第46話 2年半ぶり、2度目
「とまぁ、色々とあった訳よ……ってナディア?ちょっと!」
話が終わった瞬間に、だばだばと涙を流し始めるナディア。
エレナがナディアの隣に移動して背中をさすり、肩に手をまわしてポンポンとあやしている。
「でも……そんな……おふたりが……」
すっかりエレナとレナートに感情移入してしまったナディア。
あまりにも悲しくて、辛くて、どうしようもない気持ちになってしまった。
「これは過去の話だから。前は前、今は今。ね?レナート。」
「はい。今こうして、ナディアさんとお会いできているのも、全ては過去があるからです。」
ひっくひっくと大きく肩を震わせるナディア。
「情が深い子よね……誰に似たのかしら。」
「最近は涙もろい、とボヤいていたのを思い出しますね。」
困ったような、でも少し嬉しいような、そんな表情でエレナとレナートは顔を見合わせる。
ナディアの頭を撫でるエレナは、もう一人の話題の主が眠っている扉を見つめて、ため息をついた。
「ホント、よく似た二人だわ。」
王都の中心部に辿り着くまでにアキラが目を覚まさなかったため、まずは王城にエレナを送り届ける事にした。
「エレオノーラと会う日程は決まってないから、アキラは訓練を優先させて。あと、ナディアには魔法の鍛錬をさせたいから、明日からでもウチの部隊に来て欲しいのよね……アキラが起きたら、伝えておいてくれる?」
「承知いたしました。お目覚めの後でお伝えいたします。」
「ナディア、いいわよね?」
「はい。大丈夫です。アキラさんなら、賛成していただけます。」
「ヘンな事言い出したら、魔獣の中に叩き込むぞと言ってやりなさい。魔法の鍛錬は誰の為って、アキラの為なんだから。でしょ?」
「はい!」
エレナとナディアの間には、師弟関係以上に深く、強い絆が結ばれていた。
「エレナ様、長旅にも拘らず、おもてなしも―――」
「レナート、この場で社交辞令は無粋ってものよ。いいじゃない、私達だけの時は。」
「そうですね……はい、そうさせていただきます。それでは、私たちはアベール区のルージュ邸から通勤致します。」
「何かあったら使いを送るから。それじゃ……マヌケヅラでも拝んで帰るわね。」
寝室のドアを開けて、エレナが中に入る。
やや顔が赤く上気して、難しそうな顔をして眠っている。
さっき「エレナちゃん」と呼ばれた瞬間、自分でも驚く程ドキリとした。
歓びの感情が全身を貫き、胸の奥深くに仕舞い込んだ気持ちが、止め処なく溢れ出しそうになった。
(覚えていてくれたのね……)
無意識に、手が動く。
彼の頬に手を添えて……ムニっとつまむ。
「ヘンな顔……早く体調整えなさいよ。」
手を離し、踵を返して部屋を出る。
「本当はナディアを連れて行きたいんだけどね。勝手に連れて行ったら、さすがにアキラに怒られそうだし。」
困ったような、嬉しいような、微妙な表情のナディアを抱きしめて、頬をなでる。
「じゃあ、またね。」
「はい、エレナ様。明日また、お会いしたいと思います。」
手をひらひらと振って、出ていくエレナ。
華やかさと気品を備え、ただ歩くだけで自然と視線が集まる優雅な身のこなし。
その姿は、王妃エレオノーラそのものだった。
王城を後にした一行は、レナートの私邸があるアベール区へと向かう。
ナディアは、どこまで走っても絶えることなく続く建物や施設に、改めて王都の巨大さを実感していた。
王都ドゥーズ街道を走る事40分。自然豊かな住宅地の中に、ひと際大きな邸宅が見えてくる。
「もしかして、あそこが……?」
「はい、あちらで1ヵ月間ご滞在いただきます。ラシェール家の私邸ですので、ご自宅と思っていただいてお寛ぎくださいね。」
今まで滞在したホテルに引けを取らない立派な建物。
ナディアは、昨晩泊まった「白い箱」グレンフェル城よりも立派なんじゃないかと感じていた。
だが、侯爵という階級にしては「質素」な邸宅と貴族の中では囁かれている。
先代が築き上げた財力は、国内の貴族の中でもトップクラスを誇る。
しかしレナートは、父から受け継いだ事業などにあまり興味は無く、執事としてルージュ侯爵家の3代に渡って仕えているアルフレードに全てを一任している。
身分、人格、戦歴、財力は、完璧と言って差し支えない。しかしレナート自身、赤の騎士団・剣士隊に精魂を傾けるあまり、プライベート面……自身の恋愛や結婚、子を成して次代に承継するといった気持ちがかなり薄い。
