第104話 山に集まる人々

◆山に集まる人々


 突然、車の大きなクラクションの音が鳴った。

 平屋を出ると、すぐに車道だった。車窓から顔を出した男が、道に飛び出した僕達に大声で文句を言いながら通り過ぎていったが、クラクションの音や普通の人間の声でこんなに安堵したことは今までなかった。


 集落の方を振り返ると、

 さっきまでいた家の玄関に伊澄瑠璃子が立っているのが確認できた。殺伐とした風景の中に、その姿は凛とした光を放っているように見えた。

 そんな彼女はこの集落の主に見えるが、ここは伊澄瑠璃子の家ではなかった。

 彼女が昔、住んでいた場所だったというだけのことだ。今は空き家だ。

 そう思った時には、彼女の姿は消えていた。 

 今、僕が見たのは幻覚だったのか?

 そもそも、

 彼女は、何故こんな所に僕たちを案内して出迎えたのだろう?

 過去に伊澄さんの姉妹にあったこと、それを僕たちに知って欲しくて、僕たちを呼んだのだろうか?

 渡辺さんは、伊澄瑠璃子を「人間だと思う」そう言っていた。

 だが、僕にはそうは思えない。

 僕は彼女の本当の姿を知っている。

 彼女が夢の中に現れたことや、公園で僕に「あれ」を入れようとした時、景子さんが現れ、伊澄瑠璃子が忽然と消えたのを知っている。

 そんな彼女は、やはり人間ではない。そう思う。

 人間は姉の変わり果てた姿を食べたりはしない。普通はそんなことはしない。


「なんとか助かったわね」

 神城が胸を撫で下ろすように言うと、君島さんが、

「足手まといの誰かさんがいなかったら、すぐに出れたわよ」と嫌味を言った。

 神城はむくれて「だって、私は人間だもの」と言い返した。

 そんな神城に君島さんは「でも、神城さんも頑張ったわね」と慰労の言葉をかけた。


 そんなやり取りを聞いていると、まるで何かの夢を見ていたようだった。

 ここに来る時にいた渡辺さんはいない。どこに消えたのか? その妹のサヤカもいない。

 伊澄瑠璃子は、あの二人は「また、やってくる」と予言のように言っていた。

 それもわからないが、伊澄さんの過去の話がどこまで本当なのかわからない。

 まだ彼女が話していないことが数多くあるような気がする。

 神城が、

「結局、奈々の中から、あの化物を出す方法が分からずじまいじゃないの」と言った。

「いや、伊澄さんは、その回答らしきものを言っていたと思う」

 そう僕は応えた。

「ええっ、伊澄さん、そんなことを言ってた?」

「具体的には言っていないけれど、暗示するようなことは口にしていたよ」

「例えば?」

 神城の質問に今まで経験したことと、伊澄瑠璃子の言動から推測できることを整理して言った。

「・・出来てしまえば、いらない。その後、他の『あれ』は、不要になるんだと思う」

 神城に僕の推論を言った。

 幽霊屋敷の学生の男女も言っていた。「まだ完全じゃない」と。

 その言葉を別の言い方をすれば、

『完全体になれば、伊澄瑠璃子が拡散した他の「あれ」は意味を成さなくなる』ということだ。 


「完全体、って何? 分からないわ」

「伊澄さんの姉のレミだよ。ほら、伊澄さんは、僕が『お姉さんを蘇らすつもりなのか?』と訊いた時、肯定するように頷いたじゃないか」

「そうだったかしら?」

「もし、それが本当だとしたら、一人の人間を蘇らすのに、そんなに多くの『あれ』は必要はないだろう。不要になった『あれ』は、その役割を終えて、体から出ていく・・僕はそう思う」

 まるで排泄みたいに。

 神城は「なるほどね」と、一旦は、納得したような顔になったかと思うと、

「ちょっと、待ってよ。屑木くん、それって、すごく気持ち悪いわよ」と大きく言った。「それにありえないわ」

 神城の「ありえない」と言う言葉に、

 君島さんが、「彼女、本気だ思うわ」と強く言った。

 そう言った君島さんに神城は、「君島さんは、屑木くんの言うことは、やけに何でも信用するのね」と小言を言った。


「じゃ、屑木くんは、不要になった化物は、いずれ、『その人間の体から出ていく』っていうの?」

「確かなことは言えないが、そんな気がする。現に、渡辺さんが言っていたじゃないか、山の中で、体育の大崎の中から『あれ』が出ていった、って」

「そうだけど、あの渡辺さんの言うこと、信用できる?」

「その部分だけ、信用できる気がする」と僕は言った。

「私もそう思うわ」と君島さんが同調すると、神城が「また、君島さんは屑木くんの肩を持つんだから」と言った。

 

