第7話 勇者の証
「ただいま!」
勢いよくドアを開け、勇者は帰宅した。挨拶をやや大きめの声ですると、奥の部屋から母親が「おかえり」と返事をしながら出てくる。
「もうデートは終わったの?」
「デートではないと思いたいけど……」
とりあえずその話は置いておいて、本題へと進める。
「母さん、表の立札のことは知っているかい?」
「ええ、もちろん知っているわ。なんでも魔王が現れたんですってね」
そう母が頷いたのは、勇者にとって少し意外なことだった。勇者が今朝出かけてから、まだ二時間程度。その間に外へ出掛け、人混みを掻き分けて御布令を見に行ったとは考えにくかった。おそらくは人づてに話を聞いたのだろう、と納得し、話を進める。
「それなら話は早い。母さん、急いで用意しなきゃ」
少々慌て気味に、順序もなしに結論だけ言う勇者に母はにっこりと微笑んだ。
「既に決心していたのね。行かないと言うのなら無理にでも旅立たせるつもりだったけれど、安心したわ。すぐにでも発つというの?」
「そりゃあ、善は急げ、っていうし。時間の勝負だからね」
母も同じ考えだったか、と思い至り、勇者はにこりと笑う。そんな勇者を見て、母も目を細め、言った。
「危険な旅になるでしょうけど、無事に帰ってくるのよ」
「そうだね。町の人も魔物を目撃したっていうし、気をつけなくちゃね」
「ええ。しっかり退治してきなさい」
「え?」
「ん?」
一瞬会話が止まり、親子は見つめ合う。勇者は聞き間違いかとも思ったが、何と聞き間違えたのかが思い至らない。どうやら母は魔物を退治すると言ったらしい。
「今、退治って言った、母さん? 僕が魔物を退治できるわけがないじゃあないか」
「まあ、そんなことでは魔王を倒すことなんてできないわよ」
「え?」
「ん?」
再び会話が止まる。母の言っている意味がわからないと戸惑う勇者に対し、母は何を意外そうな顔をしているのか、と言わんばかりに見つめている。
「母さん、もしかして僕に魔王を倒せって言っているのかい?」
勇者が問うと、母はさも当然とばかりに頷く。
「そのために旅に出ると言うのでしょう?」
「確かに旅には出るつもりだったけど、目的が違うよ。僕は単純に、今王都に人が集まっているから商売のチャンスだと思って」
「それなら心配しなくてもいいわ」
どういうことかわからず、勇者は母に先を促す。
「既にこの町の小麦は高騰。今から仕入れて王都に持っていっても大した利益にはならないわ」
「え? それじゃあ……」
「既に手遅れよ!」
「どこが、どう心配ないのか……」
勇者はがっくりと項垂れた。
「だから、あなたはお家のことは気にせず魔王討伐に集中しなさい、という意味よ。それに、既にお父さんが昨日のうちに王都に向けて旅立っているわ」
「え? でも、看板が立ったのは今朝のことだよね?」
「それはあなたが勇者だからよ」
その返し方の意味がわからず、戸惑っていると、母は補足する。
「以前から王様はあなたが勇者で、魔王を倒すことができる唯一の人間であることを知っているの。そして、今回魔王が現れて、真っ先に私たちの家に連絡が来たというわけ。勇者を旅立たせる役目は私が引き受け、お父さんはこのビッグウェーブに乗るため早々に王都に向かったのよ」
「昨日から既に知っていたの?」
勇者の質問に母はコクリと頷く。
「だったら、昨日の段階で言ってくれればいいのに……」
それならば、今朝の煩わしいデートもなくなり、むしろ清々しい気分で旅立っていたかもしれない。
「約束は守るものよ」
母の言うことは至極真っ当だが、それは勇者がのんびりとしていていい理由になるのだろうか。この件はむしろ一刻を争う問題のような気がするのだが……。勇者がそう考えていると、母は「それに……」と言葉を付け加えた。
