#19 渇望の牙 <Ⅲ期 変異期>

「んむ…?」

 翌朝、ルナは久々に自力で目を覚ました。目覚まし時計に目をやると数十分ほど早い起床のようだ。

 しかし、その目覚めはすっきりしたものではなかった。

 ルナは口の中に違和感によって起きたのである。

 ルナはまだ眠いのか、目をこすりながらゆっくりと体を起こす。

 口の中の違和感のために何度も舌を動かして確認するものの、全く原因と思われるものに行きつかない。

「…眠い。」

 ルナは二度寝することにしたが、口の中の違和感が気になってしょうがない。人間は一度気になってしまうとそれに気をとられっぱなしになることがよくあることで、ルナもそのせいか眠れない。

 結局眠らないまま、目覚ましが鳴ってしまった。


 仕方なくルナは二度寝を諦めて洗面所へと向かった。

「あーん。」ルナは大きく口を開けて原因を探る。

「…ん~?」でも口の中に特に変わったところは見当たらない。

 ルナは一旦口を閉じて、舌でその原因を探る。

「…。」

 ルナはしばらく探るとなんだか慣れない感触に触れる。

「いー。」違和感の正体は歯だったようで、ルナは歯を観察する。

「…!」ルナは犯人を見つけたようだ。

 その犯人は犬歯だった。あまりはっきりとした変化ではないが少しだけ伸びて、鋭さを増している。牙…というには程遠く、八重歯というほうが適切だろうか。

 しかし、紛れもなく犬歯が牙に変化し始めたということである。

 普通であれば、びっくりしたり恐れたりなど何らかの反応があって然るべきなのだが、ルナは見つけた時こそ反応をしたものの、何事もなかったかのような表情だった。

 いや、見る人が見ればわかる些細な表情の変化があった。その表情はどこか嬉しそうな、喜んでいるようなそのような表情。ルナ本人は気づいていないようだが、内面にも変化(というより浸食だろうか)が進んでいるようだった。


 ルナがようやく洗面所から出てきて時計を見るといつもより20分ほど予定が遅れてしまっていた。

 それを見たルナは朝食を作るために慌ててキッチンに向かった。今日の朝食はいつもより簡素なものになりそうだ。


 それ以外には特に変わったこともなく順調に一日が過ぎていき、何事もなく夜を迎え、そして平穏に就寝時間になり、ステラの大きないびきをBGMがわりに眠りについた。


 翌朝。この日もルナは口の中の違和感によって目が覚めてしまった。

「ん…。ということは。」ルナも即座に理解したようで、一先ず目覚まし時計のアラームを解除し、乾いた喉を潤してから洗面所へと向かう。

 鏡を見るとやはりというべきだろうか、昨日より犬歯が伸びている。

 牙というには少し小さく短いが八重歯というのは無理のあるサイズである。

 それに口を閉じてもわずかながら口元から牙の先端を覗かせていた。

 鏡に向かって牙を何とか見せないように格闘すること約5分。どうにか牙が見えないようにするコツを習得したようで、意識をしておけば見えないようにすることに成功した。

 問題を解決し、キッチンへと向かおうとすると。

「ふわ~ぁ…。おはようルナ。ん~…今日はなんだかいつもより目覚めがいい気がする…。」

 とステラが伸びをしながら起きてきた。

 その様子を見たルナはドキッとした。

「…。」

「ルナ?どうしたの?ボクの顔に何かついてる?」

「…あ、いや、なんでもないよ。おはよう、ステラ。」

 なんでもないとごまかしたルナだったが、実はステラに見惚れていたのである。

 特に伸びをしたときに見えた首筋に。

 ドキッとしてしまったのはその時でステラがあまりに無防備な状態であったこと、そして首筋からうっすらと透けていた血管。そこから目が離せなかった。

 そこにステラの呼びかけがあったから意識が現実に引き戻されたのだが、もし呼びかけがなかったらもっと長い時間見惚れたままだっただろう。


「朝食…作ってくるね。」そう言ってキッチンへ向かうルナ。

 実はこのままステラといるとまずい気がした。それは自分の心境のせいだった。

 見惚れていたときの自分の感情…、それはという人間ではありえない感情だった。以前にも同じ感情になったことはあれど、今回ははっきり自覚できる程であった。それに気づいたからこそ一度ステラから離れ、気を落ち着かせる必要があった。

