第13話 勇者VS魔物
東に昇る太陽が辺りを優しく照らす。夜や朝は僅かな冷え込みを見せていたが、今はその陽光が気持ちよかった。小鳥たちの囀る中、時折どこかで飼っている鶏がけたたましく鳴いていた。
空は快晴。周囲は整理された畑に、鮮やかな緑を蓄えた森が広がる。爽やかな朝の、綺麗な村の景色。そのどれもが勇者の目には映っていなかった。
「くれぐれも頼みましたぞ」
老人が懇願するように言う。
「善処します……」
勇者が答えられたのは、それだけだった。
見送っているのは、老人だけではない。この村に住む人ほぼ全員だった。退路を完全に塞がれているような心地になりながら勇者は前へと進む。
村人の数人は、鍬や鋤などを持っていた。農作業を中止して見送っているというわけではない。自分も魔物退治に協力したいと申し出てきたのだ。しかし、そこは勇者が丁重にお断りした。それは、状況に流され続けていた勇者の、唯一の冷静な自己判断だった。
いざというときに逃げられないではないか!
協力を断るとき、つい言葉に出そうになったこの言葉が真実であった。魔物を倒す自信などはまるでない。言葉を話したという情報を信じて、まずは交渉をすることが目的であった。現状村が無事であることを考えると、魔物の目的は村を滅ぼすことではないだろう。襲われた男が無事ということは、人間を食事にする必要も少ないと言える。ならば、ある程度の食事の世話をするだけで、村を襲わない契約が結べるのではないか。もし交渉適わず、自分の身が危うくなったら全力で逃げる。村人がいたのでは、逃げようにも逃げることができなくなってしまう。
(退治はできなくても、対峙しよう!)
昨夜、寝る前に思いついた作戦だ。駄洒落だと気付いて、それ以降具体的な作戦は思いつかなかったが、語呂の良さに心が少し落ち着くため、先ほどから頭で反芻している。
逃げ出したくなる気持ちを抑えながら、雑草生い茂る獣道を進み、木の枝を掻い潜って進んでいく。目的の場所は思った以上に遠かった。森に入り、坂を登っては降りてを繰り返す。ようやく男が言っていたと思われる広い草原に出たときには、出発してから二時間が経過していた。
物陰から辺りを見回すが、そこに魔物の姿はない。勇者はとりあえずほっと胸を撫で下ろす。考えてもみれば、魔物だっていつまでも同じところにいるわけではない。一度目撃されただけなのだから、再びこの広場を訪れたところで都合良く会える確立の方が低いのだ。
それでも警戒のため、木の陰に隠れながら草原をぐるりと一周し、近くに魔物が潜んでいないかを確認しようとする。
外周を四分の一程周ったところで、茂みが途切れていた。何度も人や獣が通り、踏み固められた道だ。男はキノコ狩りに行くと言っていた。この草原ではキノコは採れそうにないため、ここが終着点ではないことは明白だ。ということは、ここの草原を中継地点にして、更に奥へと進む予定だったのだろう。
この道はどこへ続くのだろう、と奥へと視点をずらしたところで勇者は固まった。目の前に巨大な毛皮が見える。毛に覆われた太い手足が見える。その先には一本一本がナイフのように研ぎ澄まされた爪が見える。その生き物の顔は視界には入っていない。それほどの巨体。そして、見上げなければ顔が見えないほどの近さ。
交渉の間もなく死の予感がした。
「何だ、お前?」
村人から聞いたものと全く同じ台詞が聞こえた。これが特有の鳴声でないとしたら、間違いなく人語を解するということである。だとすれば、対話による平和的解決も見えるかもしれない。
「ふむ。俺を退治しにきた勇者か……。よし、やろう。すぐ傍の草原が丁度いいだろう」
こちらが何かを言う前に魔物はスタスタと歩いていく。
「ち、ちょっと待ってください! 僕は何も争いに来たわけではない!」
「は? 戦わなくてどうするんだ?」
「僕はあなたに何の恨みがあるわけでもない。ただ、この地にいることで村人たちが不安に思っている。どうかこの地を出て行ってもらうことはできないだろうか?」
「何で?」
大体予想通りの反応だった。道中交渉のシミュレーションを試してみたが、どうにも成功の糸口が見付からない。実際、彼は人間ではないのだから、この国の法律に従わせるのも無理があるし、勝手にこの地に住み着くことが悪いことだとは思うわけがない。
「この付近は昔から住民がいて、農作をしたり、野草を採ったりして暮らしているんだ。急に魔物が住み着いて、家畜を奪われたりするのは迷惑だ」
「だったら無理やりにでも追い出せばいい。それとも、家畜を襲ったのが狼でも頼んで出て行ってもらうのか?」
