第35話 お母さんドール

◆お母さんドール


 植村は戸建ての家に住んでいる。母親はいない。

 この家は父親と植村のローンで建てたということだ。いずれ結婚する息子に早すぎる家を与えたということだ。

 それはそれで、立派な事なのだが、

 この家の中には、植村の購入したAIドールがいる。

 それも、植村のお母さん的存在のドールだ。けっこう好奇心が沸く。

 どんなドールなのだろう?

 イズミのように、頭の中に変な思考回路があるのだろうか?


 僕は植村に案内された駐車場に愛車のムーブを車庫入れした。

 イズミが車外にすぐに出てしまわないように「ちょっと待ってろよ」と制し、助手席のドアを開け、シートベルトを外してあげた。

 シートベルトが苦しかったのか、外れるなりイズミは大きく息を吐いた。

「なあ、ちょっと聞くけど、イズミは口呼吸をしているのか?」

 僕の素朴な疑問にイズミは、

「空気を体内に取り込みます」と答えた。「そのあと、ワタシの中で分解して、ハイセツします」

 空気を排泄?・・息を吐くということだな。

 基本的に人間と似通っている。・・いや、同じだ。


「井村、休みなのに、わざわざすまんな」

 植村は横目でイズミを鑑賞しながら言った。

「これが・・いや、この子がイズミちゃんかあ」

 イズミは車から降り立つと、ペコリと腰を折り、

「コンニチワ・・ウエムラのおじさん」と丁寧に挨拶をした。

 そう言われた植村は「おじさんかあ・・ま、そうだけどな」と頭を掻いて、「こんにちは、イズミちゃん。初めまして」


「ま、家に上がれよ」という植村の言葉に促され、僕とイズミは家に入った。

 なんか父娘で遊びに来たみたいだな。

「お邪魔しま~す」と僕が言うと、イズミも合わせて「オジャマシマ~ス」と言った。

 すると、廊下の向こうから、ゆっくりと歩いてきたのは・・

 びっくり!

 優雅、かつ上品な足の運び方・・

 そのドールは・・いや、遠目に見れば、それは成熟した大人の女性に見紛うほどだ。

 かなり精巧にできている。

 更に近づいてくると、肌の感じでようやくフィギュアプリンターで作られたドールなのだとわかる。

 身長は約1メートル60㎝ほど、肉感的な体つき・・これは植村の思念の結果か? 

「まあっ、コウイチがオトモダチを連れてきたのね」

 それに流暢な口調・・

 その肌の質感はイズミと大差ない。

 端正な顔立ち、セミロングの髪、なぜか綺麗にカールされている。

 そして、決して安物ではない上品な洋服・・

 あとから買ったのか?


「ぼ、僕、井村です」と僕はそのドールに言った。

 僕は何を緊張してるんだよ! 相手はただの物、たかだかドールだぞ。

「コチラのお嬢さんは?」と物であるはずのドールが訊ねた。

 僕が「こいつは・・」と言いかけると、イズミが僕を見上げ「コイツ?」と言った。

 気に入らないんだな・・と思っていると、イズミが僕のジャケットをクイクイと引っ張り、僕が「なんだ?」と言うと、

「あの人の服・・ヤスモノ?」と僕に訊いた。

 僕は怒るのを堪えて「高いやつだよ」と答えた。イズミは「タカイやつ」と復唱した。

 もしかして、自分の服をを卑下してる?


 僕は植村の母親に・・じゃなかった、お母さんドールに、

「この子・・イズミって言うんです・・ま、友達みたいなもんです」と説明した。

 イズミはまた「トモダチみたいなもんです」と口調を真似て言った。

 イズミさん・・何か、気に入りませんか?


 植村が、「案内するよ」と言って僕とイズミは居間に通された。

 ソファーに腰かけたイズミは「ホワホワします」とお尻を上下させた。

 僕は「こら、あんまり動くんじゃない!」とイズミを制した。


「イズミちゃん、帽子を預かるわ」

 お母さんドールがそう話しかけると、イズミは帽子を手で押さえ、拒否のサインを送った。

「ほら、イズミ、帽子を脱ぐんだよ」

 イズミは帽子を脱ぐことに抵抗があるのか、首を振っている。まるで子供だ。

「イズミ、屋内では帽子は被らないものなのだよ」

 まるで聞き分けのない子供を戒めるように言うと、

「オクナイではボウシはかぶらないもの」と言って、帽子をお母さんドールに手渡した。

 お母さんドールは帽子を壁際の帽子掛けにかけ部屋を出たのだが、イズミはずっと帽子の方ばかり見ている。

 ここで、ちょっとAIドールについてわかったことがある。

 ・・植村のドールの方が優秀じゃないかっ!

