第二話:和ヶ原、炎の美しさを知る

 2月某日。

 関東地方の天候はややぐずついた日の朝。

 和ヶ原はうっきうきで自宅を飛び出しました。

 取材をする日のテンションには、独特なものがあります。

 これは『はたらく魔王さま!』という、異世界の主人公が日本の日常生活を新鮮に受け止めるところから始まる作品を長く書いてきた故のクセかもしれないのですが、まず朝玄関を出るところから、頭が取材モードに切り替わります。

 別に自宅周辺の朝の様子の中に作品に還元できる何かがそうそうあるわけが無いんですが、取材に出る日はやはりあらゆる感覚が鋭敏になるものらしいです。


「おー! あそこの庭の梅が咲いてる! あ! 牛丼屋さんの換気扇から良い匂い!」


 とかなるんです。

 一体それに何の意味が!?というところまで目や耳や鼻が行ってしまうので、現場にたどり着くまでにきちんとアンテナの感度を絞っていく必要があります。

 そうでないと、それこそ最初に「日本刀を学ぶぞー!」とありとあらゆる場所に手を伸ばして訳の分からないことになった脳みそ車裂きの再現です。


 とは言えです。


 今回はついに、電撃ディスカバRe;ポートの本番。

 出版社パワーを後ろ盾にした過去最高のシチュエーションでの取材です。

 その上、一カ月前の予習取材のおかげで、アンテナの感度が更に向上しています。

 もうテンションはうなぎのぼりの鯉のぼり。


 今回の取材は和ヶ原と、和ヶ原の担当編集A氏。電撃ディスカバRe:ポートの担当編集K氏の三人で東京を出発。

 岡山駅に到着したら先月の予習取材で協力してくれた浅葉なつと合流。

 更に二日目からは浅葉なつの担当編集S氏が合流し、最大5名での行動となります。

 なんというかもう、単純にこのシチュエーションがアガるわけですよ。

 いかにも『作家っぽいことしてる!』感がありまして。

 あまりにテンションが上がりすぎて、東京駅での和ヶ原は初めて新幹線に乗る幼児みたいな心持ちでした。

 大人になってから誰かに駅弁買ってもらえるって、こんなに嬉しいことなんですね!


                    ※


 さて、それはそれとして、取材は大切な仕事です。

 和ヶ原が新幹線で朝食を食べてようやくテンションが落ち着いたのを見計らって、編集K氏が段取りを確認してくれました。

 

 今回の取材は一泊二日予定。

 一日目のこの日は、備前の刀匠の作業場にお邪魔します。

 二日目の昼は、一カ月前にも予習取材をした備前長船刀剣博物館の学芸員さんにお話を伺い、夕方には、やはり予習取材で参拝をした靱負神社【ゆきえじんじゃ】の神職の方にお話を伺うことになっています。

 一度の取材で、これほど多くの専門家の方にお話を一度に伺うなど、過去に例のない濃厚日程です。

 テンション上がります。

 更に、この一カ月後に控えていた別の仕事の打ち合わせまで始まります。

 テンション上がります!

 色々な話で盛り上がりつつ、三人で話していると、やはり一人で行くよりも格段に時間が短く感じます。

 テンション上がります!!

 岡山駅で浅葉なつと一カ月ぶりに再会。

 ホテルに荷物を預けたら、さっそく刀匠にお会いするために、播州赤穂線に乗って長船駅へ!

 一カ月前も、備前長船刀剣博物館に行くために浅葉なつと乗った鉄道です。

 二度目となれば慣れたもの。

 いやぁ、再び長船に乗り込むんだ、気が引き締まって……。

 …………やばい。

 ここにきて急に緊張してきた。

 これまでも『その道のプロ』にお話を伺う取材をしたことはあったのですが、いずれの場合も知人を通しての紹介だったのと、これまでの人生で接したことのある業界、分野の方だったので、過剰に緊張することなく接してきたのですが……。

 急に緊張してきた。


 第一話でもお話しした通り、『刀匠』と『刀』は、和ヶ原にとって『憧れ』だったのです。

 その『憧れ』に実際に会えるのに、緊張しないわけがない。

 取材に快く応じていただいていますので、いわゆる『日本の頑固な職人さん的怖さ』は全く抱いていませんでした。

むしろ感覚的には、小さな子供が電車の運転士さんや消防士さんに会えるとかそんな感じなのだと思います。

『憧れの大人を目の前にしたら緊張して何話していいか分からなくなっちゃう!』みたいな。

 三十も半ばを過ぎて何言ってんだと思われるでしょうが、本当にそうだったんだから仕方がない。

 

