第3話 お姫様と魔王の部下

「それでは、魔王様の命により私が案内させていただく」

 そう言って挨拶する男は見たところ普通の人間だった。黒い服に黒い髪、瞳。肌以外はほとんど黒で染められたその男は、その地味な服装とは対照に目鼻立ちがはっきりした美形だった。

 これはなかなか……と姫は感心する。城に住む者たちや貴族など、見るだけならば色々な男を見てきたが、ここまで非の打ち所のない容姿は初めてだった。

「魔王の部下……よね? あなたも魔物とか、化け物なの?」

「魔物というよりは悪魔だ。あんな下等な生物と混同されてはいささか気分が悪い」

 ふん、と鼻を鳴らす。どうやらこの男はこちらを毛嫌いしているらしい。というよりは、むしろ人間を毛嫌いしているのであろう。おそらく、下等な生物という言葉には魔物だけでなく、人間も入っている、姫はそう感じた。

「悪魔……ねえ。全然見えないわ。ほとんど人間だもの。違いがわからないわ」

 どうしても違いを挙げるとするならば、完璧すぎてどこか浮世離れしていることだろうか。表情お変化も乏しく、どこか精巧に作られた人形のような雰囲気を感じる。

「我々が人間に似ているのではない。人間が我々に似ているだけだ」

 なるほどね、と姫は頷く。人間と悪魔、どちらが先かなんてわからないが、悪魔側から見ればそういう解釈にもなる。

「ということは、魔王も同じように人間みたいな姿になるのかしら?」

「むしろそちらが本質だ。今は人間が怯えるように姿を変えているにすぎん」

「へぇ」

 さして興味なさそうに頷きながらも、魔王が人間の姿になったらどういう姿なのか思いを巡らせる。妥当な姿は威厳のある初老の男性。しかし、いざ人間の姿になったときに、髭を蓄えたナイスミドルが年端もいかない少女に求婚する姿はシュールを超えて少々犯罪じみている。部下の男の姿を見るに、若い男性かもしれない。そもそも悪魔に年齢なんてものがあるのかもわからないのだ。数百年、数千年前から変わらず青年の姿というのも考えられる話である。もしかしたら女性かもしれない。正確に性別が女性かはわからないが、それに類似した姿というのは有り得る話だ。あの化け物がいきなり女性に変身し、なおかつ求婚……その光景を思い浮かべ、思わず失笑してしまう。

 魔王の部下に睨まれ、なんでもないわ、と平静を取り繕う。どうやら姫の中では魔王女性説が一番ツボに入ったらしい。

「それで、どこを案内してくれるの?」

「一通り城内を案内する」

 姫の質問に素っ気なく答え、こっちだ、と歩き出す。姫はもう少し愛想よくできないものかと嘆息しながらもその後ろをついていった。

「その後は食事の時間まで自由に散策して結構だ。食事が終わる頃には部屋の準備も終わっているだろう」

 振り向きもせず、魔王の部下は言う。その案内さえもさっさと終わらせてしまおうという意思がはっきりと伝わってくる。

「自由って……逃げ出すかもしれないわよ?」

「逃げられるものならな」

「できないの?」

 さして逃げる気もなかったが、情報を仕入れておくに越したことはない。何よりも会話もなく、このまま城を回り続けるのも退屈である。とりあえず、といった風に姫は尋ねる。

「現在この魔界と地上を繋ぐ出入り口は一つしか開けていない。そして、その出入り口は、この城から見える距離にはないぞ」

 先ほど窓から見た光景を思い浮かべる。遮るものがない一面の荒野。あの物見台のような部屋から一体何キロメートル先まで見渡せただろう。出入り口とやらがあるのは、地平線の彼方か。その言葉だけで既に逃げ出すという選択肢はなくなっていた。

「更に、地上に出たところで、おまえの城までは何日掛かることか」

「もういいわ。逃げ出さないから安心して」

 答えながら、ふと疑問に思う。

 自分が連れ去られた時、果たしてそんな距離を移動したか? 目隠しをされていたため、場所の把握はできなかったものの、時間は一〇分程度しか掛からなかったはずである。

「現在ってことは……時と場合によっては他に幾つか出入り口があるってこと?」

 そうでないと魔王自身、そうそう地上に出ることもできないだろう。

「一部の者は地上と魔界との入口を自由に繋げることができる。そもそも一つも出入り口を繋げない時のほうが多いくらいだ」

 ふぅん、と納得してみせる。つまり魔王は好きな時に地上の好きな場所へ行けるということだ。なるほど、それならば攫われて一〇分程度でこの城に来たことも理解できる。

「それにしても、随分素直に教えてくれるのね」

「どういう意味だ?」

 質問の意図がわからず、魔王の部下は聞き返す。

「別に。ただ、態度から言って嫌われているものと思っていたから」

「別におまえを嫌っているわけではない。人間が嫌いなだけだ」

「それは良かったわ」

 何が良かったのか、回答の意図がわからずに魔王の部下は怪訝な顔をする。聞き返そうとする前に姫は言った。

「だって、魔王様を奪われるから、とか嫉妬に狂ったことを言われたら反応に困っていたところだわ」

「それは……私も反応に困るな」

 言われて姫はころころと笑う。このとんちんかんな会話がなんとも面白かった。

 こういった会話を合間に挟みながら城の説明は進む。元々が広すぎるため、各部屋の用途等は口頭のみのだいぶ端折った説明になるのは仕方がなかった。それは今後機会があれば探索してみようと姫は思った。

「それで、どうして親切に色々教えてくれるの? 魔王様の命令だから?」

 それは既にわかりきった答えだが、一応確認すると、すぐさま「そうだ」と答えが返ってくる。

「魔王様におまえの身の回りの世話を任された。できる限り要望には答えてやれとのことだ」

「できる限り……ねえ。家に帰してとかはできない相談ってわけ?」

 魔王の部下は短く「そうだ」と答え、補足を説明した。

「今回の婚儀の話を失くすことや、私の能力を超える願い、あるいはあまりに意味のないと判断される願い、我々の尊厳・誇りを著しく損なう願いは叶えられん」

「ふぅん。それじゃあ、鼻に割り箸を挿して裸踊りをしなさい」

「……いきなり下品な要望だな。却下だ」

「まさか却下されるなんて……」

「やると思ったか?」

「まさか。見たくもないわ」

 とはいえ、何でもしてくれるというのだ、何か頼んでおかないと損かもしれない。手を顎に当て、思案していると魔王の部下が言った。

「例えば食事の要望だな。腕前は保証できんが、食材なら大抵のものは揃えてやろう」

 食事か……。何日も過ごしていたら要望の一つや二つ出るだろうが、今聞かれたところですぐに思い当たるものではない。なにより、一番大事な腕前が保証できないというのならなおさらである。細かいメニューを指示するのはシェフの腕前を確認してからが無難であろう。

「とりあえず人間の食べ物であればいいわ」

「わかった。…………他に欲しいものがあればいつでも言え。一般的に手に入る物ならさほど時間が掛かることはない」

 要望が簡単過ぎて物足りなかったのだろうか、この催促は意外だった。余計なことは口にしない男だと思っていただけに、わずかでも心を開いてくれたようであり、姫は少し嬉しくなった。

「そうね。それじゃあ鼻割り箸で裸おど――」

「却下だ」

「冗談よ」

「…………」

 しばしの沈黙。魔王の部下は相変わらず背を向けたままで、ポツリと呟いた。

「…………ワリバシって何だ?」

 姫は失笑を堪えながら「さあ?」と、とぼけることにした。

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