 何日目かもわからない赤い料理シリーズ。普通の彩色の料理を食べたのはいつだっただろうか。そんなことを考えながら調理を進める。

 そうは言っても今のルナの主食は本来ならば血液なのだ。それ以外の赤い食べ物以外は基本的に受け付けられない体になってしまったのだから仕方ない。

 ちょっと前に大量に買ってしまったトマトを加工したものはまだ大量に残っているのだからこれも消費したい。

 いろんな考えを巡らせているうちに料理が出来上がってしまった。

 ともかく、少なくともこの日の朝は平和そのものだった。


 学校に行く時間になり、いつも通りの時間にいつも通りのメンバーといつも通りの道を歩いて、いつも通りの教室へ行く。

 見た目はずっと同じこといつも通りのことなのだが少なくともルナは大きく変わってしまっている。でも、それがみんなに伝わるのはもっともっと先になるのだろう。

 とりあえず今はいつも通りであるその幸せを踏みしめよう。ルナはささやかな幸せを感じていた。

 そして、ルナにとって非常に憂鬱な時間…屋外での演習の時間が今日もやってくる。

 この日の天気も快晴。この頃快晴続きでルナはこの時間になるといつもげんなりしてしまう。

 吸血鬼にとって弱点の日光が燦々と降り注ぐ演習場に行きたくなる吸血鬼なんていないわけだが出ないわけにもいかず、具合が悪くなりつつも仕方なく参加するしかない。

 と、日向に出るとあることに気付く。

「…?(なんだろう。私の影がおかしい…。)」

 日向に出ればその人にあった人影がうつる。それは自然の摂理で何ら不思議ではない。でも、この日のルナの場合は確かに自分の影で相違ないが、注意深くよく見てみるとおかしいシルエットがうつっている。

 非常に薄くてわかりづらいが、大きなコウモリの羽のようなシルエットがあるのだ。

 勿論、今のルナに羽は生えていないがなんだか自分の本質が反映されている気がしてテンションが思いっきり下がる。

 ふつうは誰も影なんて気にしないので誰にも気づかれずには済んでいるが、気分がいいものではないだろう。


 ただこの日はこれ以上特記することもなく終わる。


 さらに翌朝。ルナはこの日も目覚ましより早く起きた。

 洗面所へ行って確認すると犬歯がしっかりとした鋭い牙へとなっていて、変化が終わったのが見て取れた。しかしながらさらに長さを増した牙はどうやっても口元からはみ出してしまう。