 今回お話を伺うのは、全日本刀匠会の中国・四国支部に所属されている刀匠・川島一城【かわしまかずき】さんです。

 なぜ、川島さんにお話を伺いたいと思ったのか。

 最終的に日本刀を主要なファクターに据えた小説を書くことが決まってから、いくつかプロットを立てた結果、どんな物語であろうとも、どうしても使いたい言葉が浮かび上がってきました。


 それが『一文字(いちもんじ)』です。


 日本刀の世界で一文字と言えば、それすなわち備前の刀工・則宗を祖とする流派の名であり、刀剣群を差すこともあります。

 備前福岡の地で作刀に励んでいた則宗が、刀の茎に刀工銘の他に『一』と彫っていたことから『福岡一文字派』。または『古一文字』と呼ばれたりもします。

 ありていに言ってしまえば、押しも押されぬ伝統と格式のブランドなのです。

 特に刀に詳しくなくても、時代劇や時代小説、ゲームやアニメなどを見ていれば、『菊一文字』という言葉を聞いたことがある人は多いと思います。

これは、後鳥羽上皇の御番鍛冶を務めた刀工・則宗がその優秀さ故に十六花弁の菊の御紋を銘に刻むのを許されていたこと。

 則宗が茎に『一』の字を彫っていたことなどから、この則宗が打った刀が周囲から『菊一文字』と呼ばれるようになりました。

 ただこれは周囲がそう呼んでいただけであり、実際に『菊一文字』という銘が刻まれた刀は2019年5月現在、存在しないとされています。

 ともかく、この『一文字派』と呼ばれる日本刀のグループの中で、則宗から始まった最も古いグループこそ、備前の『福岡一文字派』す。

 そして刀匠・川島一城さんは、この福岡一文字派の刀を理想とし、日々研鑽されている方なのです。

 時代の最先端で、最古の一文字を研究されている方のお話を伺えたら、こんなに素晴らしいことはありません。


 ということで、ドキドキしながら一カ月ぶりの長船駅に到着。

 長船駅は播州赤穂線の終点駅の一つ。

 なんというか、笑顔を浮かべつつもどこか緊張で顔がこわばってます。

 駅前の暗渠の柵には、さすが、刀の鍔【つば】の透かし入り!

 少し時間が早かったので、


 駅前にあったから揚げ屋さんでお腹を膨らませる。

 でかくてうまかったんですよ!

 緊張してるとか言ってた割に呑気な姿だなおい!

 でもね、腹が減っては戦はできんのです!


 取材旅行の大きな醍醐味の一つが、目についた地元のお店のものを食べること。

 お店の人から地元のお話を聞けたりとか、お客さんの様子から地域の雰囲気がなんとなく察せられるのです。

 このときも、編集者二人と浅葉なつをしり目に一人もりもりから揚げを食ってる横で、地元の小学生らしき子供たちがから揚げを買い求めに来ていました。

 慣れた様子だったので、きっとよく買ってるんでしょうね。

 


 さて、程よい時間になったので、川島さんの作業場に伺うためにタクシーに乗り込みます。

 長船駅前にはかなりの数のタクシーが待機しています。


編集K氏「すいません、川島一城日本刀鍛錬場って、分かりますか」


運転手さん「ん? ああ、川島さんとこ? はいはい、すぐですよ」


 さすが日本刀の聖地、長船。

 タクシーの運転手さんが刀匠の工房をご存知です。


編集K氏「川島さんのところまで、よくお客さんを乗せるんですか?」


運転手さん「たまにねー。この前も北欧から来たってお客さんを家族で乗せたよ」


 北欧から!?

 しかも家族で!?

