第三話:和ヶ原と、刀とお茶と3500円の笊

 鋼の鍛錬を追え、興奮冷めやらぬ我々は場所を鍛錬場の隣の作業場に移しました。

 居住スペースと、鍛錬以外の作業をするスペースが半分ずつになっているような板の間に座布団をいただき、各々思い思いに腰かけます。


 一般的に想像される対面での取材がここから始まるわけですが、我々のために一仕事してくださった川島さんは、やおらキッチンスペースにあった冷蔵庫を開け、ビールの瓶を取り出すではありませんか!


 川島さん「ちょっと試してみませんか。面白いビールがありまして」


 岡山県産の柑橘類ベースのフルーツビール!

 美味しそうなのは分かる!

 でも残念なことに、和ヶ原、体質でお酒全く飲めないんです!

 飲食店アルバイト歴12年。その内10年近くが居酒屋なんですが、実は和ヶ原、一滴も酒が飲めません。無念。

 浅葉も同じく酒をたしなまず、それでもせっかく進めていただいたので編集者二人がお酒をいただくことに。

 和ヶ原は知っている。

 特に編集A氏が、中国上海のイベントの後の会食の席において、白酒の乾杯合戦で現地の中国人アテンドさんを倒した酒豪であることを!

 閑話休題、酒が飲めない作家二人のために、川島さんは思わぬものを取りだしました。

 

 川島さん「それじゃあせっかくなんで、いただいたものですがこれを」


 川島さんが取り出したのは、和ヶ原が手土産として持ってきた、地元埼玉県の名産狭山茶。

 あえて言うのも口はばったいことではありますが、持ってきたのは贈答用のハイエンドな銘柄でして、自分でも飲んだことがあって美味しさを知っていたため、これなら間違いないと選んだものでした。

 ですが、この直後、和ヶ原はこのお茶の本当のおいしさをそれまで知らなかったのだと気づかされます。


 川島さんは続いて、備前焼の茶器セットを取り出しました。

 急須と湯呑み、なんてものじゃありません。

 一般的に玉露や上級煎茶に用いる『宝瓶』とか『絞り出し』と呼ばれる茶器を使って丁寧に茶葉を蒸らし、その間に湯冷ましまで用いて一人一人の茶器の温度を上げ、お茶を注ぐのに最適な温度に調整します。

 いわゆる「美味しいお茶の淹れ方」みたいな感じで誰もが一度は見たこと聞いたことはあるけど、実際にやるとなるとなかなか時間がかかって面倒なのでやろうとしないあれです。

 川島さんの手つきには一切のよどみがなく、茶器も綺麗ですが使い込まれた様子が見られます。

 そうやって目の前に用意されたお茶を一口含んで、和ヶ原は唸りました。

 茶の旨味って、こういうことか、と。

 舌がお茶の旨味と甘みを全体で受け入れて沸き立ち膨らむような、そんな感触を初めて覚えました。

 自分で以前飲んだときは、絶対にこんな味ではなかったはずです。

 ただ香りと程よい苦みに対し「あー美味しいなー」くらいに思った記憶しかありません。

 自分で持ってきたものを差し上げた人に淹れていただいて、初めて飲んだような感じになってしまうのもどうかと思うのですが、本当に初めての味だったから仕方がない。


 おいおい刀匠にインタビューしたんじゃねーのかいつまで茶の話をしとるんだ、と思うことなかれ。

 この一事が、ある一人の刀匠の、刀を離れた、でも刀に通じる生き方に触れた瞬間でもあったのです。

 川島さんの鍛錬場の作業場には、沢山のものが置いてあります。

 もちろん刀に関する書籍、資料、道具、ポスターや飾り物なんかもあったのですが、ひときわ目についたのが、コック付きの大きなお酒の甕でした。

 父の日ギフト集みたいなのに掲載されてるようなチャチなものではありません。

 恐らく三升くらいは余裕で入る、業務用サイズの焼き物の甕です。

 他にも茶器が取り出された棚の中にちらりと見えたのが、カクテルシェイカー。

 後で伺ったところによると、ステンレス製の安物ではなく、飲食業界で『洋白銀器【ようはくぎんき】』と呼ばれる本格的なシェイカーでした。

 そして、先ほども述べたように、日本茶を淹れる際には用途に応じた茶器が臨機応変に取り出されます。

 

 これだけ見れば、川島さんがお酒やお茶に関して強いこだわりがある程度のことにしか思えないかもしれません。

 ですがこれらのことは後々、和ヶ原が今回の取材企画であらかじめ発した、日本刀に関する一つの質問に集約されていくのです。

 

