見詰めていた。

「ありがとうございました。あなたのお陰で私たちは助かりました」

 整った顔立ちに僅かに潤んだ瞳に、勇者は鼓動が胸を打つ。更に手をぎゅっと握られ、ナイフを持つ男と対峙する以上に鼓動が早くなるのを感じた。

「い、いや……。無事で何より……です。というか、僕なんかがいなくてもなんとかなった気が……」

 実際そうだけど、と姫は聞こえない程度の音量で答えた後言った。

「いえ、四人もの悪漢に立ち向かう勇気のある姿、とても素敵でした。大したお礼もできず心苦しいのですが、せめてこれを……」

 姫は自らの首につけていた首飾りを取り外し、勇者の首にかける。不意に姫の顔が近くなり、勇者は耳まで真っ赤にする。

「あとこれも。多分何かの役に立ちます」

 そう言って姫はナイフを手渡す。倒れている男たちが持っていたナイフを拾ったものだった。

「今は名前を明かすことはできませんが、あなたならばきっと魔王を倒せると信じています」

「え?」

「もう少し話していたいのですが、顔を見るだけとの約束でしたので、もう行かなくてはいけません。またあなたと再会できる日を心待ちにしております」

 戸惑うばかりの勇者に姫は笑顔でそう言い、姫は立ち去る。

「まさか、あなたは……」

 勇者は正体を察して呼び止めようとするが、姫はそのまま路地を曲がり、姿が見えなくなる。

「あ、そうだ」

 と、思ったらすぐにひょっこり顔を出し、姫は言った。

「あまり時間がありません」

 機械的にそう言って、今度こそ姫の姿は見えなくなった。狭い路地に残ったのは、倒れ伏した四人の男たちと呆然と立ち尽くす勇者だけだった。

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