第5話 お姫様と食事

 無骨な木枠のテーブルに、申し訳程度に白いテーブルクロスが掛けてあるだけの簡素な食卓。その最大の特徴は大きさだった。人であれば二〇人は楽に席につけるだろう大きさのテーブルがそこにはあった。

 魔王の部下に案内されたときにも一度見たのだが、その時はそこまで気にしなかった。全長三メートルを超える魔王に、どれも大柄な魔物達。それ等が一堂に食事する光景を思い浮かべれば、このテーブルでも狭いくらいなのではないか、と思ったくらいだ。

 しかし、姫は今、そのテーブルの広さに戸惑っていた。

 広いテーブルに彼女と同席している者は誰もいない。

 テーブルの上にあるのは、バゲットの入ったバスケットと小奇麗に料理の盛られた皿、後は燭台が四本だけである。長いテーブルの端に座り、彼女はテーブルの対岸が見えなくなるような錯覚を覚えた。

 魔王の部下は、自らは全く食することなく、執事のように戸の前に侍っているだけである。誰が作ったのか、と問うと、私だ、と返ってきた。そしてそれ以上は会話もなく、彼は無言のまま立っている。

 美味しいと伝える。しかし、それに対する返答はなかった。もしかしたら自分の声が聞き取りづらかったのかもしれない。声を発した本人が、覇気がないなと感じる声音だった。

 少しずつ料理を口に運ぶ。

 美味しいと思う。

 水がいいおかげだろうか。スープなどは城で食べていたものよりも遥かに美味しい。

 しかし、二口、三口と食が進むことはなかった。

 この状況は、城での食事を思い出す。

 食事の時はいつも一人だった。一人娘として生まれ、父も母も政務に忙しく、なかなか時間が合わないのだ。二人は不規則な時間に食事を取ることがほとんどだが、姫は規則正しい食事を強制されていた。結果、召使達が一歩離れた場所で立っている中、一人で黙々と食事することがほとんどであった。自分達の不規則な生活に付き合わせまいとする親の優しさだというのは重々承知しているが、一人での食事はあまり美味しくない。

 もしかしたら自分はこの新しい環境での生活に少し期待していたのかもしれない。魔王に攫われて怖いと思ったりもしたが、出会う者達が外見に似合わず親しみやすかったせいもあるだろう。この食事の時間は楽しみであった。それだけに落胆してしまったのである。

「ねえ、魔王は? 一緒に食べないのかしら?」

 後ろを振り向き、努めて明るく聞いた。

「魔王様は自室で政務中だ」

「こんなところで政務って……。何をしているのか少し気になるわね」

 町があるわけでもなく、農業を営んでいるわけでもない。もしかしたら魔物が時折反乱でも起こしているのだろうか?

「でも、食事くらいはするわよね? 一応は妻に迎えようとするのだから、ほったらかしは失礼ではないかしら?」

「魔王様が仰るに、自分と席を共にすれば折角の食事が不味くなるだろう、とのことだ」

 余計な気を遣って……。姫は歯噛みしながら、少しずつ食を進める。

 無理やり人を城から連れ出しておいて、自分は何もせず放置。食事にも顔を出さずに全てを部下に任せる始末だ。いったい何を考えているのか。

 考えれば考える程怒りがふつふつと沸いてくる。

 気がつけば料理はだいぶ減っていた。

「ごちそうさま。美味しかったわ」

「まだ少し残っているが?」

 席を立つ姫に、すぐさま食器を片付けながらも魔王の部下が問う。

「これからの生活に不安で胸がいっぱいなの」

 ふっ、と魔王の部下が笑った気がした。おそらくは、何の冗談だ、という意味の笑みだろう。彼女がそんな性格をしていないと既に見抜いているようだった。

「それじゃあ、悪いけど後片付けお願いね」

 既に片付け始めていた彼はわかったと短く答え、手を振った。

 姫はダイニングルームを出て、部屋に向かった。新しく用意された自室ではない。魔王が執務中という部屋だ。

 ダイニングルームから魔王の自室までは階段を上がる必要がある。部屋の前まで来て、姫は少し息が切れていることに気がついた。知らず知らずのうちに早足になっていたのかもしれない。扉の前で一息吐くと、姫はドアをノックした。

