第41話 レナートと過ごした日々
レナートは危機感を覚えた。
使命者となった彼は、武器を持ったことは無く、戦う事の経験もないと言った。
余程平和な世界に生まれた者なのだなと思い、レナートは密かに羨ましく思ったが、彼に課せられた使命の重さを考えると、このままでは生きてすら行けないと考えた。妖魔どころか、魔獣にすら歯が立たずに死んでしまうだろう。
彼を一人前の冒険者にする命を受けたレナートは、まずは何も出来ない彼に対して、戦闘の基礎から教えていく方針を取る。
しかし、考えていた以上に状態は最悪だった。初日、たった15分の素振りで腕が上がらなくなる。
呆れるほどの筋力の無さ。息も絶え絶えに水を求める彼を見て、訓練以前に体力と筋力をつけなければいけないと強く感じた。
方針を変え、まずは身体づくりから取り掛かった。
同時に、妖魔、魔獣、武器、魔法、魔術など、戦闘に関する必要知識を、実戦で培った経験談を交えながら教えていく。
彼が訓練場の床にへばりついたのは初日だけで、2日目以降は意地でも倒れない事を矜持として持ったようだった。
「努力と根性」彼が限界に近づく時に口にする言葉。確かに、その二言で全てを内包するかもしれない。
彼もまた、自分を変えようと必死になっていた。足がプルプルと震えながらも決して倒れず、一切弱音を吐かずに訓練に励む彼の姿を見ていくうちに、レナートは過去の自分を重ね合わせた。
1ヵ月が経つ頃には、彼がたっぷりと抱え込んていた贅肉は削げ落ち、筋力と持久力がついていった。
体力に不安が無くなった所で、2ヵ月目からは素振りを開始する。
持ち方、構え、振り方を、徹底的に身体に叩き込む。慣れない動作のせいか、最初は2時間ほどで腕が上がらなくなる。
しかし初日の、たった15分に比べると格段の進歩と言える。
一日中ずっと素振りを続けられるようになるのは、3ヵ月を迎える頃。
実戦的な攻撃の動作と防御の動作を教えていく。
彼の訓練を初めて4か月。屋外に出て、魔獣の生息区域での実践的な訓練。彼にとっては、これが初戦となる。
この初戦、レナートにとっては、彼が敵を打ち果たすのを見届ける事が重要だった。
平和な世界に生まれた彼が、相手を殺すという行為が出来るのだろうか。
やがて慣れては行くものの、初めて自分の手で敵を攻撃するには、ある程度の覚悟が必要となる。
せめて、自分の意思で武器を振ってほしい。
初めての経験に心が躍ると言っていた彼だが、対峙できるのは弱小な魔獣のカタミミウサギ。
見た目はウサギそのままだが、耳が固く盾の役割を持ち、敵からの攻撃を防ぐように行動する。
しかし彼は、これとは戦いにくいといった趣旨の発言をする。レナートはある程度しょうがないと思いながらも、軽い苛立ちを覚える。
しかし、ここで思いも寄らない魔獣が姿を現す。ブラックウルフと呼ばれる黒い狼である。
狼の魔獣の中ではやや小柄な体格をしているが、俊敏な動きで相手を惑わし、遠距離からの跳躍で一気に距離を詰めて獲物を仕留める。
その行動パターンさえ分かっていれば、大げさなフェイントで誘い出し、飛び掛かる滞空状態を狙って迎撃する事が最短の討伐方法である。
レナートであれば一振りで退治出来る程度の魔獣だが、牙を剥いて襲い掛かろうとする敵は、恐怖の存在であるはず。
彼にはまだ早いと思い剣を抜こうとするが、すでに彼は、武器である杖を構えていた。
「コイツは可愛くない!!!」
一体どういった判断基準で相手に立ち向かっているのか、レナートは理解に苦しむ。
「かかって来いやあ!!!」
これが初めての戦闘。緊張感や恐怖心からか、自分を奮い立たせるために大きな声を出しているのだろう。
しかし正面の敵は一頭であっても、その奥には複数の敵が存在する可能性がある。大声を上げる事で、遠くの仲間を呼び出してしまう危険性がある。
敵と対峙する時、やってはいけない事の一つが大声を出す事と教えてはいるが、まぁしょうがないだろう。
後で注意すればいいと思って敵を見たレナートだが、異変に気付く。
彼が大声を上げ、感情を昂らせるとともに、ブラックウルフのいきり立つ尻尾がみるみる垂れ下がっていく。
首を下げて上目遣いになり、尻尾を股の間に挟み込む。明らかに「怯え」の姿勢を取っている。
「オマエは犬か!ビビってんじゃねぇ!来い!」
その言葉にビクっと反応し、さらに一歩ずつ後退るブラックウルフ。
そして彼は攻撃する覚悟を決めたのか、一歩踏み出すと、ブラックウルフは情けない唸り声を上げながら、腑抜けた跳躍で飛び掛かる。
