第103話 器(うつわ)②

 そう言っている間に、大男が飛びかかってきた。速い!

 大男の対象は君島さんだった。君島さんは角材を持っていない。身をかわそうとしたが、男に羽交い絞めにされた。

「いやあっ」

 君島さんの体が浮かび上がった。それほど男は大きい。

「離しなさいよっ!」

 君島さんはもがきながら、抵抗の声を上げた。男がそんな声に耳を傾けるわけがない。

 男は、「おっ、おっ、おっ・・」と、不気味な擦れ声を出している。

 その男の顔が、君島さんの首に向かった。まるで無理に口づけをするような体勢だ。

 君島さんが危ない! 血を吸われる。

 そう思った瞬間、僕は男の背後にまわり込み、角材を男の体に打ち込んだ。

 その感触は予想より小さかった。つまり、体が柔らかかったのだ。角材が男の体にめり込んだだけだった。だが、その衝撃はあったらしく、男は君島さんの体を落とした。

「もうっ、なんてことするのよ!」君島さんらしい抗議の声をあげた。

 今度は、男の攻撃の対象は、君島さんから僕に移った。

 大男と目が合った。その目は虚ろだった。当然、言語を発しないし、その動作は不合理極まりない。「んぐっ、んぐっ」と呻き、ふらつき、僕の横を通り過ぎたりしては、はっと気づいて戻ってきたりする。動作が速いのか、遅いのかわからない。

 やはり、意志力が弱いのか?

 僕は角材を構えた。

 男の脇を通り抜けることはできそうだ。だが、この男をどうにしかないといけない、そんな気がした。僕が通り抜けても、神城か、君島さんに何かあってはいけない。

 僕は男にとどめを刺すべく角材を振り上げた。

 だが、僕の動作よりも男の方が早かった。タックルのような体当たりを腹部に受けた。

 僕はかなり後方に倒れ込んだ。

 ブロックか何かに頭を打ちつけたのか、右耳伝いに、頭から血が流れているのが分かる。

 血・・

 もしかして・・

 見上げると、案の定、そこには老婆の顔があった。僕の血が老婆を引き寄せたのだ。

 咄嗟に起き上がろうとすると、老婆は僕の両肩を押さえ込み、動きを封じた。

 口から異物を出し、僕の首筋に顔を沈み込ませようとしている。涎のような液体が頬に降りかかる。

 まずい・・

 と思った瞬間、

 コオンッ、と小気味よい音が響き、老婆の顔が眼前から消え去った。

 君島さんが、鈍器のようなものを使って老婆の体を吹っ飛ばしたのだ。

 君島さんの姿を見ると、大きなスコップを手にしていた。

「ちょっと、私、もう引き返せないかも」

 君島さんはそう言った。どこから引き返せないのか、僕も君島さんも善悪の境が見えなくなっているようだった。

 神城は?

 起き上がった僕は大男の方に目をやった。

 角材を手に神城は防御体勢のまま後退している。視点の定まらない大男は、神城を見たり僕と君島さんを見たりしている。つまり状況判断が出来ない状態なのだ。


 僕は君島さんの手にしているスコップを指して、

「君島さん、それを貸してくれ」

 僕は君島さんから大きなスコップを受け取るや否や、

「ごめん」と、

 僕は、祈るような心を刻みつけながら男に向かっていった。

 僕は駆けながら想像した。

 この男にもこれまでの生活があっただろう。愛する人がいたかもしれない。自分がこんな目に合うとは全く思いもしなかっただろう。

 今日、僕にスコップで吹き飛ばされることになろうとは・・

 ガシッ!

 大きな手応えのある音がして、ふらふらと壁際に退行した。

 だが、こんなことくらいで倒れるような男ではなかった。

 大男はくるりときびすを返すと、

 大きく口を開け、僕に向かって突進してきた。その口からは、「あれ」が出ている。

 スコップではダメだ。僕は再び、角材を手にした。

 男の口が数メートル前で大きく開いた。その顔に突き刺すように、角材を押し入れた。

 グチャッと音がした。

 先の尖った角材は、男の口腔を抜け、頭の反対側まで突き抜けた。男の叫びは角材で塞がれた。

 そこまでするつもりはなかった。だが、そんな言い訳など誰も聞いていない。

 神城の大きな声が響き渡った。 

 男は、両手で何とか角材を抜き、「あうううっ」と呻きながら、さきほどの老婆の方にまで行きゴロゴロと転がり込んだ。

 その様子を見ると、

 老婆が大男を抱き留め、男の方は老婆に抱きついているように見えた。

 生きてはいるが、もう立ち上がる力は残されていないようだ。その証拠に、衣服のあちこちから液体が溢れ、その体は先ほどより縮んでいる。この先、体がどうなるのかは不明だ。 


 この二人がどんな関係なのか僕は知らない。今まで、この住居でどんな暮らしをしていたのか知る由もない。

 だが、その生活力を断ったのは僕たちだ。

 老人たちが倒れている姿を見ながら、そんなことを考えていると、

 神城が、

「あの二人、同じ指輪をしているわ」と言った。

 神城が見ているのは、同じく最後に倒した大男と、その下にいる老婆だ。

 二人の指に視線を落とすと、この凄惨は景色には似つかわしくないものがそれぞれ光っていた。 

 この人たちは、何も悪くない。

 本当に悪い者は・・別にいる。この瞬間、そう思った。

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