プロローグ (2-1) 人など来ない山奥で

   

 そこはかとなく異臭も漂う、朽ち果てた山荘。

 廃墟探索マニアくらいしか訪れないであろう、関東近郊の山奥で、二人の人物が拳を交えていた。

 陽の光に照らされた野外とは対照的に、廃棄された建物内部は、電灯もつかない環境だ。それでも、ガラスの抜け落ちた窓や開きっぱなしのドアから光が差し込んでくるため、二人とも、昼間の戦闘には困っていなかった。


「よくもまあ、俺の攻撃をかわし続けるもんだな」

 ジーンズ姿の男が、少し息を切らしながら、吐き捨てるように言い放つ。

「俺の拳を一度でも受ければ、あんたなんてイチコロなのに……」

 男が対峙しているのは、セーラー服を着た女子高生。埃だらけの廃屋では、場違いにも見える服装の少女だった。

「あら、そうかしら。でも……」

 少女は、余裕のありそうな笑みを浮かべた。ニッコリとした友好的な笑顔ではなく、ニヤリという感じの不敵な笑い方で。

「……オジサンの攻撃が私に当たらないのは、当然でしょう? だってオジサン、もうトシだから、若者の動きについていけない感じですもの」

 彼女が『オジサン』と呼んだように、男は二十代後半、あるいは三十代半ばくらいだとしても不思議ではない容貌だった。

 だから少女から見れば、男が着ている青いジーンズの上下も、無理して若作りしているように思えるのだ。

 いや若作りというより、その『青いジーンズ』そのものが、少女のセンスでは時代遅れに感じる。それこそが、オジサンのオジサンたる所以かもしれなかった。

 もちろん少女は、そこまで詳しく口にしたわけではない。だが『オジサン』という一言だけでも、男の感情を逆なでするには十分だった。

「そんなこと言ってられるのも、今のうちだけだ!」

 少女に向かって、叫んだ男が再び突撃する!


 そして。

 幾度もの攻防の後。

 汚れた廃墟の床板に、少女は組み伏せられていた。

「へっ。ざっと、こんなもんだ」

 下卑た笑いを浮かべながら、男は勝利宣言のつもりで、一言だけ口にする。

 彼は左右それぞれの手で、少女の手首を押さえつけていた。いかにも「体の自由は奪った!」と言わんばかりの態度だが……。

「あら? それで勝ったつもり?」

 少女は両足を揃えて、思いっきりキック。男を蹴り飛ばすことで、あっさり脱出してみせた。

 再び立ち上がった少女に少し遅れて、跳ね飛ばされた男も、臨戦態勢を取り戻す。

「やってくれたな……。だが、一度でも俺に掴まれた以上、もうあんたはオシマイだ」

 男は、先ほどまで自分が握っていた箇所に――少女の両手首に――視線を向ける。それほど強く力を込めたわけでもないのに、少女の手首は、真っ赤に腫れ上がっていた。内部で毛細血管が破れて出血し、熱を帯びているような感じだ。

「あんたも知ってるだろ? 俺のコードネームは……」

 誇らしげに名乗りを上げようとする男だったが、最後まで告げることは出来なかった。少女に、先に言われてしまったのだ。

「ええ、知ってるわ。あなたのコードネームは『エボラ』。ドラマや映画でも有名なエボラ出血熱……。あれの病原体であるウイルスを、コードネームの由来にしてるのよね」

   

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