第4話 お姫様と魔王城と魔物

 さて、何をしようか。

「う~ん……」

 伸びをして、空を見上げる。ここで青空が広がっていたら、それだけで爽やかな気分にもなろうが、見えるのは光のない灰色の空だった。ふぅ、と息を吐き下を見ると次は赤黒い地面が映るだけ。周りに見えるのはシンプルな白壁の建築物。白い建物の清廉な雰囲気は好きだが、ここに来て初めてわかったことがある。白は太陽の光があってこそ映えるものであって、薄暗い魔界においてはどこか汚らしくも見える。しかし、だからと言って下手に濃い配色にされても気分の滅入るものになることは間違いないだろう。構造や技術は目を見張るものがあるだけに色彩に乏しいのが残念で仕方ない。

(とりあえず、一通り回ってみるかな)

 一通り城内の説明を魔王の部下から受け、姫は今現在手持ち無沙汰であった。説明と言っても実に簡素なもので、主塔のある一番大きな館を中心に、あの建物がどうだ、櫓がこうだと教えられただけで、実際見てみなければ何もわからない。とはいえ、城の全体像は既に主塔からの眺めで把握している。とりあえず文句は言ったものの、小一時間ほどじっくり堪能してからのクレームである。その光景は頭に焼きついている。

 城の構造自体は外堀と城壁に囲まれている至ってシンプルなものであるが、その形が特徴的であった。正五角形の堀の内側に綺麗な星形の城郭がある。そこまで多くの城や都市を見てきたわけではないが、通常外壁はその土地に合わせて建設されるものが多い。また、平地に築く場合でも四角、もしくは円形が多いだろう。しかし、何故このような形にしたのだろう? 理由はわからないが、綺麗に星型に切り取られた構造は目に新しく、姫は気に入っていた。

 おそらくは機能性よりも景観や儀礼的な意味合いを重視しての構造だろう。俯瞰から見ると、外郭が星型をしているだけでなく、石畳の道や内壁を使って、内部に五芒星を描いていた。そして、内側の五角形の中心に主城が建っており、テラスから城門前の広場が見渡せるようになっている。

 城門は星形の窪みの部分に一つ。幅広い堀に土で橋が掛けてある。門を守ることを考えれば、左右から挟み込むように城壁が広がっているため、守りやすいのかもしれない。

 城の構造を見るだけでも、機能性や意味を考えると面白いものがあった。今は帰ることができるかもわからないが、いつか戻ったときに応用できる何かがあるかもしれない。そう考えると散歩も楽しくなってきた。わずかに軽くなった足取りで、姫は城を色々と見て割った。


 魔王の部下曰く、食事の時間になれば鐘が鳴るらしい。それまではどこで何をしても構わないとのことだった。もちろん逃げたければ逃げてもいいのだろうが、帰り道なんてわからないのだから、無理に逃げても連れ戻されるか野垂れ死にするかのどちらかだろう。しかし、攫われた身ながら自由に外に出ても構わないというのは意外だった。折角なので門を出て外を回ってもいいのだが、敷地内を回るだけでも骨が折れそうなのだ、そこは追々調べてみよう。

「もう少し、面白いものかと思ったけど……」

 城内に関しては大体説明を受けた。部屋数と大まかな構造、魔王の部屋、浴場、御手洗い、厨房……。これ以外になかったので、案内、説明はすぐに終わった。感想は無駄に広い城に無駄に沢山の部屋があるだけ、であった。およそ娯楽と呼べるものはなく、ちらほらと城内にいるおぞましい魔物に挨拶をした程度である。その魔物も部屋を割り当てられているというよりは、好きな時に好きな場所に陣取っているという感じで、私物などもまるで持ち込んでいないようだった。魔王の部下が言うには、ほとんどの魔物は城外や人間界に放たれているらしく、城にいるのは珍しいとのこと。特にやることがない時や報告、気分転換で城にいるらしい。魔物の社会構成がどうなっているのかは気になるところではあるが、さすがにそこまでは聞けなかった。すぐに助けが来るわけでもないのだから、いくらでも聞く機会はあるだろう。塔から見る風景と違い、地上からの景色は実に殺風景だった。いくつもの建造物はあるものの、中は伽藍堂としていて、ろくな調度品もない。

 俯瞰が見事だっただけに、この落差は如何ともし難い。外見は頑張ったけど、途中で力尽きました、と言わんばかりだ。主城以外の建物を二つ程見て回って、姫ははぁとため息を吐いた。

 そういえば喉が渇いた。一つ二つの建物を見るだけでもだいぶ距離を歩いている。

 井戸がどこかにないか、と探してみると容易に見つかった。

 この城ではいたるところに井戸が点在しており、そのまま飲んでも問題ないという話を聞いていた。悪魔に『人間が飲んでも腹を壊すことはない』と聞かされてもあまり信用できないわけだが、どちらにせよ飲んでみないことにはわからない。姫は井戸へと歩み寄った。

「ちゃんとした草も生えるのね」

 近づいてみて、少し驚く。井戸の周りには、僅かながらも草が生えており、赤黒い地面に色彩を落としていた。空の色のせいか、緑がどんよりと濁っているように映ったが、それでもこの色彩は目に眩しかった。

 あのような雑草ではなく、花でも植えれば庭園としても使えそうな空間だったが、ひび割れの目立つ乾いた大地に、日の光のない空。花の苗を植えたところで育つかどうかは疑問だった。

 屋根付きの立派な井戸には滑車が取り付けられており、綱の両端にはそれぞれ桶が取り付けられているのだろう。綱の片方は既に井戸の底にあり、その詳細はわからなかった。井戸の中を覗き見るが、暗くてよく見えない。だが、それなりに深そうだということだけはわかる。

(……これを持ち上げるの?)