社交の場では、この「超優良物件」を射止めようと貴族・武家・豪商からの猛アタックを受けるものの。
「いまだ修行の身。」
「いつか巡り会えたら。」
そんな気は更々無く、するすると交わしている。
父代わりとも言える国王ウィルバートからは「さっさと孫を見せろ」などと言われているのだが、王家のために、領民のために、そして誰かのために、この身を尽くす事こそ自分が生きる道であると考えている。
「爵位に対して無責任だな、自分は。」
という自覚は持っている。
それはさておき。
【コンコンコン】
馬車が私邸に到着する頃、アキラの様子を見にレナートとナディアが部屋に入った所、彼の額が仄かに発光していた。
「「えっ?」」
急いで駆け寄る二人。
「レナートさん、これは……アキラさん?大丈夫ですか?」
「至急、アルフレードに確認させます。今しばらくお待ちください。」
ダッシュで部屋を出ていくレナート。
ナディアがアキラの手を握ると、若干高めの体温で、じっとりと汗が滲んでいる。
熱も心配だが、この発光が一体何なのか……。
馬車が停車し、レナートとアルフレード、ジュリエッタが入って来る。
「ほう、これは……」
「アルフレード、どうだ?」
「好機です。」
アルフレードが持っているバッグを開け、何かを探している。
その間、ジュリエッタが洗面器に氷の入った水、タオル、水差しとコップ、ストローを準備する。
「ナディア様はそのままで結構ですので。」
タオルケットを上半身部分だけ捲り、襟の紐を外す。
氷水で濡らし、固く絞ったタオルを首と脇に挟む。
アルフレードが、アキラの両手の人差し指に紫色の宝石、魔石が嵌め込まれた指環を装着する。
「レナート様、恐らくはこれで。準備だけはしておいて正解でございましたな。」
首肯するレナート。ナディアに語り掛ける。
「ナディアさん、もしかしたら記憶が蘇るかもしれません。」
何が起こっているのか分からないが、短い説明で状況を把握し、頷く。
「お任せいただいても、よろしかったでしょうか?」
「はい。」
是非も無く、即答するナディア。
「アルフレード。」
「承知いたしました。≪解除≫アキラ様。」
宝石から紫色の光を放つ指環。
左の指環に吸い寄せられるように、額から白い光が砂のように流れていく。
「これは精神魔法にかかった方を解除する方法です。戦闘中は杖などを使いますが、現在は落ち着いた状態ですので、より解除の強度を高めた、指環を使用する方法を採用しております。何らかの状態変化が出ている時にしか使用できませんので、今が、解除する好機です。」
するすると流れる光が指環に集まっていく。
するとパシっと音がして、左の指環の魔石がさらさらと砕けていく。
今度は右手の指環に光が吸い込まれていく。
「何と、これほど強い魔力とは……」
アルフレードが落ち着いた口調で驚嘆の意を伝える。
「中級妖魔程度で石が砕ける事はございません。恐らくは、上級妖魔による記憶操作かと思われます。ですが、あのような場所に……」
「これでは……足りないか?」
アキラ額から徐々に光が消えていく。
パシっと音がして、右の指環の魔石がさらさらと砕けていく。
「解除し切れていればよろしいのですが……」
額の発光が消えているように見えるが、具体的な状況はまだ不明である。
ナディアが握る手が持っていた、熱っぽさが落ち着いて平熱の辺りにまで下がっていくのがわかる。
呼吸がゆっくりになっていき、上気していた顔色が一気に落ち着いていく。
そして、ゆっくりと目が開く。
「あれ……ナディア?みなさんも……」
「アキラさん……体調はどうですか?」
ナディアが安心した表情で、優しく声を掛ける。
「うん、凄く頭がスッキリした気がする。大丈夫だよ。ありがとう、ナディア。あと、レナートさん。」
アキラがレナートの眼をしっかりと見据える。
「少し思い出しました。」
馬車がレナートさんの私邸に到着し、その豪華さに唖然とする俺とナディアだったが、それはさておき本邸に案内され、リビングで現状の話をすることにした。
「……という訳で別荘を出て、大きな木を見るところまでは記憶があるんです。でもその次は、ジャムカさんに起こされた所なんです。誰かと会ったとか、何かに襲撃されたとか、そういった肝心な所を思い出せずに、本当に申し訳ありません……」
「何を仰います。こうして、アキラさんと改めてお会いできる事こそ、私の喜びです。」
レナートさんが……涙目で俺の手を取ってる……いやもうホントこの人、いい人だよなぁ……。
