第8話 魔法少女登場

 ――魔王城、魔王私室。

 魔王は一日のほとんどをこの書斎兼私室で過ごす。普段ほとんど仕事がないため、人間の書く書物を読んだり、人間界の情報収集に励んだりするのが主な過ごし方であった。ダンス会場のように広い玉座の間もあるのだが、使用することは滅多にない。綺麗な絨毯と椅子しかないような部屋にいたところで、特に誰が会いに来るわけでもなく、やることが全くないからだ。

 しかし、今日は珍しく客人が来ていた。大仰に出迎える相手でもないため、私室に通し、机を挟んで二人は対峙していた。目の前にいるのは、根元から毛先まで真っ白な髪を束ねた老婆であった。老婆の身長が低いのもあるが、三メートルを超す魔王と対比すると、魔王が椅子に腰掛けてもなお見下ろす形となる。腰の曲がった老婆は、机から辛うじて頭が出る高さであった。

「どうやら勇者が旅立ったようですぞ」

 年季の入った皺が刻まれた老婆が言った。魔王は、ほう、と僅かに口元を歪めた。

「既に勇者の目星はついております。水晶に映します故、少々お待ちを」

 老婆が手を翳すと、水晶は淡く輝きだした。

「ねえ、それ何?」

 老婆の後ろからひょこっと姫が顔を覗かせる。

「なんで、おまえがここにいるんだ?」

 半ば呆れながら魔王が尋ねると、姫は、「暇だから」と簡潔に答えた。

「ところで、あなた、人間よね? なんでここにいるの?」

 一見すると、実際の魔物よりも余程化け物に見える老婆に姫は尋ねた。

 老婆は、ご機嫌麗しゅう、と深々と頭を垂れ、質問に答えた。

「私は以前に人間より迫害を受けた際に魔王様に拾われてここにおるんですよ」

「そいつは、魔女としてまじないをやっていたんだ。便利だったから厚遇している」

 魔王が補足すると、姫は、へえ、と感心した。姫の城にも占い師がいて、政治にもいくつか助言をしているが、姫は未だに会ったことがなく、本物の魔女を見るのは初めてだった。その上魔王からのお墨付きとなれば、インチキというわけでもないのだろう。

「初めて見たわ。魔法少女、略して魔女なんて……」

「おい」

「姫様はお上手でいらっしゃる。魔法美少女だなどと……」

「おい!」

 姫と魔女、どちらの発言にコメントすればいいのかわからず、魔王は短くつっこむのが精一杯だった。

「それで、その水晶は?」

 机に置かれている水晶を覗き込みながら姫は聞いた。先ほど光を発していた水晶は、現在その光を抑え、風景を映し出していた。見えるものは周囲に緑が溢れる道であった。よくある風景ではあるが、それにしてもどこか見覚えがある。

「ねえ、ここって……?」

「ああ、おまえの城の近くだ」

 姫は、やっぱりと頷いた。あまり外出したことはないが、窓や屋上に登っては、見下ろしていた風景とよく似ている。

「……懐かしいなぁ」

「まだ三日だぞ」

 姫は、そうだったかしら、と髪をかき上げる。だが、実際に懐かしいと感じてしまったのだ。まだ連れ去られて三日とはいえ、いつ帰ることができるのか、そもそも帰ることができないかもしれない状況では、故郷の風景に胸が沸き立つのも仕方ないだろう。或いは、色彩のないこの世界で、ようやく鮮やかな緑を見られたことが嬉しかったのかもしれない。

