第86話 「人」②

「君のお姉さんは、まだ山の中にいるかもしれない」

 渡辺さんが続けて意味不明のことを言った。

「まだ生きているかもしれない」

 そう言った渡辺さんに神城が「渡辺さん、さっきからおかしいですよ」と制した。


「渡辺さん、良くご存知ですね」

 伊澄瑠璃子がようやく口を開いた。だが、その言葉も意味が分からない。

 まるで渡辺さんのおかしな言葉を肯定するように聞こえる。


「少し調べたんだよ。この町の事を、そして、当然、君のことも調べた」

 渡辺さんはそう言った。そして更に、

「この町の伝説になっている。骨のない人間の話。いや、骨が柔らかい人間の話だったかな。そんなことまで調べたよ。君に関係があるんじゃないか、と思ってね」と言った。


 その時、僕は思い出していた。茶の間でしていた父と母の会話だ。この町には語り継がれている物語が多いこと。加えて、宗教がらみの事件や、見世物小屋、骨のない少女の話も聞いたりした。

 渡辺さんは、自分の憶測や、調査したことを言っているだけなのだろうか?

 それなら、その言動は特におかしくはない。

 伊澄さんの姉の話は、おそらく渡辺さんの妄想だろう。

 だが、妙な違和感が残る。

 なぜ、渡辺さんは、僕たちにこの話をファミレスでしなかったのだ?

 この話の流れなら、渡辺さんは何かの本題、つまり、渡辺さん自身が知りたいことを伊澄瑠璃子に持ち出すために、僕たちを利用したようにも思える。


「けれど、渡辺さんのお話は、少し違いますね」

 渡辺さんにそう言った伊澄瑠璃子は冷やかな笑みを浮かべている。

 まるで、伊澄瑠璃子と渡辺さんとだけの会話のようだ。その中に僕たちはいない。

 

「私の姉は、もうこの世にはいない・・そう思っています」

 だったら、渡辺さんのおかしな推論は当たっていない。

「でも、この町に色々な伝承があるのは、本当です」

 この町の伝説は、本当なのか? あるとしたら、それは、どんな伝承なのだ?


「渡辺さん。お話は、それだけじゃないでしょう?」と伊澄瑠璃子は挑発的な瞳を見せた。

 そして、

「あなたは、もっと私に訊きたい話が他にあるのでしょう?」と言った。


 その言葉に、渡辺さんの顔が険しくなった。

「ああ、訊きたいね」

 渡辺さんも負けずと言葉を返し、

「まず第一に、君に、『あいつ』を入れられた人間は、その後、どうなる運命なんだ?」と強く訊いた。

 それは僕たちも知りたい。

 間に合う者、手遅れの者に分けられるのか?

 そして、間に合わない者は、その後、どうなるのか?


「渡辺さんのご質問は、私が、人間の体に、あなたが『あいつ』と呼ぶものを入れている、それが前提ですよね?」

「じゃないのかい?」

 いくら伊澄さんでも、そればかりは否定できないだろう。

 実際に、僕は何度も見ている。

 伊澄瑠璃子が、物置小屋で体育の大崎に入れているところを見たし、幽霊屋敷で取り巻きの白山あかねの中に入れているところも見た。そして、僕の中に「あれ」を入れようとしていた。


「でも、みなさんはご存知ではないでしょう。私が、そのようなことをしていたその目的については」

 淡々と言う伊澄瑠璃子に神城が、

「伊澄さんの目的なんて、知らないわよ。私は奈々を元の体に戻して欲しいだけよ」と憤った。

 神城の憤りに伊澄瑠璃子は、その目的について語るのをやめ、

「では、その後、どうなるのか申しましょう」と言った。

 その言葉に思わず息を飲む。

 だが、彼女は絶望的な一言を放った。

「・・放置しておくと、体内に宿っている『人』に体を奪われます」

 人? 今、体内の「人」と言ったのか? 「あれ」でもなく、渡辺さんが言う「あいつ」でもなく、「人」と。

 そして、その「人」に、体を乗っ取られるというのか。

 だが、神城も君島さんも伊澄瑠璃子が言った「人」という単語には気づいていないようだ。

 神城はそれよりも佐々木のことを思い、怒りに体が震えているようだし、君島さんは「気持ち悪いわ・・あの大崎先生もいずれそうなるのかしら?」と言っている。


 そんな中、最も大きな反応をしたのは渡辺さんだった。

「やはり、そういうことか!」

 渡辺さんの大きな声に伊澄瑠璃子は動じない。その代わり、

「渡辺さん。そんなに大きな声を出されて、どうしたのです?」と冷ややかに微笑んだ。

 渡辺さんは、何かに憤っているようだ。その手を見ると、渡辺さんの拳が硬く握られ、ブルブルと震えている。


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