それができたら苦労はしない。勇者は歯噛みした。
「狼と言葉を交わせるのならそれもする」
勇者がそう反論すると、魔物は確かに、と笑った。
「だが、人間同士でも話し合いが通じない場合もある。だから警察が犯罪者を捕まえるのだし、戦争も起きる」
そう話している間にも、魔物は眼前の草原へと向かって歩を進める。
「だいいち俺が出て行ったところで俺に何の得がある?」
勇者は黙るしかなかった。交渉と言うには、こちらから出せる条件が何もない。いきなりの自体に準備の期間と精神的余裕がなかったのは言い訳にすぎない。最善を尽くすために、せめて食べ物を供出する準備くらいは取り付けなくてはいけなかった。
「わかった。それならば、羊二匹を失ったことは不問として、この地に住むことを咎めもしない。ただし、今後村の物には手出ししないようにしていただきたい。村の人々にもあなたに干渉しないように話す」
「お互いに干渉しないようにしようってか。まあ対等だが、それを約束する気はないな」
「ならば……村の人の生活に支障がない程度に食べ物を供出するように説得する。あなたならば、その他に鹿や兎でも狩れば十分に生活できよう」
「これから説得とは……話にならないな」
魔物は立ち止まり、溜息を吐いた。
「最初に無理な要求をして、徐々に条件を下げて、落とし所を探りたいのだろうが無駄だ。村を襲えば簡単に食料が手に入るのに、何故少量の食料で我慢せねばならない? お前が出せる利益はそれだけか?」
勇者が返答に困っていると、魔物は続けた。
「俺に対して利を与えられないのなら、次は不利益を出すしかないな。つまり、出て行かなければ殺すという脅しだ。最初からこれ以外に解決の方法はないぞ?」
魔物は再び背を向けて歩き出した。
これ以上の対話は望めない。というよりは、始めから彼に交渉する気はないようだった。恐らく、魔物の目的は戦いなのだろう。後腐れなく戦いに赴かせるために、あえて交渉材料を全て潰すように会話に付き合ったのだとすると、非常に計算高いのではないか。
身体能力で負けていることは明らかであるのに、知能に関しても勝てないとなると益々勝ち目がなくなる。最終手段は、逃げる以外にない。もしくは――。
勇者は大きな背中を見詰めた。戦いが目的という自分の仮定からか、その背中は遊びに行く子供のように楽しげに見えた。今ならば、この背中を斬りつけられるのではないか? その一撃で殺すことができなくても、戦いを有利に進められる、或いは逃げる隙を作ることができるかもしれない。
勇者は剣に手を掛けた。が、しかしそこで勇者の手が止まる。
仮にも勇者がそんなことをして良いのか、という疑問が頭に過ぎり、下手に魔物を怒らせると余計に状況をまずくするのではないかという言い訳を思いつく。要は度胸がないだけかと思う。
勇者にできることは、俯き、魔物についていくことだけだった。
草原の真ん中に立ち、魔物が振り返る。そこで、勇者はようやく剣を抜くことができた。腕に縛りつけた小さな盾を前面に押し出し、半身に構える。剣なんてほとんど使ったことはないが、見様見真似でやるしかない。
盾をすっぽりと包み込みそうな魔物の手に目が行く。恐らくは、まともに受ければ、こんな小さな盾は大した意味を成さないだろう。
「ふむ。何故後ろから攻撃しなかったのか、理解に苦しむな」
魔物がしゃべる。
「人間なんて、身体能力で猿や犬にも劣る生き物だろう。今、人間が幅を利かせている理由は、数と道具と頭によるものだ。数もない、道具も俺の爪に劣る。となれば、もっと知恵を働かせなければな」
攻撃しても良かったのか、と勇者はにわかに後悔した。しかし、このまま言われ放しというのも気に食わない。
「人間には、動物と違って、誇りがある。後ろから不意打ちなんて卑怯者がすることだ」
「そんなものは人間同士の闘いに使えばいい。お前は鹿を狩る時にも正々堂々と正面から剣を振るうのか?」
くだらない、と魔物は鼻で笑う。勇者は一瞬言葉に詰まるが、声を振り絞り、言った。
「あなたには確かな意思と知恵がある。人間だとか魔物だとかは関係ない。僕が僕自身を許せるかどうかなんだ!」
「ガタガタと震えながらもよく言う。……だがお前、攻撃しようか悩んでいただろう?」
「何のことでしょうか?」
「目を見てしゃべれ」
「……人間、何を思ったかよりもどんな行動をしたかを評価すべきだと思うんだ」
「口ばかり上手いな、お前。よし、わかった。ならば行動で評価することにしようか」
ニヤリと笑い、魔物は半歩勇者に近付いた。
(しまった。余計な一言だった!)