しかし彼は落ち着いて、今まで練習を重ねて来た素振りの要領で、やや腰を落とし、もう一歩踏み込んで体重を乗せ、腕ではなく腰で相手を斬るイメージで、飛び掛かるブラックウルフの少し前あたりを想定して、杖を振り払う。
しかし振り始めが若干遅く、踏み込みが甘かったのか、杖はブラックウルフの耳の上片を掠め、背中の毛がふわりと揺らぐ。
そして着地した場所は彼の懐。完全にブラックウルフの攻撃の間合いとなってしまった。
だが、なぜか攻撃して来なかった。
怯えたような眼で彼を見上げるブラックウルフの身体の中央に、彼は杖を心臓目掛けて突き立てる。
キャンという悲鳴と共に、ブラックウルフは地面に倒れ込む。それからピクリと最後のひと動きをして完全に停止する。
そして、ふっと消える。
先程までの威勢はどこへ行ったのか、彼がその場にへたりと座り込む。
「めっちゃ怖かったっす……」
「しっかり止めを刺しました。大丈夫です。」
いくら強くても、どんなに戦えても、止めを刺すことが出来なければ死を招く場合もある。
妖魔ともなれば、人間の甘さや弱さに付け込んだ攻撃を厭わず、欺くための手段も選ばない。妖魔や魔獣と戦う者には、油断や甘えを断ち切ることが強く求められる。
彼は初めての戦闘で武器を振るい、止めを刺し、無傷で終えることが出来た。
これ以上無い程の成果を上げた事にレナートは心から安堵していたが、彼に対して怯えるような態度を取り、懐に入り込んだブラックウルフは何故攻撃しなかったのか。その疑問は解消されなかった。
ブラックウルフの死体の代わりに、青い宝石が4つ転がっていた。レナートはそれを拾い、彼に渡す。
「初戦の勝利、おめでとうございます。この戦利品はアキラさんのものですよ。」
この世界では妖魔や魔獣を殺傷すると、その死体は消失し、代わりに宝石などが転がり落ちる。
止めを刺した者に戦利品の権利は与えられるものだった。
アキラは初めての戦果に喜び、この宝石はずっと残しておく事を心に誓う。
余談だが、後日ギルド登録をした際に袋から借りた宝石は、この時に拾った宝石の1つだった。
初戦から1か月間、レナートはアキラを徹底的に鍛え抜く。
早朝の鍛錬、日中には魔獣との実戦、夜に反省会を兼ねた鍛錬。
週末にはルージュ領を離れ、王国直轄地のテルフォード、ブラン領パリーニの遺跡迷宮などの、妖魔が出没する地域へと足を伸ばす。
実戦に慣れると同時に、中魔獣ワイバーンの毒爪や、中級妖魔オークロードが放つ攻撃魔法で命を落としかけるなど、冒険者である以上は必ず付きまとう、生きるか死ぬかの瀬戸際を何度も経験する。
端から見れば無謀とも言える行動ではあるが、レナートの徹底したサポートがあってこそ、全ての戦地を生き抜いた。
そして5か月目。対人戦闘訓練が始まる。
対戦するのは、赤の騎士レナート。
国内で誰よりも数多くの死線を潜り抜けて来た、戦う事で現在の地位に登りつめた男。
アキラがこれまでに積み上げて来た冒険者としての技量を、思う存分発揮する機会となる。
アキラの勝利条件は、レナートに一撃を当てる事。
レナートは基本的に攻撃を行わないが、隙だらけの時は例外として攻撃を加える。
「私を殺すつもりで来てください。」
いつものにこやかな表情は無く、漂う不穏な気配を感じていた。
「はい。」
「では、初め。」
腹をトンと突かれる。
「次。」
「…はい。」
肩を突かれる。
「次。」
足を突かれる。
腕、手、背中、腰……。
体中のありとあらゆるところを開始早々に小突かれる。何度も何度も徹底的に。隙だらけだと言わんばかりに。
しかもレナートの姿が全く追えない。早すぎて何も見えない。いつの間にか触れられている。
「次。」
延々と繰り返されるこの言葉に、若干ウンザリしてくる。
その瞬間、杖を払い落とされる。
「殺すつもりでと言ったはずです。次。」
イラ~~~!!!!っとする。
そりゃあんたは今まで何度も何度も戦場に行ったかもしれないけど、俺は先月やっと行けるようになったんだよ。
しかも赤の騎士ってすげぇ強いんだろ!?あのエレナちゃんの守護部隊の人達だって、あの人は人外だってめっちゃ言ってたわ。
妖魔やら魔獣やらに何度も殺されかけてやっと何とかなってるんだからさぁ―――
鳩尾を突かれる。
「考えずに。次。」
何だよこの人…速いって言ってたサンダーバードだって見えたのに!何で見えない?全然動けねぇ!!
