第二章

第二章

今日も、ブッチャーが家に帰ってくると、ちゃんと夕ご飯が置いてあった。

「お帰りなさい、聰。お母さんは、お友達と食事に行くんですって、お父さんも今日は飲み会で遅くなるみたいだし、今夜は二人だけね。」

つまりこのご飯は、有希が用意したのだろうか。にこやかに、ご飯をおさらに盛り付けていた。

「はい。どうぞ。早く食べて頂戴。」

有希は、お茶碗をテーブルに置いた。ブッチャーと有希は、それぞれの椅子に座る。

「あーあ。今日も疲れたな、俺は。」

ブッチャーは、でかい声でお茶をがぶ飲みする。

「そんなに疲れたの?」

有希は、そんなことをいいだした。

「疲れたって、きっと俺の疲れより、水穂さんはもっと苦しいだろうから、それ以上言わないよ。」

ぶっきらぼうにそう返すブッチャーだったが、有希は心配そうな様子だ。

「そのくらい、大変なの?水穂さんっていう人。」

有希はそう聞いてくる。

「そのくらいなんて、図れるもんかよ。きっと、何十倍も苦しいと思うよ。今日も製鉄所に寄ってみたんだけどさ、もう何回も咳き込んで辛そうだったよ。」

「そう。誰かが看病したりしないの?誰か専門の看護師さんでも雇わないの?」

ブッチャーが答えると、有希はまたそう聞いてきた。

「そんなこと、できるわけないじゃないか。看病してるって言うと、由紀子さんが、駅員のしごとが終われば来てくれるけどさあ。専門の看護師を雇うなんて、そんなことできるはずもないよ。」

「でも、水穂さんは、ピアニストなんでしょう?」

「そうだけど?」

「それでは、介護士を雇うとか、そういうことは問題ないんじゃないの?なんで、その由紀子さんという人に、任せきりで、アンタまで巻き込むのかしら。アンタが、それでは疲れてしまうのではないかって、あたし、心配でしょうがないんだけどさ。」

有希は、そんなことをいいだした。ブッチャーは、変な心配しないでもらえないか、と、いやな気持ちがした。

「ねえ。あんた、本当に大丈夫なの?その水穂さんって人の看病に疲れてない?」

「疲れてなんかいないよ。俺は本気で心配しているんだ。それをして何が悪いのさ。何にも負担なんかじゃないから、気にしないでくれ。」

「そう。」

有希は悲しそうな顔をして頷いた。

「あたしは、その水穂さんって人も、すきじゃないわ。噂によると、日本人離れして、ものすごく綺麗な人であるらしいけど、それを利用して、今だったら十分治せる病気に甘んじているしか見えない。そういう人の面倒を見て、聰がなんだか、変な風に使われているみたいで。あたしは、聰のほうが心配なんだけどな。」

「姉ちゃん、そんな心配はしなくていいよ。俺はちゃんとやっているし、だからこそ水穂さんの心配をしているわけで。そうでなければ他人の心配なんてしないよ。悪いけど、俺のことは気にしないでくれ。」

そういうことをいってくれるのは、有希ならではだ。それはそれでいいんだけど、俺はそんな心配される必要も何もないよ。何てブッチャーは思いながら、有希の話を聞いていた。

「でも、誰かを看病するということは、やっぱり疲れるだろうし。ましてや相手が、昔ほど怖い病気ではないのに、そんな深刻な顔して。あんたが少し、気を病んでいるんじゃないかって、心配なのよ。あたしは。」

「姉ちゃん。」

ブッチャーはちょっと強く言った。

「水穂さんも大変なんだ。俺は、それに比べたら、ぜんぜん恵まれているんだぞ。姉ちゃん。それに対して、俺がかわいそうだというんだったら、姉ちゃんは間違っている。俺はこの通り達者でいる。もう気にしないでくれ。」

ブッチャーは、姉に対してそういったが、有希はまだ心配そうな様子だ。どうして姉ちゃんは、俺の言っている大事な事を忘れてしまうのだろうと思いながら、ブッチャーは、がっかりして、姉の用意してくれた、焼き魚にかぶりついた。

「姉ちゃん、俺のこと心配する必要は無いよ。俺は、何も悪いところなんてないんだからね。」

それでも、有希はまだ、大変そうな様子だ。

「でも、あたしは、まだ聰のことが心配だわ。だって親の介護で、心の病気になっちゃう人も、本当にたくさんいるんだし。介護って、本当に、体力いる仕事でしょう?それは、まぎれもなく確かじゃないの。」

