第58話 駄々を捏ねる子供のように
それは実戦訓練の最終日の事だった。
「キャアアアアアアアアア!!!」
女性の悲鳴が訓練場に響き渡った。
「何だ!?」
悲鳴と言うより絶叫に近い。訓練中にこんな声を上げるなんて、何が起こった?
悲鳴の方向を見ると、今まさに倒れた相手に止めを刺しにかかる男の姿が。
「やめてーーーーーーーー!!!」
その悲鳴の主は、初日から熱心に話を聞いていた男女の二人の女性の方、マルガレータさんだった。
って事はもしかして、倒れているのはエセルバートくんか?
「弱いヤツは死ぬんだよ。」
そう言ってるヤツはアレだ、初日の初戦で戦ったアイツだ。
これはヤバい!何やってんだ!
「待て!やめろ!」
その場に居合わせる剣士隊の審判達が取り押さえに掛かる。
「邪魔だゴラァ!!!」
彼がブンと木剣を振り払うと、剣士隊の人達が吹っ飛ばされる。
マジか!アイツそこまでの力があったのか?隠していたのか!?
いや、それよりも倒れてる人を―――
「待てコラ。」
剣士の前にコンラートさんが現れる。
他の3人はフォーメーションを変更して、エレナさんとナディアの保護を優先しつつ、周囲の剣士隊員に指示を出している。
「俺の弟子に何してんだオマエ。」
こんな表情のコンラートさんを見た事が無い。
怒りに打ち震えている。尋常じゃない程の圧力を目の前の敵に浴びせ掛ける。
しかしそれを物ともしない剣士。
「弱いヤツは死ぬんだよ。だから死ね。」
倒れている相手の頭を目掛けて剣士が木剣を振り下ろす。
しかしそれはコンラートさんが持つ木剣によって阻まれる。
「暴れたいなら今すぐ出て行け。魔獣でも相手にしてろ。」
「うっせーんだよっ!」
剣士がコンラートさんに対して袈裟斬りを仕掛ける。速い。
しかしそれを上段の構えで受け、腹に前蹴りを入れて倒そうとするが、びくともしない。
「あのコンラート様も随分と弱いんですねぇ……」
今度は剣士がコンラートさんに前蹴りを入れる。
上からの剣撃をいなして咄嗟にガードした腕の上に蹴りが入り、ドゴっという重い音が響く。
2、3歩ほど後退りさせられて体勢を崩されるコンラートさんだが、決して視線は敵から離さず、低い姿勢で木剣を構え直す。
すると剣士が突然、声を張り上げる。
「杖のおっさん!!!」
なヌっ!?
「俺に勝てんのか!?」
ちょっとちょっと、何?
「勝負しろよおっさん。俺が叩き潰してやるよ。」
「私闘はダメだから。お断りします。」
剣士の顔が真っ赤になって猛り狂う。
「うるさい!死ね!!!」
猛スピードで俺に向かって突っ込んで来る剣士。
眼が充血して真っ赤になっている。見境が無いからリミットも無い。もうこりゃどうにもならんな。
ってか、剣士隊の皆さんは何で棒立ち?迫力に圧倒されてる?俺の身にもなってみろ!クソっ!
「周りの人離れて!ナディアは戻れ!」
妖精ナディアもそうだけど、周りの人を巻き込むのは一番怖い。
とりあえず初撃の威力だけは殺さないと。真っ当にぶつかるのは危ない。
待った無し!腹を括れ!勢いで負けるな!
猛ダッシュから、明らかに速度が上がっている右から左への横払い。
払いが当たらない位置まで下がって初撃は躱すだけ。
さらに距離を詰めて左から右に払って来る。これは止められるはず!
杖の両端を持って身体にピタッと合わせ、左から来る木剣をガッ!と受け止める。
木剣を巻き込むように杖を左回転させ、右足を軸に左足は一歩前へ踏み込む!
左肩を強めに一突き、引き戻して木剣を叩き落とし!ってダメか!
「痛くねぇんだよ!そらッ!」
よし、動きが止まった。今度は上からの切り下ろし。
これは左に流して左肩に強突き、引き戻してさらに左肩に強打ち下ろし。
もう一発入れたいけどそろそろ反撃が来るはず……
「オラっ!!!」
ただの突きだった。腕が伸び切る前に杖で木剣を上から打ち当てて身体を左へ躱す。
「死ねっ!!!」
これは振るだけ。杖で木剣を受ける。勢いは無いけどまだまだ力はある。
徹底的に躱して左肩を突く。とにかく形に嵌めて、徹底的に躱しまくる。
やや暫く、相手の動き合わせて受け、払い、突きを繰り返している。
徐々に徐々に、相手も体力が落ちていくといいんだけど、一向に体力が減った様子が無い。
「ウゼェ!!!」
焦燥感が出て来たな、大振りで雑になって来る。
一旦、しっかり距離を取って―――
「うおおおおお!!!」
うおっ!ヤバイ!!!
恐らく彼の全力の踏み込みで飛び込み斬り!
これを受け流せばカウンターで!!!
