第59話 ほぼ業務命令、講師のお仕事
年度も変わり、4月から8月は嘘のように平穏な状況が続いている。
「
「そうだよ~!帰れる時は帰るのが俺のジャスティス。じゃ、お先に失礼します!」
毎日明け方まで仕事していた生活は、18時の定時辺りに帰れるようになった。
そして、地獄のような状況を捌き切った働きぶりを評価してもらえたらしく、この4月から主任にクラスチェンジした。
役職に興味はなく、役職手当に興味がある。フフフ、若干なりとも昇給は嬉しい限りなのである。
さて、今日はサクっと帰って買い物してゲームでも―――
「楠木主任。」
う、この声は……。
「帰るの?ヒマなの?」
「部長……いえ、少し落ち着いている感じですね。」
「ちょっと5分いい?お話があるんだけど。」
5分と言われれば2時間コースのお説教大会。
あぁ……終わった……俺の定時上がりが終わった……。
会議室に連行されると、なぜかそこに居たのは弊社の代表取締役社長。マジか……何だ……?
「楠木主任!帰れるのか!ずっと忙しかったからな!そうかそうか!」
「はい、本日は帰宅させていただこうと思っておりました。」
「最近、落ち着いているからな!うんうん、いい事だ。まぁ、座ってくれ。」
「失礼致します。」
座らされた。何か、やらかしたか……?俺か?部下か?
「楠木主任、君は
「はい、そうです。穂邦高校に通っていました。」
「あそこの理事長とは腐れ縁でなぁ。」
「はぁ……」
「今、高校は夏休みだろ。卒業生を講師に呼んで講演会みたいな事をやってるんだと。」
「ほぅ……」
「そしたらストレスでダウンした講師が出たみたいでなぁ。」
「へぇ……」
「若いのを講師として寄越してくれって頼まれちゃってなぁ。」
「……」
「楠木主任、行って来てくれないか。」
「あの、私が行って、何を教えると……」
「特別手当をつけるから。」
「やります。」
Win-Winの関係で交渉成立。
手当が出るなら話は別であります。
「そうか!やってくれるか!助かった!じゃあ早速、行ってもらえるか!」
「え?」
「穂邦高校で理事長が待ってるから!何をするか話をしておきたいみたいだからな。裏口のインターホン鳴らしてくれって言ってたぞ!いや良かった!ありがとうな!」
まさかの本日即行き。
定時帰宅は完全に夢の出来事となりましたって、今から行くって遅すぎない?業務時間外……
「じゃ、頼むな!!!」
「はい……では、すぐに行って参りますね……」
会社から車で40分程度、到着したのは夜の7時過ぎ。
卒業してからは一度も来てない、懐かしの我が学び舎、穂邦高校にやってまいりました。
この時間帯だと、生徒はもう居ないんだな。
昔だったら運動系の部活はガッシガシやっているんだけどね。
まぁ、時代が違うっていうヤツなのかな。
裏口のインターホン……そういえば裏口って初めてだな。
【ピンポーン♪】
うわ、深夜セキュリティーの音と同じヤツだ。
『はい。』
うおぅ、激シブイケボ。
「私、クリッピングパスの楠木と申しますが―――」
『おぉ!遅い時間に申し訳なかった。2階の職員室に来てくれないか。』
「承知いたしました。」
【ミ~~~ガチャッ!】
オートロックが開いて、玄関に入る。
玄関脇の事務室は電気が消えている。
お、そっかココは図書室の前だ。すげぇ……懐かしすぎる……。
入ってすぐの階段を上って2階。右に曲がってしばらく進む。
おぉ……ここだ……緊張するな……。
【コン、コン、コン】
「失礼いたします。」
中に入ると、ほんのりとヤニの匂い。
俺が居た頃はタバコの煙とニオイがかなりキツかったと思うけど、今はもうそんな事は無いんだな。
「よく来てくれた!!!」
やや白髪の混じった七三分けを後ろに流し、痩せているけどガッシリした印象を持った、ハリのある声の男性。
何となく見覚えがあるけど……この人が理事長?……イマイチ覚えていない。校長先生は覚えてるけど、理事長なんてそんなもんだったかなぁ。