「姉ちゃんの気持ちはうれしいよ。ありがとう。姉ちゃんが心配し始めると、いつまでも、心配しちゃうのは分かるけれどもよ。俺はなにもないし、そんなに大したことはないんだよ。其れよりも、本当に心配するのは、水穂さんの容体のほうじゃないかな。だって、俺が貧乏呉服屋を始めたのは、水穂さんのおかげだぜ。それがなかったら、俺、一生不自由なままだったぞ。だから、水穂さんは恩人みたいなもんなんだ。だから水穂さんが、困っていたら助けるのは、当たり前じゃないか。」

ブッチャーは、そう言い返すが、有希の反応はこうであった。

「そうよね。あんたは、水穂さんのおかげで、銘仙の販売人になったんだよね。それはいいことかもしれないけど、それだけじゃないわよ。そのせいであんたは、同和問題に関係があるわけではないのに、わざわざ同和問題の対策をしなければならなくなったのよ。」

「うるさいなあ!」

ブッチャーは、でかい声でしまいには怒鳴った。

「俺のことについて、余計な心配は、もうしないでくれ!」

「ごめんね、、、アンタのことが心配で。」

有希は、ぺこっと頭を下げて、そういうのであるが、素直に謝られれば謝られるほど、癪に触ってしまうのである。

「ごめんなさい。」

もう一回謝られてブッチャーは、

「わかったよ、姉ちゃん。」

とだけ言った。

その夜。

有希は、パソコンを開いた。

時折、見るサイトがあった。メンタルに問題のある人たちが、友達を求めて、友達が欲しいと、投稿するサイト。大体の人が、何かしら心に病気を持っていて、メル友の条件として、昼間メールできる人とか、平日休みが多いので、平日に遊べる人とか、そういう条件を付けて、友達を募集している。有希も時たまそういう人を募集するのであるが、彼女の心を引く人物はなかなかいない。

でも、今日の投稿に、一人だけ気を引く人物がいた。

「一ノ瀬さん、、、。」

名前を一ノ瀬と名乗るその人物は、なぜか、有希があこがれている要素を沢山持っている人であった。

「一ノ瀬と申します。昨年まで病気でしたが、今は、印刷関係の仕事をしています。車に乗って、どこかドライブでもしませんか?平日は仕事をしていますが、休日は、趣味も相手もいないため、何もしていません。どなたか一緒に行ってくださる方を募集します。」

有希は声を出して読んだ。

「この人に、送ってみようかな。」

有希は、そうつぶやいて、メールを送るという欄をクリックした。

「初めまして、私は、須藤有希と言います。今は、家の中に居場所がなくて、何もしていない状態です。いつも家族には、働けと急かされていますが、本来は、どこにも行く気にならなくて、部屋の中にいてばかりです。何か、外へ出るきっかけが欲しいので、メールしてみました。よかったら、お返事くださいましたら幸いです。」

そう入力して、有希は送信ボタンをクリックした。

数分後。

「須藤さん初めまして。僕は一ノ瀬享一と申します。僕は、癲癇という病気を持っていて、昨年まで治療を受けていましたが、今年から、印刷会社で働かせてもらうことができるようになりました。ほんのわずかな賃金ですが、ドライブした時は、ゆっくりと行きましょうね。よろしくお願いします。家族は、父母と、三人で暮らしていて、結婚はしていないです。もう、こんな自分で、日頃から情けないですけど、あなたが来てくれてちょっとうれしくなりました。ありがとう。」

有希は、キーボードに手をかけて、静かに打ち始めた。

「ありがとうございます。お返事いただけて本当にうれしいです。あたしは、病名はよく知らないんです。先生がそれはどうでもいいことだと言っています。今は、病気の症状のため、働いていないし、車も当然ながら持てないでいます。だから、誰かに連れて行ってもらうしか、移動手段はありません。あたしこそ、誰からもありがとう何て、言われたことは何もないわけですから、本当にうれしかったです。こちらこそありがとう。」

するとすぐに返信があった。

「綺麗な発言ありがとうございます。僕は、働いてはいるけれど、なんだか、其れだけができれば、もういいって感じかな。それでは、いけないというか、寂しいです。働ければ、もう大丈夫だって、いうのかというと、そんなことはありません。やっと仕事はつかめたけれど、何だか非常にむなしいことばかりで。頑張って、癲癇をもちながら働いているけど、仕事ではバカにされているばかりなんです。それでは、仕事をしたって、何も意味がないなって思っています。仕事ができてうれしいと言っても、僕は癲癇を持っているので、ただの昆虫くらいにしか見えないのでしょうね。でも、いつかどこかで、起業してみたいというか、そんな気もしています。今は幸い、仕事を見つけることもインターネットでできますからね。人を頼るより、そういうのを頼ったほうが、いいのかもしれませんね。そう思っています。」