勇者は悔やむが、後の祭りである。元より闘いは避けられぬ道であると覚悟を決め、身構えるが腰が引けていた。
「行くぞ」
魔物はゆらりと腕を大きく振り上げ、力を溜め、大きく踏み込みながら腕を振り下ろした。
「うわぁあああああっ!」
勇者は大きく飛び退き、地面に尻餅を撞く。見上げると、更に腕を振り上げる魔物の姿があった。振り下ろされる豪腕を転がりながら勇者は必死に避けた。
「さあ、さっさと立ち上がれ。あっさり終わってはつまらんからな」
魔物は不敵に笑う。勇者が元いた場所は土が抉られた跡があった。
(こんなの、一撃食らったら確実に死ぬぞ)
勇者は背筋に気持ち悪い汗が流れるのを感じた。魔物がゆっくりと一歩踏み出す。ふと勇者は我に返り、すぐさま立ち上がる。見上げた先には、既に魔物が間合いを詰め、腕を大きく振り上げていた。勇者は後ろへ大きく飛び退き、それを避ける。
「次は倒れなかったか」
足から着地し、なんとか身構える勇者に魔物は言った。
「まだまだ行くぞ」
またも魔物は大きく振り被り、右腕を振り下ろす。後ろへ避ける勇者を返す刀で左腕を振り上げ、追撃する。どれも掠っただけで致命傷足り得る一撃であったが、勇者はなんとかかわしていた。
魔物は引き続き、勇者を攻撃するが、その全てを勇者はかわしていた。目が慣れてきたこともあり、段々と避ける動作が小さくはなってきたが、それは魔物との距離が近いことと同義である。大振りではあるものの、魔物の攻撃はなかなか止まらない。
「どうした? 逃げるばかりでは闘いにならんぞ」
勇者が息を切らし始めた頃、ようやく魔物は攻撃の手を止め、勇者に言った。勇者は一度体勢を整え、これまでよりも少し重心を前に移して魔物と対峙する。攻撃を避けるには少しずつ慣れてきた。魔物の言う通り、攻撃もしていかなくては、進展はない。
勇者の覚悟を読み取ったのか、ゆらり、と魔物が身体を低くし、構える。剛腕を大きく振り上げ、攻撃を仕掛ける。今まで以上に速い攻撃であった。しかし、今まで以上に更に大振りである。
勇者はこれを後ろに仰け反って避ける。触れてもいないのに、首が吹っ飛んだような錯覚に落ちる。それ程の一撃をギリギリでかわす。それ程の一撃だからこそ、魔物は体勢を崩している。
勇者はここぞとばかりに剣を振り下ろす。
ガッ、と硬い物に当たり、剣は止まる。頭蓋に当たったかと勇者は見るが、実際は魔物の片腕にあっさりと受け止められていた。恐怖で身が竦んだ分、攻撃に時間差ができてしまった。
「ふむ、よく反撃できたものだ。だが、甘い」
剣を受け止めた腕をそのまま薙ぎ払うと、勇者は後ろに数歩踏鞴を踏む。
「そんな及び腰で剣を振ったところで、無防備な人間は殺せても、俺には傷一つ付かん。第一重心が後ろに乗っているから剣に体重も乗らないし、簡単に後ろに飛ばされるのだ。もっと膝を柔らかく使え。腰を落として、深く踏み込め」
「は、はい」
勇者は素直に返事をし、言われた通り腰を低く構える。
「肩に力が入り過ぎだ。振り上げる速度が遅くなるし、可動域が下がるぞ」
「はい」
言われた通り少し肩の力を抜く。
「ちょっと素振りをしてみろ」
「はい」
言われるがままに、剣を振り上げ、真っ直ぐ振り下ろす。
「身体が流れている。しっかり地面を踏みしめて、振り下ろした剣は腰の辺りで止まるようにしろ。自分の剣で足を切るぞ」
続けて何度も素振りをする。段々と風を切る音が鋭くなってきた気がする。
「なかなか筋が良いではないか。斬るときはちゃんと相手の懐に飛び込めよ。俺の足を踏むくらいにまで近づかなければ一撃必殺にはならんぞ」
「はい!」
「よし、ならば行くぞ!」
魔物が声を上げ、襲い掛かる。相変わらずの攻撃に、勇者はまたも身を仰け反らせてかわす。
「違う!」