 そんな遠くからはるばる日本刀を求めて人が訪れる刀匠に、これから会おうというのです。

 ただでさえ高まっていた緊張がより高まります。

 長船駅からタクシーで二十分弱だったでしょうか。

 大きな道からそれて車はどんどん山の中へと進んでゆき、周囲に人家が全くなくなった頃。


 我々は、刀匠の仕事場にたどり着きました。

 子供の頃、憧れた仕事と、仕事場です。

 風と木の音しかしない、とても静かな場所に「川島一城日本刀鍛錬場」はありました。

 

 静かです。

 本当に静かです。

 この静かさがとても重要であることは、すぐに明らかになります。

 そしてその静かな鍛錬場で、我々は刀匠と対面いたしました。



 刀匠・川島一城さん。

 真っすぐ目を見てくださる方です。

 とんでもなく太い鋼の芯が一本、ビシリと背中から大地に突き立っているような、そんな印象を抱きました。


 ご挨拶を終えると川島さんは早速、そもそもなぜ古くから長船で刀剣の文化が栄えたかを話してくださいました。

 一発目から『天目一箇神』【あめのまひとつかみ】の名が飛び出します。

 予習取材でも参拝した靱負神社【ゆきえじんじゃ】の御祭神であり、製鉄と鍛冶の神様であることまでは記憶していたのですが、ではなぜ『目が一つ』なのかを尋ねられます。


浅葉 「火の具合を見るので片目が弱る、ってことですよね、確か」


川島さん「……さすがです!」


 さすがは『神様の御用人』の世界の創造主です。

 この先も浅葉なつの刀・歴史・神道のあらゆる知識に助けられるのですが、その一発目がここでした。

 俺より浅葉なつがこの企画やった方がいいんじゃねぇかと思ったのは内緒。

 ただ、この『火の具合を見る』ことが、後々伏線となってくるのです……!



 とにかく、神様の名から始まった『なぜ長船で刀剣の文化が栄えたか』のお話。

 大和朝廷の権勢が未だ畿内に留まっていた時代。

 吉備【きび】(現在の岡山県周辺)には多くの豪族が割拠しており(長船近辺には無数の古墳や塚がある)、大和朝廷に対抗していたらしいこと。

 今いる吉備地方、そして吉備と地理的につながりの深い出雲地方が良質の砂鉄を産出していたこと。

 そこに、百済からの渡来人が製鉄技術を持ち込んだこと。

 大陸と、近畿以東からこの地に焼き物を扱う『陶工』集団がそれぞれやってきて窯を開いたこと。

 これらの要素が複雑に絡み合いながら歴史が進んだ結果、必然的に『刀』の文化が栄えるに至ったのではないか、と川島さんは推測していました。

 吉備に限らず全国的に文献に乏しい時代のお話なので、あくまで説の一つ、ということだそうですが、少なくとも我々には恐ろしく説得力のあるお話でした。

 世界史では銅製の武器から鉄製の武器に変わるまでに長い時間がかかりましたが、日本史では、銅器と鉄器はほぼ同時代に出現しています。

『銅剣(刀)』と『陶』と言えば、日本史における文化の象徴、出発点と言っても過言ではありません。

 学校の社会科の授業で、銅剣や土器の写真を見たことがある人は多いと思います。

 この長船地域には、その二つが日本の歴史の記録が始まる以前から根付いていたのですから、


川島さん「ただの田舎じゃないんですよ」


 そう仰るのも、頷けます。

 もちろん現場ではこんな箇条書きではなくもっと細かく詳しくお話しいただいたのですが、それを知るのは取材に行った我々の特権なのでここでは公開いたしません(!)