有希は、次の様に返信した。

「こちらこそありがとう。あたしは、今現在は仕事をしていないので、仕事ができるというだけでも、それだけでも憧れです。あたしは、病気なのでまだ働いてはいけないと言われてますから。もし、仕事で、息詰まるというか、悩んでいることが出てきたら、少なくとも、あたしよりはましな人生を送っていると、そう考えてください。それで、あたしのような、惨めな人間もいるって、あたしを、ダメな人間としてみてください。」

数分後、また返信がやってくる。

「有希さん、それは、あなたが、あなたに対して、自分を卑下させることになります。それでは、自分がかわいそうではありませんか。あなただって、立派な人間なんですから、どうか、働いていないせいで、自分をかわいそうな目にあわさないでください。せめて自分だけは、自分の味方でいてやりましょう。そうしてやりましょう。それが、再生への唯一の始まりだと僕は思います。自分を大事にすることです。それは、働いていようがいまいが関係はない。逆をいえば、自分を大事にしなければ、幸せというものはやっては来ません。」

有希は、こんな返信をもらったのは、生まれて初めてで、どう、返信していいのかわからなくて、

「ありがとうございます。まだ、仕事をしていないせいか、自分に自信が持てません。そんなんじゃだめってよくわかっていますが、まだ、ところどころ、自分をせめてしまうのです。でも、今日の一ノ瀬さんの今の発言で、それでは、違うんだなと思いました。本当にありがとうございます。」

と、送信した。


翌日。

ブッチャーは、また郵便局へ発送に出かけた後、また、恒例のとおり、製鉄所に行ってみた。

「おう、ブッチャー。また来てくれたんだね。最近忙しいはずなのに、よく来てくれるじゃないか。となると、売り上げは最悪か?」

今度は、看護人として来訪していた、杉ちゃんがやって来た。

「最悪じゃないよ。寧ろ好調だ。銘仙の着物と言わなくても、可愛いからという理由で、すぐに買い手が現れてくれるようになったんだ。ま、写真だけの説明だけど、これがいいのかなあ。」

ブッチャーが杉ちゃんに言うと、

「ほう。そうか。確かに、実物を見ないほうが、売り上げは取れるかもね。ただ、客の顔がみえなくて、嫌な気にもなるだろう?物の売買というのは、やっぱり、客の顔を見ないと、うまくいかないからな。」