 イズミはまるで子供、お母さんドール十分すぎるほどに大人だ。

 それともなにか・・この差異は僕と植村の思念の相違だっていうのか?

 

 しばらくすると、母親ドールが再び現れ、テーブルの上に、紅茶とケーキを丁寧に置いた。人間と変わらない動きに感動を覚える。これ・・イズミにもできる動作なのか?


 しかし、これはまずいぞ・・

 最初から、試練到来だ。

 イズミは人間の飲食する物は喉に通すことはできない。

 当然ながら、母親ドールも同じだ。

 ・・イズミが食せないことを説明するには、イズミがAIドールだということを言わなければならない。


 母親ドールはそれらをテーブルに配し終えると目の前のソファーに腰かけた。タイトスカートから伸びた両脚が綺麗に揃えられている。

 これはもう・・立派な女性の格好だ。山田課長の秘書ドールとはまた違った魅力を感じる。


 そして、僕のことなど一向に気にしないイズミは、

「ミノルさん、これ・・」と言って紅茶を指し「飲んでもカマイマセンカ?」と訊ねた。

 飲めるものならな・・

 いや、待てよ、イズミは錠剤を飲むことに加えて、ミネラルウォーターを飲んでいるではないか・・

「飲んでもかまわないけど・・イズミ・・飲めるのか?」

 そう行った時、植村が入ってきて、「わるいわるい・・井村、イズミちゃんはケーキなんて食べられないよな」と言った。


 イズミはケーキを指し「この固形物はムリ」と言って「飲み物は飲んでみたいです」と言った。

 飲んでみたい・・それは好奇心なのか、

 出されたせっかくの紅茶を断るのが悪いと思っているのか?

 いや、これまでのイズミの経緯から想像するに好奇心が正解だろう。

「飲みたければ、飲んでもいいぞ」

 そう僕が言うと、何かから解放された子供のようにティーカップに手をつけた。

「こぼすなよ」と僕が言うと、

 前に座った植村が「へえ、イズミちゃん、紅茶が飲めるのかあ」と感心したように言った。

 僕はお母さんドールが何かを飲むことが知りたくて、

「植村・・おまえの・・その・・」さすがに本人、いや、本ドールを目の前にして、お母さんドールと呼べない。

 なにせお母さんドールは自分のことをドールだとは認識していなく、人間・・植村の母親だと本気で思っている。

 すると、植村は、

「お母さんはお茶や、ジュースは飲むぜ」と言って「食事は・・食欲がない、と言って食べないんだ」と続けた。

 食欲がない?・・それは何かの言い訳じゃないのか?

 食べない人間などいない。

 植村の言葉を受けて、横のお母さんドールが、

「ええ、コウイチの言うとおりなのよ。食欲がゼンゼンなくて」と悩ましい表情を見せた。

 このお母さんドール、人間と同じような表情が作れる。イズミよりも先に作成されたドールだからなのか? もし、そうなら、イズミもこれくらいの表情をするようになるのか? それは楽しみだな。


 そう思っていると、イズミが、グダーっと僕に寄りかかってきた。

 おいおい、一体どうした?

 イズミは全身の力が抜けたように僕の体に全体重を任せている。

「なんだ? 充電切れか?」

 僕が問いかけると、

「イズミはヨッタようです」と小さく言った。口調に力がない。

「酔っただと!」

「たぶん。お紅茶のせいです」

「だから、大丈夫か? と訊いたじゃないか」

 すると、イズミは、

「紅茶は、イズミにはまだ早かったようです」と言った。

 なんだそりゃ、まるで子供じゃないか。


 その一部始終を見ていたお母さんドールが

「ええっ・・イズミちゃん、紅茶に酔ったの?」と心配しながら言った。

 僕は慌てて「たぶん。カフェインですよ。飲みなれていないから」と言い繕った。

 紅茶のカフェイン量はコーヒーに比べると少ない。だから言い訳にもならない。

 しかし、この段階ではイズミをドールだと思われてもまずい。

 イズミの顔をよく見れば、フィギュアプリンターで作られた造形だとわかるが、植村のお母さんドールがどの辺りまでイズミを認識しているのかは不明だ。


 僕の体に安心したようにもたれかかっているイズミに「大丈夫か?」と再び訊いた。

「あと、3分で、イズミはフッカツします・・ということです」とイズミは小さく答えた。

 3分で復活? 

 それもすごいな。復活予告か? かなり正確に自身の体の情報がわかるんだな。 やはりイズミは高性能だ。

 

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