「入れ」

 何の愛想もない返事を聞き、姫は扉を開く。

「なんだ、おまえか」

 姫の顔を見て、魔王は少々訝しげな顔をした。

「来ちゃ悪い?」

 中にツカツカと踏み入りながら尋ねると、魔王は「いや……」と短く答えた後、言った。

「単に意外だっただけだ」

「ちょっと文句言いに来ただけよ」

「話が長くなるのなら茶でも淹れさせようか?」

 愚痴ならいくらでも聞いてやろう。魔王からは、そういう態度が見て取れた。逆にその余裕ある態度が少し気に食わなかった。

「そんなに長くはならないわ。せいぜい政務の邪魔にならない程度よ」

 皮肉じみた発言をし、姫は本題に入る。魔王には皮肉が通じていないらしく、そうか、とだけ答えた。

「ちょっと私に対する扱いがぞんざいじゃないかしら?」

 その質問に魔王は「そうか?」とだけ答える。そんな彼の態度に姫は、返事までおざなりね、とため息を吐き、先を続けた。

「私がここに来てから何もかも部下に任せて自室に引きこもり、あなたは何をやっているの? それが妻として迎えようとする者に対する態度かしら?」

「それは、我が妻になる意思があるということか?」

「話をすり替えないでちょうだい。今はあなたの話をしているのよ」

 魔王はふむ、と腕を組み、少し考える素振りをした。どうやら、先ほどの挑発であわよくば姫を怒らせて、会話を煙に巻きたかったらしい。

「妻にするにあたり、部下に慣れ、魔界や魔物についてよく知ってもらったほうが、都合がいいからな。だから部下を一人専属にして、案内や身の回りの世話を任せたのだ。特に彼は人間嫌いでな。早いうちから少々強引にでも慣れさせておく必要があると思ったのだ」

「ふぅん。物は言いようね」

 魔王の言い訳をあっさり一蹴し、姫は続けた。

「なら、なんで食事にはご一緒いただけなかったのかしら?」

「まだここに来て間もないのだ。色々と混乱していることだろう。そこで無闇に私が顔を出せばろくに食事もままならないだろうと思ってな」

「大層なお気遣いをありがとう。でも余計なお世話よ。私は混乱もしていないし、あなたが少々無作法だからといって、機嫌を損ねることはないわ。それに……」

 言いかけたところで言葉に詰まる。長い髪を掻き分けながら、視線が所在なく宙を漂う。思いついたから口に出しかけたが、ここまで言う必要はないな、と姫は言葉を飲み込みかけた。しかし魔王は、

「それに……なんだ?」

 と、先を促す。姫は、まあいいか、と飲み込みかけた言葉を口にした。

「それに、私はあなたを見ながら食事しても食が進むことはないけど、あなたは私と食事をしたら美味しく感じるでしょう?」

 言った後に急に恥ずかしくなった。

 魔王は顔を真っ赤にした姫を見ながらクックッと笑い、そうかもしれんな、と答えた。

「そ、それじゃあ、明日からは食事に出なさい! あなたと食事したいとかじゃなくて、礼儀の問題だから!」

 そう言って足早に部屋を出る。

失敗した。完全に余計なことを言った。しかも最後の照れ隠しが気恥かしさを倍増させた気がする。食事に出ろと言っておいて、明日はなんだか一人で食事をしたい気分だった。

こうして照れているのが、微妙に敗北感を感じさせる。勝ち負けなんてものはないというのはわかっているが、悔しいことに変わりはない。この気恥かしさと悔しさを忘れるため、一日を終える前に少しいたずらを仕込んでおこうと心に決め、姫は部屋に戻った。