二撃目が来ると身構えていた勇者に恫喝が飛ぶ。
「そこで身体を起こしていたのでは、いつまで経っても攻撃はできんぞ!」
「は、はい!」
先ほどの再現のように魔物は大きく振りかぶり、腕を振るう。勇者は相変わらず後ろへ逃げるが、重心は崩さないまま、上体は低く、バックステップで躱した。少し距離を離したことで、魔物の全身が見える。右腕を振り終わった後、左腕を後ろに下げ、横薙ぎに払おうとしている。距離が離れているためか、魔物は一歩踏み込んでくる。ここに一撃入れる隙があるように見えたが、判断する時間差でそのチャンスは消える。
二撃目も余裕を持って後ろに下がり、避ける。今度のチャンスは見逃さなかった。勇者は前傾姿勢を崩さず、体重を乗せた剣戟を振り下ろした。
ガキッ、と鈍い音が鳴る。渾身の一撃は魔物の腕に塞がれるが、先ほどとはまるで手ごたえが違った。
魔物が左腕を振り上げようとしているのが見えた。僅かに身を仰け反らせながら、勇者は後ろに飛ぶ。先ほどは重心が浮いていたため、十分に地面を蹴れず、転がって逃げるしかなかったが、今度は大きく体勢を崩すことなく地面に着地する。魔物からの追加の攻撃を躱し、再度攻撃を加える。
同じことを数度繰り返し、お互い決定打のないまま闘いは激しさを増していた。
まともに闘いになっていることに少なからず勇者は喜びを感じていた。しかし、同時にこのままではまずいとも感じていた。
こちらだけが攻撃を当てているという利点はあるものの、腕に当ててもダメージが与えられていないこと。魔物から一撃でも貰えば間違いなく致命傷であること。ほぼ後方にしか避けられない勇者は、じりじりと立ち位置を後ろへ移動させられていること。
このまま押し込まれてしまえば、いずれは木や崖に追い詰められてしまう。それだけではなく、単調な勇者の攻撃に対して、魔物の防御にどんどん余裕ができている点もまずい。下手をすれば防御のついでに剣を掴まれてしまうかもしれない。
このあたりでリスクを負わなければ勝つことはできない。勇者は同じように身を躱しながらも密かに決心した。
魔物の振り下ろしを避け、体重を掛けた剣戟を振るう。この攻撃は防がれ、魔物の片腕が下から襲ってくる。ここまではパターンと化している。魔物の腕は、その体長の割には人間に比べて短い。だからこそ躱した後で攻撃ができている。ということは、必然的に低い位置への攻撃は向いていない。
掬い上げるような一撃を限界まで身を低くして躱す。今までは後ろだったが、今度は前へ踏み出す。限界まで腰を落とした状態から伸び上がるように剣を突き出す。腕を振り払った魔物の脇腹はがら空きだった。
剣が深々と突き刺さる。
「ぐぅ……っ」
魔物のくぐもった声が聞こえる。
作戦が上手く行った喜びと、確かに肉を突き刺す気持ち悪さに複雑な感情を持った。
魔物の上体が動き、剣が持っていかれそうになる。ここで勇者は上方で魔物の腕が構えていることに気付き、慌てて身を翻す。
闇雲に後ろへ飛び、地面を転がる。剣を突き立て、油断していたことが徒となり、剣を手放してしまった。剣は今も魔物の脇腹に刺さったまま、柄は宙に浮いている。
勇者は慌てて立ち上がろうとしたが、膝が上手く機能せず立ち上がれなかった。心臓がバクバクと音を立て、足に力を入れようとするガクガクと震え、背中が汗でびっしょりと濡れている。作戦が成功した喜びから一転して死線を潜り抜けた回避である。慣れと共に麻痺していた恐怖心が一気に噴出したように身体を蝕んでいた。
魔物がゆっくりと歩を進める。勇者はビクリと身体を震わせる。かなり深く突き刺したつもりだったが、魔物に刺さっている剣を見ると一〇から一五センチメートル程度しか刺さっていない。大きな身体を見る限り内臓には一ミリメートルも達していないだろう。
