第63話 変容する町
◆変容する町
「きゃああっ!」
ファミレス店内に女性の叫ぶ声が響き渡った。それに続けて、お客たちがどよめき、ウェイトレスの一人は、食器の乗ったトレイを落とした。「失礼しました」と言うこともなく、その目はレジの方に注がれていた。
それは一人の中年の男だった。
男が落とした財布を拾おうと床に手を伸ばしているところだった。
「ああ・・財布を落としただけなんだが・・」と周囲の客に言った。
だが、問題は財布ではない。
・・男の姿勢だ。
レジの方を見た神城は、
「何なのよ・・あれ・・」と言って、それ以上、言葉を出せないでいる。
君島律子は「屑木くん、こわい」と腕にしがみ付いてきた。
男の体は反対方向に・・あらぬ方向に折れていた。
問題は、男がそのことに気づかず、前にではなく、後ろに落ちている財布を拾おうとしていたことだ。だが、体を反対に折ったのはいいのだが、元の姿勢に戻らないのだ。
男は「悪いが、誰か、体を起こしてくれないか~」と変な声で訴えた。
「どうも最近、体がおかしい・・体が柔らかいのはいいが、年のせいか、中々元に戻らなくってね」
男は誰ともなく言った。男の相手をする人間は見当たらないようだ。
すると、他の男性客が「おい、救急車を呼んだ方がいいんじゃないか?」と言い出した。
だが、それは無駄だ。たぶんあの男の中には「あれ」が入っている。その証拠のように目を細めて見ると、男の顔には穴が開いていた。
「あれ」が人間の体を破壊していくとしか思えない。
神城は僕に、
「ねえ、屑木くん・・あれっておかしいわよね?」と訊いた。「屑木くんなら、何かわかるんじゃない?」
僕は知っていること、目撃した情報から、推測したことを神城に言った。
「じゃ・・あの男の人の体の中には、『それ』が入っているの?」
「たぶん・・」と僕が答えると、
「奈々も? 奈々や松村くんの中にも『それ』が入っているのよね?」
「おそらく・・」
「じゃ・・奈々も、あんな風になるっていうの? あんなに体が変な方向に曲がるっていうの?」
神城の声は叫んでいるようだった。
僕は「いずれ、そうなるしれない」と応えた。
「ちょっと、神城さん・・屑木くんをそんなに責めないでもらえるかしら」
君島律子がきつい口調で横槍を入れる。
神城はその声に逆上したように「君島さんは黙っていてよ!」と返した。「あなたには関係ないでしょ」
「私にも大いに関係ありますわ」と君島律子が応戦する。
二人が言い合いを始めたのと同時に、店の奥から年配のウェイトレスが出てきた。トレイを落としたまま立ち尽くしている若いウェイトレスに「何か、あったの?」と尋ねた。
女が指差す方を見て年配のウェイトレスは「ひっ」と声を上げた。
「お、お客さま・・大丈夫ですか?」
使命感に駆られたのか、ウェイトレスは男に駆け寄り、体を起こそうと試みた。
何もしない若いウェイトレスは、「背骨が、折れてるんじゃないですか?」と小さく言った。
「あなたも、じっとしていないで手伝いなさい!」上司のようなウェイトレスが見習い中のようなウェイトレスを叱咤する。
男は「ねえちゃん。すまないねえ」と言った。そんな声を聞くと、男は、女性に体を触って欲しくてわざと体を折ったのでは? と思えた。それくらいに男の顔はイヤらしい。
叱られた若い方のウェイトレスも加勢したが、大きな男の上半身は持ち上がりそうにもない。
僕が神城に「ちょっと手を貸してくるよ」と言って立ち上がろうとすると、君島律子が、僕の腕を掴み引き戻した。「松村くんや、佐々木さんも、あんな風になるんでしょ?」
「ちょっと、君島さん! 奈々のことをそんな風に言わないで」
神城が悲しい声を出す。
ウェイトレス二人がかりで、男の体が元の位置に戻った。
「ふうっ・・助かった」と男はウェイトレス二人に礼を述べた。
その時、客の一人が、
「あ・・あれは、何だ?」と男を指した。
それまで気づかなかったウェイトレスが悲鳴を上げた。上司のウェイトレスも声にこそ出してはいないが、目を大きくしている。
それは「あれ」だった。男の口腔からヌメヌメと這い出して来ている。
男はそれを隠したいのか、呑み込もうとしているが、男の吸引力よりも、出る方の力が強いようだ。
僕は咄嗟に、
「に、逃げてください!」と言った。
僕の声に年配のウェイトレスは振り返った。「逃げて!」という言葉の意味が分からないかのようだった。
「うしろ!」僕は重ねて大きな声を出した。
年配のウェイトレスの顔の後ろに、それはいた。
「振り返っちゃダメだ!」と僕は言った。「そのまま、僕の方を見ていて!」
振り返ると男の顔と向き合うことになる。
そう・・男の顔ではなく「あれ」と向き合うことに。
だが、人間というものは「見るな」と言われると、よけいにその方向に目を向けたくなるものらしい。
ウェイトレスは、ゆっくりと男の方に顔を向けていった。
「んっ!」という女のくぐもった声が、ここからでも聞こえた。
女の口が男の口によって塞がれたのだ。
「んぐううふうううっ」苦しそうな声が洩れる。
男の口から逃れようとする女の頭が右に左にと振られた。
女が助けを呼ぶように、腕を空に向けて伸ばした。
僕にはわかる・・男がウェイトレスの口腔に「あれ」を挿入し、血を吸っているのだ。
・・あの屋敷で痩せた大学生の男が言っていた。
「俺たちは、口から血を吸う・・だがな、それだと、けっこう要領が悪いんだ。時間もかかる」
あの男は口から「あれ」を垂らしながら。
「ほら・・見てみろ・・『これ』を使えば、まとめて大量の血を吸い上げることができる」と言っていた。
「ねえ、屑木くん・・何とか助けられないの?」神城が息を荒くしながら言った。
神城に返事が出来ない・・相手は吸血鬼だ。
出来ることと言えば、僕らがここから逃げるくらいだ。
だが、それでいいのか?
誰かが、「あの男・・ウェイトレスに無理やりキスをしやがった」と大きく言った。
「道理でイヤらしい顔をしていたはずだ」
さすがに黙っていられなくなった男たちが、その男に詰め寄り、
「おい、貴様っ、何をしてる! やめないか」と言って、男の肩を掴みウェイトレスから引き剥がそうとする。加勢するように別の男が片方の肩を掴んだ。
そして、予想通り、次の瞬間、
大の男二人が、同時に吹き飛んだ。子供用の商品を並べた棚にぶち当たったかと思うと、入り口の自動ドアにまで転げた。
この店から出るには、あの男たちを退けながら出ることになる。
それでいいのか? 人間として・・
その時、僕は思い返していた。
松村は、血を吸われ、運動神経がよくなった。
それは、体内に「あれ」を入れられたからだと思っていた。
・・違うのではないか?
既に僕も力が強くなっているのではないだろうか?
そして、問題の瞬間移動だ。
初めて、僕が血を吸われた時・・その相手は黒崎みどりだった。
あの時の黒崎みどりは、体に「あれ」を入れられる前だった。それなのに、いつのまにか彼女は僕の背後にまわっていた。
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