第76話 名付け親

 背筋をピンと張り、顎を引く。手は太腿の付け根当たりに軽く拳を握り、置く。

 足は折り曲げ、指先は僅かに交差させている。


 正座。


 眼を閉じ、心を穏やかに。空気を感じ、自然を感じ、大地と一つになる。

 そうすれば、全ての事は自然現象のひとつに゛な゛る゛


「以上です。本当にすみませんもう勘弁してください正座苦手なんです。」


 エレナさんに事の次第を説明すると、俺に詰め寄る。


「反省した?」


「めっちゃしました。」


「何を反省したの?」


「後先考えないで重大案件を抱え込んだりする事です。」


「ホンっトに……まぁいいわ。」


 正座を解いて床に寝そべると、今度は血流の復活による痺れで悶絶する。

 言葉にならない音声を発している俺を無視して、エレナさん、レナートさん、ナディア、コボルトの4者会談が行われている。

 後方にはアルフレードさんとジュリエッタさんが待機中。


 まずはエレナさん。


「じゃあ、具体的に何をやるのかは、コイツから聞いてないのね?」


『……はい。悪いようにはしないと。』


 コボルトが頷きながら答える。

 するとエレナさん、俺のシビレ足をげしげしと蹴りながら。


「本当に、何で大事な事を言わないのよ。アンタは。」


「はい……すみません……」


 的確にビリビリポイントをやられて更に悶絶する俺。

 負けじと、俺がやろうとしている事をコボルトにしっかり説明する。


「・・・協力して欲しい。この建物から出す訳には行かないけど、建物の内部であればある程度の自由は約束するから。」


「あんたが言うの?それ。レナートが言うならまだしも。」


 的確なエレナさんのツッコミにぐうの音も出ず。

 そこでレナートさんが助け舟を出して下さる。


「家の者と、アキラさんの身に危険が及ばないのであれば、私は一向に構いませんよ。」


 コボルトは答える。


『捕えられた身なので、やれと言われるならやります。あと、攻撃はいたしません。少しでも攻撃の恐れがあるなら、牢に繋いで下さい。』


 コボルトの言葉に対して、エレナさんが聞く。


「いや、牢はないでしょ……だけどさ、威圧をまともに受けて、どうにもならなくて反撃を仕掛けて来るって事もあるんじゃない?」


 それに対してのエレナさんの見解。

 確かに、その可能性はある。


「反撃の可能性はゼロではないけど、コミュニケーションを取りながら出来るのは大きいと思う。ヤバそうならすぐに解除するし。」


 うーん、と腕組みして考えるエレナさん。


「自己中な言い方をすると、より効果的な訓練が出来ると思う。あと、今日行ってきた時に思ったんだけど、ちゃんと威圧を掛けられる可能性が低いと感じたんだよね。」


「何で?」


「コボルト、出て来てもすぐに逃げるんだ。あれは追いつけない。軍と一緒に行動する以上は、勝手に追いかけるのは許されないでしょ。」


「勝手に捕虜にしたけどね。」


「まぁ、それはそうなんですけど。」


「……じゃあ、暫くは様子見ね。よし!そうと決まったらまずはこの子のお風呂!しっかり洗うわよ!」


 ジュリエッタさんが早速お風呂の準備に行く。


「アルフレード、ゴメンね、食事は後で温めなおしてもらってもいい?」


「承知いたしました。」


「ナディア、この子のお風呂入れるの、手伝ってね。」


「もちろんです!」


「……洗いまくってやる。」


「あぁ、じゃあ俺も何か……」


 立ち上がろうとしたら、エレナさんにジト目で見られる。


「ふざけた事を言うんじゃないわよ。」


 いや……いやいやいやいや。

 ちょっとそれ酷くない?折角手伝おうと思って……


「あの、アキラさん。もしかして気付いてませんか?」


 ナディアが俺に聞く。


「何を?」


「この子、女の子ですよ?」




 女子班がコボルトを風呂に入れに行った後で、レナートさんについ愚痴る。


「それはわからんて……」


「雄の個体と雌の個体が存在する事は承知しておりますが、判別は難しいですから。」


 レナートさんが慰めてくれる。


「ですよね……ってか、コボルトとは言え、女の子に威圧をかまして怯えさせることをするんですね……」


「コボルトは、雌の個体の方が精神的に強い傾向があります。雄の個体であれば、肉体的に強く、力任せに逆上する恐れもございました。結果的に今回は、雌の個体であったことは幸いですね。」