「やる気はありますか?次。」
ある!
「鈍い。次。」
態度が!
「次。」
変わりすぎじゃないか!
「次。」
見えた!
「残念。次。」
ここだ!
「当てずっぽうですか。次。」
くそ!
「次。」
くそっ!!
「次。」
くそっ!!!
「それで、全力ですか?」
はぁ?
「それで元の世界に帰れると思いますか?」
さんざん小馬鹿にされて、挙句の果てに「帰れると思っているのか」。
何だコノヤロウ……ふざけるな……
「勝手に呼び出したのはお前等だろうがああああアアアア!!!!」
普段の彼からは想像もつかないような目つき、口調。
さんざんに打ちのめされて、何も出来ない悔しさや情けなさ。普段は決して煽られても挑発には乗らないアキラだが、言い分があまりにも身勝手、そう感じた発言に自分を見失う。怒りが態度を豹変させ、言葉の箍が外れる。
レナートは涼しい顔をしているが、頬や背中にはじっとりと滲み出る汗。
飽きることなく打ち続けた、運動による汗などではない。
気圧されるとはこの事だな―――
「来たくて来たんじゃない!!!!」
「次!!!!」
「聞けやゴラアアアア!!!!」
レナートはこれまで数多くの戦場を駆り、数千・数万の敵、大魔獣、上級妖魔と対峙し、葬り去ってきた。
しかし目の前の男から向けられた圧倒的な威圧感は、それらの相手を遥かに凌ぐ。
怒鳴り声を聞くたびに肌が粟立つ。背筋が震える。一瞬でも気を抜くと、一気に呑み込まれてしまうと感じる。
レナートが徹底的にアキラを煽っていたのは、この状況を待っていたからだった。
アキラが初戦で倒したブラックウルフの態度。怯え、攻撃すら躊躇したその理由。
彼が激しく感情を昂らせて怒鳴りつける時、相手を強く威圧して身を怯ませる。
妖魔や魔獣との戦いのときに、その片鱗を見せて戦っていた。
しかし、安易に威圧で戦う事を覚えてしまうと、その威圧が通用しない相手と対峙するような事があった時に、対処が出来ない。
戦うための技量をしっかりと高め、威圧すること無く戦い抜かなければ、確実に死を招く。
レナートは肚を括り、覚悟を決めて向き合った。
はずだった。
切っ先が微かに震え、足が動かない。一歩が踏み出せない。
初めての経験に、やや戸惑う。
その間にも、目の前の敵は構えの姿勢を取るが、その動きは単純だ。
低く腰を落としてからの踏み込み、そして飛び込み、突く。
どうという事もなく躱せるただの飛び込み突き。全て見えている。
筋力が高まった訳でも無く、速度が速くなった訳でもない。
「オラアアアア!!!!」
その声で身が竦む。しかし硬直した右腕を強引に動かし、アキラが突き出す切っ先に合わせて軌道を外しにかかる。
だが全身の力を持って強く押し込まれた杖は、レナートのささやかな抵抗を無視して肩を打つ。
「くっ……それまで!」
「何がそれまでだよ!!!!」
アキラはさらに距離を詰めて杖を払うが、杖で軽く受け止められる。
一撃を当てられた瞬間に硬直が解け、ようやく威圧感から解放されたレナートが本来の動きを取り戻した。
「アキラさん、私の負けです。」
「ああっ!何が!」
「申し訳ございません、大変失礼な事ばかり言ってしまいました。」
「今さら何を―――」
「アキラ!!!」
道場の入り口の方から聞こえて来たのは、久しぶりに聞くあの人の声だった。
「エレナちゃん……」
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