 君島さんは、そんな神城の言葉を流して、

「ねえ、二人とも、そんな疑問より、伊澄さんがおかしいことが気にならないの?」と言った。

「伊澄さんのおかしいこと?」

 僕も神城も君島さんを見た。そんな僕らの視線を蹴散らすように、

「どう考えてもおかしいでしょ。どうして、伊澄さんは、そんなこと、あんなことが出来たりするのよ!」と言った。

 そんなこと、あんなこと・・それは、人の体内に「あれ」を入れたり、結界を作ったり、催眠をかけたりすることだろう。

そう言った君島さんに、神城が、

「だって、それは伊澄さんが人間じゃないから・・」

と言いかけると君島さんが、

「そんな風に、人間か、又は、そうじゃないか・・その二択だけとは限らないわよ」と諭したように言った。

「ええっ、どういうこと?」神城が訊ねる。

「君島さん、僕や神城に分かるように言ってくれ」

 僕と神城の問いかけに君島律子はこう言った。

「それまで普通の人間だった彼女が、ある日突然、化物になった・・そんなことも考えられるわよ」

 普通の人間が、ある日、人ではない者に変貌した。異形の者に。

 その通りだとすると、渡辺さんが言った「伊澄瑠璃子は、人間だ」という説も、これまで僕が見てきた伊澄瑠璃子の奇行のどちらも正しいことになる。


「君島さんの言う通りかもしれない」

となると、先ほど頭を過った僕の考えが更に浮上してくる。

 ・・伊澄瑠璃子は、何者かにそんな体にされた。

人間の体から人外の者へと変貌させられた・・

 そんなことを考えると、さっき伊澄さんが言っていた言葉が気になる。

 伊澄瑠璃子は姉を探している時、ある人に言われたらしい。

「山の方に行ってみたら?」と・・

 その人は、何故そんなことを言ったのだろうか?


 君島さんの話を肯定した僕に、

 神城が、「ふーん、お二人さん、気が合うのね」と嫌味のように言った。

 すると君島さんが、負けずに「あら、神城さん、妬いているの?」と返した。

「そんなわけないでしょ!」

 僕は二人を見ながら思った。

 こんな議論を三人で交わしていても仕方ない。こうしている間にも松村と佐々木の異常が進んでいるかもしれない。


 そんな話を締めくくるように神城が、

「伊澄さんが、普通の人から、あんな不気味な人間になったのかは知らないけれど、少なくとも、あんな能力を持つ人間は、伊澄さんだけよね」と言い聞かせるように言った。

 そんな神城の言葉をひっくり返すように君島さんが、

「一人いるということは、他にもいるかもよ」と言った。

 そうかもしれない・・


 少し間を置き、神城が「渡辺さん、いい人だと思っていたのに・・」と誰ともなく言うと、君島さんが「あなたも、人を見る目をもっと養った方がいいわよ」と戒めた。

「そんな言い方しなくたって・・まるで私がバカみたいじゃない!」

 なんだかんだ言って、二人の間は近くなっているように思えた。


 しばらくそんな会話をしながら歩いていると、君島さんが、

「それより、私、お腹が空いたわ。お肉が食べたい」と言った。

「君島さん、よくこんな時に、お腹が空くわね。というか、よくお肉を食べる気になるわね」神城はそう言って「呆れたわ」と続けた。

 全く、落ち着いているというか、肝が据わっているというか、君島さんの気丈夫さには驚かされる。

「だって、お肉を食べておかないと・・あとで、屑木くんにたっぷり血を吸わせてあげるんだから」君島さんはそう言った。

「なんだか、具体的かつ生々しいわね。それに、この会話、ちょっと信じられないわ」と神城が言った。


 神城は辟易するように言った後、「そう言えば」と言って、

「さっき伊澄さんが、言っていた山、って・・」と話を切り出した。

 伊澄瑠璃子の姉のレミが襲われた山のことか。

「あの山は、大学の裏手の山だろ? あそこの竹藪の中で、伊澄さんのお姉さんは惨いことに・・」

 僕がそう応えると、

「あの山って、色々とあるわよね。ふもとにある幽霊屋敷もそうだし、伊澄さんのお姉さんの事件もあそこの藪なのよね」一つ一つ確認するように言った。

 そして、

「ふもとから山道を登っていくと、変な建物があるわよね。日曜日に人が大勢集まる建物よ」と言った。

 神城の言葉に続けて君島さんが「あれ、新興宗教でしょ」と言った。「5年ほど前に、建物が出来たと聞いたわよ。最近、信者が増えているらしいわ」

 

 その時、僕は父と母の会話を思い出していた。

 母が、「そう言えば、裏の山、十文字山によく人が集まっているのね」と言うと、

 父が「あそこで、新興宗教の集会をやってるんだよ」と説明していた。

 あの山・・十文字山には神社があるが、神社の参拝客よりも、遥かに人の往来が あるのが、山の中腹にある「箱」のような巨大な建物だ。

 建物は家からでも見える。山の緑とは対照的に、趣味の悪い原色で塗り固められた建物だ。

 日曜日には、多くの人が集まってくるようだ。家の二階の窓からでも、つづら折りの山道をぞろぞろと歩く人が見えたりする。その人の列、人の行進は年々増えている。

 それはまさしく妄想癖のある佐々木奈々が言っていた「ハーメルンの笛吹男」に誘われた群衆に見えた。

 父の言葉に母がこう付け加えていた。

「そうだったわね。その宗教に隣の奥さんがはまっているのよね」

 確か母はそう言っていた。新興宗教にはまっている人間、

 隣の家の奥さん・・つまり、景子さんの母親だ。

 景子さんの母親、僕の母とはまるでタイプの異なる女性。ご近所を歩けば、大抵の成人男性が振り返る美しい人だ。

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