「いやぁ~楠木くん、本当に助かった!ありがとう!じゃあ、早速話を始めようか。」
「はい、失礼いたします。」
応接コーナーに案内されると、恐らく先生と思われる人が一人、立って待っていた。
軽く会釈をして、名刺を準備する。
「クリッピングパスの楠木と申します。よろしくお願いいたします。」
「理事長の
「社会科で世界史を担当しております、
名刺交換を終え、促されて着席する。
職員室にこんなスペースがあったんだな……。
「楠木くんは、学校は9年ぶりかな?」
18で卒業だったっけ?俺が今27歳だから…
「そうですね、9年ぶりですね。変わっているようで変わっていなくて、少し不思議な気持ちですね。」
「卒業したら、なかなか来る機会は無いかもしれないな。ところで今回の件、君の所の社長からはどのように聞いているかな?」
おぉ、いきなり本題か。話が早いな。
「職業講義という事で、卒業生を講師に呼んでいるという事を聞いています。」
すると赤城先生から。
「実は今回、4名に講師をお願いしたのですが、1人体調不良で続けることが出来なくなりまして……」
ウンウンと頷く。社長から聞いてたストレスで辞めたという話は、あえて聞かない事にした。
「そこで、色々な知人に声かけてみたら、君の所の社長から適任が居るという事で推薦があったんだ。」
あぁ、ストレス耐性的な意味かな?
とりあえず、高校生に話す内容はどんな仕事をしているのかがメインで、社会に出たら云々、今のうちに云々、偉そうに講釈を垂れるらしい。
「来週の火曜日から、2年生の講義をお願いしたいと思っている。講義の時間は、朝8時50分から60分、休憩10分を挟んで60分。午後も3時までは居てもらう事になるから、その間は図書室を開けておくので利用してもらって構わない。やや準備期間が少ないが、大丈夫か?」
今は仕事も落ち着いてるし、引継ぎも無い……ってか、来週お盆だよ!何?休みにあわせてブチ込んできた感じ?マジか……ウチの社長ならやりかねない……まぁ、仕方ないと考えよう。休みは後日つければいいや。
それに準備と言っても、話す内容は社員教育マニュアルをなぞっていく感じと思うから問題も無いか。
「はい、大丈夫です。」
「では火曜日は8時20分迄に会議室に入ってもらって、朝の打ち合わせを行いたいと思う。その時に、受講する生徒たちの名簿を配布するので、よろしく頼みます。」
「はい、よろしくお願いいたします。」
火曜からは講師か。
いくら若い子達と関わりがあるといっても、大学卒業して新卒採用の22歳とかだから、10代の子らとの関わりは全く無いなぁ……。
年齢はともかく、話を聞いてもらう相手である事に変わりはないから、しっかりと丁寧に話をしよう。
裏口から外を見ると、もうすっかり暗くなっていた。
「晩ご飯はカンタンに済ませて、寝るか……」
翌日は会社で、火曜から1週間ある事を報告。お盆休みについては触れなかった。
その日は準備があるという事にして、サクっと定時で帰宅する。
「よっしゃ今週は終わり!今日こそテレビ見てゲームだ!……資料作りは土日!」
一度帰って車を置いて、近所の激安スーパーに買い出し。
相変わらず、音楽が気恥ずかしい。なんでこんなの作ったんだか……。
高校時代に、部活と掛け持ちしていた音楽同好会の奴らと作った曲。
スーパーが主催したイベントで、採用賞金5万円につられて作ったスーパーのテーマソングは、10年以上経った今でも軽快に流れている。
「楠木さん?」
誰かに呼びかけられた。
振り向くと、昨日学校でお会いした先生が、剣道着の若者を引き連れて大量の酒を買い込んでいた。
「えっと、赤城先生……でしたね。昨日はありがとうございました。」
「いえいえ、お気になさらず。楠木さんは、この辺りにお住まいなんですか?」
「ええ、徒歩圏内ですが……すごい量のお酒ですね……」