「それで、こんな街道を映して何を見ているの?」

「魔王様を討伐するという勇者がどのような者か見てみようと思いましてね」

 魔女が答えた。

「どうやら城では、広く勇者を募り、魔王を討伐した者に褒賞を与えようとしているらしく、これはと思う者を調べていたのですよ」

 なるほど、と姫は頷く。

「それで、目ぼしい人はいた?」

「これから調べるところですが、姫様もご覧になりますか?」

「そうね。私を救う人達だもの。ちゃんと見ておきたいわ」

「ならば、まずはこやつらなぞどうでしょう?」

 水晶に映った映像が移動していく。緑の多い街道から城壁の門を抜け、中央広場を映し出した。そこにいたのは、甲冑に身を包んだ屈強な男達が並んでいた。ざっと見た限り一〇〇人くらいだろうか。整列した男達の前に立つのは、煌びやかな衣装に包まれた優男だった。音声はこちらに届いていないが、男達に向けて、大声を張り上げている様子が見えた。

「何、これ?」

「強い男を数多く集めれば勝てると思っているのだろう」

 唖然としていた姫に魔王が答える。

「大方、貴族のボンボンだろう。たとえ俺を倒せなくとも、公然と自分の権力を王都の者に見せ付けるには良い機会ではあるからな」

 ふぅん、と姫は、さして興味なさそうに頷き、水晶に顔を近づけた。中では、貴族らしき男が満足げな顔をしていた。恐らく演説が上手くきまったのだろう。

「ああ、こいつ見たことがあるわ。以前、城のパーティに招待されていたわ」

 親に連れられて挨拶されたことがあった。父親は精悍な顔つきをしていたが、当時その息子は、親の陰に隠れていまひとつ印象に残っていなかった。

「あろうことか、求婚してきた奴ね。しかも自分の口から言ったのではなく、親が勧めてきた奴だ。親の陰に隠れて、オドオドとどもってばかりだったわ」

「ほう。断ったのか?」

「当然。まあ、こっぴどく振るのも、今後の関係にしこりを残すから、『まだ結婚を考えるような年齢ではないので』って、お断りしたわ」

「だとしたら、目的は力の誇示だけではなく、褒賞を重視していそうだな」

「そうなの? 聞いていなかったけれど、その褒賞って何?」

「おまえとの結婚だそうだ」

「はあ?」

 今までさして表情を変えなかった姫であったが、極端に眉根が寄った。

「何、それ? 私の承諾もなしに、勝手にそんなこと決められているの?」

「そうらしい。だが、仕方ないだろう。救い出せなければ、おまえは俺の妻となるのだ。それに、王族であり、唯一の娘なのだから、元から自由な結婚ができるとは思っていないだろう」

「そうだけどさ。それこそたまたま魔王を倒した人と問答無用で結婚というのは、納得がいかないわ。だって、お父様が結婚相手を決めるにしても、家柄はもちろんとして、お父様が直に会って、私やこの国を任せられるか見極めるものでしょう。それこそどこの馬の骨ともわからない人間に私を、ひいてはこの国を委ねるというの?」

「その心配はいらんぞ」

 魔王が口を挟むと、姫はどういうこと、と首を傾げた。

「俺に勝てる人間はいないから、ここにいる誰もおまえと結婚することはできない」

「最悪のパターンね」

 進むも地獄、戻るも地獄とはこの事だ。姫は大きくため息を吐いた。

「なんだったら、この男になら助け出して貰いたいっていう男でも探したらどうだ?」

「そうさせてもらうわ」

 再び水晶を覗き込む姫は、以外にも平然としていた。

「落ち込んだりはしていなんだな?」

「そうなってしまったものはしょうがないわ。それより、あなたを倒す勇者候補をしっかり見定めないと」

「おまえが見定めたところで何もしようがないがな」

「そうでもないわよ」

 姫は髪をかき上げ、言った。

「どんな男があなたの前に立ちふさがるかによって、あなたを後ろから刺すか、勇者を後ろから刺すかが変わるもの」

「恐ろしい発想するな……」

「いいから、さっさと見ましょう」

 促されて、魔王も水晶を覗き込む。

 水晶の映像は王都の内外を問わず映し出し、勇者候補を次々と映し出す。数人でチームを組んでいたり、一人だけ身分の高そうな人間が屈強な男を指揮していたり、一人で使い古しの甲冑を着こんでいたり、様々な人間が王都周辺に集まっていた。中には、魔王を倒せずとも何らかの功績を残し、城への仕官を望んでいる者もいるだろう。そして、身分の高下を問わず人が集まっている王都には、自然と商人も増えていた。かつてない程の賑わいが城下で起こっていた。自分は囚われて、大変な目に合っているというのにも関わらず、ちょっとしたお祭り騒ぎになっているのが、姫は気に入らなかった。周囲の人間にわからない程度にムスっとしながら水晶を見ていると、魔王がある男を指差し、言った。

