第42話 エレナの想い

 エレオノーラは極めて不機嫌だった。


 あんな男に任せて大丈夫なの?

 見るからに気弱そうな雰囲気。挙動不審な態度で周囲を見渡して、ダンナの言葉で愛想笑いを繰り返して。

 今も私の胸をチラチラ見てるし……はぁ……最悪だわ……。


「あんな男」が来るとは思ってなかったという苛立ちが、沸々と彼女の心を不快にする。

 それなのに彼女の夫、国王ウィルバートは楽しげにこの男を迎え入れていた。何を考えているのか、全く理解できない。

 さっさと「退場」させてしまって、自分の守護部隊の誰かを行かせた方がよっぽど頼りになる。

 男がレナートに連れられて出ていくまで、エレオノーラは一言も発することなく、不機嫌な様子でこれからどうするかを考えていた。


「死んでたら、もっといいの付けてやれたんだけどなぁ。」


 ぼそりと呟くウィルバート。

 その意味をエレオノーラは理解できなかったが、どうとも思わなかった。

 あんな男の事など既に興味はなく「退場」後の人選に頭を巡らせていた。




 エレオノーラが召喚した男の事を思い出すのは、あれから1ヶ月ほど経過したある日の事。

「退場」後の人選を早々に終え、国内外の行事に忙しい日々を送っていたエレオノーラは「視察」と称した温泉旅行から帰って来たウィルバートから、あの男の話を聞かされる。


「アイツは、いいぞ。一度見て来い。」


 断固として拒絶するエレオノーラだったが、一つの条件を付ける。


「私自身が行かなくても、問題ないでしょ?」


 それに対してニヤリと笑うウィルバート。


「フン、見てるようなモンじゃねぇか。」


 すると「王妃の間」と呼ばれる部屋から、エレオノーラによく似た10代中程と思われる少女が現れる。


「この子に監視させるから。ったく、本当にくだらない事を……私の方は勝手に進めるからね!」


 そう言ってドスドスと怒りを露わにして「王妃の間」に戻っていく。

 ウィルバートは少女に向かい、話しかける。


「じゃあ、しっかりアイツを見といてくれよ。エレナちゃん。」


「はいはい。承知いたしましたよ~。」


 礼儀正しく悪態をつき、やや高飛車な印象を持つ少女エレナは、その翌日にもレナートの別荘に送り込まれる事となった。




 あの日、一度だけ対面したエレオノーラの事を、実はイマイチよく覚えていなかった。

 覚えているのは、青みがかった銀色の髪でとんでもない美人。そしてお胸が大変にふくよかでボインボイン……それはともかく。かなりエレオノーラ良く似ているという印象を、突然訪れて来た少女に持った。


「女王様……の娘さん?王女様?」


「いえ、この方はエレオノーラ様に連なる家系のご息女で、エレナ様と申します。事情があってしばらくの間、当家にご逗留される事となりました。」


「あの、いいんですか?私がこう……会ってしまっても。」


「ええ、陛下が是非にと。エレナ様が王都に戻られる時に、こちらの様子をお聞きしたいそうです。」


「ふむふむ。それでは今まで以上に、気を抜かずに励まなければいけませんね……まぁ、気なんて抜けませんけどね。エレナ様、アキラと申します。よろしくお願いいたします。」


 ピシっと礼儀正しくお辞儀をする。


(ん……?こんな感じじゃなかったはず……)