「かわいそうじゃない? だって、今まで身分を笠に着て、散々やりたい放題だったのに、もうすぐ家の息子はお姫さまと結婚。そして、一気に手の届かない身分へ。最後に少しくらいいい夢を見させてもいいかな、って思ったのよ。息子が英雄としてこの町に戻ってきたとき、あのお嬢様はどんな顔をするのかと思うと……」
その黒い微笑みを目にして、母もあの娘のことが嫌いなのだと、理解した。
「でも、本当に僕が勇者なの? 僕は自分に勇者の印が刻まれているところを見たことがないのだけど」
先ほどから自分が勇者だという前提で話が進んでいるが、そこがどうしても納得できない。
勇者ならば生まれつき身体のどこかに勇者としての印が刻まれているらしいが、それらしい印を見たことがなかった。もっとも自分の身体を隅々まで確認したわけではないが、それでも一六年間付き合ってきた身体だ。だいたいのことは把握している。
勇者の言葉に母はさもありなんと頷く。
「だって、印はお尻にあるんですもの」
「そんなバカな」
何故そんなところに……。
「ふふっ、信じられないようね」
当然だと思った。大方、確認しようのない部位を指摘し、煙に巻こうとでもしているのだろう。勇者が訝しんでいると、母はそっと手鏡を差し出した。
「これで、確認しなさい」
「……断る」
一瞬悩んでしまったが、自分が確認している姿を想像するとそれは不可能だった。
「ちゃんと確認しておけば、安心して旅立てるというのに……。まあいいでしょう。これからの旅路に必要な保存食でも買ってきてあげるから少し待っていなさい。私がいたら確認もし辛いでしょうし」
「余計なお世話だよ」
言うが早いか、母はそそくさと部屋を出て行った。さらに玄関の扉がパタンと音を立てる。
静かな室内に一人取り残される。
鏡を手に取り、自分自身と目が合う。
本当に自分は勇者なのか?
心の中で問い掛けるが、鏡に映った顔に答えは書いていない。答えがあるとしたら、お尻だ。
確認してみようか、と一瞬悩んだが、すぐに思い直すように鏡を置いた。
誰が見ているとかは関係ない。人にはきっと超えてはいけない一線がある。勇者はそう思った。それに一つ気になることがある。
勇者は今しがた母が出て行った扉の前に歩み寄ると、勢い良く扉を開けた。
「あ」
そこには買い物に行ったはずの母がいた。
「や、やだ。気付いていたの?」
ちょっと奥さん聞いてよ、といった感じで手を振りながら母は体裁を整えた。
こんなことだろうと思った。勇者はため息を吐きながら聞いた。
「買い物は?」
「あはは、すぐ行ってくるわね」
母は笑ってごまかしながら扉を閉め、そそくさと出て行った。
もう一度勇者はため息を吐いた。心の中で一〇秒程数え、再び部屋の扉を開けた。
「二回目なら騙されるとでも思ったかい?」
「……結構鋭いのね」
部屋の外にはコソコソと戻ってきている母の姿があった。
実際は母が言うように鋭いというわけではない。ただ単に、扉を開けて確認すべきだと思ったら実際に母がいた、それだけだ。もしいなかったらそれならそれで良かった。だからと言って鏡で確認することなく、勇者は母の帰りを待っていたであろう。
「わかったよ。信じる」
半ば諦めかけたように勇者は言った。
「いや、本当はまだ信じられないけど、とりあえずは言うとおりに動いてみるよ。母さんがわざわざ僕を騙して危険な目に合わせようとする理由もないし」
言われたとおり城に行ってみて、自分が本当に勇者として認識されているかどうか確認してみればいいのだ。違った場合は恥をかくかもしれないけれど、あれだけ大掛かりに募集をかけているのだ。自分のように勘違いをした人なども沢山いるだろう。きっとそこまで大げさな騒ぎにはならないはずだ。
「そう……」
母は胸を撫で下ろし、言った。
「で、確認はしなくてもいいの?」
「断る」
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