「うう、優しいお言葉、ありがとうございます……レナートさん、詳しいですね。」


「知識として知っているだけです。戦地では、特段気にするような事ではありませんよ。」


 レナートさんだったら、コボルトは瞬殺レベルなんだろうね……


「冒険者のパーティーであれば、種族の習性を知り、個体の特徴を把握する事で戦い方を組み立て、勝率と生存率を上昇させますから、知っておいて損はありませんね。」


「ホントそうですよね。何も考えずにオラオラーって突っ込むのは、サスガにダメですよね。ヤバいな……俺、そういった知識が全然ないです。今まで、どちらかと言えばオラオラーってやってました。」


「それで何とかして来られたというのも、一つの才能と思いますよ。私もどちらかと言えば、実戦を通して学んでいった人間ですので、お気持ちはよく分かります。」


 もうホンっトにレナートさんったら褒め上手なんだから……



【ガラッ】



「甘やかしたらダメよレナート。いやぁ、いいお風呂だったわ。見て!ふわっふわ~さらっさら~!!!」


 手厳しいエレナさんの言葉の後で、何やらニヤついたような声。

 振り返ると、大型犬に抱き付く子供のような絵面のエレナさんとコボルト。

 若干、コボルトが困惑した表情をしているのは指摘しないでおこう。


 黒い部分は濃い目の茶色に、色が薄かった部分は真っ白になり、これはもうコボルトとは言えないんじゃないかと思うレベル。

 貴族が飼育している大型犬と言ってもいい。高貴な雰囲気に目を奪われる。

 さっきまでの姿は土埃やら汗やら何やら、汚れに塗れていた事が本当に良く分かる。


「コボルトの色味って、そういう事だったんですね……」


 身長はナディアよりも少し低く、今のエレナさんよりも少し高いくらい。

 ナディアが着ていた緩めのルームウェアのお尻の部分に尻尾用の穴を開けて着せているらしい。

 コボルトの背後から、ナディアがニッコニコで俺に。


「この子、名前が無いみたいなんです。コボルトって呼ぶのも何なので、名前を付けてあげて頂けませんか?」


「えーっ!!!そんな大事なコト、俺が!?」


 予想外の話にすげぇ焦る。


「何言ってんの。ナディアだってアンタが名付け親じゃない。」


「そう……?じゃあ、ちょっとお時間いただけるかしら……」


「なんでそんな言葉遣いになってんのよ。」


 何ででしょ。


「それでは皆様、お食事のご用意が整いましたので、ダイニングへお越し下さいませ。」


 アルフレードさんが夕食の準備を整えて下さったので、まずはご飯ごはん~。


「そういえばさ、コボルトって、何を食べるの?」


『何でも食べます。食べられない物は殆どありません。』


 すると、エレナさんがニヤニヤしながら突っ込みを入れてくる。


「あら!何でも食べられるの?アキラよりもちゃんとしてるじゃない。野菜も食べられるの?」


『はい。でも、私が食事など……』


「何言ってんの。ココに来たからには、しっかり食べてもらうから。ね?レナート。」


「もちろんです。ですが、コボルトには禁忌とされる食材がありますので、それは出さないようにします。ご安心ください。」


 コボルトが食べたらダメなもの。それはもしかして。


「あの、レナートさん。ちなみにその禁忌の食材って……タマネギですか?」


 するとアルフレードさん。


「アキラ様、良くご存知で。タマネギは古くからコボルトに対して使われて参りました。」


 使う?


 駆除的な……?


「ちょっと、何でそんな事知ってんのよ。」


 エレナさんが本気で驚いた顔をしている。


「いや、犬の禁忌食材の一つだから、もしかしたらそうかなーって。あと、チョコ?」


「犬って。あとココにチョコは無いから……もう!せっかく忘れてたのに!食べたくなってきたじゃない!」


 知らんがな。


「ははは、それでは夕食に致しましょうか。」


 レナートさんの言葉を合図にダイニングに移動すると、すっげぇ美味しそうなメニューがテーブルに並んでいる。


 葉物野菜とハムのサラダ、フレッシュチーズとトマトのオリーブオイル掛け、焼き立てのパン、コーンポタージュ、川エビとキノコのオイル煮、鳥肉のフリット、仔羊肉のローストなどなどなどなど……


