第44話 再会

 エレナは、すぐにでも探しに行きたいと必死に懇願するが、ウィルバート、エレオノーラに強く禁止される。

 勝手な事をする場合、強制的に存在を解くとまで言われてしまう。

 何をする気力も出ず、いつも座っていたソファーで一人横になり、彼が必死で鍛錬を行っていた場所を見ながら、泣き暮らす日々を過ごしていた。


 彼が最後に、とても優しく触れてくれた手の感覚。「忘れないよ」と言ってくれた時の喜び。

 思い返しては僅かに微笑み、現実を思い返して涙を流す。


 もう二度と会えないのか。そう考えるだけで堪らない程の寂しさと切なさが襲ってくる。

 もっと色々な事を話しておけば良かった。

 もっと素直に自分の想いを伝えておけば良かった。

 もっと前から、最初から―――

 ふとエレナは、まだあまり会話をしていなかった時に、彼が話してくれた言葉を思い出した。




「禍福は糾える縄の如しなどと申します。」


「何それ。」


「良い事の後には悪い事が起こって、悪い事の後には良い事が起こる、という事ですよ。」


「で?」


「今がキツくて最低最悪と思うなら、最高と思う時が必ず来る。絶対に来るから、努力と根性と気合いで乗り切れって事で訓練再会します。レナートさん回復しました!お願いします!」


「ふーん……」


「カフクは!アザナえる!ナワのゴトし!です!うおおおお!」


「カフク……」




 あまりにもキツい訓練を必死で耐え、自分を奮い立たせるために言葉に出していた。

 たくさん教えてもらった彼の世界の言葉で、最初に教えてもらった、あの言葉が蘇る。


「カフクはアザナえるナワのゴトし……。」


「楽あれば苦あり、とも歌っておられました。」


 エレナの足元で跪く、黒装束の人物。


「確か、パトリシア……パティね?」


「はい。エレナ様。」


 エレナはエレオノーラの分身ではあるが、全ての記憶や知識などの情報を分け与えられている訳ではない。

 ただ、彼女についての知識は持っていた。


「ホント、アイツはそんな話ばっかりして。」


 この事を知っている女性がいる事に、一瞬、嫉妬心を覚えてしまった。

 だが、彼の事を話せる相手が居る事が嬉しくて、つい大きな声を出して久しぶりに悪態をつく。

 久しぶりにまともに声を出したので、やや声が掠れてしまっている自分に少し驚く。


「苦労とか不幸とか、アイツは一体どんな生活してきたんだって話よ。平和な世界だったはずでしょ?」


「そのようですが、私はアキラさんのお言葉に、救われる思いがいたしました。」


 頭巾を取って、エレナに顔を見せる。

 漆黒の長髪に真紅の瞳。肌は血色が見られないほど青白く、薄紅色の唇から小さな牙が見え隠れしている。

 エレナと同じか、やや低い年齢の少女。外見の特徴は、吸血鬼そのものであった。


「私は吸血鬼の半妖です。」


 オークやミノタウロスなど種族を厭わず繁殖行為を行う妖魔や、使役・隷属を目的として人間と接触する妖魔などの子供を身籠ってしまい、生まれた子供の事は半妖と呼ばれて忌み嫌われている。

 人間の性質を濃く受け継いだ子供は、外見に妖魔の特徴が出る事は無く日常生活に支障は無いが、妖魔の性質を濃く受け継いだ子供は、外見の特徴や性格に表れてしまう。


 子供の将来を悲観した両親の手によって命を絶たれてしまう場合や「捨て子」として山中や森林に置き去りにされる場合も少なくない。

 彼女の場合、生後間もなく山中に棄てられている所を王妃守護隊の当時の隊長が保護した。以来、幼い頃から守護隊に参加しているが、決して人間に対して顔を晒す事は無かった。