 だらしなかった体形が、かなり引き締まっている。顎のラインがシャープになり、ピンと背筋が伸びて溌溂とした印象を受ける。

 あの時とはまるで別人と思われるその姿に、ほんの少しだけイメージが変わったように感じた。


「よろしく。」


 エレナは臣下に対する礼の姿勢を取る。あまりにも様になっている少女の姿。

 若くてもしっかりした礼儀作法が身に付いているんだなと感じた。

 それと同時に、冷えっ冷えで見下されているような視線を感じてしまう。


 やんごとなきご身分の方だろうから、まぁ庶民……いや庶民ですらない異世界人の俺なんて、そんな風に見るのはしょうがないのか。

 あと、あの王様に嫌々来させられたのかもしれないな。


「それでは、本日の鍛錬を始めましょう。エレナ様はご覧になられますか?」


「ええ、そのつもりよ。」


 どうせ嫌々やらされてるんだから、すぐに弱音を吐いて床にへばりつくに違いない。

 その様を今日だけは見ておいてやろうという腹積もりのエレナだったが、鍛錬と称した徹底的な苦行に唖然とする。

 それは一度だけ見た事がある、王国でも異質とされる赤の騎士団の鍛錬風景。

 足、足首、脹脛、膝、太腿と下半身の筋肉を鍛え続け、立つ事すら出来なくなったら上半身。

 首、肩、腕、胸、脇、腹、腰。身動きが出来なくなった所で疲労回復ポーションを飲んで超回復状態になるまで一瞬の休憩。これを延々と繰り返している。


「努力と……根性おおお!!!」


 限界を感じる都度、アキラが声を張り上げる。


「その調子!いいですよ!」


「気合いだ!気合いだ!気合いだー!!!」


 エレナとしては、こんな汗臭い男共のトレーニングには全く興味が無い。

 だが、最強とも呼ばれる赤の騎士団の団員ですら、弱音を吐いてへばるのを見ていたこの苦行に、弱音を吐かず、泣き言を言わず、ただひたすら食らいついて行くアキラ。

 こんな状態、どうせ長くは続かないだろうと思っていた。しかしこの1ヶ月間、毎日欠かさずに鍛錬を続けてきたことを知り、さらに驚く。


「明日からは、午前は鍛錬を行い、午後は訓練を開始します。」


「ウッス……ちなみに……どんな訓練なんですか……?」


「武器を使った素振りです。」


「おお……やっと……ここまで来ましたか……!」


「ええ、あくまでも今までは準備です。鍛錬と訓練、しっかり励みましょう。」


「ウッス!」


 鍛錬の終了時にはポーションは飲まないので、全身いっぱいに疲労感を覚え、アキラが大の字で訓練場に寝っ転がる。

 レナートが後片付けと、食事を運び込むために訓練場を出る。

 エレナはその様子をじっと見ていた。

 一切妥協しないレナートと一対一で向き合い、全力で鍛錬に励んでいる。

 アキラの荒い息遣いが訓練場に響き渡る。


「ねぇ。」


 エレナが話しかける。


「……なに……どうしたの……?」


「何でそんな事してんの?」


 彼女は不思議に思っていた。何故、そこまで全力で鍛錬をやっているのか。


「……何でって……何でだろね……」


「はぁ?」


「まぁ……約束……したからかな……」


「約束?」


 余りにも疲れ果ててはいたが、使命については絶対に伏せなければならない。


「そう……まぁ……エレナちゃんには……ヒミツなんだけどね……」


 使命を守ることが出来た油断から、名前を呼ぶ所までは気が回っていなかった。


「なっ……ちゃん付けって!!ちょっと失礼じゃない!?」


 エレナちゃんと呼ぶのは、国王ウィルバートだけ。

 その他の者達からはそう呼ばれた事の無いエレナは、ひどく赤面した。


「あぁ……ゴメン……今ちょっと……余裕なくてさ……」


 親愛の情からそう呼んだのでは無く、意図して呼んだのではないという弁解をする。

 たった一日鍛錬を見ただけのエレナだったが、真剣に、全力で打ち込む姿を目の当たりにして、やや態度が軟化した。


「今回だけよ。今後、ちゃん付けしたら許さないから。」


 しかし許さない姿勢は崩さないようだ。


「そりゃぁ……どうも……」


 そう言って、極限の疲労状態のアキラは軽い眠りに入りかけている。

 心の中で、やっぱり変なヤツと思った。


 それから2ヶ月の間、エレナはこの過酷な訓練の傍観者となって訓練場に居た。


 そして鍛錬と訓練が終わった後、アキラがぶっ倒れている時に交わす、ほんの少しの会話。

 相変わらず訓練前と訓練後では態度も口調も別人のように違う。

 訓練後に交わす会話の口調は、少しだけウィルバートに似ている。何も飾らず、一切の気を遣わない本音の会話。

 エレナは少しずつ、アキラがどういう人間なのか分かって来た気がした。




「明日からは、実戦訓練を開始します。」


 ひたすら鍛錬と訓練に明け暮れていた二人が、ついに魔獣との戦いに向かうと言う。


「私も行きたい!」


「エレナ様、それはいけません。」


「ちょっとレナート!何でダメなのさ!」


「そりゃぁ……足手纏いは……俺一人で……十分だからだよ……」


 一切包み隠さないアキラのド直球発言に、さすがのエレナも反論できない。

 目の前でぶっ倒れているこの男は、どんなに訓練を積んでいようとも戦った事が無い。それだけで危険度は高くなる。

 魔獣と戦う以上、生命の危険に晒される事だってある。

 さらに国王であるウィルバートの命でエレナを預かっている以上、危険な場所に連れて行くという事は絶対に出来ない。


「つまんなーい!」


 頬を膨らませてぷくーっ!と怒るエレナ。


「だってさぁ……万が一……エレナちゃんが……傷つくことがあったら……」


「な……何よ……?」


「俺が悲しくなる……」