 ルナは認識阻害がしっかり効いていることに賭けることにして格闘することを諦めた。

 そしてキッチンへ朝食を作りに行って、出来上がったものをテーブルに運んでいると最近なぜか早起きなステラがダイニングへやってきた。

「ん~…。今日もいい朝だね。」とステラが伸びをする。その時ステラの首筋があらわになる。


 ドクン…


 ルナの心臓が高鳴り、「ゴクリ…」と生唾を飲み込んだ。

 無防備な獲物ステラの様子を見てルナはに襲われる。

「くぅ…。ステラごめん…。ごはん一人で食べて…。それと今日は午前休む…。」

 ルナは本能を理性で抑えこみ、苦しそうな声でそう言うと寝室へ走っていきベッドへ飛び込んで、布団の中で丸まった。

 ステラはその様子を見て心配になったものの動きの素早さに「あ、うん…。」としか言えなかった。

 布団の中ではルナの頭では今も目の前にいる獲物から血を吸いたいという衝動が次から次へと湧き上がってくる。ルナは必死に理性で押さえつけ、耐え続ける。

「(まさか…もう吸血衝動が出てくるなんて…。)」

 いずれは出てくるものだとルナもわかっていたがここまで早いタイミングで出てくるとは思ってもみなかったようで、ショックが大きいようだ。

 頑張って耐えているとドアが開き、ソフィーの声。ステラが説明をして心配する声。そしてドアの閉まる音。そして静寂。どうやら二人は学校へ向かったらしい。

 ルナはベッドから出てきて朝食をとる。空腹を満たせば衝動も収まるだろうと思ったからだ。

 確かにルナの考えは間違いではない。吸血衝動も一種の食欲から起こるものだからである。

 しかし、長期間血液を吸っていないルナは一種の飢餓状態でもある。抑え切れたのはルナの強固な理性の賜物であった。


 お昼ごろになり昼食をとりつつ大量のトマトジュースを飲んでいると、不意に部屋のドアが開いた。

「ルナ、大丈夫?」

 と二人が様子を見に来た。

「うん。なんとか…ね。」

 ルナは吸血衝動が残っているものの、食事をとった直後だったこともあり体裁を取り繕うことはできた。

「具合が悪いなら今日は休んだ方がいいんじゃないかしら。」

 とソフィーは心配そうに言ったが

「大丈夫。すこし休んだら気分はよくなったよ。」とやせ我慢で応じた。


 そうして午後の演習に臨むルナだった。この後大事件が起こるとは露知らず。

 演習場に出てきたルナはまず自分の影をチェックした。

 昨日より羽の影が濃くなっている…ような気がしないでもないが明らかな変化はないようだ。

 そしてこの日の演習が始まったが、明らかにルナの動きが悪い。

 日光にあたっていることに加えて後方支援のルナはほかの人との距離も近い。ということは獲物となりうる人間がたくさんいて、吸血衝動を抑え込むことに集中してしまい、演習に身が入らない状態なのだ。

 なんとか耐えながら後方支援を続けていたその時「ルナ!危ない!」と声が聞こえた。振り向くと後方強襲部隊が襲ってきていた。

 すでに攻撃態勢に入っていて防御が間に合わない。

 ルナはとっさにカウンター魔法で対抗した。

 次の瞬間。ルナの視界が真っ赤に染まる。

 そして視界が奪われ何も見えないがが体中にかかる感覚。

「きゃああああ!」そして大きな悲鳴。

 ルナの視界が戻るとそこにはお腹の一部が抉れている強襲してきたクラスメイトと慌てた様子のクラスメイト。

 そして自分の体を見るとおそらくだろう、返り血がべっとりと体中についていた。

 ルナはここで自分がクラスメイトをこんな状態にしたと理解する。


 どうしてこうなったのか後でわかったことだが、ルナがとっさにカウンター魔法を打った。

 しかし、あまりにもとっさだったため手加減ができなかった。

 さらにルナは最近魔法の威力が上がっており想定以上の威力があった。

 そして攻撃態勢だったクラスメイトは回避行動も防御もできずまともに食らってしまったということだった。


「ご…ごめんなさい!」そう言って走って逃げだすルナ。

 他の人は倒れて動かない瀕死のクラスメイトを懸命にどうにかしようとしていたり医務室へ先生を呼びに行ったり監督していた先生に助けを求めに行ったりで大混乱だった。

 ただ、クラスメイトの認識の中にはけがをさせてしまった人はそっとしてあげたほうがいいという考えもあり、気には留めなかった。


 血まみれのルナは泣きながら寮へ逃げ帰る。そして血を落とすためにシャワーを浴びようと洗面所へ。そこに映ったルナの顔にさらに大きなショックを受ける。

 口角を大きく吊り上げてのだ。指で口角を無理やり元に戻してもまた吊り上がる。

 そして無意識だろうか、血液のついた指をペロッとなめた。

 するとルナは「おいしい…。」とつぶやき、体中の血液を指ですくってはなめていた。

 ルナが気が付くと体中についていたはずの血液がほとんど落ちているのに気付いた。

 そして、直後に無意識下での行為がフラッシュバックする。


 そのあとはルナは魂が抜けてしまったかのような状態だった。服を脱ぎ、シャワーで体を洗い流し、そしてベッドへ倒れこみ、そして意識を喪失した。

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