第44話 ナイフ

◆ナイフ


 そんな話をしながら、僕は佐々木と帰宅することになった。

 なるべく、佐々木の方を見ないようにして歩く。いくら、血に対する欲望が消えているとはいえ、佐々木の腕や、首筋に目がいってしまうと、神城の時のように襲いかかってしまう可能性だってある。

 すると、

 お下げ髪の佐々木が僕の鞄をつんつんとつつき、

「屑木くん。回り道をしていきましょうか?」と小さく言った。

 僕が「どうしてだ?」と訊くまでもなく、その理由がすぐにわかった。


 前方の路地裏の手前で5人ほどの女子高生・・しかも素行が悪いと噂の上級生のグループがたむろをしている。そのほとんどが髪を染めている。やっかいだな、と思い、佐々木の言うままに回り道をしようとしたその時、ある顔が目に入った。

「佐々木、悪いな・・僕、ちょっと見ていくよ」

 佐々木は「屑木くん、悪趣味ですよ」と、言ったが、「あ・・あれは、伊澄さん」と佐々木も彼女の姿を認めたようだ。

 そう、遠目でも認識できる存在感のある容姿・・伊澄瑠璃子は上級生の不良グループに取り囲まれていた。

 伊澄瑠璃子はブロック塀を背に佇んでいる。何事にも動じない・・そんな姿だ。

 伊澄瑠璃子には信奉者も多い代わりに、敵も多いと聞く。そこには女同士間の独特の妬みや、言われなく買われた恨みもある。

 伊澄瑠璃子のような人間が得なのか、損なのかはわからないが、

 今の僕は、伊澄瑠璃子を何らかの原因で失うことを怖れていた。

 彼女は、吸血鬼の仲間かもしれない・・しかし、現在の僕は吸血鬼に近い存在だ。ならば、僕には伊澄瑠璃子の存在が必要なのではないだろうか。 


「屑木くん・・どうしましょう。伊澄さんを助けますか?」と佐々木が戸惑う。「一応、一緒に屋敷に行った仲ですし・・」

 屋敷に行った仲・・しかし、敵なのか、味方なのか、わからない。

「そうだな・・しかし、いまいち状況がわからないが・・」


 そう思って歩を緩めていると、上級生の一人が「気に入らないわね」と大きな声を上げた。何が気に入らないのか知らないが、因縁をつける、というやつなのだろう。

 伊澄瑠璃子には非はないと予想する。あるとすれば、自分たちの仲間、あるいは男が伊澄瑠璃子の美貌に魅せられたという卑近な理由くらいだろう。

 そう思った時、ずっと先にいるはずの伊澄瑠璃子と目が合った。

 切れ長の瞳がやや細められ、僕を凝視したように見えた。そして、薄らと微笑を浮かべた。

 そして、僕にはこんな声が聞こえた。

「屑木くん・・そこで、見ていなさい。今からすることを・・」

 それは紛れもなく伊澄瑠璃子の声・・直接、頭の中に届くような声だった。

 彼女は、醜いものは嫌いだ。

 嫉妬、いさかい・・そして、こんな女子生徒たちの敵意剥き出しの行動も嫌いなのだろう。人間の醜い心・・そう思われても仕方ない。

「そんな心は、不要だ・・」僕の心と重なるように伊澄瑠璃子の声が聞こえた。


 頭の中の声と同時に、

「ああっ!」

 何かを裂くような悲鳴が聞こえた。

「ひいっぎっ、あ、頭がっ、割れるっ」

 一人の女子高生がそう叫ぶや否や、鞄を落とした。

 他の女子が「エリ子、どうしたのっ!」と慌てて声をかけた。

「エリ子」と呼ばれた女子が頭を抱えながら体を反り返らせた。「あぎいいっ」

 意味不明の雄叫びを上げ、そのままその場にうずくまった。


 横で佐々木が「なんか、様子が変ですね」と言った。「伊澄さん、大丈夫でしょうか?」

 明らかに様子がおかしい。


 キーン・・耳の奥に何かの金属音が響いた。「屑木くん。何か、音が聞こえませんか?」

「聞こえる・・イヤな音だ」


 その不快な音の発生源を確かめるように、前方を見た。 

 うずくまったままのエリ子の手に、何やら光る物が見えた。

「あれ、ナイフですよ」

 佐々木の言う通りだ。刃物に違いない。それは伊澄瑠璃子に向けられている。

「頭が割れる」と言っていた女生徒が混乱してナイフを出し構えたようだ。


 やめさせないと・・

 そう思った時には、駆けだしていた。佐々木の「屑木くん、気をつけてくださいっ」と注意喚起する声を後にして急いだ。


 すぐに僕の姿を認めた不良少女たちが、「誰だよ、あんた?」と口々に言った。

 僕は「伊澄さんは、同じクラスなんだ」と言った。

 すると一人のリーダーのような女性が前に進み、「あんたには関係ないだろ」と大きく言った。彼女の向こうの壁を背に伊澄瑠璃子は静かにいる。この危険な状況を何とも感じていないような無表情の顔だ。

 しかも、薄らを微笑みを浮かべているのだから、更に女子の反感を買うことだろう。

 僕の後ろに佐々木が追いつき、「伊澄さんを連れて、早く逃げましょうよ」と提案した。

 僕は佐々木の意見に賛同して、伊澄瑠璃子に声をかけた。

「伊澄さん・・行こう」

 僕の呼びかけに伊澄瑠璃子は応じたのか、静かに歩みを進めた。


すると、「待てよ!」と呼びとめられる。

「この女は、エリ子の男をたぶらかしたんだよ」ボス格風の女が言った。

 男をたぶらかす?