「目ぼしい男はいたか?」

「別に。どの人も魔王を倒せるような感じはしないし、多分こんな化け物と実際に相対して、なおかつ倒そうと覚悟している人間なんてほとんどいないんじゃあないかしら」

 確かに、と魔王は頷く。どの人間の表情を見ても、これからの辛い戦いを憂いている者はいない。多くは自信に満ち溢れ、また、王都のお祭り騒ぎの雰囲気のせいか、笑みを浮かべている者も少なくはなかった。

「多分、魔王の居城の場所もわからないし、実際に魔物に相対したわけではないでしょうから、実感が沸いていないのでしょうね」

 ふむ、と魔王は手を顎に当てた。この緊張感の無さの一旦は、魔王自身にある。今回、魔王は姫を攫ったが、その際、城の兵士を傷つけこそすれ、殺すには至らなかった。恐らくは、重傷と言える程の傷を負った者もいないだろう。そのせいで、魔王は大した事が無いと侮られているのだろう。

「ここで重装備の私兵を大量に並べている人間は、すぐに魔王を討伐しようなんて微塵も考えていないわね」

 中央広場でこれ見よがしに兵を広げている男を指差し、姫は言った。

「魔王の居城がどこにあるのかもわからない状態で、一〇〇の兵を旅させるわけがないわ。しかも重装備の歩兵で。兵糧やお金がいくら掛かるか計算もできないのに。そもそも街中で甲冑を着させる必要もないわ。多分、これはただのデモンストレーションね。諜報部隊が別途魔王の位置を探り、それに合わせて出陣するつもりなのでしょう。その際、必要に応じて、兵を増やす必要がある場合、王都で一番目立って、権力とお金があることを知らしめれば、幾らでも人をかき集められる。その為に、できる限り派手な装備で、長い時間王都のど真ん中に居座り続けようとしているのね」

「なかなか鋭いな。恐らくは、こうして俺を討伐する為に集まっているのは大きく三つのグループに分けられるだろうな」

「その三つは?」

「拠点を置いて、探索を人に任せ、情報が入ってから動き出す奴。一人、もしくは少数で、独自の力でこちらに向かう奴。俺の討伐を目的とせず、町で発見される魔物等を倒すことで名を売り、城への仕官を志す奴」

「後は、完全に諦める奴、で四つじゃあないかしら?」

 姫が付け加えると、魔王は、そうだな、と頷いた。

 それからも数分、目立った者の観察を続けたが、今現在王都にいる人間には目ぼしい者はいない、そう結論付け、街道へと目を向けた。

「この男なんか、どうだ? 強いぞ」

魔王が指差したのは、仲間も連れず、ただひたすらに街道を歩いていた男だった。禿ているというよりは剃っているのだろう頭に、彫りの深い精悍な顔つき、筋骨隆々とした肉体が見て取れ、鎧も身に纏わず、自信に満ちた足取りは、素人目に見ても強そうであった。