「ああ、これは私の大学の後輩たちへの差し入れです。」
赤城先生は剣道部の顧問をやっていて、大学の後輩4人を稽古に連れて行っていたらしい。
「「「「しゃーっす!!!!」」」」
「あ、どうも。みなさんお元気ですね。運動系の部活らしくていいですね。」
「楠木さんは、高校時代は何か部活動をやっていたんですか?」
「私はコンピュータ部でした。とはいえ、喋ってばかりのダメ部員でした。」
「そうでしたか。でも、今の職業に繋がってらっしゃいますね。」
「まぁ、パソコンを使うという一点だけですよ。あ、お買い物の途中では?皆さん、重そうにしていますし……」
箱に入ったビールを、一人4箱で計16箱。
どんだけ飲むんだこの人達は?まさか、一晩って事は無いと思うけど……。
「おっと、そうですね。それでは、また火曜日に。お疲れ様でした。」
「はい、よろしくお願いいたします。お疲れさまでした。」
「「「「したーっす!!!!」」」」
赤城先生、すげぇ感じのいい人だよなぁ。
昨日の今日だから覚えていてくれたのかもしれないけど、なかなか声をかけて来ないよな。
少なくとも、俺は声を掛けにくいな。
その日は適当にカップラーメンと酎ハイなどを買って、つらつらと帰宅。
土日祝の3日間でしっかりと資料作りを行い、満を持して高校へと向かう。
「おはようございます。」
「「「おはようございます。」」」
まだ少し早い時間だけど、会議室にはすでに3人座っていた。
「今日から講師を行う事になりました。楠木です。」
すると、俺よりも年上と思われる男性が席を立って、こっちに向かってきた。
「
よろしこ……笑っていい所なのか真剣に悩む。
「前の方はすぐに辞めてしまって、残念だったんですよ。皆いい子達ですから。気負わずにやってくださいね。」
「そうでしたか、こちらこそよろしくお願いします。」
「それと、この二人なんですが、私のイトコなんですよ。男の方が
二人が立ち上がる。
「
「
「
この3人、何かすげぇ堂々としてる。
会社のトップとか事業を起しているような、自信に満ち溢れた感じの人達だ。
すると、最初に話しかけてきた方の
「あの、楠木さんは、いつ頃の卒業生ですか?」
「私は9年前です。」
「9年前……あの、
「黒村?黒村くん……?いや、ちょっとわからないですね。すみません。」
「……そうですか?同じクラスで仲良くしていた楠木くんという人が居ると、彼から聞いた事があるのですが……」
え?そんな苗字の人居たか……?黒村、黒村……。
「いや、忘れているだけかもしれませんね。すみません、その黒村くんと、お知り合いなんですか?」
女性の……猿城さんがポロポロと涙を流し始める。何?なんで!?
すると猿田カズマさんの方が話しを始める。
「もしかしたらご存知ないかもしれませんが、その黒村さん、亡くなってしまったんですよ。この子は彼と交際をしていましてね……」
「あ……そうですか、それはご愁傷様でございます……」
同じクラスの黒村という人が亡くなっていたという衝撃の事実。
全く覚えていない事が、何かこう、とても申し訳ない気持ちになってしまう。
すると猿城さんが俺の側に移動してくる。
「もしよろしければ、ほんの些細な事でもいいので、お話を伺わせていただきたいのですが……」
めっちゃ近い。
めっちゃ近い。
胸元。
開襟。
黒。
いやいや、そんな目で見たらダメだ。もしかしたら話す事で何かを思い出すかもしれない。
覚えていなかった罪悪感も手伝って、ついついお誘いにOKをしてしまった。
すると赤城先生が入って来て、朝の会議が始まる前に受講生の名簿が渡される。
◇2年 夏期講習 受講者名
・
・
・
・
・
・
・
「え?この御手洗って、もしかして?理事長の?」
「ええ、理事長の遠縁にあたる生徒です。」
マジか。なんか、やりづれぇ……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます