喪失

もう無い。私があげた大切な絵。

要らなくなったら返してと言ったのに、ゴミに出しちゃった、と直接口から聞いた時はひどく怒った。

ゴミ置き場にはもう無いかもしれないと彼にぼそりと言われた。

心底腹が立って思い切り一発叩いてやろうかと思ったけど、もしかしたらまだあるかもしれないと思ってアパートの階段を駆け下りた。少しの可能性を信じて。


彼はいつも曖昧なことしか言わない。多分そうだと思う。かもしれない。だとか。

言い逃れを常にしているようで聞いているだけでうんざりするようだけど。


高いヒールをカツカツ鳴らしながらゴミ置き場のゴミ袋をガサガサと探して半ば荒らすように見回った。

古ぼけて黒ずんだようなあの懐かしいベニヤ板はもう無くなっていた。誰か持って行ったのかしら。


ああ、と心の底から悲しむような声がおのずと出てきた。


腐れ縁みたいにずっと続いてきた要らない縁のようなものが切れる瞬間がまさに今なのでしょうと思う。ずっとずっと切りたかった縁。


絵が捨てられて良かったとは全く思わないけど、むしろ絵がそこにあってまた取り戻してずっと彼と一緒にいるよりはまし。


彼はずっと部屋にこもったまま。一人でうじうじと、現に一緒に降りてきてどこに絵があったのか、いつ捨てたかなんて確認しようともしない。

無駄な時間だったように思えた。

彼に世話を焼き、独りぼっちだから寂しいでしょうと一緒に連れ添った時間が。


絵はもう戻ってこないような気がする。

水平線の遠くまで続く海。風が吹いて水しぶきを上げる波。帆を広げる船。船の長旅を見守る丸く黄色い月。

綺麗な絵だった。

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