                    ※


 日本刀には『数打ち【かずうち】』と呼ばれる刀があります。

 今風に言えば量産品のことです。

 現代に生きる我々にとって、日本刀は高級な美術品、工芸品です。

 詳しい人ならいざしらず、本物の刀を持ってる、なんて話を聞けば、無条件でそれなりにお高いんじゃないかと想像を膨らませることでしょう。

 更にそれが古い刀だったりしたら、もう歴史的な価値を妄想してしまうまで普通にあります。

 ただ、当然そうでない刀も、沢山あります。

 一般的に名刀と数打ちでは、原材料となる鋼の質や、鍛錬過程での折り返し回数、砥ぎなどで大きな違いがあります。

 そしてなぜそんな刀が作られたかと言えば、当然刀が一度に大量に必要になる機会が生じたわけで、それは大抵の場合は戦備えということになります。

 武将が佩くならいざ知らず、徴発した大勢の農民に大量に武装させるのであれば重要なのは質より量。

 まず戦える人間を用意することが第一なため、数打ちの刀が大量に必要になるわけです。

 以上の、数打ちとは何なのかの理屈をご理解いただいた上で、和ヶ原がこの質問を発した理由をお察しください。


『もし今自分(川島さん)が数打ちをする必要に迫られたとき、それができるか』


 一応の前提として、現代日本で刀匠が刀を打つ場合、一振りの刀の作刀に最低二週間かけなければならないというルールがあります。

 なので、一人の刀匠が一年に打てる刀の数は、最大で24本と決まっています。

 まして現代の刀は高級美術品で、刀匠にも生活があるわけですから、生まれた刀を何らかの形でお金に変えなければなりません。

 こういった理由から、現代に戦国期と同じ数打ちの刀が自然に生まれることは絶対にありません。

 ただ、和ヶ原が今回行うのは小説の取材。

 現代に生きる刀匠が、戦国期と同じ環境に放り込まれた場合、果たしてどのように考えるのかということを知りたかったのです。

 ありていに言ってしまえばこの質問を考えたときの和ヶ原は、小説の中の刀匠が、異世界転生なりタイムスリップなりしたときのことを考えていたんですね。

 そういった質問をいくつか、三週間ほど前に事前にお送りしていたのですが、はっきり言ってしまえば、鋼の鍛錬を見せていただく過程の中で、和ヶ原の送った事前の質問などそれこそ鞴の一吹きで軽く吹き飛んでいました。

 事前の質問で10知ろうとしていた和ヶ原に、既に川島さんは50のことを先取りして教えてくださっていました。

 そのため、このインタビューの場でその50を踏まえた上で、川島さんは『良い刀』について語ってくださいました。

 良い刀とはどういう刀か。

 川島さんは、自説であり、作刀の師匠から教えられたことでもあると前置きしたうえで、こうおっしゃいました。


 川島さん「古い刀で良い刀って、重いんです」


 これは単に重量があるという意味ではなく、重い刀として作られ、現代に至るまでその重さのまま残っていることが重要なのだそうです。

 川島さんは備前一文字の刀の最高傑作と呼ばれる国宝『山鳥毛【さんちょうもう/やまとりげ】』を目標に、刀を打たれています。

 上杉景勝の刀であった山鳥毛は岡山県立博物館に寄託されており、触れる機会があったときにはとても重かったと川島さんは仰っていました。

 日本刀は、武器であるという側面からは目を背けられません。

 武器である以上、使えば研ぐ必要があります。

 砥ぎ減り、と呼ばれるのですが、研磨された刀は当然その分だけ重量が減ります。

 でも、それが減っていない、重いままというのはどういうことか。

 武器としての側面があるからこそ、『振るわれることがなかった』『振るう必要がない人物が所持するものだった』『そのため砥がれておらず重い』刀は良い刀なのだと、川島さんは考えておられました。

 詰まるところ川島さんが考える『刀の良さ』は『何のために作られたか』に尽きるのだと和ヶ原は理解しました。

 もちろん素材が高級で、刀匠の腕が最上級で、切れ味が鋭そうで拵えが美しい刀が、定量的な意味で良い刀であることに疑いはありません。

 ただ現代の刀匠は和ヶ原に、『良い刀』とは『愛されて生まれてきて、持ち主に大切にされてきた刀』であるという回答をくださいました。


 

 川島さんとのお話の中で、象徴的に何度も出てきたものがありました。

 川島さんの作業場のキッチンにつるされていた、3500円の笊【ざる】です。

 手編みの工芸品であるという笊を、川島さんは大切に使っておられたのですが、一方で川島さんは、普通に生活する上でただ食材の水を切るだけなら別にそんな高い笊なんか使わなくてもいい、と考えておられました。

