第70話 巨大ホール③

「僕には、わからない。昨日まで信じていたフロンティアが、どうして近づくと廃棄場に変わってしまうのか?」

 僕の疑問にサツキさんは、

「それは、並列思考型AIのなせる技なのですよ」と言った。

 意味がわからない。

「わかりやすく言い換えますと・・B型ドールの思考の本体が、ここをB型ドールの安住の地・・新天地に設定しているのです」

「B型ドールの思考の本体が?」

「はい・・B型AIの基盤のようなものとお考えください」

「その基盤のようなものが、この場所をフロンティアにしてしまっている・・そういうことですか?」

「はい、ここが希望がある場所だと、皆に信じさせているのです・・」

 ここが、B型ドールの希望の地・・ここに来るまでは皆はそう信じている。


 いや、待て・・おかしいぞ。

「サツキさん・・それっておかしくないですか?」

 サツキさんは静かに聞いている。

「ここが、たった今、サツキさんがここを廃棄場と認識したのなら・・ここをフロンティアと信じている大勢のB型ドールが並列思考で、分かってしまう・・つまり、ばれてしまうじゃないですか! ここがフロンティアでなく、廃棄場だと知られてしまう」

 

 サツキさんは「うふっ」と笑った。

「イムラさんは聡明な方ですね」

 そう言ってサツキさんはこう続けた。

「イムラさん・・今から私は、私の内部の並列思考を書き換えます」

 並列思考を書き換える?

サツキさんは「他の皆さんには希望を持って頂いた方がいいですから」と言った。

「あっ・・」

 そういうことか・・サツキさんは、ここがB型ドールの廃棄場だと認識したこと、その記憶を今から消してしまう。

 ここをフロンティアだと信じていた時の記憶に書き換える・・そういうことか。

 そうすることで、現在、単純作業に従事しているB型ドールはここを廃棄場だとは思わず、フロンティアだと信じて働くことができる。

 けれど・・それは、何て悲しい作業なんだ。

胸が締めつけられるような思いがした。


「サツキさん・・わかりました」

 と僕が言った。

 そう言った瞬間、僕は見た。

 巨大陥没穴の向こうの縁から、女性が飛び降りるのを。彼女もB型ドールだ。

 彼女も飛び降りる時、思考を廃棄場からフロンティアに書き換えたのだろうか?


「あの方も、そうしたみたいですね」

 そうしたみたい・・それが、飛び落りたことを指すのか、それとも、記憶を書き換えたことを指すのか、わからない。

 そのどちらをとっても、B型ドールの過酷な運命であることに変わりはない。

「B型ドールは、皆、あんな風に自ら?」

 そんな僕の疑問に、サツキさんは「いいえ」と首を振り、

「企業は使用していたB型ドールの寿命が尽き、動かなくなると、この廃棄場の業者に廃棄を依頼します。イムラさん・・先ほど、下でトラックが出入りしているのをご覧になられたでしょう。あれがそうです」

 あのトラックの中に、寿命が尽き、動かなくなったドールが積まれていたのか。

 そして、サツキさんは、こう言った。

「ここから、落ちることを選ぶのは、人間でいうところの『自害』に当たります。もちろん、もう動かなくなるのを分かっていてのことですから、厳密に申しますと自害ではありませんね」

 悲しい説明だった。


 そんな話を聞いている間にも向こう側の縁に、また一人B型ドールが上がってきたようだ。

 さっき下で見かけたOL風のB型ドールだ。

 サツキさんと同じように、寿命を間近に迎え、一人でここに来たのだろうか。

彼女は穴の縁にしばらく佇み、意を決したように、落ちた。

その様子を見ていたサツキさんは、

胸元に手を当て、

「この服は島本さんにお返しください」と言った。

 サツキさんの服は、島本さんからの借り物だ。

 服を返すために、ここで服を脱ぐというのか。

「いや、サツキさん・・服は着たままでいいです」

「でも・・」とサツキさんは言い澱んだ。

 島本さんには、僕が謝る。

 裸で、飛び降りるなんて、そんなことは絶対にさせない。


「私の場合・・すごく幸せです。サヤマさんのおかげで、イムラさんのようなお優しい人に出会えて、イズミさんにも会えたのですから」

 そして、「ただ、敢えていうなら・・」と言った。

「敢えて言うなら?」と僕は話を促した。

「イムラさんを喜ばせるようなことをしたかった」

 B型ドールのサツキさんはそう言った。

「もう十分・・僕は喜んでいますよ」

 僕はそう答えた。

 サツキさんにはいろいろ教えてもらったし、すごく楽しかった。


 僕の返事を受けてサツキさんは微笑み、

「サヨナラです」と言った。

 サツキさんがそう言った瞬間、イズミがサツキさんの元に駆け寄り、サツキさんの腰にすがりついた。それは、まるで母親にすがる女の子のように見えた。

 そんなイズミにサツキさんは、

「イズミさんは、本当にお優しい子ですね」と言った。その声は僅かに震えているように聞こえた。

 AIドールに涙は出ない。それは当たり前のことだ。ドールに泣くことは必要とされていないし、AIドールの涙を見たい、なんていう人もいないだろう。

 だが、今、見ているその光景は・・

 人間のとる行動と大差ないように見受けられた。


 そして、僕の疑問は他にもあった・・

 イズミに抱きつかれているサツキさんに、僕は訊ねた。

「さきほど、サツキさんは、この場所に生命反応があると・・言われてましたよね」

 僕の問いに、

「はい・・この穴の下には、私と同じB型ドールの思考反応があります」

 そうサツキさんは、言った。

「この下に・・B型ドールの思考反応が?」

「ええ、B型ドールの思考の反応です」とサツキさんは繰り返し言った。


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