 姿を表せば妖魔として通報されるか攻撃される。もしくは、半妖として耐えがたい程の暴言を浴びせられる。


 しかし、先の実戦訓練で妖魔の放つ魔法の直撃を受けた際に、アキラに顔を見られてしまう。

 数日間の訓練で、一応の関係性は保てている。だがこれまでに受けて来た人間からの仕打ちから、もう二度と共に戦う事は無いと思った。しかしアキラは意外な言葉を発する。


「パトリシアさん……もしかして吸血鬼とか……?」


「くっ……見られた―――」


「カッコイイ……」


「え?」


 戦闘終了後、レナートから強めに説教される。アキラは戦闘中の不注意について猛省する。

 しかしすぐにパティの元に行く。


「先程は戦闘中にも関わらず、おかしな発言をしてしまい、大変失礼しました。」


「いえ、大丈夫ですから……」


「あの、もし嫌でしたら無理にお聞きしませんけど……パトリシアさんは……吸血鬼さんなんですか?」


 自分は半妖である事、山に捨てられていた事、嫌悪や憎悪の対象である事。

 特に隠す必要は無かったのと、もうお会いする事はないだろうと思い、パトリシアは淡々と話をしていた。


「お若いのに、ご苦労なさったんですねぇ……」


 身の上話に涙するアキラ。

 それを見たパトリシアはギヨっとし、激しく動揺する。何かお気に召さない事を発言してしまったのではないかと狼狽える。


「私が居た世界の言葉でですね……」


 アキラは、この世界の事をどうこう言える立場では無い事は承知している。

 今の話を聞くと、少なくとも彼女の周りにいる人々、国王や王妃、同僚の皆さんはそのような排外的な目で見ていないことに一安心しながら話しかけた。


「いい方々に囲まれているみたいですね。世の中、悪い人や悪い事だけじゃないです。いい人やいい事もあります。何かに負けそうになった時は、遠慮なく周りの方々に弱音を吐いてください。皆さん、きっと聞いてくれるはずです。一人で抱え込まないでください。」


 パトリシアは、生まれてから、こんなに優しく親身になって話をされたことは無かった。

 守護隊にも気の合う仲間たちはいるが、その仲間に対してもどこか一線を引いていた自分に気付く。

 当然と思っていた事が、他の世界から来た人間の価値観によって、少しだけ変わった気がした。




「エレナ様、僭越ではございますが、お一人で抱え込まないでください。私もアキラさんから、そう励ましていただきました。」


「本っ当にアイツは……」


「アキラさんならきっと『大丈夫、何とかなる!』っておっしゃると思います。」


「いや、たぶん『何とかできる!何とかせねば!何とかなるよね?』って言うわ。あのヘタレは。」


 久しぶりに笑って話してる。

 アキラはきっと、私が泣いて暮らすのを絶対に嫌がる。

 だから、もう泣かない。泣く暇があるなら前に向かって進んでいく。

 私が、絶対に探し出して見せる。


「パティありがと。落ち着いた。」


「いえ、私はアキラさんのお言葉をお伝えしただけです。」


「いつまでも腐ってらんないわね。こういう時こそ、気合いよ。気合い。どうにかして見つけ出すんだから。」


 エレナの瞳に、強い決意と意志を持った光が宿る。


「私もお供いたします。」


「それはエレオノーラが許さないでしょ?何かいい方法を考えないと。」


「エレオノーラ様から、伝書をお預かりしております。」


「伝書?どんな?」


 それを見たエレナは、その日のうちにパトリシアより一足先に王都に帰還する。


 エレオノーラから王妃守護隊の隊長を拝任し、同時にエレオノーラの分身から、一体のニンフとして転身した。

 転身後のエレナは、エレオノーラと見分けがつかない容姿となったが、記憶や感情はエレナのまま。


 エレナの任務は、エレオノーラに代わって国内の視察。王妃守護隊の指揮。有事の際はエレオノーラの影武者となる。

 国政や外交については、一切の権限は無い。


「何か、裏がありそうなんだけど。」


 若干訝しむエレナ。


「そんな無駄な事はしないわよ。今は私が国政と外交に専念出来るのは本当に助かるの。最近妖魔の動きがかなり活発化しているから、騎士団とも連携を密に取って。ただ、あなたの存在はあくまでも影武者。表に出る時はエレオノーラ本人としての立ち振る舞いをしてね。」


「もちろん。完璧にエレオノーラを演じておくわ。まぁ、ほぼ本人だから失敗しようがないんだけど。あと、国内であれば私の権限でに守護隊を派遣するのは問題ないのよね?」


「ええ。でも何かあった時に、守護隊の戦力が分散して身動きが取れない、なんて事は無いように。あくまでも守護隊の任務は国内事情を把握するためのものであって、あなたが個人的な理由で人探しをする部隊じゃないんだから。」


 念のため釘をさすエレオノーラ。


「そりゃそうよ。やるからには公私混同しないのは当然じゃない。ついでに確認はするけどね。」


 エレナは、ようやく自分が生きていく理由を見つけ出した。




 ~~~ それから、2年半 ~~~




 その日、レナートは夜遅くまで「王妃の間」にて会議を行っていた。

 王妃守護隊を率いるエレナとの極秘作戦における、最後の人選に頭を悩ませていた。


「あと一人……これさえ決まれば、いつでも決行出来るのに……」


 年齢と戦闘能力はそれほど重要ではなく、徹底的に精神を追い込まれる状況でも決して挫ける事なく、己の意思を強く持てる新人冒険者1名。

 しかし考えれば考える程、そんなヤツは居ないという結論に達してしまう。


「いざとなれば、ジュリエッタに任務を与えます。ですが、ギルドに向かわせるのは、例のパーティーでよろしかったのですか?」


「エレオノーラは渋ってたけどね。ウィルバートに説得されて嫌々了承したわ。」


「彼らの力量を考えますと、妥当かと思われます。それに―――」


「失礼いたします。」


 暗闇の中、エレナの背後から現れたのは守護隊の隊員。


「あらパティ、急ぎ?」


「公爵閣下宛に、バトンの森ギルドマスターより緊急事態の伝書が届きました。返信をお待ちです。」


「え?アミュから?」


「エレナ様、失礼いたします。緊急事態とは………」


 手紙を開き一目見た瞬間、固まる。


「ちょっと、どうしたの?」


 エレナの呼びかけにすら反応しない。心なしか、手が震えている。

 深いため息をつき、手紙を渡す。


「エレナ様……こちらを……」


 ~~~


 侯爵へ。


 お疲れ様ですー。

 さっきウチに若い男の人が来たんですけど、もしかしたら使命者かもしれないのでお知らせです。

 赤と黒の使命の印を持ってました。でも両面で色違いって聞いた事無いんで、違うかもです。

 しばらくウチに泊まってもらおうと思います。忙しいかもしれませんけど、すぐに会います?