 ここまでのお話だけでも、その時代に思いを馳せながら歴史小説が書けるレベルの熱い言葉が降り注いでいるのですが、こんなに貴重なお話がなんとまだ前哨戦。



 ここからは刀そのものに話題が移っていくことになるのです……。


                   ※


川島さん「これが玉鋼【たまはがね】です」


 川島さんから渡されたのは、和ヶ原の握りこぶしほどの大きさの『玉鋼』。

 日本刀の原材料の一つであり、これを『鋼』に鍛錬していきます。

 多くの資料や書籍、ネットの資料などで『玉鋼』の情報を文章で知ることは比較的簡単ですから、ここでは単純に、和ヶ原がこれを手に持ってどう思ったか、をお話しします。


 重い。

 綺麗。

 そして、掌に載せるとちょっと痛い。


 です。


 わざわざ刀匠の鍛錬場にお邪魔しといて何を浅はかなことを言ってんだ、と思われる向きもあるでしょう。

でも、とても大切なことです。


 単純に玉鋼のことを知りたいだけなら、いくらでも資料や実物に触れる機会はあります。

 ここで重要なのは『全くの素人である自分』が『専門家の手からそれを渡されたとき』に『心がどのように動くか』でした。

 玉鋼の様々な情報と、このときの自分の心の動き。

 小説に直接的に落とし込まれる可能性が高いのは、圧倒的に後者です。


 まず、素手で触っていいものなのかと驚きます。

 そして、触らせてもらえたことが嬉しくなります。

 大きさの割に想像以上にずっしりと手に来る重みに驚きます。

 手に重みを感じながら、話していただいていることに聞き入り感心します。

 万一にも取り落としてはいけないと思うから、無意識に両手で持ってからお聞きした話を確かめるように矯めつ眇めつします。

 そこで、光に照らすと宝石のような虹色にまた驚きます。

 これが一体どのようにあの刀身の形に進化するのだろうとわくわくします。

 しばらく持っているうちに、厳しい手仕事をしていない自分の柔らかい掌に、スポンジ状の角が刺さり始め、強い刺激を感じます。

 未知の素材を心行くまで眺め満足して、それを両手でお返しします。


 これが、川島さんの鍛錬場で玉鋼を手に持った瞬間の和ヶ原の心と体の動きです。

 もっと言えば、日本刀に興味のある素人が同じシチュエーションに置かれた場合、辿るであろう心の動きでもあります。

 そして、小説の登場人物のリアリティは、いかに作品世界の中で自然な日常の感情を再現できるかで真価が問われます(……と、和ヶ原は思っています)。

 

 試しにこれらのことを、別の要素に置き換えてみましょう。

                  

                   ※


 例えば西洋中世ファンタジーの世界観の物語としましょう。

 未知のダンジョン(刀匠の鍛錬場)で伝説に語られていた鉱石(玉鋼)を発見し、大ベテランの冒険者(川島さん)から「持ってみるか?」と手渡される新米冒険者(和ヶ原)は、初めて見る伝説の鉱石(玉鋼)を壊したり傷つけたりしないよう丁寧に扱いつつも、興奮が抑えきれなくなります。


                    ※


 こんな感じで、人間の心の動きというのは、いろいろな形で応用が利くのです。

 もちろん上記のような心情やシーンは、決して想像で描き切れないものではありません。

 そもそも全ての事柄を取材や経験から書く作家なんかいません。

 犯罪者の気持ちを理解するには実際に犯罪を犯さなきゃ、なんて言うような作家は即刻逮捕するべきですし、あらゆる物事について、体験しなくたって100点満点の表現を書くことは可能です。

 可能なのですが、真実その感動を体感している人間がそのシーンを描くと、それが文章であろうと絵であろうと『体感している』故の瑞々しさ、肉付きの良い表現に必ずなるのです。

 不思議なものでそれは100点に更に10点が加点されて110点になる性質のものではありません。

 100点なのは変わらないけど、自分が書いた数式や証明の解答が、模範解答よりスマートだったり別の模範となったような数学のテスト、という感覚が最も近いでしょう。

 自分でも正直何が良くなったのか具体的には言えないし、その変化を読者の方に評価してもらえる性質のものでもありません。

 でも、普通の100点より満足度の高い100点になることだけは確かなんです。

 なぜそう言い切れるのかと言えば、不思議なものなのですが、いざ文章を書いたあと、

「これ、あそこで体験してなかったら絶対こんな文章書けなかったなー」

 って、手ごたえが生まれるんです。

 

 閑話休題。

 玉鋼のお話が終わると、川島さんが言いました。


 川島さん「それじゃあ、実際に鍛錬してみましょうか」


 えっ!?

 これには全員驚きました。

 お話を伺えるだけでもありがたいのに、なんと目の前で鋼の鍛錬を見せていただけるというのです。


 今回見せていただいたのは、簡単に言えば玉鋼を延べて割ったものを、二枚目の写真のように組み上げて、延べ棒状にする鍛錬です。

 

 まず鋼に熱を加えるための炉である『火床【ほど】』の内部の温度を上げるために火が入ります。

 松から作られた木炭を丁寧に整えながら入れ、火種を投下し炎を灯します。

 火床に風を送る鞴【ふいご】と換気扇の電源が入り、火床の中に空気が送り込まれ、あっという間に炎が立ち上ります。

 この瞬間、一気に炭の香りが屋内に満ちて行きました。

 