魔物は何事もなかったかのように自分の腹から剣を引き抜く。先端には確かに血がついており、勇者の攻撃は無駄ではなかったことがわかる。
自分にしては、よくやったほうだと勇者は自分を慰める。引き抜いた剣を捨てるのか、その剣を以て勇者に止めを刺すのかと諦めの境地で眺めていると、不意にこちらに剣が飛んできた。
魔物が放り投げた剣は危なげなく勇者の足元に落ちた。
「なかなか良い攻撃だった。だが、惜しい。刺した瞬間に力を緩めたな?」
激昂して殺されるものだと思ったが、魔物はむしろ嬉々として勇者を見下ろしている。勇者は剣を握るが、どうにも魔物の行動がわからず動きが止まる。
既に動機は収まりつつあり、立とうと思えば立つことはできるだろう。しかし、先ほどとは別の理由で立ち上がることができなくなっていた。
「どうした? さっさと立ち上がれ。そして続きをしようではないか」
「…………嫌です」
「は?」
「だって、あなたには僕を攻撃する気が全くないじゃあないですか?」
先ほどまでは、初めての闘いに舞い上がり、気付かなかったが、一度冷静になって考えると、魔物の行動は明らかにこちらを殺しに来ていない。攻撃は腕を振り上げるか振り下ろすかの二つしかなく、どちらも攻撃する前にたっぷり溜めを作る。連続で攻撃を仕掛ける際も速すぎず遅すぎず、一定のリズムで腕を振るう。攻撃の避け方も仕掛け方も親切に教えてくれる。はっきり言って何を考えているのか理解できない。
「そんなあなたと闘うことなんてできません」
勇者は一度握った剣を地面に突き刺し、立ち上がることなく地面に居直った。魔物は困った顔をし、ボリボリと頭を掻いた。
「ならばどうするというのだ? お前は村人に頼まれて、俺を退治しに来たのであろう。そして俺はここから立ち去ることはしない。だから闘って俺を倒すという結論に至ったのだろう?」
「うっ……」
今度は勇者が困った顔をする番だった。しばらく指を口に当て、考えると勇者は言った。
「それはあなたの考えで、本当に解決策はそれだけでしょうか?」
「ほう?」
「あなたは確かに羊を盗みましたが、人を傷付けてはいない。こうして会話もできて、牛よりも強い力を持っています。それこそ、この場に留まり、村の人々と共存共栄していくことも可能なはずです。その間を僕が執成せば、僕の立つ瀬もあるというものです」
「それはこちらの意見を無視し過ぎだろう? 俺はただ強い者と闘いたいだけだ。人間と共存共栄なんてしたくもない」
「だったら何故僕を殺さない? 何故村人を殺さない?」
半ば売り言葉に買い言葉の発言だった。そして、これは賭けだった。
魔物は発言の意図がわからずにしばらくポカンとしていた。
「何故そこから殺すとか殺さないだとかの話になるのだ?」
「だってそうでしょう? 強い人間と闘いたいのなら、弱い自分なんてさっさと殺してしまえばいい。そうすれば、もっと強い人があなたを討伐しにここへやってくる。村人を殺せば大問題になり、それこそ軍隊規模との真剣勝負ができますよ。素人を鍛えるよりも余程効率的だ!」
魔物は痛いところを突かれたように黙り込む。魔物が問答に付き合ってくれ、勇者はほっとする。しかし、油断はできない。勇者の挑発的な発言に乗り、殺しに掛かってくる可能性は十分にある。どういう回答をしてくるかはわからないが、全力で逃げる準備だけはしておかなければならない。
「……俺は、一対一の真剣勝負がしたいのだ。数に任せた軍隊なぞに興味はない!」
悩んだ末に魔物が出した答えがそれだった。勇者もどう返答すべきか、一瞬考え、すぐに回答を導き出した。
「人間の強さは数と道具と頭だと言っておきながら、それが回答ですか?」
完全に墓穴を掘った形となり、魔物は口を噤んだ。
