第43話 美意識

◆美意識


 あれから血に対する欲望は消えていたが、正常な味覚は戻ってはいない。

 コーヒーがやたらと不味く感じるし、ご飯も何を食っているのかわからない。けれど、食べなければダメだ。そんな義務感で食事を重ねる。

 体重計に乗ると、前より5キロは痩せている。


 血を吸われただけの人間は、他人の血を吸いたくなり、味覚がなくなる。

 反して、松村のように運動神経もよくならないし、骨は柔らかくならない。

 どっちもどっちだな・・ 


 伊澄瑠璃子は、公園で「楽になるわよ」と言った。

 そう・・伊澄瑠璃子に、体の中に何かを入れてもらえれば楽になる。

 全てのことから解放される。

 少なくとも血に対する枯渇感はなくなるのかもしれない。

 けれど、今は大丈夫だ。・・景子さんの血を吸ってからは・・

 


 下校時、「屑木く~ん」と素っ頓狂な声で僕を呼び止めたのは、佐々木奈々だった。

「佐々木、どうかしたのか?」

 佐々木が「ちょっといいですかぁ?」と切り出したので、「別にいいけど」と答えた。

「大変なんですよぉ」

「何が大変なんだ?」

 そんな大変なことをどうして僕に伝えるのかわからない。話す相手は神城じゃないのか?・・あ、今日は神城が病欠だったな。

「それがですね。私、聞いちゃったし、見ちゃったんですよ」

「聞いて、そして、見たのか?」

 いったい何を?

 佐々木奈々が見た、そして、聞いたと言うのは、松村と君島律子のことだった。

 松村は、教室で、君島さんが体育教師の大崎に襲われそうになった際に助けてあげた。

 そんな松村は君島さんにとって騎士的存在だ。

 そして、君島律子は、伊澄瑠璃子が転校してくるまではクラスの花形的存在だった。

 その二人が、佐々木の話によると、

 ・・交際を始めたらしい。


「どうでもいい話じゃないか」僕は佐々木に言って「目出度い話じゃないか」と言い直した。

「ところが、そうでもないんですよ」

「そうでもない?」

「私、松村くんから話を聞いたんですよ」


 佐々木はそう言って、松村と君島さんが、あの大学の裏手の廃墟屋敷でデートをするという話を始めた。

 交際を始めて、初デートが屋敷だと?


「松村くんが・・『今度、君島さんを誘うんだ。あの屋敷に一緒に行こうって誘うんだよ』と、しきりに言っていたんですよ」

 松村が浮足立って佐々木に言っている光景が目に浮かぶ。


 屋敷での逢引・・あの屋敷にまつわる噂だ。

 夜になると、若いカップルがあの屋敷に出向き、逢瀬を重ねているという噂。

 あの屋敷は、表向き大学の音楽サークルが物置に使っているという話がある。実際に楽器のケースがいくつも置かれているのをこの目で見ている。

 楽器のケースが、カップルの逢引と関係があるのかどうかはわからないが、

 僕と神城、佐々木の三人は、あの屋敷内で酷い目に合っている。

 血の惨劇だ。

 実際に屋敷に行ったのは六人だが、他の三人、つまり伊澄瑠璃子と白山、それに黒崎は酷い目に合ったとは思っていないだろう。

 特に、伊澄瑠璃子は、全くの例外だ。むしろ、彼女に連れられて、あの屋敷に入ったような気もしないでもない。


「それって・・本当か?」

「本当ですよ。私、松村くんと話すことが多いですから」

 佐々木と松村は幼馴染らしい。

「けれど、あんな場所、汚いだろ・・なんで最初のデートが、あの薄気味の悪い幽霊屋敷なんだよ。普通の健全な高校生のカップルは、映画とか、遊園地とかに行くだろ・・せめて、カラオケくらいならまだ許せる。それに、あの白山さんもこんな場所で彼氏と会いたくないと言っていたじゃないか」

「ですよね。ですから、私も言ったんですよ。『そんな汚い場所に誘ったら、君島さんに嫌われますよ』って」

「佐々木がそう言ったら、松村の奴、何て答えたんだ?」

「それが・・松村くんはこう言ったんですよ・・『あの屋敷は、ちっとも汚くないし・・すごく綺麗で素敵な場所なんだよ』って」

 あの幽霊屋敷が綺麗? 素敵?

 全く理解できない。松村、美意識がおかしすぎる。


 それに、松村の方はそう思っても、君島さんはそうじゃないだろう。男はよくても女の子は嫌がりそうだ。誰が初デートであんなところに行きたがるだろうか。

「それで、君島さんの方は、どうなんだ? 断ったんだろう?」

 僕が断言するように訊ねると、佐々木は、

「いいえ、君島さんは承知してくれたそうですよ」

「承知した? 君島さんが、松村との初デートに屋敷を・・」

 どうして?・・信じられない。

 君島律子と言えば、伊澄瑠璃子の登場前までは、気位の高い、クラスの女王さま的存在だった。一方、松村は冴えない・・いや、その表現は松村には悪いが、要するに釣り合いのとれない二人だ。

 そんな二人が交際・・つまり、松村は君島さんの危機を救ったのだから、それが縁でつき合うようになる・・そこまではいいとしても、あの屋敷が初デートっておかしすぎる。

 

 君島律子は、松村の言うがままになっているのではないだろうか?


 佐々木奈々は、そんな思考に耽る僕を見て、

「私が、大変って言ったのがわかりますよね」と同意を求めた。

「大変という言葉が相応しいのかどうか、分からないが、明らかに変だ」

「変ですよねえ。気になりますよね」佐々木は更に同意を求めた。

 そんな佐々木の顔を見て、僕は、

「君島さんは、松村の誘いを断れなくなっているんじゃないのかな」と言った。

 がらんどうのように見える松村の顔。

 もしかして、その顔には、何らかの催眠効果でもあるのかもしれない。

「・・催眠ですか?」

「そう・・その催眠だ」

 佐々木はこの類の話が大好物らしく、すぐに乗ってくる。

 そして更に佐々木は、

「だったら、あの屋敷で逢引をしている男女って・・どちらかが催眠術をかけて誘っている・・そういうことでしょうか?」と推測を述べた。

「何をするんだよ、あんな汚い場所で、蜘蛛の巣だらけだぞ」

「あそこで、することって・・男女のすることじゃないと思うんですよ」

「男女のすることじゃない? ではないとすると」

「この前、屋敷に行った時みたいに・・血を・・」

 佐々木は更に推測する。

「男女のどちらかが、血を吸っているんですよ」


 だとすると、あの屋敷で逢瀬を重ねている男女は、もう吸血鬼の仲間入りをしている人間たちなのか?

 だったら、君島さんが松村に血を吸われる可能性だってある。

 いや、松村は伊澄瑠璃子に、体の中に何かを入れてもらっている。僕のように血を吸いたいという欲望は抑えられているはずだ。

 しかし、そんな話を目の前の佐々木には言えない。僕が血を吸いたいということは景子さん以外には誰も知らない。

 

 だが、松村が、君島さんの血を吸わなくても、

 あの白山あかねのように、空中に血が糸のように飛んでいく・・そして、あの屋敷内にいる何者かが血を吸い上げることだって考えられる。

 いずれにせよ、君島さんが危ない。

「おい、佐々木、その松村と君島さんの初デートはいつなんだ?」

 佐々木は、

「明日の放課後、二人で行くらしいですよ」と答えた。


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