「なんだ、これは?」

 朝、約束どおりに朝食を姫と同席するため、ダイニングルームに入った魔王は開口一番そう言った。

「魔王、朝はとりあえずおはようと挨拶するものよ」

 質問はとりあえず置いておいて、姫がそう告げると、魔王は戸惑いながらもおはようと返す。

「それで、なんなのだ、これは?」

 再び同じことを聞く。

 部屋に入って驚いたことは、テーブルがやたらと小さくなっていることだ。ダイニングルームの面積の半分ほどを占めていた巨大なテーブルだが、魔王や魔物が一堂に会することはほとんどなく、使用されることも少ない。その話を聞いて、姫が昨夜撤去させるよう頼んだのだった。

 しかし、魔王が聞いていることはテーブルのことではなく、テーブルの上に鎮座しているものであった。

 先に席についていた姫の目の前には、スープ、サラダ、パンといった簡素で朝食らしい食事が並べられていた。しかし、姫が座っている椅子よりも一際大きい椅子の前に置かれた料理は異彩を放っており、魔王は頭を抱えた。それは最早料理と呼べるものなのかどうか怪しい。そこに置かれたモノはこんがりと焦げ目のついた豚の頭だった。

「朝食にございます」

 部下は魔王の椅子を引きながらそう言った。

 そうか、やはり料理なのか。魔王は溜息を吐きつつ、席につく。

 やや乱暴に椅子に座る。前を見ると芳ばしい香りを放つ豚の頭と目が合った。今からこれを食べるのか、と思うとなんとも言えない気持ちになる。

「なんでこんなメニューになった……?」

 何故豚の頭をただ焼いただけというメニューになったのか? 何故身のほうは全くないのか? 何故姫と同じメニューではいけないのか?

 万感の意味を込めて魔王は聞いた。

「姫の意向でございます。折角魔王と食事するのだから、魔王らしく、そして面白い料理を出すようにと」

 魔王は、キッと姫を睨むと、姫はクスクスと笑っていた。

「とりあえず魔王らしい料理というのを提案する理由はわかったことにしよう。だが、何故そこに面白さを求める?」

「なんとなくよ」

 魔王の質問に、姫はさらっと答える。そう答えられてしまっては何も言いようがない。魔王は深く溜息を吐き、料理と向き直る。

 再び豚と目が合う。

 テーブルの向こうに目をやると、姫がわくわくしながらこちらを見ていた。

「まあ、食えないものじゃないしな……」

 そう言って、魔王は豚の頭を素手で掴むと、そのままかじりついた。ボリボリと硬い頭蓋骨をまるで意に介さず咀嚼していく。

わずか三口で平らげてしまう様に、姫は唖然としていた。

魔王は部下からナプキンを受け取ると、手と口を拭き、食事を終了した。そこで姫の視線に気づく。

「どうだ? 面白かったか?」

 未だ口をわずかに開き、呆然とする姫に魔王は聞いた。姫は、『そうね……』と間を取り、なんとか平静を保つ。

「食事が不味くなるって言った理由がよくわかったわ」

「なんだったらまた一人で食事を取るか?」

 魔王に言われて、姫は首を横に振った。

「確かにあまり気持ちのいい食べ方ではなかったけれど……でも、一人で取る食事よりはずっと美味しいわ」

 そう言ってにっこりと笑う。

「ありがとう、魔王」

 不意に礼を言われ、魔王は照れたように頭を掻いた。

「待っていてやるから、さっさと食いな」

「あなたが早すぎるのよ。食事はもっとゆっくり取るべきだわ」

 そう言う姫は、全く急ごうともせず、時折魔王に会話を振っては食事の手を止めていた。しかし、この日の彼女は出された料理を全て平らげ、その後も食事を残すことはなかった。

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