ハグをせんばかりの勢いだわ。ヤバイ。俺、もらい泣きしそう。
初めてココに来た時、レナートさんと訓練した時、エレナちゃん……そうだ、王都に会いに行くって約束してたんだ。
「あの、レナートさん。つかぬ事をお聞きしたいんですが。」
「ええ、何でも。」
「エレナちゃんは、今でも王城に居るんですか?」
全ての記憶は繋がっているけど、それだけは分からない。
いくら似ているとはいえ、エレナさんは王妃エレオノーラ様だから別人。
「実は先程、ご連絡をさせて頂きました。今、こちらに向かわれていますよ。」
「そうなんですね。いやぁ、何か、すげぇ罵倒されそうで怖いっちゃ怖かったり……あ、ナディア、エレナちゃんって言うのはね―――」
すると、ナディアが今日イチの笑顔で俺に語り掛ける。
「いらっしゃったら、ご紹介くださいね。」
惚れ直した。
俺が居なくなった2年半の間に、どんな事が起こっていたのかをちょっとだけ聞いたりしていた。
実はレナートさん、俺と初対面の時に「3年前まで冒険者」って言ってたのは、ちょっとしたカマ掛けだったらしい。
それで何らかの記憶を揺り動かすんじゃないか、と考えていたようで、めっちゃ謝られた。
「正確には、5年ほど前まで冒険者でした。」
「え?それにしても、おかしくないですか?2年しか経ってませんよね?」
するとアルフレードさんがお口添えに入る。
「レナート様は、先代が亡くなられる2年程前に冒険者を引退されました。それから赤の剣士隊に入隊され、先々代を超える2年で赤の騎士となられました。」
「もうホントに、どんだけ強いんですか……あの頃だって俺は太刀打ち出来なかったのに、今だったらもっと強くなってるんじゃないですか?それに比べて、俺はトレーニングをサボってしまったせいか、ちょっとハラの辺りが……」
そう言いながらムニムニとハラをつまんでいると。
【カーン カーン カーン】
ジュリエッタさんが玄関に向かう。
いよいよ、エレナちゃんとのご対面か……2年半、どんな感じになってるのかな。
あの年代の2年半、かなり成長しているのかな……。
「は~い、さっきぶり~。」
あれ?
入って来たのは、ドレスではなく幾分ラフな……とは言え、ピタっとしたスーツっぽい感じの服がビシっと決まった、あのお方。
「あれ?エレナさん?」
「さっきはアンタ寝てたからね。で、やっと思い出したんだって?」
「ええ、色々と思い出しました。あの、エレナちゃんが来るって……あれ?」
イマイチ要領を得ない俺。
「じゃあ、ちょっとコッチ来なさい。ナディア、ちょっとコイツ借りるわ。レナート、奥の部屋入ってもいい?」
「「はい、喜んで。」」
二人が息ピッタリで……えー、何?何?
もしかして、先に部屋で待ってる的なドッキリとか?マジか……ちょっとそういうの、リアクションに困る……。
恐る恐る、エレナさんに付いて行く。
ホントこの家、広いな……
2階の一番奥の部屋のドアの前。
「さ、入って。」
「はい、じゃあ、失礼、いたします~。」
そこはやや広めな、20畳くらいのお部屋。客間なのかな?応接セットと机、ベッドもある。
誰も居なかった。ドッキリでは無いらしい。
ドアが閉まった後で、後ろから両肩に手を置かれる。
「エレナさん、あの―――」
「そのまま。」
「あっ、はい。そのまま。了解です。」
ちょっとした沈黙の後で、肩を揉み出すエレナさん。
そんなに凝ってないとは思うんだけど……あれ、この感じ。
「エレナちゃんはね~。」
訓練場で。
俺が伝授した。
「私よ。」
そう言うと、肩甲骨の内側辺りの「地獄ゾーン」を容赦なく指圧に入る。
「ぐおおおおおおおおおおっ!」
「来るのが!遅いのよ!」
「マジで……腕を……上げた……ね……」
「バカ!」
「くおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……」
そこから肩をグリグリグリグリと摘まむように、指先に全力を込める。
延髄から脳天に突き抜ける程の痛さ、めっちゃ痛いんだけどちょっと気持ちいいヤツ。
「ただいま!戻りました!ご無沙汰してます!」
最後に両肩をバシンバシン!とやって終了。
痛さと気持ちよさで肩をさすりながら振り返ると、泣き笑い状態のエレナさんが俺を見ていた。
「はい!おかえり!」
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