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机もないし、お茶も出せない。仕方がないから彼――奏真には適当に座ってもらって、私はいつもの壁際に座ると、向かい合う形になった。もう夜に近いので部屋は薄暗く、奏真に頼んで電気を点けてもらうと、ちかちかと何度か点滅してから、蛍光灯に明かりが灯った。
「奏真は泥棒なの?」
ピアノ椅子を背もたれにして、腰を下ろした奏真に私は尋ねた。
「なんでそう思うの?」
「お金が欲しくてピアノを盗みに来たのかと思って」
「まさか」
奏真はくすっと笑った。馬鹿にされているようで、少しムッとする。
「奏真の他に泥棒がいるんだよ。ここの大家さん知ってる? あの人がピアノ以外のものを全部盗んで行ったんだ。奏真もそうかと思って」
まあ別に盗んでくれてもいいんだけど。そう続けると、奏真は少し困ったような顔をして、
「多分、彼女は泥棒じゃないよ」
小さく呟いた。私は目を丸くして、何でそんなことが言えるの、と訊きたかったが、奏真の表情を見るとその言葉は喉の奥に引っかかって、そこから出てくることはなかった。
「ピアノが好きなの?」
少しの沈黙の後、奏真が私に尋ねた。今度は私が困った顔をする番だった。
「うーん……。好き、だったんだと思う。実は記憶が無いんだよね。ほら、私、死んじゃったみたいで」
ふと奏真を見ると、今にも泣き出しそうな顔をしていて、私は慌てる。
「いや、別に悲しくないんだよ? 何があったのか全然覚えてないし。多分未練があるからここにいるんだろうけど、それが何かも分からなくて。でも、私は奏真の歌をここでずっと聴いていたら、それで幸せだから」
その時、奏真は涙を流していた。無理やり笑おうとしていたけど、顔が引きつって余計に辛そうに見えるだけだった。私は、奏真がなぜ泣いているのかは分からなかったけど、つられて泣きそうになった。
「ごめんね」
奏真は謝って、しばらく泣き続けた。奏真は、私に同情して泣いているのだと思っていた。
気まずくなってきた時、奏真が顔を上げた。奏真は力なく微笑んで、
「ごめんね」
もう一度謝り、涙を袖で拭って話を変えるように尋ねた。
「ここの家、出たことある?」
「いや……」
そういえば、死んでからどれくらい経つのか分からないが、この部屋で無為に時間を過ごしているだけで、ここから動こうとしたことは無かった。部屋を出ようと思えば、扉をすり抜けていつでも外に出ることが出来るだろうけど。
「ならいいんだ。ここから出ないで」
奏真は、少し強く言って、立ち上がった。私は無意識に立ち上がって奏真を追いかけようとした。奏真は立ち止まって手の平を向けた。ストップの合図だ。私の身体は暗示にかかったようにぴたりと止まった。奏真は微笑んだ。目は真っ赤なままだったけれど。
「お願い」
その後、奏真は口を少し動かして何かを言ったようだったが、小さすぎて聞き取ることができなかった。奏真は私に背を向けて、
「またね」
そう言い残して扉から出て行った。
数秒後、呪縛が解けたように私はその場に座り込んだ。
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