第3話 予兆



 暇な時間に考えるのは、つい先ほどの会話についてだ。

 友人であるイリアの事は好いている。

 良い人間だと思うし、付き合いやすい。傍にいて楽しいとも思う。


 けれど、それが恋だの間のと呼ばれる感情かと問われれば、断じてないのだ。

 クロードがイリアと一緒にいるのは、単純に楽しいからで……あとは応援したい、支えたいからだ。

 過去に聞かされた知人の夢。

 到底叶わないだろうと誰もが思うそれに、真っすぐ努力し続けるイリアをクロードは応援したいと思っていた。


 世闇の空へと手を伸ばす。

 その向こうにあるのは、真空の宇宙……ではなく膨大な量の海水だ。

 ここは、深い深い海の底。


 海中都市、ブルーミストラル。

 海の底にある人間が住める場所、都市のひとつだ。


 地上の世界などというものは、昔話で語られる様なものであり、手の届かない天井の場所だった。


 インフィニット・ブルー。

 無限の青の果て。


 イリアは、その果てを超えたいと願っている。


「……」


 どうやってとか、どんなふうにとか、そういう細かい事は全然まだ検討すらついていないというのに。

 イリアはいつかその夢を叶えられると、果てを超えられると信じていた。

 その話をしていた時の彼女の瞳が忘れられなくて、クロードは今も一緒にいるのだ。


(……こんな事、人に言っても馬鹿にされるだけだよな)


 クロードはかざしていた手を降ろす。

 叶う事なら、自分の職業である海中天文観測員という肩書きが彼女の夢の役に立てればと思う。


(じゃないと毎日毎日、海光魚の動向を観測するのも飽きてくるし)


 海の中でプランクトンやら海藻を食べて発光する虫は、夜間時の貴重な光源だ。それらの生物の観測をして、生体に目を光らせるのがこちらの仕事だった。


(ここで、本物の星を見てみたいとか分不相応な事考える様な能天気さがあれば、イリアの傍にくっついてる事は無かったんだろうけど)


 それならば、自分の意思で願いを叶えようとするだろうから、接点こそあれど今の様な関係は築けなかっただろう。


「にゃー」


 ふと鳴き声が聞こえてくる。

 視線を向ければ、黒い猫がこちらを見上げていた。


「今は君に構ってる時間はないよ」


 特に猫好きでもないため、クロードは足元に寄って来た黒猫をしっしと追い払う。


「にゃん……」


 イリアだったら、こんな時もにこやかに対応するがここにいるのはクロードなので、猫には残念だ。

 黒猫は寂しそうに目の前を横切って去っていった。

 黒い猫に横後られると、良くない事が起きると聞いた事があるが、信じてはいない。

 先程の続きを考えるが……。

 しいて言えば、クロードはわき役気質なのだ。

 主人公を目指す事のない、自分から事態を動かす事のない、ただ助言をして心ばかりの手助けをするような、そんな人間だ。

 クロード自身がその事に不満はないのが、何よりの証拠だろう。


「そういえば、黒猫が目の前を横切ると何か良くない事が起きるって聞いた事あるんだけど、イリア変な事巻き込まれてないよね。まさか」


 ふいに思った想像を笑い飛ばそうとした。

 だが、用意していた感情はどこかへと消えてしまう。


 ふいに耳慣れない音を聞いたからだ。

 意識がそちらの方へ向かう。


 乾いたようなその音は、銃声の様に聞こえた。

 いくつか連続して、ぱたりと止んでしまう。


 そして続いたのは、爆発音。


 体を揺さぶる様な轟音が響いたかと思えば、進行方向の先から徐々に黒煙が上がっていくのが見えた。


「何か起こってる……?」


 暗闇の空へと立ち上るそれは、家が一つ燃えたというようなレベルの物ではない。

 嫌な予感がした。


 何か大きな建物で、尋常ではない事が起きている。

 それはほとんど直観とも呼べるようなものだった。


 だが、幸か不幸かクロードの直観は外れた事がない。


「……っ!」


 逡巡は一瞬だった。

 クロードはその場から駆けだして、進行方向にある建物へと向かって行った。


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