すると彼は剣を投げ捨てて俺につかみかかって来た。
予想していなかった事態に、一瞬動揺して前襟をがっしりと握られる。
グイっと引き込まれる俺を、彼はニヤニヤと見下ろす。
そして固く握りしめた拳を、俺の顔面目掛けて振り下ろす。
【ガッ】
ぐっ……
【ガッガッガッ】
ヤバい
【ガッガッガッガッガッガッ】
「ギャーッハッハッハッハッハ!!!死ね!!!死ね!!!」
ひたすら、徹底的に俺の顔面を何度も、何度も何度も殴りつける。
「死ね!!!死ね!!!」
これは余裕をかました天罰か。
これがサンドバッグ状態か。
まさか殴りかかって来るとはなぁ。
殴られて気絶ってのは、今まで無かったな。
彼の声がボンヤリと遠くなって来る。
ってか、誰も助けに、来ないのは、
人徳の無さ、か?
段々、何か、痛みとか、かんじなくなって……
うっすらと、目に飛び込んできた、
ナディア?
危ない……
何をして……
すると遠くで聞こえる彼の発言「オマエも殺すぞ!」
ナディアに対するとんでもない暴言。それに対する怒りで気絶状態から覚醒した。
「オイ……今何て言ったコラアアアアアアアアア!!!!!!」
掴みかかっていた手が離れる。
眼の辺りが腫れちゃってるのか、あまりよく見えない。
はっきりとは見えないけど、どこにヤツが居るのかはわかる。
杖を拾い上げる間も、今に至っても、手を出して来ない。
鼻血が出まくってるけど気にしない。
顔面ばかり狙ってくれたおかげで身体は全く問題ない。
コイツに、自分が吐いた言葉の責任を取ってもらう。
絶対に許さない。
「それまで!!!」
あ?
「アキラ!!!それまで!!!」
……エレナさん?
「私も分身も大丈夫ですから!まずは治療をしましょう!」
ナディア?
「二人は治療室だ!急げ!そいつは縛り上げておけ!」
ベルク教官?
何だか色々な人の声が聞こえて来て、バタバタと運び出されていくうちに、いつの間にか意識を失って行った。
気付いたのは、白い部屋のベッドの上。
あぁ、そうか。ボッコボコにされたんだよな……いやいや、いい年をして恥ずかしい。
「お気付きになられましたか。」
寝ている足元の方から、聞き慣れた声がした。
「……レナートさんですか?」
「はい、お身体はいかがですか?」
「怠さはありますが、まぁ大丈夫です。」
運び出されてる途中で気絶して、医務室で寝かされたのか。
「エレナ様とナディアさんが治癒を施して下さいました。現在は応接室で待機していただいています。」
「そうですか……もう一人怪我をしていた人が居るはずですけど、どうでしたか?」
「その方につきましても、治癒を施していただきましたので命に別状はございません。」
良かった、エセルバートくんは無事だったか。
「エセルバート様はマルガレータ様に付き添われ、今もお休みになっておられます。」
「あの二人をご存知なんですか?」
「はい、エセルバート様は王国軍オルグレン中将のご子息、マルガレータ様はグライスナー少将のご令嬢です。お二人は許嫁という事もございますが、両家の教育の一環として、冒険者として今回の訓練に参加されておりました。」
「あぁ、そんな間柄だったんですね。それでずっと一緒に行動してたのか。ちょっと納得しました。」
許嫁で一緒に訓練に来て、こんな出来事に巻き込まれちゃったら、諸々な関係がしっぽり深まるだろうな。
「そして、今回凶行に及んだグレーゲル氏は、メルマナ公国軍クラーセン少将のご子息です。」
メルマナ?……何か時節柄、キナ臭く感じるなぁ。
「現在グレーゲル氏から事情を聞いている所ですが、本日の事件については記憶が無いと発言しています。」
「あれだけの事を仕出かして記憶が無いってのは、ちょっと言い逃れが苦しいと思うんですが……」
「アキラさんは、彼に罰を望みますか?」
「いえ、望みません。ただ、何故そうしたのかは知りたいですね。ただの好奇心です。彼に記憶が無くて事実は不明という事であれば、それ以上は何も詮索しません。」
やや暫くの沈黙。
「彼から、魔法の反応が出ました。まだ事実確認中ですが、精神魔法による狂戦士化と記憶消去が施されている可能性がございます。」
「妖魔ですか。」
「可能性としては、極めて高いと思われます。」
「……レナートさん、メルマナ軍に関係する人が妖魔と関わりを持って、フラムロス軍の関係者を傷つけたんですか?」
「そのように判断しています。」
「あの時ベルク教官は外に出払っていて、コンラートさんはエセルバートくんを守るために移動して来ました。でも俺と剣士の彼との私闘は止めませんでした。ボコボコにされたのは俺のミスですが、その後で彼がナディアを襲いました。それに対して俺がキレたら、エレナさんがすぐに制止して全てが終わりました。そして傷ついた俺とエセルバートくんに治療をしっかりしました。事件を起こした当事者は魔法に掛かっていたから記憶が無い。これはどこからどこまで、誰が描いた話なんですか?」