 パーシャちゃんに返信お願いしまーす。


 アミュ


 ~~~


 使命者……


 赤と黒の……印……


「レナート……これ……」


「3日……いえ、2日、お時間を頂けますでしょうか。これからすぐに向かいたいと思います。」


「じゃあ!!!私も!!!」


「エレナ。」


 エレオノーラが「王妃の間」に入って来る。


「立場を弁えなさい。」


「だって!!!コレ……アキラだよ!!!絶対そうだよ!!!」


 深いため息をつくエレオノーラ。

 行方不明になって2年半。一日も早く会いたい、その気持ちはわかっている。


「あなたは今、私の片腕として守護隊の責任者を務めている。軽率にこの場を離れる事は許されないわよ?レナート、あなたが行きなさい。でも、今は確認するだけ。いい?」


「承知いたしました。」


 エレナが涙目でエレオノーラを恨めしそうに睨む。


「エレナ、王家の者が素性の知れない者に会いに行くという事があってはならない。こんな当たり前の事を言わせないで。」


「……わかってる……」


「その若い男がアミュの所に居るなら安心しておきなさい。所在がはっきりしている以上は、会う理由は作れるから。それに、まだアキラかどうかは未確認。いい?」


「……はい……」


 エレオノーラが言ってる事は正しい。

 しかしどんなに探しても、2年半もの間、痕跡すら見つからなかったあの人が、あの日消えたバトンの森に現れた。

 本人確認をして、もしその男がアキラだったら……。




 王都からルージュ侯爵領へは、早馬でも2日程度かかる距離。

 レナートが乗る双獅子が戦闘状態となれば、半日程度で到着することが可能となるが、事前に関係各所への根回しも必要となる。

 デルバンクールで作戦準備に従事していたアルフレードとジュリエッタに緊急通信を送り、レナートの別荘に緊急召集する。

 全ての準備が整ったのは深夜。一刻も早く彼に会うために、自領へ向けて暗闇の中を走り抜ける。

 彼も、この日を強く待ち望んでいた。


 翌朝、久しぶりにルージュの森の別荘に戻って来た。

 結局あの日から、数えるくらいしか戻ってきていないこの家。


「レナート様、お待ちしておりました。」


 執事服のアルフレードが出迎える。

 ジュリエッタは、お疲れ気味の双獅子に朝食を与えるために厩舎へ。


「急に済まない。大事なお客様を迎える事になった。」


「承知いたしております。2階の応接間の準備は済ませてございます。」


「わかった。パーシャとほぼ同じタイミングで着いているはずだから……早ければ、もう少しで到着されるかもしれない。」




『ぎゃあーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!』




 この声は!!!


 森一帯に響き渡る悲痛な叫び。


 グリフォンの背中に、何かに祈るような体勢でしがみついている。


【ケーーーッ】


 グリフォンが高らかに到着の合図を告げる。

 その声を聞いた双獅子が、一向にグリフォンから降りてこないその方の臭いを嗅ぎ、ベロベロと舐め始めた。

 何故かお前は、やたらとこの方を舐めるのが好きなんだよな。


 その人が、恐る恐る顔を上げ、ゆっくりと目を開ける。


「大丈夫ですよ、無事に着きましたよ。」


 様子がおかしい。


「急がせてしまったみたいで、申し訳ありませんでした。」


 心、此処に在らずと言ったような雰囲気だ。

 確かにこの方は高い所が苦手ではあったのだが……。


「あの……ちょっと、腰が……」


 極度の緊張状態が続いて、全身に力が入り過ぎていたらしく、かなり気分が優れない状態だった。

 顔色が悪く、今にも戻してしまいそうな表情だ。


「大丈夫ですよ。少し休んでいただいて、後程お話をさせてください。」


「何か……ホントすみません……」


「お気になさらず。おーい、誰か手伝ってくださーい!」


 アルフレードとジュリエッタが、彼の姿を見て怪訝そうな表情をしている。

 二人にとっては初対面だ。怪しい男、そう思っているかもしれない。

 だが私にとっては今日ほど、今ほど、待ち望んだ日は無かった。

 彼を担架に乗せ、2階の応接間に運んでもらう。


「ずっと、お待ちしていました。」


 久しぶりに見る彼の姿に、得も言われぬ感情が溢れ出しそうになるレナート。

 しかし、レナートの試練はここから始まった。

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