 炎がある程度安定してくると、いよいよ先ほどの組み上げた玉鋼を熱する準備に入ります。


 川島さんはまず、先ほどの組み上げ玉鋼の欠片の上から、粘土を水に溶かした泥をまんべんなく振りかけた後、崩れないように注意しながら藁灰でしっかり固め、その上からまた更に泥を振りかけました


 万一にも組み上げた玉鋼の欠片が崩れないよう細心の注意を払って固めながら、火床の炭の中に固定。


 ここから、本格的に加熱が始まります。

 

 そして川島さんは、ぽつりと言います。


「このやり方は、およそ千年、変わっていません。」


                    ※


 作業の折々で、川島さんは今行っている作業がどのような理由で、どのような作用を起こすか詳細に話してくださいました。

 松炭を使う理由。

 鍛錬の温度が、鉄の融点の少し手前である1300度である理由。

 割った玉鋼を組み上げる理由。

 粘土水をかける理由などなど……。

 基本的には玉鋼に含まれる不純物をより良い状態で取り除く、という目的に収束します。

 そして、近代物理化学によって、これらの作業が最適かつ高効率であることも実証されています。

 ただ、川島さんが仰っていたように、この製法はそんな科学的解析を待たずして、千年も前から完成していたのです。


 より良い、より強い鋼を作るために。

 より良く強い鋼から刀を作るために。

 どれほどの数の人達がどれほどの時間をかけて、この製法にたどり着いたのか。

 極めて陳腐な言い回しになってしまうのですが、これはもう『悠久の歴史が紡いだ人類の叡智』としか言えません。

 何百年にもわたるトライ・アンド・エラーの結果として、千年前に、千年先にも通用する鋼を作る技術が既に生み出されていたのです。


                     ※


 組まれた鋼が火床に固定され、落ち着いていた炎が再び一気に燃え上がったとき、川島さんは何気なく言いました。


川島さん「鞴、吹いてみますか」


 えっ!?!?


 多分この日、一番素っ頓狂な声をあげたと思います。


『鞴【ふいご】』とは火床内に空気を送り込むための装置です。

 燃料に火をつけるだけでは、炎は安定しません。

 炎の勢いを高い温度で安定させるために、一定のリズムで一定量の空気を送り込む鞴は、作刀のみならず製鉄業全般に欠かせない装置です。

 炎の勢いを安定させる他にも、先述した『鋼の中から不純物を取り除く』ことに大きく作用しており、きわめて重要な機能を果たす装置です。

 まさかその鞴を触らせてもらえて、あまつさえ作業をさせてもらえるとは!

 動揺しながらも作業場に座らせてもらうと、


川島さん「じゃあ吹いてください」


和ヶ原「えっ!? えっ!?」


川島さん「そのレバーを押して引いてを繰り返すだけです。押し引きのストロークは長めにしてください」


和ヶ原「はっ、はいっ!!」



 もう、まさしくあわあわしながら浮足立って、としか言いようのないテンションで左手に握ったレバーを押し引きします。

 和ヶ原の押し引きに合わせて勢いを変える炎を、まるで意のままに操れているかのような錯覚を覚えて「うひゃあ!」とまた奇声を発してしまいます。


 するとまた、川島さんは何気なく言いました。


川島さん「じゃあちょっと周り暗くしますね」


 そして、作業場のあちこちの窓を閉め、照明も落としてしまいました。


 その瞬間、全員が、


「うわああ~~……!!」


 と掛け値なしの歓声を上げました。

 なんてったって、炎がこれまで見たことのないほど美しかったんです。


 言葉で表すのは非常に難しいのですが、総合的には虹色と呼んで差し支えありません。

 炭は燃えると灰になるので足さねばならないのですが、当然足されたばかりの炭のある場所は温度が低くなります。

 そういった燃焼や温度の差が火床の中で混然一体となって、左手の鞴から送る風に乗って踊るのです。

 少なくとも赤、青、橙、白の四色の炎が一度に踊っているのですが、全体で最も深みがあるのは白い炎なんです。


 百聞は一見に如かず。

 本物の美しさの前に言葉は無力。


 現場で見たときも、今思い返しても、これを書いていてもそう思います。

 現場に持ち込んだカメラで撮った全ての写真、映像をあとから見返しているのですが、あのとき見た炎を正確に捉えたものは一つもありませんでした。

 一番近いのが、この写真かなと思います。

 

