第90話 もう一人の来訪者②

 そして、渡辺さんは僕らに向き直り、

「紹介しよう。僕の妹のサヤカだ。渡辺サヤカだよ」と言った。

「君たちに分かりやすく言うと・・サヤカは、伊澄さんの姉の女友達だよ。それが、僕の妹だ」

 伊澄さんのお姉さんの女友達・・

 伊澄さんのお姉さんの美貌を妬み、山の中で男に強姦させた女。

 その女の兄が、渡辺さんだったのか。

 

「んぐふううっ」

 そのサヤカという女が咆哮を上げた。獣が上げるような声だ。およそ人間の雄叫びとはかけ離れている。その形状も、もはや人間と呼べるものかどうか。

 長く伸びた腕を触手のように空中に舞わせている。おまけに、体のあちこちから何かの液体が吹き出ている。


 渡辺さんは妹の紹介を終えると、

「妹の中の『あいつ』はね、すごく成長しているんだよ。あの大崎という奴のとは大違いだ」と自慢なのか、悲劇の告白なのか、どちらともとれる口調で言った。


 そんな渡辺さんの言葉を打ち砕くように伊澄瑠璃子が言った。

「あら、でも妹さん、骨がほとんど溶けているようね。腕には、もう骨がなくなっているようよ」

 あの触手のような腕は、中に骨が無いせいで、あれほど長く、ぶらぶらとさせているのか。

 神城は「じゃ、奈々もいずれ、こんな体になるっていうの?」と絶望的な口調で言った。


 すると、サヤカが、初めて言葉のようなものを発した。

「・・レミ」

 くぐもった様な声で、はっきりとは聞こえないが、「レミ」と確かにそう聞こえた。

「レミ」というのは、人の名前なのか?

 そのサヤカの声を受けて、伊澄瑠璃子が口を開いた。

「レミというのは、私の姉の名前よ」

 そう言って、少し悲しげな表情で、

「伊澄レミ・・私が大好きだったお姉さん」と続けた。


「君たちも、これで分かっただろう。この姉妹はね、僕の妹のサヤカが、たった一度犯した過ちを許さず、こんな仕打ちをしたんだよ。随分とひどいだろ?」

 渡辺さんは僕らにそう説明した。

 たった一度の過ち・・

 それは、何の罪もない伊澄さんの姉を騙し、男に性的暴力をさせたこと。

 だが、それを「たった一度の過ち」と言うだろうか。


「あら、それだけで、この女は、こんな姿にならないと思うわよ」

 そんな僕の疑問に答えるように、伊澄瑠璃子が言った。

「この女はね、私のレミ姉さんが、その後、どうなったのかを確認しに、山に来たのよ」

 このサヤカと言う女は、暴行の現場に居合わせたのか。

 性的暴行をされた後、友人だと思っていたサヤカが現れた時、伊澄さんのお姉さんは、何を思ったのろう。そして、そこでどんな会話が交わされたのだろう。

 いずれにせよ、その後、お姉さんは、男に殺され・・

 いや、待て!

 そこにサヤカがいたのなら、男の行動を制止するはずだ。

 サヤカは、男の暴挙を止めなかったのか?

 まさか、サヤカは、男を止めることなく、そそのかしたのか?


 そう思った時、伊澄瑠璃子の切れ長の瞳が恐ろしいほどに吊り上った。

「あなたの妹が、男に指示したのね・・レミ姉さんを殺めるように」

 そう伊澄瑠璃子は言った。

 それが本当なら、いき過ぎた悪戯、いや、卑劣を極める犯罪だ。

 自分たちの罪を隠蔽するためか、伊澄さんの姉に対する腹いせだったのか。どちらにせよ、サヤカが男に命令したということだ。サヤカは暴漢男とそういう仲だったのか?


「んぐぷっ、むふうっ」

 伊澄瑠璃子の言葉に呼応するようにサヤカが、声を出したようだが、上手く発声できずに、ドロドロした液体を涎のように口から垂らした。液体は畳に落ち、沈み込む。


 僕は伊澄瑠璃子に当たり前の問いをした。

「伊澄さん、この女の人は、その時、罪に問われなかったのか?」

 伊澄さんは僕に向き直り、

「その時、この女はまだ未成年。屑木くんが思うほどの罰は与えられなかったわ。それに、そんな証拠もない」と言った。

「けど、その男が言うだろう。『女に命じられた』と証言するんじゃないのか?」

 男が警察で、女に唆されたと言うはずだ。

「その男はね・・そんな知恵のある男ではなかったのよ」

 伊澄さんはそう言った。

 その犯罪を犯した男は、頭が弱く、卑劣なサヤカの言いなりだったということか。

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