「まるで必死に殺さない言い訳を考えているようだ。本当は殺したくないだけなんじゃあないですか? もしくは殺せない事情があるとか?」
魔物は完全に苦虫を噛み潰したような顔になり、言葉を発せないでいた。
実際のところ、勇者は追い詰められて鎌を掛けたようなものだが、本当に魔物は自分を殺すことができないようだ。いつでも逃げられるように、言葉を発する度に裏で地面に手をつき、僅かに腰を浮かせていた勇者であったが、今では完全に腰を降ろしている。
魔物は観念したように頭をボリボリと掻き、勇者に習い、地面に腰を降ろした。
「言う通りだ。俺に貴様を殺すことはできん!」
ドカッ、と音がし、地面が揺れたような気がした。
「だが、勘違いするな。俺は殺すなと命ぜられただけで、人間を殺すことなどなんとも思わん」
「命ぜられたって……誰にですか?」
「魔王様に、だ。貴様が神に選ばれた勇者だということは初めから知っていた。そして、勇者を殺すのは魔王様をおいて他におらん」
「……では、なんで僕と闘ったんですか?」
「貴様を鍛えるためだ。魔王様は少しでも血が滾る闘いを所望している。貴様が魔王様のもとに辿り着くまでに少しは闘えるようになってもらわなくてはならん。多少強くなったところで、人間如きが魔王様に勝てるわけがないのだがな……」
しばらくの沈黙が流れ、魔物は「あー、もう!」と呻きながら頭をボリボリと掻いた。あれだけ鋭い爪で痛くないのだろうか、と思ったが、声には出さなかった。
「貴様があまりに不甲斐ないからばれたんだ。もっと最初から強ければ、それなりの闘いになって、演技だとわからぬ内に殺されてやるつもりだったんだ!」
「こ、殺されてやるって……」
「どうせ俺は、魔王様によって土塊から造られた存在だ。殺されてもすぐに元に戻る。つまるところ、俺も貴様も魔王様が楽しむための贄だっていうことだ」
魔物は立ち上がり、勇者に背を向け、歩き出す。
「ああ、そうだ。貴様は賢しくもこちらの意図を汲み取ったようだが、それはそれで後悔することになるぞ。今回は特に強く、勇者を殺さないように注意されていたが、今後出会う魔物がそうとは限らない。元々人間のことになんか興味のない連中だ。出会い頭に殺される可能性だってある。魔王様も死んだらそれまでと思っている節があるしな。最後まで闘って、少しでも経験を積んでおいたほうが利口だったかもしれんぞ」
勇者はごくりと喉を鳴らした。そのまま魔物はその場を去ろうとする。
「あ、あなたはこれからどうするんですか?」
「貴様にはもう闘う気はないのだろう? 魔王様の元に帰って状況を報告する。結局は役目を果たせず殺されてしまうかもしれんが……」
はあ、と深い溜息を吐き、魔物は最後に振り向いて言った。
「ちなみに羊は近くの洞窟に繋いである。連れ帰ってやれ」
右手で指差し、魔物は去っていった。人間どころか、羊すらも殺していないとは、追い出すのに忍びない魔物であった。結果的には、村人は何も失わず、魔物退治には成功したが、散々脅しを掛けられ、後味の悪い結果となった。
**********
勇者が魔物を退治し、村に戻ると、村人たちはわぁっと歓声を挙げました。勇者は、魔物を退治するだけではなく、攫われていた羊も連れ帰っていたのです。
その夜はお祝いをし、勇者にご馳走を振る舞いました。
村長は、勇者にしばらく留まるように言いましたが、勇者はそれを断りました。この村の他にも、魔物たちの被害にあっている人はたくさんいます。それを放って、休んでいるわけにはいきませんでした。
村長は、せめてものお礼にと、村の食料などを勇者に渡し、見送りました。
村人全員が振る手に背を向け、勇者は歩き出しました。
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