第85話 「人」①

◆「人」


 伊澄瑠璃子の話に疑いの目を向ける君島さんに、

「私は、姉を傷つけた者が憎い。同様に、醜い心を持つ人間が嫌い・・それだけよ」伊澄瑠璃子はそう言った。

 そして更に、

「私の周りに集まる女の子は、そんな私の気持ちに同調しているのではないかしら?」

 すると、神城が抗議の声を上げた。「伊澄さん、ふざけないでっ!」

「だったら、どうして、奈々があんな目に遭うのよ」

 そして、

「奈々の成績が下がったり、体が異常に柔らかくなったり。何の罪もない奈々がどうしてあんな状態になったりするのよ」

 神城は、今まで溜まっていたものを吐き出すように大きく言った。


 神城の言う通りだ。

 伊澄瑠璃子の姉妹の身の上話は、同情されるべきものだ。

 しかし、その話は、僕たちが幽霊屋敷内で体験したこと、伊澄さんの取り巻きの二人が血を吸われたこと。僕や君島さんが吸血人化したことと、何の関係があるというのだ。

 それに急務なのは、松村や佐々木奈々の「あれ」を取り除いてもらいたいのだ。そもそもここに来た理由はそれだ。神城の苛立つ気持ちがよくわかる。


 だが、もし、伊澄瑠璃子の身の上話と吸血人の事件が繋がっているとしたら、

 この場における僕たちと、伊澄瑠璃子の話した強姦事件が、どこかで密接に繋がっているとしたら。

 それは、一体・・この話のどの箇所なのだ?


 神城に続いて、言葉を発したのは、渡辺さんだった。

「まあまあ、君たち。伊澄さんの話は、すごく興味深いよ」

 そう言って渡辺さんは、

「でも、君たちが知りたいのは、君たちのお友達の体から『あいつ』をどうやったら、取り除けるのか、だよね?」と言った。

 神城が「そうですよ」と言った。君島さんは「私、どうでもいいわ」と小さく言った。


 ずるっ、ずるっ・・

 何かが這っている音がする。さっきより迫っている感がある。

 しかし、部屋の中を見ても何もない。神城も君島さんも何も言わない。僕が異常なまでに神経を尖らせているせいなのか。

 ここは屋敷内と違って、狭い部屋の中だ。何かが潜むような場所もない。「あれ」がいたら、すぐにわかるはずだ。

 仮に、何かがいるとしたら、それは外だ。しかし、外には平屋の住人がいる。数人の老人たちがたむろしていた。そんな所を自立歩行型の「あれ」が這うはずもない。

 心臓の鼓動が高まる。柱時計の振り子のリズムが遅くなっているような気がする。

 いや、確かに遅い。この部屋の中の時間が、ゆっくりと流れている。

 気づかないほどの遅さだ。

 心臓の高まりに反比例して、時間が遅くなっていく。そう感じた。


 渡辺さんは話し続ける。

「その事件を機に、君を性的な目で見る人間は、周囲から消えた。そういうことだよね」

「ええ」伊澄さんは頷く。

「けれど、君たち、つまり、君と、その家族はこの町を去り、再び、この町に戻ってきた」

「ええ、そうよ」

 伊澄瑠璃子は少し笑みを浮かべている。

「どうしてだろうね。この町は君にとっては、イヤな思い出しかない町だ。そんな場所にどうして戻って来たんだい?」

 伊澄瑠璃子は黙っている。しかし、その顔を見てみると、渡辺さんの質問に答えられないのではなく、敢えて口を閉ざしているように思えた。

 渡辺さんにどんどん話をさせている。そんな感じだ。

 すると、渡辺さんは、

「君のお姉さんが引き寄せたんじゃないかな」

 唐突にそう言った。

「ちょっと、渡辺さん、変なことを言わないでください」神城が「不謹慎ですよ」とでも言いたげに言うと、

 君島さんが渡辺さんを指し「この人、最初から変だから」と言った。

 君島さんがそう言っても、渡辺さんは、僕たちが体験した出来事を唯一理解してくれる大人だ。貴重な存在でもある。


 ずるっ、ずるっ、這う音が近い。

 ごつごつ・・いや、這う音ではない、何かを引き摺りながら歩いているような音だ。

 自立歩行型の「あれ」ではないのか?

 人間なのか?

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