「というより、何故上半身裸なのか?」

 思わず姫は言葉を零した。既に夏を過ぎ、もうそろそろ肌寒くなってくる時期である。その男の姿は、毛一本ない頭と相まって、いかにも寒そうに見える。

「ふむ。見たところ鎧どころか、武器も携えていないようだ。まさか素手でこの魔王に向かおうというのか。いや、実に面白い」

 魔王は、うんうん、と頷いた。彼にとって、常軌を逸したとも言える男の行動は、非常に興味をそそられるものであった。

「いや、ない。あの男だけはないわ。救われたくない」

 姫は、ブンブンと首を横に振った。

「何故だ? あの男、人間の中では相当に強いぞ。単に体格だけではない、随分と修練を積み、実戦の経験も深そうだ」

「強いとか弱いとかの問題じゃあないわ! なんていうか、常識的にあり得ない! これから秋が訪れ、旅が長引けばあっという間に冬なのに裸とか!」

「パンツは履いているじゃあないか」

「パンツだけ履けば良いってもんじゃあないでしょうが!」

 今の自分は、全裸なのだが、と魔王が思案していると、姫は続けざまに言った。

「いい? 衣食住は、人間にとって欠かせないものよ! 私は、着る物は自分に合い、季節やこれからの行動にあった色やデザインを選び、体型に合わせて仕立ててもらい、装飾から縫い方にまでこだわらせているし、食べる物は味、見た目、香り、健康は当然として、使う食器、食べる環境、食卓に飾る花だって重要視しているし、住む所は、広さや家具の使い勝手、意匠に限らず、日当たり、窓から見える庭の景色にまで拘っているわ。

 それに比べてあの男は、着る物は拘りや見た目は差し置いて、とりあえず隠す部分を隠せれば良い、寒さや暑さは自らの気合で我慢し、食べる物は、とりあえず腹に溜まれば何でも良くて、肉は焦げるまで焼き、ワインはがぶ飲み、住む所に至っては、雨さえ凌げればどこでも寝られる。

 ……という感じじゃあない?」

 言いたいだけまくしたて、姫は少し肩で息をしていた。その様子を見て、軽く魔王は、『お疲れさん』と声を掛けておいた。

「まあ、偏見にすぎるんじゃあないか? それに庶民と王族の暮らしを比べるのは、あまりに酷というものだろう」

 ましてや、相手は旅の武芸者といった体である。とはいえ、そういった男が婿になる可能性がある、といった点で問題があるのかもしれないが。

「とにかく、あんなオッサンが助けに来るなんて、我慢できないわ」

 なんとかしなさい、と姫は魔王を睨んだ。魔王は、来たところで渡す気はないが、とも思ったが、口には出さず、肩を竦めながら、「わかった」と言った。

 魔王は、眉間にわずかに皺を寄せ、何か考え込むような素振りを見せた。姫が何をしているのか、と訝しく思っていると、水晶が結ぶ映像の端に何かが過ぎった。どうやら鳥のようだが、形がおかしい。翼こそあれ、姿が人に近い。それが二匹いる。二匹の鳥人が、武芸者の周りを飛び交うと、武芸者は身構え、二匹を必死に目で追っていた。

 やがて、二匹はそれぞれ、武芸者の肩を掴み、持ち上げた。武芸者は、必死に何かを叫んでいるようだったが、その声までは聞こえなかった。鳥人達は、武芸者を持ち上げ、飛び去っていく。やがて水晶に映らなくなるまで、姫は呆然とその映像を眺めていた。

「何をしたの?」

「部下にあの男を遠くに運ぶよう指示した。およそこことは逆方向だ。それでもここに辿り着くようなら、その時は許してやれ」

「あー、そうね……」

 なんとも言い難い光景を見て、姫はそう返事をするのが精一杯だった。確かに苦手な部類の人間ではあるが、その境遇に、今は同情してしまった。

「来たところで、あなたを倒せるとは限らないわけだしね」

 武芸者の容姿について、インパクトが強すぎたためか、ようやく姫はその結論に行き着いた。

「負ける気はしないから、安心しろ」

「それは、私は一生ここを出られないという事かしら?」

 そう言われると、魔王は少し考え、言った。

「少なくとも、あいつには負けないという事だ」

 他の者なら、と可能性を示唆すると、姫はさして興味もなさそうに頷いた。

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