 労力を考えると、このまま夕食まで我慢してもいいか、という気持ちになる。しかし、水の味を確かめるのは重要なことだ。お茶も料理も水によって味が大きく変わる。姫は覚悟を決めて綱を握った。

 しかし、全く持ち上がらない。

 井戸の上に出ている桶を見る。

 大きい。自分が城で見たものの倍以上はありそうだ。魔界が人間の世界とは規格が違うということを思い知った。

 桶を水面近くで揺らし、水の量を減らすことでなんとか持ち上げる。

 引いてみると、予想を超える深さで、めげそうになりつつも、もう後には引けないと奮起する。これを何度か繰り返した後、ようやく水を引き上げることに成功した。中には桶の三分の一程度にしか入っていなかった。

「な……んで……わたしがこんなこと……を……」

 息も絶え絶えに姫はぼやく。今まで井戸から水を引き上げた経験なんてなかった。喉が乾けば使用人が持ってきたし、そもそも部屋には飲み水用の水差しが常備してある。水差しに毎日水が補充されるのにこんな重労働が待っていたと考えると、使用人に対して申し訳ない気持ちが湧いてくる。

 とりあえず、滅多にしない肉体労働をこなして、余計に喉が渇いてしまった。最早味などはどうでもよく、今は水分が欲しかった。

 桶の水を手で掬い、喉を潤す。

「……美味しい」

 予想以上に冷たく、わずかな甘味を感じる。いつも飲んでいる、水差しのぬるくなった水とは雲泥の差だ。

 二度・三度と口を付けると大分喉も潤ってきた。この水の味ならば料理のほうもある程度期待しても良さそうだ。

 満足して顔を上げると、門側から巨躯が歩いているのが見えた。

 魔王か、と思ったが、姿が違う。その姿は二足歩行の犬といった感じだった。主城でも数匹見かけたが、おそらく魔物と呼ばれる者であろう。井戸に用があるのか、姫に用があるのか、こちらに歩み寄ってくる。

「おぅ?」

 井戸の傍まで歩み寄ると、魔物はそこで初めて気がついたように声を上げた。

 魔物を確認した瞬間、姫は身を固くする。

 身体の大きさや迫力は魔王に劣るものの、それでも小さな姫など一撃で殺して、一飲みで食べることは可能だろう。魔王のような知性や、姫に対する目的というものがわからない分、魔王よりも危険な存在であった。

「おお、あんたさっきの姫さんじゃねえか。こんなところで何してんだ?」

 意外にも友好的な口調で話し掛けてくる。だからと言って、それだけで緊張が解けるわけはなく、姫は半歩後退りながら返事をする。

「さ、散歩がてら水を飲みにね」

「ああ、俺も水を飲みに来たんだよ。ここの水は人間界のやつよりうめえ」

 そう言って魔物が一歩踏み出すと、それに合わせ道を譲るように後退りする。

 その行為に疑問を感じたのか、魔物は真っ直ぐに井戸に向かわず、姫に一歩歩み寄る。姫はそれと同じだけ後ろに下がる。

「そんな固くなるなって! 何も取って食ったりしねえからよ!」

 ガハハ、と豪快に笑いながら姫の頭に手を置く。意外と優しく置かれた手に姫は一瞬ビクリと身を震わせた。

「人間なんか食うより、鹿や牛のほうがうめえし食いでもあらぁ」

「……そうなの?」

 グシャグシャと頭を撫で回す手を振り解きながら、姫は聞いた。

「私は人間を食べたことがないからわからないわ」

「…………」

 しばらくの沈黙の後、魔物は大仰に笑った。

「そりゃあそうだろ! あんたが人間を食ったなんて言っても信じねえよ!」

 魔物は、姫の物言いが余程気に入ったのか、ガハハと笑いながら井戸へと向かった。魔物は大きな桶をあっさりと引き上げると満載の水を一気に飲み干す。

「まあ、俺も食ったことはねえんだがな」

「へえ。そうなんだ?」

 姫は目を丸くする。心底意外そうな顔をする姫を見て、魔物は言った。

「意外でもねえだろ? あんた、人間界で魔物に人が襲われたなんて話聞いたことあるかい?」

「そういえば……ないわね」

 というより、魔王や魔物が実在するということを攫われるまで知らなかった。物語として、勇者が魔王を倒すという英雄譚は聞いたことがあるが、自分も含めて、それを現実にあったことと考えている人間はほとんどいないだろう。こうして目の前に魔物が実在しているにも関わらず、現実の問題として浮上してこなかったのは、それだけ魔物達が普段大人しくしているということに他ならない。

「俺の仲間のほとんどが人間を食ったことのない奴らだぜ」

「あなた達、図体に似合わず随分と慎ましやかに生きているのね」

「図体に似合わず、ってのは余計だがよ」

 カラカラと笑ってみせる。少し無遠慮な発言をしたかと姫は思ったが、魔物は気にするどころか、むしろその物言いが気に入ったようである。

 そこでリンゴンと荘厳な鐘の音が鳴り響く。これが食事の時間を知らせる鐘か、と納得する。鐘は城の南に位置する物見櫓に設置されていた。

 しかし、今の時間は夕食に当たるはずだが、辺りを見回してもこれ以上暗くなる様子はない。もしかしたらこの鐘の音は、この世界で唯一時間を確認する術なのかもしれない。

「それじゃあ、私はそろそろ行くわ」

 少し遠くに来てしまったため、すぐに戻っても料理が冷めてしまうかもしれない、と慌てて姫は踵を返す。しかし、ふと振り返り、姫は言った。

「色々お話ありがとう。楽しかったわ」

 礼を言うと、魔物は少し照れたように笑い、「おう、またな」と返事をした。意外と上手くやっていけそうだと姫は感じ、主城に戻った。

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