と、杉ちゃんは答えた。

「まあな。でも、顔が見えないほうが返っていい商売もあるよ。俺の貧乏呉服商売は、その典型かな。」

ブッチャーは、にこやかに笑った。

「で、杉ちゃん、水穂さんはどうしてる?」

「ああ、寝てるよ。それがどうしたの。」

「そんな単純な答えじゃなくてさ、、、。」

と、ブッチャーは、ちょっとがっかりしていった。

「そうじゃなくて、杉ちゃん、ご飯はちゃんと食べたのか?水穂さんは。」

「食べないよ。咳き込んで吐き出してばっかりさね。」

「ああ、ダメかあ、、、。」

ブッチャーは、そのでかい顔を、タオルでこする。

「どうしたら、ご飯食べてくれるようになりますかね、、、。」

「もうないんじゃないの。」

杉ちゃんの言葉は、なんだかつらいというより、あたまに来た。

丁度その時。

「杉ちゃん。ちょっと来てくれないかなあ。水穂さん、なんだか、布団が欲しいみたい。」

利用者が間延びした声で、杉三に言っているのが聞こえて来た。

「はいよ。今行くよ。」

杉三は、悪いなと言って、すぐに四畳半に戻っていった。ブッチャーは、杉ちゃん俺も手伝うよ。と言って、一緒に四畳半に向かう。


「ただいまあ。」

夕方、ブッチャーは帰宅した。

「あらおかえり。今日もお料理作っといたわ。お母さんは、先に食べたけど、アンタが一人で食べるのも寂しいかなと思って待ってたの。」

有希が、そんなことをいった。

「何だよ姉ちゃん。俺は、子どもじゃないんだから。そんな、一人で食ったって、平気だよ。」

ブッチャーは思わずそう言ったが、

「いいじゃないのよ聰。一緒に食べましょ。」

有希は、にこやかに言った。

「まあ、そうするか。いただきます。」

ブッチャーも食卓に着いた。

「今日は。なんだ。ハンバーグか。」

「そうよ。あんたのすきなハンバーグ。」

と有希はサラリというが、ブッチャーは、なんだか、嫌そうな顔をした。

「何よその、怪訝そうな顔。」

「うーん、あれだけすごいところを見てるから、俺、ハンバーグを食べる気にはならないなあ。」

「どうしたの?」

有希がそう聞くが、ブッチャーは答えない。もしかしたら、それを言ってしまったら、まずくなってしまうと思ったのか。

「聰。また、あの人のところに行ったの?」

「そうだよ。」

と、ブッチャーは、申し訳なさそうに言った。

「水穂さんのことを思い出したら、肉も食べれなくなっちゃうなあ。あれだけ、咳き込んで、食べたのも全部吐き出しちゃうんだから、、、。」

ブッチャーは、あーあ、という声でハンバーグを箸でついた。

「そんな人のせいで、あんたの食欲がなくなる方が心配だわ。」

「だから、それは言わないでもらえないか?姉ちゃん、家族の事ばっかり心配しないでさ、誰か他人のことを心配して頂戴よ。それをちょっとやってくれないと、俺は、本当に、困ってしまうというか、迷惑なんだよ。」

「だって、心配なのはしょうがないでしょう?」

有希は、そんなことをいいだした弟に、おどろいたような顔をして、そう見つめた。

「しょうがないじゃないよ。姉ちゃん。姉ちゃんの頭の中にはいつも家族の心配ばかり何だろうが、そうじゃなくてさ、家族以外の誰かで、だれか心配してやれる人を持ってよ。例えばさ、外に誰か好きな人でも作ってさ。その人を心配したらどうなの?もう、姉ちゃんは、そういうことをしてもいい年ごろなんだぞ。」

「あんたにそういわれるとは思わなかったわ。」

有希は、がっくりと肩を落とした。

その夜、有希は再びパソコンに向かった。

「今日は、少し残念なことがありました。あたしは、今まで弟のことを散々心配してきたのに、弟ときたら、もう、家族以外の中で、誰かを心配してやれというのです。なんで、あたしは、弟の居場所にもなれないのでしょう。弟が、もっとあたしの前で悩んでくれればいいのに。弟にとって、あたしは邪魔なんでしょうか。何だかとても悲しかったです。有希。」

そうキーを打って、例の一ノ瀬享一の下へメールを送る。

数分後、返信がすぐにあった。

「有希さん、それは大変でしたね。僕もそうだったんですが、弟さんをはじめとしてわかい男と言いますのは、ちょっと見栄っ張りなところがあって、余りお姉さんに心配されると、かえって、迷惑だと思うもんなのです。それは、誰でもそうです。だから、弟さんではなくて、誰か他人、、、そうですね。例えば僕を心配していただけたら、うれしいのですが。其れとも、やっぱり、弟さんのほうが心配になりますか?」

有希は、家族に言われると、嫌な気持ちになるけど、他人に言われると、抵抗はなくすっと入っていける自分に気が付いていた。

「いいえ、あたしは、それでいいと思います。弟は、ある男性の看病で一生懸命なんですから。その人は、本当にきれいな人で、弟にはもったいないくらい。其れなのに、その人は、やることなすことみんな弟に頼り切っているみたいで、本当にあたしは、嫌になるほどです。だから、こんなに弟のこと心配してるのに。でも、あなたが

それでいいというなら、あたしはそれでいいことにします。あたしも、少し割り切っって考えることが必要だなと考え直しました。だから、弟ではなくて、あなたのことを心配したい。あたしは、誰かを心配してしまう悪い癖があるみたいで。どうもそれをしていないと落ち着きません。だから、これからはターゲットをあなたに変えて、それで生きていくことにします。有希。」

このメールを読んで、相手の人はどう感じてくれるかどうか、有希は緊張して、パソコンの画面を見つめる。

「どうもありがとう。それでは、僕は、これからは有希さんに、いろんなことを心配してもらえるのですね。ありがとうございます。独りぼっちの僕にも、やっと気にかけてくれる人ができました。本当にどうもありがとう。有希さん、とてもうれしいです。」

メールのフォルダを開くと、そんなメールが入っていた。有希は、もううれしくて、涙が出てしまったのだった。





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