「そのような事は……」
「誰が知ってるんですか?それとも、皆さん承知の上でこの状況になってるんですか?」
扉が開く。
エレナさんが入って来る。その後ろには、俯き顔のナディア、ドライグラース隊の4名、ジュリエッタさん、ベルク教官が居る。
「レナートは悪くない。」
エレナさんが一言。
「良いか悪いかではなく、誰がこうなるように仕向けたのかを聞いています。」
「私。」
「何故ですか?」
「必要だから。」
「何に対してですか?」
「今後の仕事に対して。」
「どうして話して下さらなかったんですか?」
「話す必要が無い。」
「……必要が無い?どういう事ですか!?」
「話す必要は無い。」
「……そうですか。必要は無いですか。」
起き上がり、ベッドから降りてレナートさんと向き合う。
「お世話になりました。」
そのまま部屋を出ていく。
誰とも目を合わせず。
楽しいと感じていたのは俺だけで、何もかも幻想でしかなかったと悟った。
ただスネて駄々を捏ねる子供のように映るなら、別にそれでいい。
いや、そもそも最初から全員がグルで次から次へと無理難題を押し付けて笑っていただけなのか。
色々な事で浮かれてた俺が、ただただ馬鹿だったんだ。
夜の街道を王城へ向かって歩く。
歩いても2時間程度。
こんな所から一刻も早く出ていきたい。
今すぐ死ねば今すぐ元の世界に帰れるのか。
いや、あんな奴らのために死ねるか。それこそ馬鹿だ。思う壺だ。
どうせ、裸足で帰ったとか、弱いとか、死人の顔とか、笑いながら……くそ……くそ……くそ……!!!
1時間半ほど歩くと、橋が見えて来た。
毎日馬車で通った道。
遠い。
疲れた。
めんどくさい。
橋の中央辺り、川の中心。
川には、月が二つ映っている。
久しぶりだな、こんな感覚。
前は、彼女に振られた時。
はは、何も変わってねぇ。
思い込んで、騙されて、捨てられて。
結局未だに一人じゃねえか。
何もいい事なんてねぇ。
もう、この世界が嫌だ。
「腐ってんな。」
後方から話しかけられる。
「おい。」
何を話しても唯々お前らが俺を笑いものにするネタにしかならねぇんだろ。
「帰るか。」
ああ、帰るわ。
「帰れるなら今すぐ俺を帰せ。ウィルバート!!!」
真っ黒なスーツでオールバック、鋭い目つき、綺麗に整えられた髭。額と頬には、わざとらしく配置された大きく生々しい傷跡。
「それすら本名かどうかも知らねえけどなぁ。さっさと俺を帰せ!!!」
「嫌われたもんだなぁ、オイ。」
傷跡を指でなぞると、跡形もなく消える。
「ナディアはどうするんだよ。」
「オマエが仕向けたんだろ。ここに居させるためのハニートラップだろうが。」
「エレナはどうするんだよ。」
「知るか!あの中の誰かの女だろ!それともオマエの女か。今夜はヤりながら今の俺を動画で見て喘いで笑うんだろ。」
「オマエ……言っていい事と悪い事があるぞ。」
「やっていい事と悪い事があるだろうが。俺の気持ちを弄り尽くした上に、顔面破壊して復活させるお前らに言われたくねぇよ。またボコボコに顔面破壊して俺がサンドバッグになるのを見て楽しむつもりか。」
男の右手がグッと伸び、俺の頭を掴む。
爬虫類のような、猛禽のような、月の光がぬらぬらと反射する黄金色の腕だった。
「芸がねぇな。あいつらの前で握り潰せば大喜びだろ。動画撮影して後で上映会か?」
「それ以上喋るな。」
「オマエが言い出した事だろうが!!!」
黄金色の腕が光を帯びる。
その瞬間、大気がバチバチとざわめき、静電気が発生した際のイオンに満ちた臭気が充満する。
同時に、ウィルバートの手から放たれた光の渦がアキラを包み込む。
「またな。」
「二度と俺の前にそのツラ晒すな―――」
【コンコン】
…
【コンコン】
…
【コンコン!!!】
「ん……?」
ゆっくり目を開けると、見知らぬ男女3人が窓から俺を見ていた。
「んあっ!ヤベっ!すいません!すいません!」
その慌てっぷりを見て安心したらしい。
彼らは後方に着けていた車に戻って行き、走り去っていく。
ヤバ……完全熟睡か……今何時……あぁ、もう5時か。2時間くらい寝てたのか。
何か、すげぇイヤな夢見てた気が……仕事のし過ぎだよ、もう。
とりあえず帰って、シャワー浴びて、ご飯食べて会社だな。
今日は落ち着いてるといいんだけどな。まぁ全部終わってるから、今日は何事も無いかな?
既に冷たくなった缶コーヒーを一口飲んで、発進。
全ての信号は青。快適に車を走らせ、数時間後の出社のために家路へと向かった。
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