 テーブルは、やや大き目なものに変わっていた。

 俺の右隣にはレナートさん、左隣には妖精ナディアがミニテーブルを卓上に。

 対面にはエレナさんとナディアがコボルトを挟んで座っている。


 コボルトはガチガチに緊張しているように見える。


『よろしいのでしょうか……私は―――』


 コボルトの言葉を制止して、エレナさんとナディアが話しかける。


「スプーンとフォークは初めて?コボルトって手先が器用って聞くから、頑張ってね!気合いよ!」


「たくさん食べてくださいね。」


「では、アキラさん。いただきましょうか。」


「と言う事はレナートさん、俺が発声の役ですね。では、美味しくいただきましょう!うまそう!うまそう!いただきます!!!」




 いやぁ、ホントにコボルトって手先が器用なんだなぁ。

 戸惑いながらも、スプーンとフォークで食べていた。


 食べるごとに、美味しい、食べたことない、幸せと連呼しまくっていた。

 もっとも、レナートさん、アルフレードさん、ジュリエッタさんには、コボルトの遠吠えに聞こえていたようだ。


 食事を終えて満腹になったのと、疲労と緊張が尋常ではなかったのか、ななり眠そうにしていた。

 今夜はエレナさんとナディア、妖精ナディアが一緒に眠るようだ。


「じゃ、今夜は早めに寝るわ。おやすみ~。」


「それでは、お先に休ませていただきますね。おやすみなさい。」


「……もふもふ……」


 妖精ナディアは、コボルトのモフモフの虜のようだ。頭の上でスリスリしている。

 女性陣が寝室へ向かい、俺とレナートさんはリビングで寛いでいた。


「名前か……どうしようかなぁ……」


「お悩みのようですね。」


 レナートさんがお茶を淹れて下さる。

 もう、すいません。


「実は、案はあるんです。でも、それでいいのかどうかで悩んでまして。」


「ふむ、お聞かせいただいても?」


 お茶を一口。一息ついて。


「ストレルカ。」


 すると、レナートさんが微笑しながら。


「ライカでは無いんですね?」


 ドキっとした。

 レナートさん、あなたは本当に何でも知ってるんですね。


 俺が居る世界の1960年。宇宙船に乗って地球を離れ、地球の軌道を周回して、世界で初めて無事に生還した二匹の犬『ベルカ』『ストレルカ』。

 その3年前、『ライカ』は同じく地球軌道周回のために地球を離れた犬だが、乗った宇宙船には生還させる機能はなく、死ぬことが前提とされていた。


「ええ、ライカでは無いです。ベルカでもありません。ストレルカです。」


 そう言って、俺が肩を竦める。


「アキラさんの想いや、願いが込められている、素晴らしい名前と思いますよ。」


「そうでしょうかね……」


 お茶を飲みながら、頭の中で何度もその名前を呼んでみた。

 どんな反応をされるんだろうな。


「一晩、ゆっくりと考えてみます。では、お風呂をいただきますね。」


 風呂に入り、寝室に行き、寝落ちするギリギリまで、ずっとコボルトの名前の事を考えていた。




 どうやら、俺の生体時計が今朝は機能しなかったようだ。

 眠い目を擦り、怠い身体を強引に起こしてリビングに向かう。


「おはようございます……」


 リビングに行くと、みんな起きていた。

 ソファーに腰掛けるコボルトの頭の上には妖精ナディアが、首筋の寝ぐせと思われる個所を整えているナディア。


「おはよう。寝坊なんて珍しいわね。」


 そしてコボルトの尻尾を撫でているエレナさん。

 コボルトは、満更でもない表情をしている。


「いえいえ……ちょっと夜更かしをしてしまいましてね……あのね、尻尾を触られるのが嫌なら、拒否してもいいんだからね?」


『いえ、嫌じゃないです!』


 全力で否定するコボルト。

 レナートさんが温かいお茶を出してくれる。


「おはようございます。なかなか寝付けなかったようですね。」


「いつの間にか朝だった感じです……あ、じゃあ先に話をしておきますか。」


 コボルトの前に行く。


「名前なんだけど、君の事は、ルカと呼びたい。」


 キョトンとするコボルト。


『ルカ……私の……名前……』


「あら、いいじゃない。」


 エレナさんからはお褒めのお言葉。


「ルカちゃん……とても可愛らしい響きですね……この子にピッタリだと思います!」


 ナディアからも好評をいただいた。


「……いいね!」


 妖精ナディアは親指を立てて。ビシっと。


「ちゃんと自己紹介してなかったよね。俺はアキラ。ルカ、今日からよろしく。」


 暫く呆然としていたが、ゆっくりと立ち上がり、片膝をつく。


『身命を賭してお仕えいたします。』


 お仕え……?

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