第87話 渡辺さん①

◆渡辺さん


 部屋の中が急激に湿気だした。同時に陽が陰る。

「だったら、仕方ないな」

 渡辺さんの体が前のめりになった。丸テーブルが傾き、湯が揺れた。

 神城が「ええっ、渡辺さん、一体どうしたんですか?」と呆気にとられている。


 その様子を見て伊澄瑠璃子は「うふふっ」と笑った。

「何がおかしい?」渡辺さんが即座に返した。

 伊澄さんも「おかしいですわ」と応えた。そして、「まるで・・」と言って、

「あなたの体に、何かが宿っているような言い方ですもの」と言った。

 何かが宿っている・・渡辺さんの中に「あれ」がいるのか? 

 いや、でも顔に穴は空いていない。

 伊澄さんは、「それとも・・」と静かに前置きし、

「あなたの身近な人に、そんな人がいるのかしら?」と問うた。


 僕と神城、君島さんの目が渡辺さんに注がれる。

 渡辺さんは質問に答えずに沈思している。

 この男は、いったい何者なんだ?

 

 すると、伊澄さんが僕ら三人に目を向け、

「ねえ、みなさん」と呼びかけた。その顔には冷たい微笑が浮かんでいる。

「みなさんの目には、ここにいる渡辺という男は、どんな風に映っているのかしら?」

「え?」

 僕と神城が同時に声を出した。「どんな風に、って言われても」と神城が渡辺さんの顔を見た。

「普通の大人の人に見えるけど」と神城は言った。

 

「その男は、あなた方を利用したようです」そう伊澄さんは言った。

 顔、そして、利用。

 まさか・・


「渡辺さん」伊澄瑠璃子の声が狭い部屋に響いた。

「ここにいる、屑木くん、神城さん、そして、君島さんの御三方に催眠をかけていたのですね」

 渡辺さんが「ちっ」と舌打ちした。

「それも、かなり強い催眠ですね」

 僕は、集中力を高めるようにして目を細め、渡辺さんを見た。

 同時に、悔やまれた。どうして、もっとよく顔を見なかったんだろう。

 ・・渡辺さんの顔に穴が空いていた。

 同時に君島さんにも渡辺さんの顔の穴が見えたのか「ひっ」と声を上げた。

 僕たちは、今の今まで気がつかなかった。

 昨日のファミレスで、学生の男が景子さんにかけていたのと同じ催眠だ。同じ手法で、第三者に自分の顔に穴が空いているのを見えないようにすることが出来る。

 だが、景子さんは人間だ。普通の人間は騙せても、僕と君島さんまで、今まで気づかなかったなんて。

 そんな僕の疑問に答えるように、

「渡辺さん、この催眠の大きさからすると・・誰かの力を借りて、力を増幅させていたのかしら?」と、伊澄瑠璃子が推測するように言った。

 誰かの力・・それは、いったい誰だ?


 すると、神城が穏やかな声でこう言った。

「渡辺さんも、松村くんや、奈々と同じなんですね」とまるで渡辺さんに同情するように言って、

「だったら、体の中の変なものを取り除いてもらうように、伊澄さんにお願いをしたら」

 そう話を続ける神城の言葉が終わるか終らないうちに、

 渡辺さんは笑いを堪えるように「くっ、くっ」と笑い始め、

「君たちは、面白いなあ」と不気味な声で言った。「本当におめでたいよ」

 一連の事件を調査していた記者の渡辺さん、そのはずだだったが、

 状況は少し違うようだ。


 そんな渡辺さんを見て、伊澄瑠璃子が、

「渡辺さん、あなたに訊きます。ここに、屑木くんや、他の女生徒を連れてきたのは何の目的なのかしら?」と訊いた。

 渡辺さんはすぐにこう答えた。

「ああ、それは、『エサ』代わりだよ」

 エサ?

「高校生は、まだ純粋な子供みたいなものだからねえ。騙しやすくて楽だったよ」

 渡部さんは笑い続けている。

「僕が声をかけたのが、この家に来る予定の君たちで、本当によかったよ。それに君たちは、誰も疑うことなく、ここに来たんだからね」

 

 そう笑う渡辺さんに、伊澄瑠璃子は、

「この家に来る人が見つからなかったらどうするつもりでしたの?」と訊いた。

「もし彼らと違う高校生だったら、他の理由でここに連れて来たよ」と軽い調子で答えた。

 続けて、渡辺さんは「ここに誰かを連れてくるのは、『エサ』もそうだが、君にいくつかの質問があったからね」と言った。 

 僕たち三人は彼にとって、何だったのだ?

 まさか、僕たちの血を吸うとでも言うのか。

 だが、いくら体の中に「あれ」が入っていても、三人もの人間は必要はないだろう。

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