7
「これからもずっと元気でね」
だから最初、その声は聞こえてはいたが、理解はしていなかった。少し寂しげなその声が頭の中を三回ぐらい回った時、私はふと現実に戻ったように歌うことを止めて奏真を見た。ピアノの音は途切れることなく音楽を奏でていた。
「どうしたの……?」
いつの間にかそこは、先程までいた部屋ではなかった。真っ白な、それこそ光に包まれたような空間に私と奏真と、奏真の弾くピアノがあるだけだった。だけど、気になるのはそんなことではなくて。
「また、泣いてるの?」
奏真は、微笑んだままで涙を流していた。細い指は変わらずにピアノを弾きながら、私の方を見て、
「ごめんね」
と、優しい声で謝った。もしかしたら、奏真は謝るのが癖なのかもしれない。
「どうして謝ってるのか、わからないよ」
私は、何も分からないくせに泣きそうになった。何も分からないから泣きそうになったのかもしれない。とにかく、奏真が泣いていると私も悲しくなって、涙が溢れそうになる。
「泣き虫」
奏真は、自分だって泣いているくせに、にっと口の端を上げて茶化すように言った。私は全然笑えなかった。笑う余裕が無かった。すぐそこにいるのに、奏真がどんどん離れていくような気がして仕方がなかった。実際、動いていないのにどんどん後ろに引っ張られるように少しずつ奏真が遠くなっていた。
「待って! 奏真!」
私は奏真に近づこうと懸命に足を動かすが、足は何にも引っかからず、水の中を歩こうとしているように進まない。もどかしくて、がむしゃらに伸ばした手は奏真に届くはずもなく、ただ何度か空を切っただけだった。
「奏歌!」
奏真が、今までの穏やかな口調からは想像できないほど強く叫んだ。それが、私の名前だということは無意識に理解した。それと同時に、たくさんの記憶がバケツいっぱいの水をぶちまけたみたいに、ごちゃ混ぜになって心の中に押し寄せてきた。
「ずっと、忘れないで」
その音楽は、クライマックスに近づき、強さを増していた。終わりが、近づいていた。
私は下唇を噛んで、奏真の顔をじっと見た。奏真の顔は、ぼやけていてよく分からなかったけど、きっと無理をした笑顔をしていたと思う。
私も、引きつる頬の筋肉を一生懸命上げて笑顔を作った。もう会えない、と心のどこかで感じたから最後に笑って別れなければいけないと思った。
奏真はもうピアノから手を離していたけれど、音楽は止まることなく流れていた。そしてそれは、もうほんの何小節で終わることがわかっていた。私と奏真は、遠ざかるお互いの顔をじっと見たまま、何も言わなかった。
曲が終わる寸前、私は目を閉じた。次に目を開いた時には、奏真がいないだろうことは理解していた。
「またね」
鈴のように透明な奏真の声を最後に、私の意識はぷつりと途絶えた。
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