 伊澄さんがそんなことをするはずがない。どう考えても不似合だ。

 僕の後ろで佐々木が、「伊澄さんがそんなことするはずがありません」と援護した。

 しかし・・伊澄瑠璃子は、男をたぶらかしはしないが、別の行為をしたのかもしれない。

 エリ子と言う女はうずくまったまま「うっ、うっ」と呻き声を洩らしている。だが、手にはしっかりと刃物がまだ握られている。


 ・・何かおかしい・・妙な違和感がある。

 このような状況に巻き込まれながら、僕はあることを考えていた。

 どうして、僕も佐々木も懸命に、伊澄瑠璃子を守ろうとしているのだろう。

 伊澄瑠璃子はクラスメイトだが、大切な友達ではない。むしろ何らかの危害を及ぼすかもしれない人間だ。

それに不良たちは武器を持っている。もし本当に助けるのなら、警察を呼んだ方が無難だろう。

 

 僕と佐々木の士気を煽っているのは、伊澄瑠璃子ではないのだろうか?


 そして、この上級生の不良グループも・・操られている。

 だが、それは、何のために?


 そんな考えが頭をかすめた瞬間、

 キーン・・と、頭の中にイヤな音が聞こえた。

 音と同時に、ありえない光景が目の前に繰り広げられた。

 しゃがんで呻いていたはずのエリ子が不意に立ち上がり、

 リーダー格の女子の真後ろにふらーっと姿を現した。気配を感じた女が振り返った時にはもう遅かった。「ザクッ・・」という鈍くイヤな音がした。

 リーダー格の女の顔が意味不明の歪んだ顔になったかとと思うと、

「エリ子、何をするんだよ!」と精一杯の声を出した。

 リーダー格の女はエリ子にそう言った後、その場に崩れ落ちた。

 その女の背中に、ナイフが突き立てられていた。

 いったい何が起こったんだ? 仲間割れなのか?

 周囲の女は「レイカさん」と声をかける者、「エリ子っ、レイカさんに何をするんだ!」と叫ぶ者に分かれた。

 一番冷静な佐々木が「誰か、すぐに救急車を!」と叫んだ。

 一人の女子がナイフを抜こうとしているので、僕は「抜いたらダメだ」と大きく言った。

 レイカさんの瞳孔は見開き、顔がガクガクと痙攣している。

 そんな様子を伊澄瑠璃子は見下ろし何も語らず静観している。


「伊澄さん。教えてくれ! 君が彼女に何かをしたのか?」

 僕は彼女にきつく問うた。 

 僕には確信があった・・これは伊澄瑠璃子の催眠効果だ。

 頭の中に鳴る不快な音の正体がこれだ。音で人を操り、

 自分に降りかかる災いを退けた。

 

 自分に起こった災い・・果たしてそうなのだろうか?

 自ら引き寄せたのではないのだろうか?

 そんな疑問の渦巻く中、伊澄瑠璃子はこう言った。


「私は、彼女に足りないものを補った・・ただそれだけよ」

 こんな状況の中、伊澄瑠璃子の話を聞いているのは、僕だけだろう。

 伊澄瑠璃子は続けて、

「おそらく・・この女は元々こうしたかったはず・・私は、そのきっかけを与えたのにすぎない」と淡々と言った。

 エリ子という女が、レイカを刺したかった・・以前からそうしたかったということか?

 しかし、

 僕は「それは、違う」・・そう思った。

「伊澄さん・・それは、自惚れだと思う」と言って、

「そんなの・・誰かを刺したい・・普通はそんな気持ちは抑えるんだよ・・その気持ちにきっかけを与えるなんて、傲慢だ」

 傲慢という言葉に、伊澄瑠璃子の目が更に細くなった。彼女の目はダイレクトに感情を映す。

 伊澄瑠璃子は僕の言葉に気分を害したのに違いない。

 

 僕と伊澄瑠璃子の対峙を誰も気に留めるはずもない。

「レイカさん! しっかりしてください。もうすぐ救急車が来ます」と、

 うつ伏せの彼女に声をかける。だれかが救急車を呼んでくれたようだ。致命傷でなければいいが。

 僕の指示通り、ナイフには誰も手を触れていない。

 そう思った瞬間、レイカさんの背から血がドクドクと溢れだした。

 そんな血を見ながら、伊澄瑠璃子はなぜか僕の顔を見ていた。

 伊澄瑠璃子は切れ長の瞳を僕に向け、何かを疑問に感じているようだ。

「おかしいわね」

 顔でそう言っている風に見えた。

「この血を見ても何とも思わないの? 吸いたくならないの?」

 頭の中にそんな声が届くようだ。


 血を吸いたい・・この前までだったら、今倒れているレイカという女子の背中に覆い被さっていたに違いない。欲望の赴くまま、脇目も振らず血を吸ったかもしれない。


 だが、僕は景子さんの血を僅かながらでも飲んだ。それで、現時点の状況に遭遇しても、血を吸いたいという欲望は起きていなかった。

 血は・・血を飲むということは、その量とは関係がないのか。 


 そんな思いの中、伊澄瑠璃子と対峙していると、

「屑木くん・・どこで、血を飲んだの?」

 伊澄瑠璃子はそう言った。

 心の声ではなく、実際に声を出して言った。

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