 そしてまた、燃える炭の音がリンリンと綺麗なんです。

 顔に当たる熱が心地よいんです。

 川島さんは、この鞴を吹いている時間は、瞑想に近いものがあると仰います。

 集中して、落ち着いていて、心地よいものなのだそうです。

 確かに鞴のレバーを押し引きストロークのペースは、自分の深呼吸と似たペースでした。

 ゆっくりと深呼吸をしながら踊る炎を見ていると、なるほどこれは炎と風との対話であり瞑想だ。

 物を作る作業の中では、混然一体となった『トランス状態』とも言うべき極限の集中・没入感を覚える瞬間が必ずあります。

 小説を書いていても、頭で考える速度を書く速度が上回っているふわふわした瞬間、というものがあるくらいです。

 まして炎を見つめながら深呼吸をするこの作業は、よりその状態に入りやすいというのは納得です。

 それとは別に、最初の『天目一箇神【あめのまひとつかみ】』の話が思い出されます。

 この炎を、刀匠はずっと見続けているわけです。

 立ち上る炎そのものが、強い火勢を誇る炎です。

 その下の火床の底で熱せられた炭や壁も、熱と光を発します。

 これを見続け、わずかな変化で鋼の変化を図る刀匠が、目の神様を信奉するようになるのは当然のことだと思います。


 和ヶ原、浅葉、編集の二人がそれぞれ吹かせていただいた後、川島さんが改めて鞴を吹く。

 当たり前だが、素人四人とは炎の勢いも持続性も雲泥の差。

 トータル一時間弱ほど吹いた頃、川島さんは、鋼が1300度で熱されていると判断しました。


川島さん「この状態で、炭の音でも、風の音でも、炎の音でもない音がするのが聞こえますか」


 耳を澄ませると、確かに炭の中からそれまでと違った音が聞こえてくる。

 くつくつ、ふつふつ、ジュージューといった音。


 川島さん「鋼が沸いた音です」


 鋼を熱することを「沸かす」と言うのですが、この音がまた、鋼の状態を知る大切な要素の一つなのだそうです。

 玉鋼に含まれる鋼に良くない影響を与えるリンや硫黄などの不純物の溶融点は1300度より低く、最初にかけられた粘土に含まれ、鋼に良い影響を与えるケイ素は1300度より高いため、鋼の中に必要なものが残り、鋼に不要なものは出ていく温度なのだそうです。


川島さん「鋼にとって、気持ち良い状態、と言えます」


 そうこうしている間に、沸くぐつぐつという音が広く、大きく聞こえるようになってきます。

 最終的には、水が沸騰したのと変わらない、ぎゅうぎゅうじゅうじゅうと液体が沸騰するような音が火床に満ちます。

 このころになると、根本の熱の光のおかげで炎全体が金色に光るようになってきます。

 更に炎の先には、火の粉ではない、松葉のような小さな火花が立ち上ります。


川島さん「そろそろ、一回叩きましょうか」


 そう言うと、川島さんはハンマーのついた機械の電源を入れます。

 鋼を慎重に炭から持ち上げ、ハンマーの台に乗せ、小さく連続して叩き始めました。


 不思議なんですが、このタイミングでまた素晴らしくいい香りがするんです。

 炭なのか鋼なのか分からないんですが、熱の香りが少し下がった場所にいる我々のところにも届くんです。

 機械で叩いた後は、小さなハンマーを手に持ち、熱せられた鋼の形を整えます。

 ある程度形が整うと、灼熱している鋼に再び藁灰をまぶします。

 この時点で最初に積み上げた鋼の欠片はしっかり融合しており、ひっくり返しても落ちることはありません。

 藁灰をまぶしたら、粘土の泥を再びまんべんなくかけ、再び火床の中へ。

 鋼がまた沸いたら、また火床から上げ、大小のハンマーで打って形を整えます。


 形が整ったら最後、延べ棒の真ん中に刻みを入れ、そこから折り返していきます。

 日本刀の鍛錬を勉強したことがある人なら一度は目にしたであろう『折り返し』がこれです。

 横から水をかけつつ小さく水蒸気爆発を連続させて表面の酸化膜(空気と触れ合うことで発生する錆のようなもの)を弾き飛ばし、更に形を整えて、手で打ちながら鋼を折り返します。

