第89話 もう一人の来訪者①

◆もう一人の来訪者


 ぱらぱらと、天井から大きな埃や土が落ちてきた。落下物の中には、見たこともない虫もいる。落ちた虫がザザッと這い出した。君島さんが悲鳴を上げ、僕に抱きつく。

 見上げると、天井の板が、あちこち破れ、朽ちているのが目につく。板の向こうには何があるというのだ。

 顔に降りかかった土が、目に入り込み、視界を奪われる。

 すると、突然、

「ふほおおっ」

 何か獣のような声が聞こえた。目を擦って、注意深く辺りを見る。

 誰もいない。

 いや、いた!

 神城のうしろに、ぶらーんと何かが垂れている。

 天井から、ぶら下がって垂れてきているのだ。それは、あの巨大な蛭の一部のようだ。

 それが異様に伸びている。まるで何かの触手のようだ。

「神城、うしろ!」神城に注意喚起した。

 僕の呼びかけに神城が、君島さんに抱きつかれている僕に駆け寄ってきた。

「屑木くん、何よ、あれは?」

 ぶらりと垂れたそれは、ゆらゆらと揺れている。

 そして、神城は「あれ・・目が付いているわよ」と言った。

 確かにヌルヌルした表面に小さな粒のようなものがあり、それが辺りを伺うようにきょろきょろと右に左にと動作を繰り返している。まるで潜水艦の潜望鏡のようだ。

 僕たちを見ているのか?

 いや、違う。おそらくあれは本体ではない。本体は天井の上にいる。


 渡辺さんが天井を仰ぎ見た。

その天井は、大きくたわみ、垂れ下がっている。何かの重みだ。

「出て来いよ、サヤカ!」

 何かの合図のように渡辺さんが天井に向かって呼びかけた。

 サヤカ?

 渡辺さんの声に応じるように、

「はあああっ」と、大きく呼吸する声が響いた。まるで洞窟の中から出てくるような深い闇のような声だ。

 神城が口を手で覆い、叫びそうになるのを堪えている。君島さんの両腕が僕の胴を締めつける。

「サヤカは、隣の家で、ずっと出番を待っていたんだよ」

 渡辺さんは笑いを堪えきれないような口調で言った。

 天井から、垂れ下がっている触手に続いて、ドロリと本体のような物がゆっくり降りてきた。「あれ」だ。ボタボタと液体が垂れている。

 だがそれは単独で移動する自立歩行型の「あれ」でもなく、

 人間に宿る小型の「あれ」でもない。

 人間の体を食い尽くし、人間と同化しようとしている生命体だ。


 その性別は、かろうじて女性だということが分かる。それも若い女性だ。若い女が着るような服を着ているからだ。だが、その服はあちこちが破け、グチャッとした異物がはみ出ている。

 その腕は、完全に異物と同化し、長く伸び、触手のように動いている。さっき天井から垂れ下がっていたのは、腕に当たる部分だったのだ。そして、その腕の先には、さっきの目が付いている。

 問題はその顔だった。

 その皮膚は、乾燥しきっているように、ひび割れている。更に、その裂け目から、異物が這い出ようと、皮膚を持ち上げている。長く伸びきった髪が慰め程度に頭皮を被っている。

 今は何とかこれが「顔」であることが認識できるが、このままだと、この女性は完全に「あれ」と同化してしまう。つまり、人間ではなくなる。

 これが伊澄瑠璃子の言った「間に合わない者」なのか。

 そして、この化け物が、渡辺さんが言った「サヤカ」なのか?

 この女性は渡辺さんと、どういう関係なのだ?


 そして、渡辺さんがここに来た目的。それは、この女性の状態がこの先、どうなるかを伊澄さんに訊きたかったのだろう。

 さっき伊澄さんは、渡辺さんの問いに、

「いずれ、体に宿っているものに体を奪われる」と言っていた。

 まさしく、その状態がこれだ。

 僕の横で神城が腰を抜かし、その場にへたり込んだ。何か言おうとしているが、声にならない。君島さんは僕の背中に顔を押しつけている。

 そして、神城が言った。

「屑木くん、私、体が動かない」

 君島さんも「やだ、私もだわ・・」と訴えた。

 誰かがそうしている。この状況では誰が催眠をかけているのかわからない。


 そんな中、

「懐かしい人のご登場ね」

 伊澄瑠璃子はそう言って冷やかに微笑を浮かべた。

 懐かしい人? 伊澄さんの知っている人間なのか? いずれにせよ、この生命体は僕らの敵であることは間違いないだろう。

 だが、伊澄瑠璃子はこんな状態の中、少しも動じていない。

 その理由なのか、化物の動作が異常に遅い。「あれ」との同化がここまでくると逆に身動きがとれなくなるのだろうか。


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