 ただ、この3500円の笊を作った方の思いを受け取りたかった、と仰っていました。

 大量生産品を否定はしないし、そういったものに支えられている物事は絶対にある。

 ただあくまで自分は、大量生産品よりも心のこもった何かがあるのなら、それを使いたい。

 実際にそういうものを使うと、他の心のこもったものも答えてくれる気がする。

 大意として、川島さんはそういったことを仰っていました。

 そして我々は既に、その証左とも呼べるべきものを目にしていました。


 川島さんは和ヶ原と同じ茶葉を用いて、和ヶ原がそれまで適当に使っていた茶葉から、信じがたいほど豊かなお茶を淹れてくれました。

 というより、和ヶ原が本当の姿を引き出していなかった、という方がこの場合正しいでしょうか。

 

 和ヶ原はお酒を飲めませんが、それでも長年お酒を作ってお客様に提供する仕事をしてきました。

 その中でカクテルシェイカーを扱うこともあったのですが、ステンレス製のシェイカーと洋白銀器のシェイカーとでは、同じ酒、同じ氷を使って素人が振っても、明確に音が変わります。

 音が変わるということは、もう振りが変わっているも同然で、味も当然変わってきます。

 

 お酒を密閉して保存するタンクは、周囲の環境が同じなら、ある程度のサイズまでは大きければ大きいほど安定して保存が効きます。


 ここからは刀匠が、というより川島さんが、というお話になってしまうのですが、川島さんは心を込めて作られたものを、より心を込めて受け入れたい方なのだと思いました。

 だからこそ実は作られたものの定量的な値段であるとか素材の良さはさほど問題ではなく、そこにあるもののポテンシャルをどう最大限引き出すかを考える方なのだろうと。

                 

 そういう意味で、きっと川島さんにとっては、定量的、物理的な意味での名刀・数打ちの別はさほど大きな意味はないのだろうと思いました。

 粗悪な刀を打っていい、という話ではありません。

 ある条件の中で最大限良い刀を作ろうと努力する人がいて、受け取ったその刀をより良く扱おうとした人がいたら、その刀は良い刀になる、そういうことなのだと理解しました。


 誤解の無いようにお断りをしますが、和ヶ原は決して川島さんの考えを『刀匠の一般論』として受け入れたわけでも広めたいわけでもありません。

 物を作る一個の人間の考え方に感銘を受け、そのものの考え方を何らかの形で小説に落とし込む可能性が高まった、ということです。


                   ※


 インタビューの間に、前回のラストで鍛錬が終わった後の火床【ほど】にかけられた芋が焼き上がり、卓に供されました。

 これがまた唸るほど美味しかった。

 サツマイモ以外にも皮付きのサトイモが焼かれており、これに軽く塩をつけると無限に食べられるくらい美味いんです。

 これもまた、農家の人が心を込めて作ったもののポテンシャルを最大限に引き出して心を込めて食した、と言えるのでしょうか。

 さすがに火床と松炭は誰にも真似はできませんが。


 この取材企画が立ち上がってから、ずっと心に決めていたことがありました。

 インタビューをする刀匠に、刀を一振り打っていただく依頼をすることです。

 最初に考えたときには、単に子供の頃からの憧れを真実形にしたい、と思っていただけでした。

 ですが今回のインタビューを通じて、この刀匠が打つ刀は、良い刀になる以外の道がないと確信し、改めてインタビューの終わりに作刀のお願いをし、快諾していただけました。


 当たり前ですが、(後で色々調べたら破格ではあったのですが)決して安い買い物ではありません。

 さすがに編集部もそんなお金は出してくれませんから完全に自腹です。

 単に本物の刀を資料として欲しいだけなら、他にいくらでも手があります。

 川島さんは、今から予約を入れて実際に打てるのは三年後と仰っていましたから、和ヶ原が刀を主な要素として描いた小説は、それより前には書きあがるでしょう、多分! きっと! いや絶対!

 それでもなお、一振り持つなら絶対にこの人が作った刀がいい、と思ったのは、川島さんが3500円の笊を買ったときに思った理由と、基本的には同じなのではないかと思います。

 刀作りの仕事をご自身のしごと――『志事』と仰った川島さんのお時間をいただいた和ヶ原も、この取材を必ず仕事に生かし、いずれ『志事』として世に出したいと強く思えた、そんな岡山刀剣取材の初日でした。

 著者近影でもおなじみ、和ヶ原の相棒と、和ヶ原のサンマと一緒に。

 川島さん、本当にありがとうございました!!



 次回、岡山取材二日目!

 再びの備前長船刀剣博物館!

 お楽しみにお待ちくださいませ!


☆このブログの次回更新は、7月26日(金)予定!!!

★取材に同行した浅葉なつによるスペシャルエッセイもチェック

⇒第三話補記:浅葉なつ、もうひとつの電撃ディスカバ:Reポート

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