 その言葉を聞いた瞬間、エレナの顔がボッと赤くなる。


「ちょっ……何を言ってんのよ……とっ!とにかく!レナート、ちゃんと無事に帰って来てよね!……アキラもよ!」


「はい、承知いたしました。」


 生ツンデレだ……などと意味の分からない事を言って、アキラはそのまま軽い眠りについた。

 エレナは、その無防備な寝顔をジト目で見ながらプイっと横を向く。




 アキラとレナートが出立し、久しぶりに一人の時間を過ごすエレナ。

 二人を見送った後、いつもであれば軽い準備運動を始める時間の訓練場へ向かう。


 一人では広すぎる空間にある自分の定位置、殺風景な訓練場には不似合いな豪華なソファーに腰を下ろす。

 シンと静まり返った部屋を、ボンヤリと眺めている。


 ふと、部屋の隅にあるテーブルの上に目をやると、前から起きっぱなしになっている眼鏡。

 この世界に来たら必要が無くなったと言っていたので、掛けているのを見た事が無い。


『相棒みたいなもんかなぁ。掛けてみる?』


 あの時は、何か分からないけれど必死で拒否してた。

 眼鏡を手に取ってみる。

 ちょっと太めの黒い縁。金属で出来ているけど、軽くて、柔らかい。


 彼が残した、彼が「相棒」と言っていたそれを見て、ふと思う。

 大丈夫。ルージュ領には、そんなに強い魔獣はいなかったはず。無事に帰ってくる。

 帰ってきたら「疲れた~!」なんて言いながら、いつものように寝っ転がるに違いない。


 いつものように。


 そう自分に言い聞かせながら、ソファーに戻って寝っ転がる。

 彼が元の世界でずっと身に着けていた「相棒」を目を閉じて掛けてみる。

 ちょっと大きくて、すぐにずり下がってしまう。

 きっと彼がこんな姿を見たら「何やってんの」と言いながら、笑うに違いない。

 さっき出て行ったばかりなのに、早く帰って来ないかなと考えている。


 最近私は、朝も夜も彼の事ばかり考えている。




 屋外での実戦訓練が始まってから3日ほど経った時「一度王都に帰って来るように」という手紙が国王から届く。

 帰りたくない。ずっとここで彼を送り出して、無事に帰って来る姿を迎えたい。

 でも、王命を無視する訳には行かない。

 エレナはしょうがないと自分に言い聞かせながら、帰還の準備を進めていた。


「また戻って来てあげるから、せいぜい死なない程度に頑張りなさいよ。」


「またそんなツンデレっぽい事言っちゃって。」


「だから、その『つんでれ』って何なのよ?」


「まぁ、俺にとっては誉め言葉みたいなものだから。気を付けて帰ってね。」


「ん……じゃあね。レナート、あなたが居れば何も心配は無いけど、コイツを調子に乗らせたら絶対ダメよ。わかった?」


「承知いたしました。こちらにお戻りの際は、ご一報ください。」


「わかったわ。じゃあ、本っっっっ当に戻ってくるからね!アキラ!調子に乗るんじゃないわよ!」


「エレナちゃんってば心配性なんだから。大丈夫ですよ。しっかり実戦経験を積んでおきます。」


「うん……じゃあね。またね。」


 エレナを乗せた馬車は、ゆっくりと王都に向けて走り出す。

 窓から身を乗り出して、大きく手を振っている。

 姿が見えなくなるまで、アキラもずっと手を振っていた。




 3ヶ月ぶりの王宮、戻って来たエレナを、ウィルバートとエレオノーラが迎える。


「行った時と、随分変わったみたいだなぁ。」


 ウィルバートがニッコニコでエレナに話し掛ける。


「まぁ……そんなに悪いヤツじゃなかったってだけよ。」


「アレか?『つんでれ』か?」


「だから、何なのよそれ……」


 エレナが憮然とした表情でウィルバートを見る。

 ちょっと、アキラが言っていたのを思い出し、顔を背け、僅かに口元を綻ばせる。

 エレオノーラがエレナの肩に手を置き、優しく微笑み語りかける。


「大体の事はわかっているから、詳しい事は後でゆっくりね。もう戻ってもいいわよ。」


「え……」


 エレナから戸惑いの感情があふれ出る。それを察するエレオノーラ。


「エレナ……あなた……」


「わかってるわよ!そんな事ぐらい!わかってるのよ……でも……」


 自分が置かれている立場は十分理解している。

 それを承知の上で何かを言いたげなエレナ。


「とりあえず、奥で休んどけよ。」


「はい……」


 そう促されて、トボトボと王妃の間に向かって行くエレナ。その足取りは、極めて重い。

 その背中を見送る二人。ウィルバートがエレオノーラに話しかける。


「これでわかったろ?アイツは規格外だよ。」


「それは認めざるを得ない。まさか、あんな心を持つなんてね……」


「王妃の間」に入ったエレナは、今のままの気持ちで、あの場所に戻れないかもしれない現実に打ちひしがれていた。

 密かに隠し持って来た黒縁の眼鏡を握り締めると、彼と一緒に過ごした2ヶ月間の出来事が一気に溢れ出す。


 エレナは、彼を強く想う気持ちから「エレナ」という個性を持ってしまったエレオノーラの分身。

 本体に戻れば、これまでの出来事は記憶としては残る。でも、心に宿した感情は消えてしまう。

 自分の中だけで密かに膨ませていった彼への想いを消すということが、耐えられないほど辛く、悲しい。


 あってはならない事と頭では理解している。

 けれど、この気持ちを消したくない。忘れたくない。

 今の気持ちのままで、もう一度彼と会って話をしたい。

 今すぐ戻って、この想いを伝えたい。

 でも、きっとそれは叶わない。


 私は所詮、分身だから。

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