ガチャリ、と玄関の扉が開いた。ゆっくりそちらに顔を向ける。この部屋の扉の鍵はいつも開いたままになっていて、おそらく大家だろうと思われる人がよく出入りしているから別段気にすることでもない。

 大家は、この部屋の住人がいないことをいいことに、頻繁ひんぱんに来ては家具やら雑貨などを持って帰っていった。住人がしっかり見ているとも知らずに。おそらく、売って金にしているのだろう。大した金額にはならないだろうけど。

 使い主がいないわけだから、放っておかれるよりはずっといい。

 とは言っても、もうこの部屋には場違いな大きさのグランドピアノの他には何もない。これを持ち出したら、もうあの大家が来ることもないのだろか。そう思うと寂しいものだ。大家以外に、誰かがここを訪れることはもう無いだろうから。

 だから、廊下から入ってきた人物を見て、私は首を傾げた。

 線が細く、華奢きゃしゃな青年だった。雪のように白い肌をしている。見覚えのない青年だった。

 しかし、開け放しの部屋に、他の泥棒が入ってくるのに何の不思議も無い気がした。

 彼は辺りを見渡してから、部屋の真ん中にあるピアノに近付いていった。私は壁にもたれかかったまま、黙ってその様子を見ていた。彼は、そっとピアノに手を置き、見つめていた。それからしばらくすると反転し、部屋を出て行こうとした。

「ごめんね、もう何も残ってなくて」

 私は聞こえないと分かっていながら、そう声を掛けた。案の定、彼に何かが聞こえた様子はない。私は彼の後ろ姿にひらひらと手を振った。

「またね」

 彼はちらりと後ろを向いて、それだけ言って部屋を出て行った。少し驚いた。しかし、私のことは見えないはずだから、あのピアノに言ったのかもしれない。また盗みに来るから、という意味で。今日はきっと事前調査だったのだろう。

「早くしないと大家さんに先を越されるよ」

 そんなことを呟きながら、私はさっきの彼のことを考えた。一言だったが、彼の「またね」は、真っ直ぐに飛んでくる綺麗な声だった。

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