 完全に折り返したら最後はもう一度機械のハンマーで打ち付けて、


川島さん「これで、一回の折り返しが終了です」


 写真だとオレンジ色に見えますが、実際に見るとややピンクがかった部分もありました。

 編集K氏が思わず「美味しそう」とつぶやくくらい、熱と躍動感のある鋼でした。



 今回見せていただいたこの鋼は刀の材料として使用するものではなく、梃子棒【てこぼう】という、刀を作る際に使用する道具を補修するためのものだそうです。


 こちらがその梃子棒。

 棒の首元の、土がこびりついているように見えるところまでが刀になり、ヘラ状の部分には、今回のように玉鋼の欠片を積み上げて同じように鍛錬し、梃子棒を伸ばしてゆくのだそうです。

 最終的に、この梃子棒から刀の地金が切り取られるイメージです。

 なので、このヘラ状の先端部分から、少し下の土がついているように見える部分までが、刀に使う鋼。

 それより下は、普通の鉄で、成分が違うそうです。

 用途が違うだけで作業自体は刀用でも梃子棒用でも鋼の扱いは変わらないとのこと。

 刀を作る場合、この折り返し作業を大体12回ほど繰り返すと、刀の地鉄になっていくそうです。

 

 鍛錬が終わったら、火床から残った松炭を外に出します。

 熱せられた最高級木炭なので、最高にいい香りだし、遠赤外線で暖かい。


 川島さん「この熱量は貴重ですからね。昔の人も絶対この熱は利用したと思いますよ。魚とか焼いてたんじゃないかな」


 また、火床の中にもちょっとしたことが起こっています。

 鋼を沸かしたあとの火床には、鋼から溶け出した『ノロ』と呼ばれる不純物、鉱滓【こうさい】が残っています。

 

 上が今回の鍛錬で出た、火床から上げたばかりのノロ。下が冷えたノロ。

 最初の鍛錬(積み沸かし)が、一番不純物を多く含んでいる状態の鋼を沸かすため、大量のノロが出ます。

 ノロの正体は不純物であるリンや硫黄、藁や粘土が溶けたものの塊で、製鉄業が盛んだった地域では必ずこの鉱滓があちこちから見つかるそうです。

 現代では産業廃棄物として廃棄するしかないのですが……実はこの取材企画の後半で、この鉱滓が意外な形で再び顔を出しますので、お楽しみにお待ちください。


 和ヶ原が冷えたノロをいじっている間に、川島さんは一瞬姿を消し、すぐに現れたと思ったら、何故かにっこにこで土鍋を抱えていました。


川島さん「焼き芋しましょう」


 火床に残った炭は、まだ遠赤外線を発し続けています!

 最高火力で熱された最高級木炭を使った、刀匠の火床で焼かれた芋です!


 贅沢とは、こういうことを言うのだ。


川島さん「昔の人も絶対こういうことやってましたよ」


編集K氏「秋刀魚とか焼いたらおいしそうですよね!」


和ヶ原「いやあ、油が落ちるものはダメなんじゃないですか?」


川島さん「いや? やってたんじゃないですか秋刀魚」


和ヶ原「ええ!?(笑)」


川島さん「紅はるかなんでね、きっと美味しいですよ」


 ものすごいものを見せていただき、一生に一度の体験をさせていただき、ラストにこんな贅沢が待っているとは……!

 ただひたすら感動しっぱなし、脳が沸きっぱなしの約三時間でしたが……。

 なんとこれはまだ前半戦!


 次回は『刀匠・川島一城』の心と、生き方に迫った後半戦です。


 鞴で炎を吹いている間、川島さんは言いました。


川島さん「炎を見ていると、宇宙を感じませんか」


 実際に鞴を吹いてみると、まず精神的に広大無辺なものを感じずにはいられません。

 更に、浅葉なつが途中でこんなことを言いました。


浅葉「この中で、火と土と風と水が一つになってるんだな……って」


 鋼を固める土と水。鋼を沸かせる風と火。

 古代ギリシャの時代から万物の根源とされてきた四要素が合わさって、鋼を沸かせているという事実には、因縁めいたものを感じます。


 次回、生きること、宇宙のこと、刀のこと、物を作るということ。

 盛りだくさんの刀匠と作家の対談回。

 お楽しみにお待ちくださいませ!!


☆このブログの次回更新は、6月28日(金)予定!!!

★取材に同行した浅葉なつによるスペシャルエッセイもチェック

⇒第二話補記:浅葉なつ、もうひとつの電撃ディスカバ:Reポート



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